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国内外の酒場をハシゴして40年、包丁を握って35年の小説家が理想の居酒屋を開店!?――島田雅彦『空想居酒屋』より

「本がひらく」で大好評だった、作家・島田雅彦さんの痛快エッセイ連載「空想居酒屋」が2021年1月12日にNHK出版新書として発売されます。
「そこに酒があり、ドリンカーがいれば、即酒場」をモットーとする島田さんの神髄がつまった本書は、書籍化にあたり書き下ろしコラムや島田さんの手料理のレシピなどオリジナルコンテンツももりだくさん。当記事では、刊行に先駆けて本書より「はじめに」をお届けします。

 そこに酒があり、ドリンカーがいれば、即酒場。
 自身の中に様々な交代人格を育てる作業を行っているわりに、一人机に向かってばかりいるので、他人と接する機会が少なく、異なる分野の人同士が参集して、一つのプロジェクトを進めるような仕事に憧れがあった。その欲求を満たすため演劇活動に関わったこともあったが、今では別の転職希望を胸に秘め、酒を飲みながら放心している時などに極めて具体的なプランを練るのが癖になった。
 そのプランというのは自分の居酒屋を開くことである。実際に経営者になったら、仕入れや採算や接客に悩まされるだろうが、空想ならどんな奇抜なメニューやポリシーを打ち出そうが、思いのままである。
 過去に多くの酒仙、大酒吞み、酔っ払いとの交流があり、彼らの薫陶を受けてきた。また、酒場にはそれぞれの歓待の流儀があり、ポリシーがある。もはや数えきれないほどの酒場を巡り、杯を空け、記憶をなくし、二日酔いもし、酔客に絡まれ、狼藉も働き、何とか今日まで無事に生き延びてきた。感動の美酒あり、もう一度食べなければ死ねない逸品もあった。いつしか、これまで訪れた数々の実在の酒場とその思い出が酔った頭の中で渾然一体となり、理想の酒場が私の想像の中で開店した。それを「空想居酒屋」と名付けよう。もちろん、頭の中の酒は飲めないし、絵に描いた肴は食えない。架空の居酒屋では酔えない。だが、その想像がリアルなら、すぐにでもリアルな「何処でも居酒屋」を作ることもできる。私が体験した酒場天国をまずはコトバで再現し、「こんな酒場で飲みたい」という欲望を善きドリンカーたる読者と共有し、最終的には空想居酒屋を実際に開店することを目指す。

 どんな店が理想か? 商店街の酒屋、リカーショップは扱う酒の種類の多さは魅力の一つだが、角打ちをやっている酒屋に勝るところはない。売っている酒なら何でも飲めるというのは実はすごいことなのだ。ザルツブルグのさる高級ホテルの一階には老舗の酒屋があり、ワインやラム、シナップス、アブサンにいたるまで三百種類を超える酒を売っているのだが、全てその場で飲め、味見もさせてくれる。滞在中、毎日通ったのはいうまでもない。空想居酒屋も酒の小売店を併設し、客が呆れるほどの多様性を確保したい。
 酒を注ぐ時の気前のよさも居酒屋を評価する際の重要なポイントである。泡だらけの生ビール、グラスに半分も入っていない焼酎のロック、受け皿にこぼれていない日本酒を平然と出す店は酒吞みが聞こえないように舌打ちしていることを思い知るべきである。福井のある居酒屋はグラスの下に受け皿を三枚重ね、シャンパンタワーのようにして日本酒を出す。そんなことをしたら採算が取れないなどとケチなことを空想居酒屋はいわない。客は店の気前よさに対し、「また来る」ことで義理を返してくれるから。

 以前、『孤独のグルメ』の原作者久住昌之氏と酒場談議をしたことがあった。実はこの漫画の始まりはバブル時代に遡る。まだ巷の人々の懐が暖かく、年収四百万円が貧乏と見做されていた時代である。誰もがこぞって、港区や中央区、渋谷区の単にお洒落なだけの、コスパの悪いレストランに嬉々として出かけ、覚えたてのワインの蘊蓄を傾け、男は目の前の自分のことにしか興味のない女を口説き落とすことしか考えていなかった頃に、主人公井之頭五郎はひなびた酒場、貧乏くさい食事、時代から取り残され、半ば遺跡化したような街を好んで訪れていた。私がしたかったことはまさにこれだと思った。『孤独のグルメ』は食堂や酒場と井之頭五郎とのコラボレーションであり、変哲もない場末、大して美味くもない料理から最大限の魅力を引き出す一種のインスタレーションである。かつて、赤瀬川原平が熱心に行っていた路上観察学や街中の無用の長物と思われるものに注目する「トマソン」にも通じる現代アートの一種なのである。このように能動的なハプニングを期待して食べ歩いている限り、食べログのランキングを信じて傷つくこともない。ネットの情報などに振り回されず、直感を信じ、勇気を出して、何となく気になる店に飛び込めば、必ず何らかの副産物がもたらされる。たとえ、不味くても、惨めな思いをしても、それは立派な話のネタになる。

 居酒屋の構造で最も合理的と思われるのはコの字カウンターである。内側を従業員の動線に使い、外側に丈夫な木製のスツールを並べ、客同士が詰め合い、譲り合って座るようにする。コの字の開いている先には厨房があり、でき上がった料理を両側の客に配膳し、酒は客がセルフサービスで壁際の冷蔵庫から取り出し、自己申告させるか、お代わりの酒や焼酎はカウンターごしに直接、客のグラスに注ぐ。この方式でコの字を長くすれば、一人で十五、六人の客をさばけるだろう。しかも、店内の無駄な動きが省け、給仕と客がぶつかることもなく、給仕は客の注目を一身に集め、やがて、その手際やフットワークを批評する客も出てくる。
 そもそもテーブル・チャージというのはテーブルについた客にいちいちサーブする手間とプライバシー確保の追加料金である。カウンター客に対してはそれらの手間が省けるのだから、その分安くしてやらなければならない。チェーンの個室居酒屋は給仕に手間がかかる分、注文の品が来るのが遅い。そういう店で飲み放題コースを頼むと、意図的に給仕を遅くされている気がする。
 コの字カウンターで人件費を抑えた分は赤字覚悟で看板メニューを提供するのが、居酒屋の良心というもの。来た客のほぼ全員が注文する定番を開発しなければならない。ある店ではそれは素焼きの皿にモツの脂がついている面を上にして並べ、オーブンで表面を焦がしたグラタン風のモツ煮込みであり、また別の店では生パン粉で揚げた分厚いハムカツだったり、ホッキ貝入りのポテトサラダだったり、マグロの頰肉を使ったねぎま鍋だったりする。メニューの主役を首尾よく開発できたら、次は日替わり脇役メニューの開発である。ブラジルでは曜日ごとのメニューが全国的に決まっていて、たとえば、金曜日は黒豆と豚肉やソーセージなどを煮込んだフェイジョアーダが供される。月曜日から日曜日まで七人の脇役が揃えば、その全てを制覇しなければ気が済まない客が毎日やってくる。
 定番は手堅く、飽きのこない味に仕上げておけば、日替わりでは実験精神を発揮し、客の意表を突くこともできる。たとえば、定番にカツオだしを効かせた薄味のモツ煮込みを備えておけば、日替わりメニューにガスパチョやパスタを出しても、バランスは取れる。
 どうしても動物性タンパク質過多になりがちな居酒屋に野菜メニューを充実させると、中性脂肪や便秘が気になる客の支持も得られる。漬物ステーキ、沢庵の煮物、春菊やパクチーのサラダ、きんぴらごぼう、ナスの塩揉み、叩きキュウリ、キャロットラペ、焼き野菜などは最低限、揃えておきたい。

 外国に出ても、飲み歩く以外にやることはなかった。いや、取材とか講演とか会議などもあったが、そちらの記憶はほとんど残らず、酒場の思い出だけが肝臓に鮮明に刻まれる。バルセロナのバルでは三百種類を超えるつまみのメニューに敗北感を抱いたし、ほとんど十メートル置きにあるといっても過言ではないヴェネチアのバーカロを七軒ハシゴしたこともある。アムステルダムのバーではジンを樽でキープしている客におごってもらった。
 酒場には土地柄が色濃く出るが、それぞれのスタイルが別の文化圏で異彩を放ってもいる。スペイン・バルが日本で流行れば、ニューヨークでは日本の居酒屋が「ジャパニーズ・タパス」と呼ばれ、若いアメリカ人がサンマの塩焼きやお好み焼きをつつきながら、日本酒を飲んでいる。居酒屋もフュージョン化しているわけだが、そうなればなったで、原点回帰したくなり、近頃は昭和の面影を宿す下町の史跡のような居酒屋の色褪せた暖簾をくぐりたくなる。また、そういうところはこちらの意図を見透かしたように、切り干し大根の煮物とか、長芋の短冊とか、マカロニサラダとか、うるめいわし、ハムエッグなどを揃えている。
 日本でスペイン・バルに行くのも、昭和の居酒屋へ行くのも日常からの逃避行動という点で共通しているのかもしれない。居酒屋は単に酒を飲むだけでなく、日々の憂鬱や漠然とした不安を消化し、理解者を獲得しにゆく場所でもある。客はそこで自分が何ほどのものかを知り、謙虚を学び、何かを断念するのである。まっすぐ家に帰ったところで、どうせ不眠にさいなまれるだけである。
 霞が関の官庁街に近い虎ノ門には行きつけの店が一軒あるが、午後六時過ぎともなると、ダークスーツの男たちで満席になる。客はほとんどが官僚のようだ。聞き耳を立てると、人事の話やぼやきが漏れてくる。その場しのぎの政策の大筋が案外、この居酒屋で決められている可能性もある。ところで私は国会前のデモに出かける前にここで一杯ひっかけて行った。その時はカンパチの刺身、メゴチの天ぷらを肴に冷たい酒を飲んだことを覚えている。テレビでも新聞でも言論の自由にはバイアスがかかっている昨今、本当にいいたいことをいえる場の確保は物書きにとっても死活問題だが、居酒屋はその最後の砦になるかもしれない。物書きが居酒屋を開くことにはそういう含みもあるのだ。
 空想居酒屋は喜んで誰もが自由に議論を交わせる場を提供するが、大声を出さず、静かに相手の話を聞いた上で、自粛などせず、いいたいことをいうのが客の流儀である。
 そして、空想居酒屋は空想のままでは終わらない。豊かな空想は実践で締めくくらねばならない。空想居酒屋はリアルな居酒屋、何処にでも出現し得る「何処でも居酒屋」に進化するだろう。あの『ドラえもん』の「どこでもドア」の向こうには居酒屋があるのだ。

写真=今井 卓

※続きはNHK出版新書『空想居酒屋』でお楽しみください。

プロフィール
島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。小説家、法政大学国際文化学部教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。『君が異端だった頃』で読売文学賞など受賞多数。2010年下半期より芥川賞選考委員。
*島田雅彦さんのTwiiterはこちら

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