見出し画像

働き盛りの世代の、老後に対する「うっすら不安」の正体!――中島美鈴『あの人はなぜ定年後も会社に来るのか』

「今は仕事があるけれど、定年後の人生を考えるとなんとなく不安」「いざ定年になってみたら、何もやることがない」――多くの人が抱く、そんな心理はなぜ生まれるのか。それは私たちが社会の中で集団的に形成している、“特有の認知=考え方のクセ”に出発点がある!?
 話題の認知行動療法の専門家が、心理学の視点から老後不安と孤独の正体を明らかにしながら、今から簡単にできる「豊かに生きる考え方のコツ」を示したNHK出版新書『あの人はなぜ定年後も会社に来るのか』。当記事では、本書より「はじめに」を抜粋してご紹介します。

老後不安や所在のなさはどこから来るのか?

 皆さんは次のようなことを考えたことはありませんか。

● 仕事が休みの日に暇を持て余す
● 長期休暇に「自分から仕事をとったら何も残らないような気がする」と虚しくなる
● 人と比べて、自分は友達が少ない
● 子どもが巣立つと生きがいがなくなる気がする

「こんなことを一度も考えたことがない」という人のほうが少ないのではないでしょうか。
 多くの大人が仕事や子育てなど、何らかの生産的なことに従事して一日の多くの時間を費やしています。またそれによる報酬や成果によって、日々は回っています。
 しかし、長期休暇など、何らかの事情で目の前の仕事が一時的になくなったとき、ふと「あれ? 何をしたらいいんだろう?」と考え、不安になることもあるのではないでしょうか。多くのすべきことに追われていたときには決して向き合うことがなかった自分自身と、向き合わざるをえなくなる。そんなとき、どうするでしょうか。

 幸い世の中にはいろいろなサービスがあります。いつでも好きなときにアクセスできるインターネット。思いきり現実を忘れられるゲームや映画の世界。こうした刺激は、私たちが一人になる怖さを束の間、忘れさせてくれます。だから多くの人はテレビを見たり、ネットやゲームの世界に没頭したり、誰かに連絡して会ったりと、退屈な時間を埋めて、ひとりぼっちで自分と向き合うことを避けます。本能的に自分と向き合う怖さを知っているからです。

 しかし、こうしたことではごまかしきれないほどに膨大な時間が目の前に広がったとき――つまり、定年後はどうでしょうか。

「老後」と言われる時間は20 ~ 30 年にもなります。また75 歳以上にもなると、配偶者のいる人のうち男性で2割、女性で6割が死別・離別を経験するなど、家族に先立たれることなども増えていきます。同時に、年齢を重ね次第に気力や体力が落ちていくと、若い頃に行っていたさまざまな手段を使って現実逃避をすることも、徐々に難しくなっていくでしょう。働きざかりの頃にはあまり意識しませんが、それでも漠然と、老後について不安に感じる方は多いのではないかと思います。

挿絵

定年後の所在のなさには明確な理由がある

『あの人はなぜ定年後も会社に来るのか』というこの本の書名を見て、皆さんは何を思い浮かべたでしょうか。誰か身の回りにいる特定のどなたかの顔が浮かびましたか?
 実際、定年退職後に用事もなくかつての職場を訪れる方というのは多く、その対処に悩まれている声も多く聞かれます。元同僚ですから無下にもできず、かといって相手をしているといつまでも自分の仕事ができない……。もしかしたら今まさにそんな悩みを抱えている方もいらっしゃるかもしれません。

 最初にお断りさせていただきますが、この本は定年後も会社に来る方々のことを非難する本ではありませんし、「定年後の人生は〇〇をして過ごしましょう」と、特定の具体的な行動を勧める本でもありません。

 定年後に、特段の用もなくかっての職場に来てしまうこと。これは、新しい人とのつながりや夢中になれる趣味を見つけられずに老後の時間を持て余し、過去の人間関係に依存し続けているということです。このことは多くの人、とくに男性の老後不安や所在のなさ(孤独感)と通じる普遍的な問題ではないか。私はそう感じています。

 本書は、現在働きざかりの40代から、もうすぐ定年を迎える(あるいは迎えた)60代くらいまでの方に、主に男性が抱えることになる、そうした老後不安や孤独感がなぜ生じるのか、その不安の正体はどこからくるのかを、心理学の視点から明らかにします。そのうえで、そんな不安や孤独感と上手に付き合い、将来の長い老後の生活を豊かに送っていくためのコツを、私の専門である「認知行動療法」の考え方を用いてご紹介させていただきます。

定年後の指南本を読んでも解決されない2つの悩み

 書店に行けば、定年後の人生を指南してくれる本がたくさん見られるようになりました。それだけ見ても、多くの人が自身の老後について高い関心を持っていることが窺えます。一方、それらの本を読んで、「言っていることはわかるんだけど、いざ実践するとなると、むずかしいな……」と感じていらっしゃる方もまた、多いのではないでしょうか。
 たとえば「子どもの頃にやりたかったことをやりましょう」「仕事で培ったスキルを活かせることをしましょう」と言われて、自分の内面と向き合う必要のある問いを差し出されたとき、「どういうふうに考えればいいかがわからない」とフリーズしてしまいませんか。仕事ひと筋で頑張ってきた人ほど、そうした傾向が強いように思います。

 自分の感情にうまく向き合えないのは、なぜなのでしょうか。 
 本書が問いたいのはまさにこの部分です。

 人は生まれてから成長していく過程で、知らず知らずのうちにある特定のものの捉え方を培っていきます。これは心理学でいう「認知」と呼ばれる情報処理システムのひとつで、「考え方のクセ」とよばれるものです。世界を見るための「フィルター」や「メガネ」といったようなものをイメージするとわかりやすいかもしれません。その人特有の考え方のクセは、長い時間をかけて形成されたものですから、一度身につくと変えることが難しいものです。

 認知の中には、その人固有のものだけでなく、多くの人に広く共通するものもあります。詳しくは本書の中でお話ししますが、とりわけ社会人の、男性社会の中で生きていくために取られがちな認知のあり方は、自分の感情と向き合う邪魔をする作用があるのです。

 その認知は、「他人と親密な関係を築く」ことにも影響を与えます。

 よく「男性より女性のほうが友達を作るのが上手」などと言われませんか。もちろん個人差はありますが、例えばワークショップなどで初めて会う人とすぐに打ち解けるのは、どちらかといえば女性のほうではないでしょうか。また、「定年後も会社に来る人」も、その多くが女性ではなく男性だといいます。
 仕事での人間関係は「タテの人間関係」です。一方で、損得勘定のない、人との親密な関係性というのは「ヨコの人間関係」、水平的な関係です。タテの人間関係はとても合理的で楽ですが、キャリアや組織内での立場に依存しているので、退職すれば消滅してしまいます。今までタテの人間関係しか築いてこなかった人が、急にプライベートで他者と親密なヨコの人間関係を築くことは難しいはずです。その方法がわからないのですから。そう考えると、定年後に元職場に来てしまう方というのは、タテの人間関係に固執し、新しいヨコの人間関係を築けずにさまよっている人と言えるかもしれません。

 長い老後の時間を考えるというのは、仕事以外にやりたいことは何か、そのために誰とどういうふうに付き合っていきたいかを考えるということです。そのためにはまず、知らず知らずのうちに培ってきた考え方のクセを正しく把握し、自分の感情と向き合うためのコツ、そして人と親密な関係を築くコツを知ることが不可欠なのです。
 本書がお伝えしたいのはそんな「コツ」の数々です。

複雑に悩むよりシンプルに考える

 前置きが長くなりましたが、ここで私自身の簡単な自己紹介をさせてください。私は福岡県を中心に活動している臨床心理士です。心理学の講師やカウンセラーとして、いくつかの職場を掛け持ちして働きながら、執筆・講演活動も行わせていただいています。
 先ほどもお伝えしたとおり、私は「認知行動療法」を専門としています。近年、アメリカでもっともポピュラーな心理療法として知られていることもあり、日本でもメディアで取り上げられる機会が増えてきたので、聞いたことはあるという方が多いのではないでしょうか。
 しかし、「認知? 行動? なんだか難しそうだな」「心理療法は、心を病んでしまった人のものでは?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。詳しい説明は本文にゆずりますが、認知行動療法がどうして、老後不安や孤独の問題を考えるうえでヒントになるのでしょうか。

 認知行動療法の方法をつきつめて表現するならば、
「複雑に悩むよりシンプルに考えましょう」
 と言えるかもしれません。

 この本に何かしらの興味を抱いた方は、ご自身の将来の不安に対して真剣に考えていらっしゃる方が多いと思います。ただ、一度考え始めると、悩みの迷宮に入ってしまう(だから考えないようにしている)という方も多いのではないでしょうか。 
 でも、老後の不安と孤独感の問題は、ご自身の「認知」と「行動」を見つめなおすだけで、とてもシンプルに、どう付き合っていけばよいのかが見えてきます。ほんのちょっとのコツで、定年後の長い時間を充実したものにできるのです。
 私は日々患者さんと向き合う中で、認知行動療法の考え方は確かな効果があると感じてきました。かくいう私自身、認知行動療法に出会うことによって、悩みやすく、他人に振り回されやすい自分自身が変わっていきました。だからこそ、働き盛りの現役世代、定年を間近に控えた、あるいは定年して間もない方で、老後に漠然とした不安を抱いている方に、こんな考え方もあるということをぜひ知っていただけたら、と思っています。

 2020年の新型コロナウイルスの流行で、多くの人が自宅に籠らざるを得ない生活を強いられました。その中で「外に出かけられないなら、自分は何をすればいいんだろう」と思った方や、リモートワークなどで職場に行く機会がいつもより減り、言い知れぬ寂しさを感じた方は多いのではないかと思います。本書の内容が、そんな方々にとって、漠然と未来に見える不安に輪郭を与え、少しでも老後の人生を豊かで実り多いものにするヒントになることを願っています。

イラスト=うかうか

※続きはNHK出版新書『あの人はなぜ定年後も会社に来るのか』でお楽しみください。

プロフィール
中島美鈴(なかしま・みすず)

公認心理師、臨床心理士。心理学博士。東京大学、福岡県職員相談所などでの勤務を経て、現在は九州大学および肥前精神医療センター臨床研究部にて集団認知行動療法の研究や職場のメンタルヘルス対策に従事している。著書に『悩み・不安・怒りを小さくするレッスン』『もしかして、私、大人のADHD?』(光文社新書)などがある。

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信中です。ぜひこちらもチェックしてみてください!