秘密のお客さまキービジュアル_

阿部智里(「八咫烏シリーズ」『発現』)最新掌編小説 『秘密のお客さま』

累計130万部を突破中の大人気和風ファンタジー小説「八咫烏シリーズ」の著者が贈る、温かで、ちょっと懐かしい、小冒険譚。

1 ホスト、あるいはオーナーの話

「なんでこんな所に傘があるんだ?」
 不思議そうな父の声に振り向いてそれを見た瞬間、一気に昔の記憶が甦った。
 父が力任せに取り除いた野バラの枝の向こうには、崩れかかった白壁に突き刺さるようにして、子ども用の傘が開いている。
 骨は錆びて赤くなり、鮮やかだったであろう黄色の布は、埃と枯れ草ですっかり茶色く変色していた。穴だらけになり、到底用を成さない姿となったそれは、しかしかつての私にとっては何より大切なものだった。
「ちょっと待って!」
 それまで、虫や鼠が飛び出てくるんじゃないかとおっかなびっくり野良仕事を手伝っていた私は、枯れ枝が山積みとなった一輪車を放り出して父のもとへと駆け寄った。
 傘の骨組みに守られた部分には、今でもドーム型の隙間が残っている。軍手のまま枯れ草を掻き分けてしばし、銀色の何かが見えた。
 四角くて大きな、おせんべいの空き缶だ。
 こちらにも錆があちこちに浮いていたが、無理やりに蓋を開けると、その中は驚くほど綺麗なままであった。
 紅茶の茶葉が入ったジャムの瓶に、緑色の釉薬がかかったティーポット、少しだけフチの欠けた二つのカップは、一つは白地に青い花模様のティーカップで、もう一つは温かみのあるピンクの萩焼だ。几帳面にたたまれたハンカチにはシミが浮いているが、赤い糸でなされたチューリップと私の名前の刺繡は、今なお色鮮やかであった。
 背後から私の手元を覗き込んでいた父は、納得したように頷き、ニヤニヤと笑った。
「なるほど……。ここは、お前の秘密基地だったんだな」

*     *     *

 片田舎ではよくあることに、我が家には手入れの行き届いていない、荒地とも言うべき畑が存在している。
 家から近い一角では、母と祖母が大根やら菜っ葉などを家庭菜園程度に栽培していたのだが、三年前に祖父が亡くなってからというもの、それ以外の部分は全くの手付かずとなっていた。
 会社員だった父は、定期的に隣家や公道に接する部分の草刈りを行うのに精一杯で、荒地部分はほとんどノータッチだった。
 と、なれば、何が起こるか。
 当時小学二年生だった私は、荒地に秘密基地を作ることにしたのだった。
 きっかけは確か、年末に学校で行われた大掃除だった。
 クラスの置き傘入れには、持ち主不明の傘が大量に残っていて、先生が希望者は好きに持ち帰ってよいと言ったのだ。
 やんちゃな男子達はその場でチャンバラを始めて早々に先生に没収されていたが、私は黄色の傘を見た瞬間にすばらしいアイデアを思いついていた。
 我が家の荒地には、隣家との境界部分には生垣が存在している。
 反対側の敷地も、うちと似たような荒れ地になっていたが、昔は色々と手が入っていたのだろう。我が家とお隣さんの間で示し合わせたらしく、お茶の木が一列ずつ植えられていた。今や枝は伸び放題で、大人の胸ほどの高さにまでなっていたが、二列並んだお茶の木の根元付近には、並木道のような空間が出来ていたのだ。
 子どもか、でなきゃ野良猫ぐらいしか見つけられないし、通れないほどの細い道だが、初めてそれを見つけた時は興奮したものだった。引っかき傷だらけになりながら、這うようにしてそこを進んでいくと、かしいだ白壁に行き着いた。
 もとは隣家の住人が作ったものだったのだろう。
 非常に古くてあちこち穴が開いており、中の土や竹の骨組みが覗き、我が家側にのったりとかしいでいた。一方、我が家側のお茶の木は相変わらず続いていたので、斜めとなった白壁との間には、ドーム状の空間が出来ていた。お茶の木の外側には白い野バラが自生し、穴から覗いた白壁の向こうは、笹薮に覆われているということまでは確認していた。
 ――あの白壁の穴をこの傘で塞げば、あそこの居心地は相当良くなるのではないだろうか。
 一度思いついてしまうともうたまらなくなって、早速、その日のうちにその考えを実行に移すことにしたのだった。
 母に見つからないよう、わざわざ傘を荒地に隠してから、家にランドセルを置きに行った。大人に見つかったら、危ないから止めなさいと言われてしまうに違いないので、絶対に見つかるわけにはいかなかったのだ。何気なく遊びに行くふりをして荒地に戻り、傘を抱えてお茶の木の並木を通って、白壁の空間へとやって来た。白壁の大穴に閉じたままの傘を差し込んでボタンを押すと、笹をゆっくりと押しのけるようにして、鮮やかな黄色が広がった。
 ただの藪の中という印象だったそこは、傘の黄色に木漏れ日が増幅され、一気に明るく、華やかに様変わりした。
 想像以上にすばらしい「秘密基地」が出来上がってしまったことに、私は歓喜した。工夫次第で、もっともっと素敵な空間になるはずだと思った。
 その日以降、私は、秘密基地のクオリティーを上げることに夢中になった。
 時期は冬だ。
 大人達は知らなかったと思うが、荒地の枯れ草にも、悪い草と良い草というものがあった。ほとんどの場所はごわごわした薄茶色の枯れ草で覆われていたが、とある一箇所だけは、細くつやつやとした、ストロー状の金色の草が生えていたのだ。私はその特別な枯れ草をせっせと運び込み、まずは地面に敷いてクッション代わりにした。
 幸いにもちょうどその頃、粗大ゴミを近くの公園に集める日があった。
 どういう基準になっていたのかよく分からないが(もしかしたら粗大ゴミに便乗しただけのルール違反だったかもしれないが)食器やら体重計やら置物やらもよく置かれていたので、近所の子ども達にとってはいい遊び場になっていたのだ。
 目盛りの壊れたルームランナーで遊ぶ友人達を尻目に、私が目をつけたのは食器類だった。
 秘密基地の存在は、まだ誰にも教えていなかった。
 だが、いつか完璧な形に秘密基地が整ったら、誰か秘密を共有出来るお客さまをお招きしたいと考えていたので、その時、お茶をお出しする用意をしておかなければならないと思ったのだ。
 しばらく物色して見つけた緑色のティーポッドはつるりとした光沢があり、中国っぽいオレンジ色の渦巻き模様が描かれていた。父が大切にしているものに似ている縁の欠けた白いティーカップと、ざらざらした感触の可愛らしいピンクの湯飲みを見つけた時には、なんて運がいいのだろうかと感動した。
 図画工作のためにとっておいたおせんべいの空き缶にそれらを並べ、割れないように自分のハンカチを敷くと、立派なティーセットが完成した。
 だが、肝心のものがまだ欠けている。
家に戻り、用途は隠したままお茶っ葉を分けて欲しいと言うと、母はちょっとだけ笑い、湿気ないようにと紅茶の葉を少々瓶に入れてくれたのだった。
「秘密のお友達でも出来たの?」
「秘密のお友達が出来るかもしれないの」
「あら、そうなの」
 母はそれ以上何も訊かず、暗くなる前に帰ってきてね、とだけ言って送り出してくれた。
 荒地には、秘密基地付近の野バラとは別に、年がら年中咲いている雑草化したピンクのバラがある。いい香りのするそれを、棘に気を付けながら摘み、リュウノヒゲの細く長い葉っぱを紐代わりにしてまとめて、お茶の木にぶら下げた。それに加えて、鮮やかな赤やオレンジ、黄緑の縞模様をした烏瓜を採集してきて傘の骨に飾ると、まるでクリスマスのイルミネーションもかくやといった雰囲気になった。
 枯れ草の上で寝転ぶと、頭上には黄色い傘を通した光に烏瓜やドライフラワーとなったバラが浮かび上がり、なんとも素晴らしい眺めとなったのだ。
 なんて素敵な秘密基地なんだろう。やっぱり、特別なお客さまが現れるまで、これは誰にも教えないようにしよう。
 そう思った私は、それからというもの、秘密基地を秘密のまま最高の状態に保つべく努力したのだった。
 春になると、李や桃の花の枝をジュースの空き瓶に飾った。
 初夏には矢車草の青いブーケを作り、ドライフラワーの仲間をこしらえた。
 夏だけはやぶ蚊が出るので近付けなかったが、秋になると胡桃や栗、野生化したかぼちゃなどを集めて、網の破れたバスケットに山盛りにした。
 冬には、また新しい烏瓜や枯れ草をせっせと運び込んだ。

 相当長い期間、適度に学校の友人と遊びつつ、秘密基地の維持を怠らなかったのだ。

*     *     *

「――全然知らなかった」
 畑仕事を一段落させて家に戻って来た父は、私の思い出話を聞いて何故だか渋い顔をしていた。そんな父を見て、お茶を淹れながら母が笑う。
「私は気付いてましたよ。畑でこそこそ何かやっているなあって」
「お母さんは心配じゃなかったの? 私が変なことしてるんじゃないかって」
「まあ、そうは言ってもウチの畑だからねぇ」
 小学生にとっては大冒険でも、大人からすれば目の届く範囲の遊びだったということらしい。
「あの時は、すごくいい秘密基地だと思ったんだけどなあ」
 父が定年退職したこの冬、今まで荒れ放題だった畑を少し整備しようという話になったのだ。大学の休みに帰省していた私も手伝いに駆り出されてしまったわけだが、まさかそれがきっかけとなって、二十年近く前の秘密を告白する羽目になるとは夢にも思っていなかった。
「それで、お前はその秘密基地を、どれくらいの間使っていたんだ」
「三、四年くらいかな?」
「そんなにか!」
 お父さんに教えてくれても良かったのに、とややふてくされたように言う父に、思わず笑ってしまう。
「特別な場所だから、特別なお客さまを招待しなきゃと思っていたんだよ」
「お父さんは特別なお客さまになるには力不足だったのか」
「いや、お父さんだけじゃなくて、結局誰も招待はしなかったよ」
「そりゃまた、どうして」
「いやあ、それが、ちょっとね……」

 大好きだった秘密基地だが、それでも、行けなくなってしまう理由があったのだ。

2 ゲスト、あるいは新たなオーナーの話

 吾輩は猫である。名前はニャンチ。
 生まれは野良である。
 我輩の最初の記憶は、どこか温かい場所で、母や兄弟たちとぬくぬくしていたというものだ。ぬくぬくしていて、それで突然、キンキンとうるさい音と衝撃と共に、寒い所に放り出されてしまった。
 何があったのかはよく分からない。
 だが、猫としては相当なジジイとなった今にして思えば、多分、ねぐらにしていた場所を、人間に追い出されてしまったのだろう。
 母は賢いメス猫だったから、餌場には近いけれど、他の猫の縄張りを侵さず、猫嫌いの(人間の風上にも置けぬような)人間にも見つからぬような場所をねぐらとして選んでいたに違いない。そこすらも見つけ出して追い出しにかかるような、狭量で偏屈な猫嫌いの人間の浅ましさには、本当に目も当てられない。全く万死に値する。
 とにかく、急に安全な寝床を追い出されてしまった母は、幼い我らきょうだいを連れて、早急に新しいねぐらを探さねばならなかった。
 雨風にさらされ、犬に追い立てられ、体力を消耗し、命からがら放浪した末、ようやく母が見つけ出したのは、我々にぴったりの空間であった。
 地面にはふかふかの干草が敷き詰められており、どんなに雨が降っても冷たい風が吹いても、我々のもとには届かない。周辺の草地には鼠などが多くいる一方、周囲は棘のある藪と大きな岩のようなものに囲まれているおかげで、万が一、野良犬が来たとしても逃げやすいだろうと思われた。
 少しだけ人間の匂いがするのは気になったが、警戒するほどの濃さというわけでもなく、母はそこを拠点とすることに決めたのだった。
 新たなねぐらでの暮らしは快適であった。
 母が狩りに出ている間、きょうだいは干草の中でぬくぬくし、時にじゃれあって時間をつぶした。
 ここに入ってくるには藪を押しのけねばならないから、もし外敵が来たとしても音ですぐに分かるという安心感がある。そして、賢いメス猫である母は、我々きょうだいに、もし物音がして見知らぬ者が現れたら、すぐに岩の裏の笹藪に身を隠すようにと言い含めていた。
 しかしてそいつがやって来たのは、我々きょうだいが、母の狩って来た鼠を有り難く頂こううとしている最中のことであった。
 母は再び狩りに出ていたので、その時、そこにはきょうだいと我輩しかいなかった。
 突然、藪をこぎ分け、小枝を折り、地面を踏み鳴らす大きな音がしたのだ。
 それは、母のものではあり得ない、大きな生き物特有の、無神経な物音であった。
 きょうだいと我輩は揃って顔を上げ、ピンとお耳と尻尾を立て、全身の毛とおヒゲをぶわっと逆立てた。
 ――来るぞ、来るぞ、何かが来るぞ。
 ――たいへんだ、お母さんはどこだろう?
 ――やれ、身を隠せ!
 わちゃわちゃと転がるように岩を乗り越え、息を殺して小さくなる。
 それでも、当時から知的好奇心旺盛だった我輩は、やって来る大きな生き物に興味があって、岩の間からそっと我らのねぐらを覗き見た。
 がしゃ、がしゃ、と枯れ草や枯れ枝を踏みしめて、そいつが姿を現す――と思った、その時だった。
 そいつは突然足を止めると、ふびゃあ、だか、ふぎぇ、だか、変な声を上げて後じさったのだ。それから、先ほどのゆったりとした足取りからは考えられない速さで、ざかざかと足音も荒く去って行ってしまった。
 ――何だったんだろう。
 ――さあ、わからない。
 ――でも、行ってくれてよかったね。
 安心するのはまだ早い。すぐに戻ってくるかもしれないと、しばらくの間はそのまま小さくなっていたが、結局、そいつはそれっきり帰ってこなかった。
 母は、留守中に何者かが来たことを知っておヒゲをひくひくさせていたが、結局、そこを移動することはなかった。
 経験豊かな賢いオス猫となった今から思えば、あのねぐらは、明らかに人間の手が加わったものであった。あのねぐらへ至る道はとても狭いものだったから、きっと、やって来たのは人間としては小さい個体、すなわち子どもだったのだろう。
 賢く経験豊かで爪も牙も鋭いメス猫である母と人間の子どもであれば、母のほうが強い。
 だからきっと、母は移動しなくてもいいと判断したのかもしれない。
 しかし、母が戦うまでもなく、人間はそれから二度と姿を現さなかった。
 我輩が思うに、ねぐらには母の強いメスの匂いが強く残っていたので、子どもは恐れをなしたのかもしれなかった。

3 ご主人さまと下僕の話

「鼠の死体があそこにあったんだよ……」
 座ったり寝転んだりするため、丁寧にしきつめた枯れ草の上。最高に居心地よく整えた秘密基地に、突如として現れた血だらけの異物は、当時の私にとって相当な衝撃で、仰天して逃げ帰ったのだった。
「もう怖いやら悲しいやらで、それ以降、行けなくなっちゃったんだよね」
 その後、中学に入学して部活を始めたこともあり、秘密基地はどんどん遠い存在となっていったのだ。
「だからお前、鼠が嫌いなんだな!」
 笑いながら言われた父の言葉に、私は目を見開いた。
「そうだね。今思うと、あれがきっかけだったかもしれない」
「お父さんに言ってくれれば、代わりに片付けてやったのに」
「いやいや、考えてみてよ。もし自分のベッドに寝っ転がろうと思ったら、そこに血だらけの鼠の死体があったらびっくりするでしょ。トラウマにもなるわ。片付けたらオッケーとかそういう問題じゃないんだって!」
 私は身震いしてこたつから立ち上がると、窓辺でにゅるんと体を伸ばす、愛猫のもとへと駆け寄り、その体を抱きしめた。
「ああ、ニャンチがうちに来てくれて本当に良かった! あんたが来てくれてから、鼠は全然見ないもんね。私に出来ることは何でもするから、長生きしてね」
 そう言って優しく鼻面を撫でると、野良から家猫になってもう随分と経つウチの茶トラは片目を開き、任せろとばかりに「うにゃん」と鳴いたのだった。

プロフィール

阿部智里(あべ・ちさと)
1991年生まれ、群馬県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。2012年、『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少受賞。14年、早稲田大学大学院文学研究科に進学、17年、修士課程修了。デビュー以来、「八咫烏シリーズ」を7冊刊行し、累計130万部を突破。同シリーズのコミカライズも好評発売中。19年、最新長編小説『発現』を上梓。

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