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“分断は「愛」で埋める”没後30年、現代社会に再評価される黒人作家ジェームズ・ボールドウィン――連載「アメリカ、その心の生まれるところ~変革の言葉たち」新元良一

 自由・平等・フロンティアを旗印に、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカ。様々な社会問題に揺れるこの国の根底には何があるのか? 建国から約230年。そこに培われた真のアメリカ精神を各分野の文化人の言葉の中に探ります。
 第5回は、コロナ禍のなかで湧き起こったブラック・ライヴズ・マター運動や、アジア系人種差別問題に心を痛める人たちからの人気が再燃している黒人作家、ジェームズ・ボールドウィンです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

第5回「端的に言えば、真にひとつの国家になるなら、われわれ黒人と白人は、深い部分で互いが必要なのだ」ジェームズ・ボールドウィン

 破竹の勢いでホームランを放ち、三振を次々に奪い、出塁すれば盗塁を決める。メジャー・リーグの大谷翔平選手の今季の活躍ぶりは、アメリカで大いに話題を提供したが、目覚ましいパフォーマンスに水を差す、偏見や差別に絡むできごとがこの夏起きた。
 ひとつは、大谷選手がベースボールの“顔”であるなら、通訳に頼らず、自分で英語を話すべきだと、スポーツTV専門局ESPNの黒人の人気コメンテイターが持論を番組で展開したこと。そしてもうひとつが、野球殿堂入りも果たす元メジャー投手で現解説者のジャック・モリスが、打席に入った大谷選手を封じる策を聞かれ、アジア人特有の抑揚のないアクセントで「ベリー、ベリー・ケアフル(とても慎重に)」と答えたことである。後者については、「気にしていない」と大谷選手は答えたとされる。言われた本人がさほど不快でないなら、両者とも直後に謝罪を表明したことをもって、沈静化してもよかった。
 ところが、ことはすぐに一件落着とはならず、アメリカ社会は彼らの言動を看過しなかった。人気コメンテイターは同僚からソーシャルメディアで厳しく非難され、出演する番組でもコリアン・アメリカンのジャーナリストから、アジア系の人たちに対する偏見について“教え”を乞う羽目となった。殿堂入りしたモリスにいたっては、テレビ局から無期限の出演停止処分となり、その後復帰するにあたって差別に関する講習も義務付けられた。
 こうした処置、あるいは差別に対するアメリカ社会の反応を見るにつけ、われわれ人間が平等に与えられるはずの権利について、改めて考えさせられた。

夢は「すべての人に平等の権利が与えられる国」

 移民の国と呼ばれるアメリカは、トランプ前政権時代の厳しい入国制限を課す移民政策などは別として、これまで多くの外国人を受け入れ、政治、経済や文化など国内の多領域において活性化をもたらしてきた。日本のみならず、中南米やほかのアジア地域といった、国籍を問わず優れた選手が活躍し、トップレベルのパフォーマンスを披露する野球に象徴されるように、新しい才能や考えが導入された結果、国が繁栄してきた歴史がある。
 オープンな社会の根底には、誰に対しても公平に権利が与えられるという基本理念がある。国全体として繁栄するには、それぞれの分野で万人の参加を認め、才能を開花させる下地が必要であり、それが機能するシステムが整えられるからこそ、出自や学歴などにかかわらず、一代で財を成すアメリカン・ドリームと呼ばれる成功物語にもつながる。
 一方で、なんびとにも開かれた場所という理想は掲げつつも、国の隅々にまでこれが行き渡り、人びとの手によって具現化され、平等な社会になっているかと問われれば、話は別である。1950〜60年代のマーティン・ルーサー・キング牧師たち黒人の指導者に率いられた公民権運動や、昨今のブラック・ライヴズ・マター運動に見られるように、理想を遂行する途上で人種差別が大きく立ちはだかり、行く手を塞ぎ、社会を後退させもした。となれば、人種差別はアイデンティティに関わる根深い問題だから、克服の道のりは険しく、実現不可能な夢のような話と思いたくなる。
 にもかかわらず、現在に至るまでアメリカは、誰しもが平等に生きる国となることを止めようとしない。非現実的、絵空事と言われようが、それこそが自分たちの本来の姿だと信じて疑わないふしすらある。

現代によみがえる、ボールドウィン

 人種差別が大きな困難として根を生やすアメリカの歴史の流れにあって、黒人作家ジェームズ・ボールドウィンは、この平等に生きる権利を訴えた。映画「ビール・ストリートの恋人たち」(2019)の原作者として日本でも知られる彼は、差別を可視化させることで、アメリカの持つ側面を定義したと言えるかもしれない。
 そう書いたものの、筆者のボールドウィンと彼の作品群に関する知識や読書体験は最近までささやかなものだった。1980年代初頭にアメリカ文学へ傾倒しはじめ、80年代半ばにニューヨークへ移り、原書を読むようになっても、ボールドウィンの文章にふれる機会はまったくというほどなかった(1987年に他界したボールドウィンは、その時期執筆活動の終盤を迎えており、文学シーンの表舞台から離れていたため、同時代のアメリカ文学に対する筆者のアンテナが感知せず、いま思えば、“すれ違った”感がある)。
 ところが5年前、10年に及んだ京都生活を終え、ニューヨーク暮らしを再開すると、ボールドウィンの名がさまざまな機会を通じて目に留まり、耳にするようになった。
 近所で朗読イベントがあり足を運ぶと、登壇した作家のポール・オースターがボールドウィン作品を最近読み、その素晴らしさを改めて知ったと称賛する。そうかと思えば、息子に宛てた手紙という文章形式で注目され、全米図書賞も獲得した、タナハシ・コーツの”Between the World and Me”(2015)は、甥への手紙のスタイルで記された、ボールドウィンの随筆”My Dungeon Shook”に影響を受け執筆したとコーツ自身は語る。さらに、没後30年に公開されたボールドウィンに関するドキュメンタリー映画「私はあなたのニグロではない」の評価が高く、アカデミー賞候補にもなる――など、近年のこの作家の再評価と人気再燃を裏付けるものは枚挙にいとまがない。
 1924年にマンハッタンのハーレムで生まれたボールドウィンは、十代で文学の道を志した。1953年、長編小説”Go Tell It on the Mountain”で作家デビューを果たし、その3年後、長編第二弾”Giovanni’s Room”を発表したが、同性愛を扱った小説であることから、本作は各方面で反響を呼んだ。それ以降も、小説のみならず、随筆や詩、戯曲と旺盛な執筆活動を展開した。
 24歳のとき、執筆活動の拠点を、パリをはじめとしヨーロッパにおいたボールドウィンだが、公民権運動が盛んだった50年代から60年代にかけて祖国アメリカへ一時帰国しては、人種差別への抗議を鮮明に打ち出す人権活動に積極的に関わった。アメリカの黒人文学の旗手として名を高めた作家だが、1980年代になるとマスメディアで取り上げられることも以前より少なくなった後、1987年、フランスで63年の生涯を終えた。
 ところが、亡くなって30年の長い年月を経て、ボールドウィン人気がいま再燃している。
 なぜだろう、と気になった。

分断を埋めるものそれは……「愛」

 そこでボールドウィンの代表作に挙げられる、ジャズ・ミュージシャンが主人公のひとりとして登場する短編小説Sonny’s Blues”や先の”My Dungeon Shook”などの著作を手に取った。差別問題に挑む闘士のようなイメージを持っていた人物だったが、どの作品にも、そんな反骨精神とも言えるものが反映されている、と思った。
 だが、”My Dungeon Shook”とともに”The Fire Next Time”に収録される、”Down at the Cross”という名の随筆は何かが違った。
 本作には、400年もの途方もなく長い年月にわたる、人種差別がもたらした黒人の悲しい歴史が書き綴られる。と同時に、肌の色によって優位に立つと信じ込むアメリカの白人社会の愚かさを、批判性に満ちた言葉で表現するのだが、非難や不満をぶつける以上のものにインパクトを受けた。
 それが、愛だ。
 そう聞けば、情緒的かつ抽象的な表現が並び、捉えどころのない書き物を想像する向きもあるだろう。しかしボールドウィンはここで、言葉を使って感情に溺れることも、論点をぼやかすこともしない。冷徹な洞察力を用い、独創性にあふれ且つ研ぎ澄まされた言葉を繰り出し、読者に自問を促す力強い文章を連ねている。
 愛の存在を際だたせるために、対立軸として配置されるのが憎悪だ。そして、「ニューヨーカー」の初出から60年になろうとする作品にもかかわらず、読み進めるうちに、ボールドウィンが書く憎悪の様相が、この時代のわれわれが直面する分断を著しくなぞっているのに気づかされた。

アメリカが真の国家になるために必要なこと

 現代に通じるというより、現代だからこそ有効と思わせる本作だが、文中で分断を象徴するものとして、ネイション・オブ・イスラムの指導者イライジャ・ムハンマドとボールドウィンが、1960年代初頭に会談するエピソードが紹介される。
 1930年、デトロイトで創設されたネイション・オブ・イスラムは、4年後にムハンマドがこのイスラム教の団体のトップに就任すると、アメリカ国内で黒人信者が多数入会し急成長していった。シカゴで会う手はずが整えられ、ボールドウィンは教団の信者が集まる場所へと足を運ぶ。
 文章からすると、どうやら相手側からの誘いを受け、ボールドウィンはこの指導者との会談の場へ出向いた様子がうかがえる。作家活動とともに社会における黒人の地位向上を訴えるスポークスパーソンとして名高い彼に、教団は何らかの期待を寄せるが、当のボールドウィンは「結局のところ、わたしは物書きなのだ」と、いかなる団体にも加わらず、単独で行動する意思は揺るがない。
 目の前に現れたムハンマドは穏やかな様子で、口調も柔和だ。ところが対談が進むと、決して崩そうとしない一貫した姿勢が現れる。その姿勢の中心に据えられるのが、黒人の優位性と白人への敵対視である。
 黒人を差別してきた白人の罪をムハンマドが語る度に、信者たちは「まさに」と肯定するが、そのなかのひとりが発した言葉が、ボールドウィンの関心を引く。
 「ほんとうに白人なんて悪魔だ。取った行動がその証拠だ」
 声の主の方へ視線をやると、まだ年端もいかない少年がそこにいた。臨場感あふれる描写が続くが、幼い子どもにまで、激しい憎しみの感情が伝染するのかと思うと、言うに言われぬ戦慄を覚える。
 それからまた、ムハンマドとのやりとりが始まって、ボールドウィンは自身の宗教に関して訊ねられる。義父がキリスト教の説教師だったが、すでに教会に通わなくなり、現在は無宗教であるとボールドウィンは答える。
 さらに、黒人と白人が結婚しても構わないとの意思を伝えるとともに、自分には白人の友人がいることも彼は認める。虐げられてきた状況から黒人が解放されるには、白人が主導権を握る社会から独立する以外にないと考えるムハンマドを向こうにまわし、まるで挑戦しているかのようだ。
 信者たちに囲まれたカリスマ的な教団の指導者と対峙する、いかなる宗教にも属さないひとりの作家。両者の間に漂う緊張感が、読む側の好奇心を誘うスリリングな展開はさすが卓越した小説家の文章力ではあるが、重要な点は、不可欠な存在として、ボールドウィンが愛を語ることだ。
 白人が社会の上層部に位置し、特権を手放さず、黒人は下級市民として扱われる困難を強いられてきた。差別がまかり通り、黒人たちは警察権力に怯え、市民生活の大部分で自由を剥奪されてきたことは、アメリカの歴史が物語っている。
 こうした認識を共有しつつも、ムハンマドとボールドウィンには大きな隔たりがある。白人に向かって手厳しい非難の声を上げつつも、ボールドウィンは彼らを憎むことはなく、むしろ自分たち黒人には、白人は欠かせないパートナーだと断定する。
 「端的に言えば、真にひとつの国家になるなら、われわれ黒人と白人は、深い部分で互いが必要なのだ。真の国家になるとは、男女ともに、自分たちのアイデンティティ、自分たちの成熟を果たすこと」
 言うまでもなく、人種差別において優位な立場に白人が居座り続け、黒人を含め有色人種が不当な扱いを多方面で受けてきた社会システム自体は、抜本的に変えていって然るべきだ。しかしその傍らで、ムハンマドを代表とする当時のネイション・オブ・イスラムが提唱するような、黒人と白人を分離し、黒人だけの国家を立ち上げるという考えは、互いにとって好ましくない結果をもたらす。混乱を招く恐れのある、根深い人種間の対立を、ボールドウィンはそう苦慮する。
 “好ましくない結果”とは、黒人と白人が離れ離れになると、国家の存在意義そのものが危機に瀕する。言い換えれば、アメリカがアメリカでなくなることを意味する、ボールドウィンはそう訴えるのだ。
 では、何をもってアメリカと定義するのか?

困難な道を行く、アメリカが挑戦し続けるミッション

 人種間の壁を越え、双方が認め尊重し合う場所であり、これを樹立するためにあくなき挑戦を繰り広げる、それがボールドウィンの思い描く国家のイメージにほかならない。もちろんこの理想を成就する道は険しく、ボールドウィン自身も、「忌まわしいほど困難な課題」と認める。
 しかし彼の文章にふれていると、国家の理想とは机上の空論でも、SFファンタジーの世界のユートピアでもなく、実際に人びとが各々に行動するもの、あえて言えばアメリカのミッションのように思えてくる。だからこそ、到達地点に少しでも近づくための、異人種間の良好な関係構築への訴えは、分断が大小さまざまな弊害をもたらす、現在のアメリカの人たちの心に響く気がする。
 差別が消滅しない現状を鑑みるにつけ、アメリカは自分たちの目標に達していない、“発展途上の国”と呼べる。いや、おそらくアメリカだけでなく、どの国もこの理想を成し遂げてはいない。
 この状況を、ボールドウィンは”Down at the Cross”の最後で、人種を横断する融合という理想が成就されたとき、「世界の歴史が変わる」と表現する。それはまたいかなる苦難が待ち構え、阻止しようとしても、革新的とも言える偉業を目指し進んでいく、アメリカによる不退転の決意の表れだ。

(了)

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プロフィール
新元良一(にいもとりょういち)

1959年神戸生まれ。作家。元京都造形芸術大学教授。1984年から22年間ニューヨークに在住した後、2006年京都へ移転。2014年、NHKラジオ「英語で読む村上春樹」の番組ホストを1年間担当。2016年に活動拠点を再びニューヨークへ移す。著作に『あの空を探して』(文藝春秋)、『One author, One book』(本の雑誌社)など。現在、「ワイアード日本版」「TOKION」にて連載コラムを執筆中。

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