あなたにとって、わたしにとって、「やさしさ」とは?
現在「本がひらく」にて「愛がありふれている」を連載していただいている向坂くじらさん。以前に連載していただいた言葉の定義をめぐるエッセイ「ことぱの観察」が書籍になり、好評発売中です。書籍の各篇の終わりには、向坂さんによる単語と同じ題名の書き下ろしの詩も収載されています。
刊行を記念し、「やさしさ」の回と「やさしさ」についての向坂さんの詩を公開いたします。
やさしさ
バスのあの席が戻ってきた。
あの席だ。前方の扉から乗り込んですぐ、運転席の真後ろにある、ひとり掛けの席。バス通学だった中学生のころから、わたしはあの席が好きでしかたない。
まず、少し高いのがいい。ほかの席と違って、あの席に座るためには、二、三段階段を上らないといけない。そのぶん、外の景色もよく見える。運転手さんの合図や暗号のような時刻表を、後ろからこっそり見られるのもうれしい。ひとり掛けだから、ほかの乗客の乗り降りに気をつかうこともない。肘掛けも独り占めだ。
そしてなにより、あの席に座っている人は、やさしくなくてもいいところがいい。
あの席の階段を上ると、すぐ目に入るところに注意書きが貼ってある。そこには、「この座席は、位置が高いため、お子様 お年寄りの方は、ご遠慮ねがいます」とある。数段高いための配慮なのだろうけれど、つまりここは、逆・優先席なのだ。
ふだんは、なるべく席を譲りたいと思っている。自分の中に、できるだけ他人にやさしく、という原則があるからだ。わたしには、電車で立っていられるかどうか、という点において、自分がかなり融通のきく立場にいるという自負がある。足も二本持っているし、日常的に腰や肩が痛むこともない。大した筋力もないが、持病のたぐいもない。すぐ荷物を重くしすぎてしまうほうであるとはいえ、床に置くことに抵抗のないほうでもある。それなら席を譲って、自分のやさしさのほうを取りたい。
すると、座っていてもなんとなく落ち着かない。両手に紙袋を提げたおばあさんなんかが前に立ったらすぐに立ち上がれるように、心のどこかがいつも準備をしている。そうでなくてはいけない、と思っている。そのせいで、しばらく座っていると、ちょっと悪いことをしているような気になってくる。またおばあさんでなくても、いま前にいる青年が実は体調が悪いのだったり、その右隣の女性が実は妊娠しているのであったり、かと思えば左隣の子どもはそっとパニックになりかけていたり、そんなことももちろんありえるわけだ。いやそもそも、ある人がある人に比べてどれほど座るべきであるかを、わたしが決められるわけもなく……などと、考えはじめるときりがない。ああ、面倒くさい。しかも、わたしとてべつに、立っているほうが好きなわけではない。やさしさを取りたいのと並行して、許されるのなら、座りたい。
その、ややこしくて、あさましい欲求。すなわち、「やさしくもいたいけれど、なるべくいい目にもあいたい」という欲求は、バスのあの席でだけは問題にならない。「お子様 お年寄りの方は、ご遠慮ねがいます」だ。もちろん、見た目ではわからない体調の悪い人がいるかもしれない、という問題は解決しないけれど、階段があるせいで譲るにしても譲りづらい席でもある。だいたいの場合、わざわざ入れ替わるほうがかえって周囲の迷惑になりそうに思える。だからそこではじめて、わたしは堂々と座り、音楽なんか聴いて、外の景色を眺めていられるのだ。いっとき、やさしくなくてもいいということ。それが、すぐ考えすぎて勝手にくたびれてしまうわたしのようなものにとって、しみじみとありがたいのだった。
ところが、新型コロナウイルス感染症が流行してからの数年間、その席が使えなくなった。感染対策のためだ。運転手さんのすぐ後ろの席だからしかたない、と思いながらも、ときどきバスに乗るたび、ビニールテープで封鎖されたその席を見てぎゅっとさびしくなった。単に座れるかどうか、というところを超えて、自分の大切な領域をなくしてしまったような気がした。
だから封鎖が解かれて、久しぶりに座ったその席の、なんと心地よかったこと!
ひるがえって、自分がいかに日ごろ、「やさしさ」というものに苦戦しているかを思う。
ザ・ブルーハーツにしてもそう、斉藤和義にしても、あいみょんにしてもそう、「やさしくなりたい」旨を歌われると、一発で心を許してしまう。本当にそうだ、やさしくなりたい。なにがやさしさであるかはいったん留保しておくとしても、ともかくそのときどきに自分がやさしさだと思えることをどうにかおこないたい。「本当のやさしさ」なるものを云々する以前に、そもそも「自分がやさしさだと思ったことをおこなう」ことでさえむずかしい。
夫の運転する車に乗っているとき、夫が急に「あっ」と言った。
「あっ。入れてあげたらよかった」
見ると道路の左がわに、小さな道からわたしたちの走る大通りへ出ようとしている、一台の青い軽自動車。すぐ前は信号で、いまここでわたしたちの車が停車すれば、流れるように交差点へ進入することができる。けれど、もう遅かった。夫が声をあげたとき、わたしたちの車はちょうど停車位置までの最後のアクセルを踏んだところで、わたしの視線が青い車をとらえるかとらえないかといううちに、もう後ろへ遠のいて見えなくなってしまった。
信号待ちの車列の後ろにつつがなく停車してから、夫はもう一度つぶやいた。
「あーあ。入れてあげたらよかったな」
そのときのことを、ときどき考える。夫は忘れているかもしれないけれど、どうしてもわたしの心から離れない。あんなふうな「あーあ」を、わたしもまた、くりかえして暮らしているような気がするのだ。
車を一台車線に入れてやるかどうかなんて、言ってしまえばべつに、大した問題ではない。あの軽自動車にとってだって、わたしたちの車の前が唯一のチャンスであるわけでもなく、少し待てば無事大通りへ出られたことだろう。けれどもやっぱり、確かにそうだ、夫の言う通り、「あーあ」と思う。あーあ、やさしくすればよかった。なによりも、自分にがっかりしている。あとほんの一瞬早く決断すれば誰かにやさしくできたかもしれなかったところを、そうしなかった。それも、急いでいたとか、車線全体の効率を考えたとか、そんな理由さえなしに、とっさの判断、いわば惰性で、やさしくないほうへとアクセルを踏んでしまった。
するとだんだん、いろいろなことが思い出されてくる。なるべく席を譲るぐらいでなんだ、わたしという者は本当にやさしくないことばかりで、あるときには同級生の悩み相談を面倒がってなあなあに終わらせ、あるときには目をかけてくれた上司の送別会をキャンセルし、あるときには理由のない焦りに駆られて、好んで一緒になったはずの夫につらくあたる。昨日も今朝も、庭の木にかかったくもの巣をやっきになって剝は がしたし、貸したままになっている本やいくらかの金のことで、それもずいぶん前のことで、急にくやし涙が出そうになる。一度うけた仕打ちは執念深く覚えていて、わたしと関わらないところで幸せになってほしいとすら思えない相手が、年々多くなる……。
書いていてもいやになってきた。しかしこんな体たらくのわたしでも、自分の中にやさしさの存在をまったく感じないわけではない。こちらは照れくさいからあまり詳細には述べないけれど、ささいな、そして意外なところで、あっ、いまのはやさしさからおこなったことだったな、と、自分でふりかえることがある。とてもふつうのことになってしまうけれども、わたしはあるときにはやさしく、それでいてあるときにはやさしくない。
こう考えることはできないだろうか。やさしさ、というものは、とかくほかの何かに邪魔されやすい。やさしさを妨げるのは、先に挙げた時間や効率、またそれですらない惰性。ほかにも、金欠、自分自身の痛み、役割や責任、つつがなく回ることを望まれた生活。わたしたちが持ちあわせているはずの、いくらかずつのやさしさは、それらの障害によってなかなか出てこられない。
「あっ、入れてあげたらよかった」と夫がつぶやいたときのように、わたしたちはたくさんのやさしさを予期し、そして、阻まれている。いまは忙しいから、面倒だから、生活があるから、といって。未み 遂すいに終わったやさしさの透明な気配が、わたしたちの暮らしを取り巻いている。あーあ。だから誰かのやさしさにふれたとき、まずはその希少さに驚き、うれしくなるのだ。
そしてときに、やさしさそのものもまた、ほかのやさしさの邪魔をする。
太宰治の「家庭の幸福」の中に、町役場の短いシーンが出てくる。戸籍係の津島は、たからくじを当てたお金でひそかにラジオを買う。ラジオは高級品だ。それがその日、家に届くことになっている。津島は家族を驚かせるのが楽しみで、早く帰りたくてしかたない。
ところが、窓口を閉める時間ちょうどに、ひとりのみすぼらしい女が出産届けを手に窓口に駆け込んでくる。津島は早く仕事を終わらせたい一心で、女の頼みを断り、窓口を閉めてそそくさと帰ってしまう。そしてその晩、女は入水自殺をする。
やさしさのことを考えるとき、わたしはいつもこのシーンを思い出す。やさしさの失敗、そのものであると思う。津島が家族を思い、ラジオを買って、うちに帰るのを心待ちにする気持ちは、ある種のやさしさであるだろう。けれどもそれが同時に、そのみすぼらしい女へのやさしさを押しとどめ、起こさせなかった。津島はやさしさを持っていないわけではない。ひとつのやさしさが、もうひとつのやさしさを阻んだのだ。わたしたちもまたそうなのかもしれない。時間とやさしさ、お金とやさしさ、効率とやさしさ、そんなものを比べているようでいて、本当は、あるものに対するやさしさと、またほかのあるものに対するやさしさとを比べていることがある。
小説の最後は、このようにしめくくられる。「曰く、家庭の幸福は諸悪の本」。太宰が厳しく指摘するように、その選択の前に立たされたとき、わたしたちはどうしても、自分と自分の大切な人に対するやさしさのほうを選んでしまいたくなる。
そしてそのことは、わたしの「やさしくなりたい」という願いと、どうも反するように思えてならないのだ。
あの青い車を、夫は入れてやりそびれた。そしてそのことによって、結果的に、わたしと夫とはわずかに早く目的地に到着した。やさしくしなかったことによって、わずかに得をしたわけだ。それ自体は小さな、どうでもいいことではあるけれど、しかしその遠く延長線上に、冷たく閉まろうとするわたしたちの窓口があるのではないか。
だからこそ、夫の「あっ」が、忘れられない。そのささやかなためらい、そして後悔に、わたしたちの合理的で「やさしい」選択が、打ちやぶられる可能性があるような気がして。自分のやさしさとやさしくなさのあいだに立たされつづけているわたしたちが、新たにやさしくなれるヒントが見つかる気がして。
「はじめてのおつかい」というテレビ番組がある。子どもが街へ出ておつかいをするさまを隠し撮りし、その奮闘ぶりにスタジオにいる芸能人が随時笑ったり泣いたりする、という番組で、個人的にはそこまで熱中できないのだが、しかしそのときは観ていた。
「おつかい」をしていたのは、青森に住む三歳の女の子、スグリちゃん。このスグリちゃんがなかなかの強者で、おつかい先でやたらにまちがえる。「うにみそ」を作るための味噌をもらいに行ったのにお菓子だけもらって帰ってきたり、かと思えば今度は「うにみそ」そのものをもらってきてしまったりする。最後には、しかたなくその「うにみそ」でお母さんがおにぎりを作り、スグリちゃんがお父さんの仕事場まで届けに行く。
無事おにぎりを届けた帰りぎわ、荷物も軽くなったスグリちゃんは、道端に生えているたんぽぽの綿毛を摘む。その様子を見て、見送りに出ていたお父さんがたずねる。
「お母さんに持って行ってあげるの?」
スグリちゃんは、うれしそうに答える。
「うん。やさしいために」
この短い返事に、わたしはもう、まるきりやられてしまった。
子どものつたない言葉づかいもあって、「やさしくするということのために(目的)」なのか、「わたしという人がやさしいために(理由)」なのか、ひょっとすると青森にそういう言葉づかいがあるのか、スグリちゃんがどういう意図で言ったのかは正確にはわからない。けれどもともかくこの七文字が、離れたところにいるわたしの心の深くへ、すっと入ってきたのだった。
やさしいために。綿毛を摘むのは、お母さんのため、でも、自分のため、でもない、やさしいために、なのだ。「やさしいために」の前では、そもそも誰のためかを比べること自体、他愛ないことに思えてくる。「やさしいために」なにかをしようと思ってはじめて、わたしたちは誰に対しても本当にやさしくなれるのではなかろうか。
スグリちゃんがお母さんのところに帰りついたときには、手に握りしめられたたんぽぽの綿毛はほとんど吹き飛んで、もう、二、三本しか残っていなかった。それを、スグリちゃんは「おかあさんの」と言って渡し、お母さんはスグリちゃんを抱きしめて、えんえん泣いた。
さてわたしは、「やさしいために」なにができるだろうか。誰かのために、ではなく、やさしさそのもののために。やさしさ以外の誰かやなにかのために行動することを基本にしていては、やさしさは所詮、たまたまリソースが余ったときの、プラスアルファの選択肢にしかならない。では、どうせ大したリソースを持たないわたしたちは、あの大通りで、どんなふうにブレーキを踏めるだろう。「やさしくもいたいけれど、なるべくいい目にもあいたい」というあさましさを持っていながら。
やさしさ:あるものとほかのあるものとを比べ、その片方をとくに大切にするべきだと判断するときに、漠然とよいほうへ向かっていこうとする方向性。そのためまず第一に、美しい目的で、うっとりと求められるもの。それゆえに、わたしたちに無数の選択肢を提示し、わたしたちがそのうちのなにを選択できるかをつねに試し、次なる他者との関わりへと駆り立てるもの。
誰かと共にいるからやさしくなりたいのではない。やさしくなりたいから、誰かと共にいたいのだ。
ともすると閉まろうとする、わたしの小さな窓口。それをなんとか押しとどめようとしては失敗して、「あーあ」とつぶやいている。誰にやさしくするかをすぐに倹約しようとする自分が、またそれを正当化したがる自分の貧相なリソースが、うとましい。
それでときどきくたびれて、あの席にゆっくり腰かけたくなるのだった。いつでも「やさしいために」いるのは、たいへんだ。ひとり音楽なんか聴いて、流れゆく街並みを眺めながら、考える。このバスを降りたら、また、自分にうんざりすることをはじめよう。自分のやさしさを求めて、誰かに会いにいく毎日をはじめよう。
続きは『ことぱの観察』をお読みください。
向坂くじら(さきさか・くじら)
1994年、愛知県名古屋市生まれ。2016年、Gt.クマガイユウヤとのポエトリーリーディング×エレキギターユニツト「Anti-Trench」を結成、ライブを中心に活動をおこなう。主な著書に詩集『とても小さな理解のための』、エッセイ『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』(百万年書房)、『ことぱの観察』(NHK出版)など。2024年、初小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)が第171 回芥川龍之介賞候補となる。執筆活動に加え、小学生から高校生までを対象とした私塾「国語教室ことぱ舎」の運営をおこなう。