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原発事故で東日本は壊滅するかもしれない――「最悪のシナリオ」をめぐる真実のドキュメント

本がひらく
 福島第一原発事故発生後、官邸、米軍、自衛隊、東電がそれぞれに準備していた「最悪のシナリオ」。未曽有の事態を前に、危機管理を担う当事者たちは何を考え、どう動いたのか――。
 2021年春に放送され、大きな注目を浴びたNHK・ETV特集「原発事故“最悪のシナリオ”~そのとき誰が命を懸けるのか~」。番組を担当した石原大史ディレクターが筆を執り、菅直人元首相、北澤俊美元防衛相ら当時の危機管理担当者へのロングインタビューなどの取材成果をまとめたノンフィクション『原発事故 最悪のシナリオ』が、2022年2月18日に発売されました。
 本記事では、プロローグと第1章の冒頭を公開いたします。

プロローグ 「最悪のシナリオ」の謎

 その男性の眼はいらだちを帯びていた。手元に置かれた資料をせわしなくいじってはいるが、取り立てて見返すわけでもない。何にいらだっているのか。意に沿わぬ質問を投げかけた私たちにか。それとも、かつて男性が直面した受難の日々にか。
 カメラを挟んで私たちの前に座るこの男性は、10年前、東日本大震災に伴い東京電力福島第一原子力発電所事故が起きた当時、この国を率いる立場にいた。菅直人元総理大臣。防災服をまとい鬼気迫る表情で陣頭指揮にあたっていた姿をいまでも鮮明に覚えている。
 私たちが当時の総理に投げた質問はシンプルなものだった。
 福島第一原発事故をめぐる「最悪のシナリオ」の作成に、なぜ2週間もの時間がかかったのか――。

 話は10年前に遡る。2011年3月11日の福島第一原発事故の発災からおよそ2週間後の3月26日。私たちは福島第一原発から北西に30 キロメートルから50キロメートルに位置する福島県飯舘村に入った。事故を起こした第一原発からの放射能拡散がいまだ続く中、汚染にさらされた地域で何が起きているのかを、現地取材でルポにまとめるというのが私たちに任されていたミッションだった。
 その3日前、国はSPEEDIと呼ばれる、地形や気象情報などを掛け合わせ、放射能の拡散を計算するシステムで作成した〝汚染地図〞を事故後初めて公表していた。そこでは、第一原発の北西方向50キロメートルにわたって高濃度の放射能汚染が生じたことが推定されていた。
 東京を発つこと、車で5時間。現地に到着して間もなく、私たちは飯館村役場へ向かった。役場の前に備えつけられていた線量計の値を確認すると毎時5マイクロシーベルト、東京の通常時の100倍近い値だった。役場2階に置かれた災害対策本部で、菅野典雄村長が話を聞かせてくれた。
 菅野村長は、開口一番、事故発災以来の政府の危機管理への不満を私たちに訴えた。

菅野 私が教えられてきたのは、「いざ何かあったときには、できるだけ大きくエリアを取って、それから徐々に、ここまで安心になりました、ここまで安心になりましたと、そのエリアを縮めていくと。これが住民に安心感を与えるのだ」ということです。ところが、まるで逆なんです。「避難範囲がひろがりました、20キロ圏、30キロ圏、もしかしたら40キロになるかもしれない、50キロもありうる」と。これは人間の神経を逆なでする、心を引き裂いていくやり方ではないかと思います。恐怖心を深めていくので。これでよいのか、違うやり方があるのでは、という思いはやはり持っていますね。

 避難区域の漸次拡大、自衛隊や消防の逐次投入など、危機管理の視点からすれば、菅野村長が首をかしげたくなるのも無理はなかった。
 このころ、国も東京電力も「危機の全体像」を国民に説明していなかった。起きている危機が、最悪の場合、どこまで拡大する怖れがあり、それを防ぐために何を行うべきなのか。いわゆる「最悪のシナリオ」を政府が想定しているようには思えなかった。その一方で、国民の間では、「直ちに健康に影響しない」という言葉に象徴されるような、事実の一部だけを説明する政府の姿勢に疑心暗鬼がひろがっていた。
 飯舘村では、水道水や土壌などからも高濃度の放射性物質による汚染が検出され、村民の生活は大混乱に陥っていた。それでも政府が避難指示や屋内退避の指示を出したのは原発30キロメートル圏内に限られ、飯舘村の扱いは宙に浮いたままだった。次は自分たちの番だと多くの村民が浮き足立っていた。
 「最悪のシナリオ」の不在――。それがこの国の危機管理の根底に潜む課題なのではないか。菅野村長の話を聞きながら、そんな仮説を考えはじめた。
 しかし、およそ9か月後、その仮説に修正が必要だと明らかになる。

2012年1月6日 共同通信ニュース
最悪シナリオ、福島事故後に検討―政府は公表せず

 細野豪志原発事故担当相は6日、閣議後の記者会見で、昨年の東京電力福島第1原発事故発生後、1号機の原子炉が爆発して制御不能となり、4号機の使用済み燃料プールから水がなくなり、燃料が損傷する事態を想定した「最悪のシナリオ」を政府内で作成していたことを明らかにした。
 政府はこのシナリオを公表していない。細野氏は「想定しにくいシナリオをあえて描いたもので、過度な、必要ない心配をさせる可能性があった。当時の対応として間違ったことはしていない」と説明した。

 「最悪のシナリオ」は存在しなかったのではない。存在はしていたが、国民には開示されなかっただけだったのだ。記事は、政府が国民にシナリオを開示しなかった理由を「必要ない心配をさせる」ためと説明している。しかし、飯舘村で取材した実感からすれば、シナリオの〝非開示〞こそが混乱の核心にあったといえなくもなかった。
 そして、その後、より詳しい続報を目にしたとき、この「最悪のシナリオ」をめぐる奇妙な謎がぼんやりと浮かび上がってきた。

2012年1月7日 朝日新聞3月25日
「最悪シナリオ」首相の元へ

シナリオは、当時首相補佐官だった細野氏が菅直人首相の指示を受け、近藤駿介原子力委員長に依頼、委員長が個人的に作成して政府に提出した。
 資料では、最悪のシナリオとして、原子炉2炉心分の1535体もの燃料が貯蔵されていた4号機の使用済み燃料プールの燃料が溶けることを想定した。(略)
 最悪の場合、事故の影響による年間の放射線量が自然放射線量を大幅に超え、希望する住民に移転を認めるべき地域は半径250キロの外側まで発生する可能性があると指摘した。

 謎の原因は、「最悪のシナリオ」の内容ではなく、シナリオが届けられたという日付にあった。3月11日の発災から2週間が経過した3月25日。私たちが飯舘村に入り、菅野村長から政府の危機管理に対する苦言を聞かされた前日にあたる。
 直感的に「遅すぎる」と思った。「最悪のシナリオ」は危機管理の要諦といわれる。進行する危機の全体状況を把握し、現状がどの地点にあり、どんな対策を打てばよいのか。シナリオは、それらを判断する指針となるからだ。とすれば、「最悪のシナリオ」は、事故が起きる以前、あるいは事故の最初期にこそ必要なものなのではないか。
 第一原発が最も大量の放射能をまき散らし、飯舘村などを汚染した3月15日からみても、1週間以上が経過していた。いわば「最悪の事態」を通りすぎたあとに、「最悪のシナリオ」が首相官邸に届けられていた事実が、不自然だと考えたのだ。
 なぜ、こんなタイミングで政府は「最悪のシナリオ」を作成させたのか。そしてそのシナリオは、政府の事故対応にどのように生かされ、あるいは生かされなかったのか。シナリオの存在を明らかにした記事には、それらの事情は何も書かれていなかった。
 しかし、そのころ、私たちの取材チームが、その謎の解明に取りかかることはなかった。汚染地帯の出現によって故郷を追われた被災者の苦境を追いかけるのに精一杯で、後ろを振り返る余裕がなかったのである。そして、次第に謎そのものを忘れていった。

 再び、その問いを意識し出したのは、それから9年が経過した2020年の春だった。折しも日本にコロナウイルスが襲来し、危機管理という言葉がメディアに散見されるようになっていた。水際対策をどうするか、医療体制の拡充をどうするか、困窮者支援をどうするか……。緊急対策の必要性が叫ばれる一方で、Go Toキャンペーンやオリンピックの開催など、ウイルス拡散にもつながりかねない施策も打ち出され、政府の対応は議論を呼んでいた。日本社会は、またしても、命や暮らしを脅かす未知の存在に、揺れはじめていた。しかし、危機管理の教訓として、10年前の経験が総括され、日本社会に生かされているとは思えなかった。
 「最悪のシナリオ」という言葉が、再び生々しい存在感を放つようになっていた。
 いまこそ、第一原発事故の「最悪のシナリオ」の成立過程を調べ直したい。私たちは、事故の直後に突きあたった、なぜ事故から2週間も経過した「遅すぎる」タイミングでそれがつくられたのかという謎について、独自取材による解明に乗り出した。この「遅すぎる」シナリオの成立過程に、当時の危機管理のあり方をめぐる未解明の問題が潜んでいるのではないか、その検証から現在にも通じる日本社会固有の課題が浮かび上がるかもしれないと考えたのだ。
 この10年の間に公表された資料の読み込みや、政府、東京電力、自衛隊、アメリカ政府、アメリカ軍の幹部や関係者への直接取材を通じ、その謎の輪郭は徐々に明らかになっていった。3月25日に政府に提出された「最悪のシナリオ」以外にも、東京電力や自衛隊、アメリカ政府などが「最悪の事態」の想定について、それぞれ独自に検討を行っており、それらは有機的に結びつきながら事故直後の混沌を生み出していた。
 政府と東電の間の「撤退」をめぐる確執、安全保障問題にも波及しかねない日米両政府間での不信感の高まり、そして、民主主義国家における「命の犠牲」をどう考えるのかという究極の問い……。「最悪のシナリオ」の成立過程の追跡は、戦後日本の国としてのあり方を問うという、巨大な地下水脈へ通じる道となっていたのだった。

第一章 沈黙

Too Late――遅すぎたシナリオ

「事故後2週間」を菅直人はどう考えていたのか

菅直人 遅いなんていう話はね……。私なんかからすると何に対して、何が遅いんだよ。事故がどういうものかもわかっていないときにさ。つまりメルトダウンに至るような事故っていうのは想定してないんだから。それが現実に起きたからって、現実に起きたことを認識すらできないんだから、メルトダウンの。だから、遅いとか遅くないとかじゃなくて、その手前の手前よ。

 菅直人元総理大臣に初めて直接面会したのは、2020年11月。「最悪のシナリオ」の成立過程を追跡する取材班を結成してから4か月後のことだった。
 東京・永田町、国会議事堂の裏手にある衆議院第一議員会館。地上12階建て、与野党の200名以上の議員事務所が入居するこのビルに菅の事務所はある。事務所を訪ね通された会議室は、菅の長い政治キャリアを示す数多くのポスターや写真、記念品で飾られていた。
 菅は市民運動出身の政治家といわれる。20代半ばから高騰する地価の是正や有害化学物質に関する市民運動を担い、著名な女性活動家だった市川房枝の選挙支援をきっかけに国政に関与していくようになった。
 1980年、三度目の挑戦で衆議院議員に初当選。以来、いくつかの政党を経て1996年、第一次橋本内閣で厚生大臣に就任すると、薬害エイズ事件の情報公開に取り組み、注目を集めた。同年、鳩山由紀夫らとともに民主党を結成、党の顔の一人となり、党内の有力者として存在感を増していった。総理大臣就任は2010年6月、東日本大震災・原発事故が起きる9か月前である。
 初めて対面した菅からは、震災当時の鬼気迫るような気迫や、「イラ菅」と呼ばれる由縁となった刺々しさのようなものが抜け落ちているように感じた。それは年齢を重ねた老いによる変化というより、人生の一部を燃焼し尽くしたことによる結果のように感じられた。
 原発事故という未曽有の事態を前に、国家の命運という重圧を抱えながら、その最高責任者として不眠不休の対応を続ける――。菅は、こんな経験をした人間は、チェルノブイリ原発事故の対応にあたった旧ソ連の共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフと自分だけだと著書に記している。
 「最悪のシナリオ」の成立過程を検証したいという私たちの取材依頼を、菅は前向きに受け止めていた。震災から10年の節目は今後日本が原子力発電をどうするかを真剣に考えるのによい機会だとし、「最悪のシナリオ」については十分に理解されていないので、できる限りの協力をすると約束してくれた。
 ただ、私たちが解明を目指す疑問、「なぜ『最悪のシナリオ』の作成に、2週間もの時間を要したのか」という点については、終始話がかみ合わなかった。菅は、シナリオの作成をこのタイミングで命じた理由について、「日々の対応に追われる状況を脱し、ようやく落ち着いてきたから」と語り、特段、そのタイミングを「遅い」とは感じていないようだった。
 初めての面会から2か月後、さまざまな取材を尽くした上で行った菅へのカメラ撮影を伴うインタビューでは、次のように語っている。

 この事故はすさまじいものなのよ、この福島原発事故っていうのは。東電というね、プロ中のプロの集団の一番のコアがね、事故なんて起きっこないと思っていたのが起きて。だから、一番最初にそれ(「最悪のシナリオ」の作成)をやるべきだという話は、一般論としては、そうかもしれない。しかし、プロ中のプロが全部そろってたんだから。
――それなのに、誰もこういうもの(最悪のシナリオ)を提示してこなかったと。
 提示しようがないじゃない、そんなことになりっこないと思っているんだから。メルトダウンが起きたこと自体も把握できないんだもん。水素爆発が起きそうだということも把握できないんだもん。素人ならともかく、当事者がプロ中のプロなのに、事故なんて起きっこない、起きっこないで、全部来た。
 だから、危機管理的にいえば、それくらい最悪の状態だった。まさに原発の安全神話そのものなの。みんな、神話を疑いなく信じているわけだ、関係者全部が。その神話が、頭の中にこびりついているから、こういうことが起こる可能性なんていうものを発想できないんだよ。
 「昨日までいってたことと、あんた違うじゃないの」っていわれるのがやっぱり人間いやなんだろうね。それが最大の危機だったのよ、逆にいうと、まさに。ある意味で、いまにまで続くね。

 私たちの質問に対し、菅は、まくし立てるように回答した。初めて面会したときの様子とは違い、菅は明らかにいらだっていた。菅の主張は一言でいえば、「遅いなどといわれる筋合いはない」ということだった。東電を含む原子力発電の専門家たちは、シナリオをつくるべきなどと誰一人進言してこなかった。むしろシビアアクシデント(原子力発電所設計時の想定を超える過酷な事故)など起きるはずもないと考えていた彼らを相手に、なんとか必死の努力で事態を収拾させたという自負が、菅にはあった。口にこそ出さなかったが、「俺の苦労もわからずに何をいうのだ」と菅が考えているのは、その表情や口ぶりから推察できた。
 私たちは、こうした菅の主張に対し、特段の異論があるわけではなかった。しかし、菅へのインタビュー時点で、すでに100名を超える関係者から話を聞き、取材を進めていた私たちには、「シナリオの遅れ」の原因が、東電やその周辺の専門家にのみあると考えるほど、事態は単純ではないように思えた。
 これから詳細に見ていくように、実際には政府に対し、「最悪のシナリオ」の検討を要請する意見は、2週間を待たずとも何度か上がっていた。そして、政府に「最悪のシナリオ」が提出される以前にも、東電や自衛隊、アメリカなどが、それぞれの組織内で独自のシナリオ検討を行っていたこともわかっていた。そうした複雑な動き一つひとつに、それぞれの組織の利害や思惑、意思と意思のぶつかり合いが存在したことを、私たちはすでにつかんでいた。それらをひもといていくことで、「戦後最大の国家的危機」といわれた福島第一原発事故の危機管理の実相が、初めて見えてくると私たちは考えていた。

※続きは『原発事故 最悪のシナリオ』をご覧ください。

目次

プロローグ  「最悪のシナリオ」の謎
第1章 沈黙
 Too Late――遅すぎたシナリオ
 3月12日、1号機水素爆発の衝撃
 パニックへの恐怖
 動き出したアメリカ
第2章 責任と判断
 怖れていた連鎖――3月14日、3号機水素爆発
 東電本店の危機感
 巻き込まれた自衛隊
 アメリカの焦り
 「撤退か否か」――判断を迫られた、官邸の政治家たち
 15日早朝、やってきた〝そのとき〞
第3章 反転攻勢
 関東圏に到達した放射能
 それは〝誤認〞だった
 「使用済み燃料プール」という名のモンスター
 ヘリ放水作戦開始
 英雄的行為
 分水嶺
第4章 終 結
 吉田所長の〝遺言〞
 東電-自衛隊、非公式会談
 アメリカの大規模退避計画
 自衛隊の覚悟
 日本政府版「最悪のシナリオ」とは何だったのか
 最後の謎
エピローグ  「最悪のシナリオ」が残したもの

プロフィール
石原大史 (いしはら・ひろし)

2003年NHK入局。長崎放送局、大型企画開発センターなどを経て現在、制作局ETV特集班ディレクター。担当した番組にETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」(第66回文化庁芸術祭大賞)、「薬禍の歳月 サリドマイド事件50年」(第70回文化庁芸術祭大賞、第41回放送文化基金賞・最優秀賞)、「お父さんに会いたい “じゃぱゆきさん” の子どもたち」、NHKスペシャル「空白の初期被爆 消えたヨウ素131を追う」(第56回JCJ賞)など。共著に『ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』(講談社)。

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