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平均寿命に影響するのは男女や国より階級差――人口の「数字」が映し出す未来

「1――シンガポールの合計特殊出生率」「79000――日本の100歳以上の高齢者数」など、人口動態における象徴的な10の数字をもとに気鋭の人口学者が未来を大胆予測! 『人口は未来を語る――「10の数字」で知る経済、少子化、環境問題』(ポール・モーランド/橘明美訳 NHK出版より1月26日発売)では、「少子化は政策より個人の思想が影響する」「超高齢化社会・日本は未来の象徴」「出生率が低い社会の共通点とは?」など、人口動態を通して今後の社会を読み解きます。
*本記事は、本書から一部抜粋・再構成したものです。


「日没の国」となった日本

 今日のわたしたちを作り上げてきたのは、歴史上の人口動態の大きなうねりである。そのうねりは今このときもわたしたちを巻き込み、過去を形成したのと同じように現在と未来を形成しようとしている。
 
 ヨーロッパが世界を植民地化して支配し、19世紀末に揺るぎない地位を誇ったのは、ヨーロッパ大陸の人口急増とそれに伴う人口流出があってのことだった。20世紀にアメリカ合衆国とソビエト連邦が超大国になったのも、ヨーロッパのライバル国をしのぐほどの人口急増があってのことだった。同様に、中国も10数億の人口がなければ、アメリカの競争相手となって世界の覇権を争うことにはならなかっただろうし、インドも人口が10億を超えていなければ、来たるべき大国と見なされてはいないだろう。
 
 歴史上の発展が人口動態と無縁ではないように、歴史上の衰退も人口動態と切り離して語ることはできない。ロシアがソビエト連邦内での優位性を失い、ついには連邦崩壊を招いたのも、人口変動と少なからぬ関係がある。
 日本も1990年代の人口が、その100年前に列強の仲間入りをしたときのように若者が多く、活力に満ち、増加傾向にあったなら、今日「日没の国」と見なされることはなかっただろう。だが現実の日本はすでに20世紀末の時点で、人口減少と景気低迷に苦しむ高齢化の国になっていた。
 またイラクからイエメン、リビアにいたる地域の大部分は、もしここに経済的苦境から抜け出せない若者があふれていなければ、政治的混乱に陥ってはいなかっただろう。
 
 大規模な移民や難民、低迷する経済、ポピュリズムはもちろんのこと、EU離脱をめぐるイギリスの国民投票の結果や、ドナルド・トランプのアメリカ大統領当選、オルバーン・ヴィクトルのハンガリー首相就任にいたるまで、ニュースの見出しを独占するような大きな出来事はいずれも、その背景にある大きな人口動態を知らなければ理解できない。

人口は未来を照らす

 人口に関する事象は「今日の人々」のありようを解き明かすだけではなく、「明日の人々」のありようをも照らし出す。
 
 世界各地の人口動態に見られる10のテーマ――乳児死亡率、人口増加、都市化、出生率、高齢化、高齢者の増加、人口減少、民族構成の変化、教育機会の拡大、食料入手可能性の向上――は、いずれも孤立した現象ではなく、互いに因果の連鎖でつながっている。
 
 事例やデータは、今何がどう変わろうとしているかを示す道しるべになるが、それですべてが決まるわけではない。結局のところ未来を形作るのは、人生でもっとも重要で本質的な問題について何十億の個々人が下す決断にほかならない。

「121」――中国の人口100万人以上の都市数

 第一次世界大戦前夜には、人口が100万人を超える都市は世界にわずか十数か所しかなかった。いずれも19世紀初頭からのヨーロッパ、北米、日本の人口増加の波に乗って人口が爆発的に増加した都市である。
 
 1914年には、教養人なら誰でも世界の人口ランキング上位の都市の名前を耳にしたことがあり、どこにあるどういう都市なのかもよく知っていた。たとえばニューヨーク、東京、ロンドン、パリなどだが、これらの都市は今でも世界中で知られている。
 
 それから1世紀余りが過ぎた今日、中国だけで、人口100万人以上の都市が121もある。しかも2020年代中にさらに100の中国の都市が人口100万人を突破すると言われている。
 だがどれほどの物知りでも、何という都市なのかほとんど知らないだろうし、それも無理はない。
 
 経済的機会は常に農村から都市へと人を誘引してきたが、その力が人口増加に後押しされて強まっているというのが中国の現状である。乳児死亡率が低下し、農村の人口が急増すると、どこかの段階で土地の分割による対応が行き詰まり、農村が人口増加を吸収しきれなくなって都市への大移動が始まる。
 
 1970年代なかばには中国の人口の80パーセントが農村地帯に住んでいたが、今では60パーセント以上が都市にいる。
 この変化は世界のどこよりも速く、変化幅も大きいと思われるが、こうした変化がもたらす影響は世界中どこでも変わらないし、都市住民と農村住民の生活スタイルがまったく異なるという点も変わらない。
 
 都市の盛衰が人口動態を決める
 都市と人口は相互に影響し合っている。農村人口が増加して都市へと流れ出すことによって都市が発展する傾向が見られるが、その人々はいったん都市に移り住むと、今度は都市から影響を受け、その結果が人口の変動へとフィードバックされる。
 
 つまり大きな人口動態が都市の盛衰を決めるわけだが、同時に都市の盛衰が人口動態を決めてもいる。急増する農村人口の都市への移動は、最初の人口転換の始まりとともに起こる。19世紀初頭のイギリスや現代のナイジェリアのように、出生率が高いまま死亡率が急速に低下するときである。都市は農村が吸収しきれない人口増加分を受け入れ、受け入れられた人々は都市の影響を受けて行動を変える。
 
 もっと複雑なのは都市化と死亡率の関係である。かつての都市は汚れた空気とむき出しの下水溝で知られる病気の巣窟で、死亡率が高かった。都市は人を引き寄せるが、ほかの資源と同様に人を消費してきた。
 
 たとえば18世紀のロンドンは絶えず人が入ってこなければ人口を維持できなかった。19世紀なかばのイングランドとウェールズを合わせた平均寿命は41歳だったが、これに対して都市の平均寿命は短く、マンチェスターとリバプールはわずか26歳、ロンドンは36歳だった。20世紀の最初の10年間でさえ、都市の死亡率は農村より33パーセントも高かった。
 
 このように都市への移住は生活環境と食生活の悪化、ひいては早死にを意味することが多かったが、それでも多くの人々が都市を目指したので、人口は増えていった。
 
 だが20世紀のあいだに状況は逆転し、都市は清潔で健康的な場所になって平均寿命も延びた。かつては疾病・感染症の温床だった都市が、今では誰もが利用可能な医療と教育の中心となることで、人々の寿命を延ばしている。
 
 やがて国が発展し、都市部のみならず農村部でも医療や教育のレベルが上がると、平均寿命の差は再び縮まりはじめる。公害の影響や都会暮らしのストレスから、むしろ田舎暮らしのほうが健康的に見えるようにもなる。
 一方、経済的には都市住民のほうが豊かで、それが長寿につながっているという面もある。
 
 このように都市化が死亡率に及ぼす影響は複雑だが、出生率に及ぼす影響のほうはそれほど複雑ではない。地方の農家にとって人手が1人増えるのは歓迎すべきことだが、都市で暮らす夫婦にとっては、子供が1人増えるのは子供たち一人ひとりに投じられる資源が減ることを意味する。
 
 世界のほとんどの国で都市住民のほうが教育水準が高く、子供の若死にの可能性が低いが、これはどちらも子供は少なくてもいいと考える理由になる。子供を失うことなどないと思っている人々、教育によって人生の機会を手にした経験を持つ人々は、小家族を好む傾向にある。
 
 また家族計画プログラムは農村部より都市部のほうが実施しやすい。農村部では情報を共有するのが難しいし、人々が社会的保守主義や家父長制の影響下に置かれている場合もあるからだ。
 だが、繰り返しになるが、国が十分に発展すれば都市と農村の差は小さくなる。

「1」――シンガポールの合計特殊出生率

 家族規模というのは個々人にはコントロールできない場合がある。子供が欲しいのに授かることができない人々もいる。先進国では男性の精子の数が1970年代なかばから50〜60パーセントも減少しているという。
 
 だがイギリスでは、カップルが避妊せずに定期的にセックスをした場合、84パーセントが1年以内に子供を授かるという調査結果が出ていて、しかもこの数字には女性が受胎能力のピークを超えている例も数多く含まれている。
 
 だとすれば、子供がいないのは、人々の考え方の反映である場合が少なくないと言えるだろう。そしてその最たる例がシンガポールで、1人の女性が持つ子供の数を平均すると1になる。
 
 シンガポール与党の人民行動党は以前から人口政策を重視していて、最初は小家族を奨励し、住宅規制や教育制度などで大家族を抑制した。
 だが1980年代前半に高学歴層の出生率が下がりはじめたことがわかると、近代シンガポールの建国の父であるリー・クアンユー率いる政府は、リーがもっとも優秀だと考える人々に対して出産を奨励するようになった。
 政府の思惑に反して、小家族化が教育水準を問わず社会全体に広がったため、シンガポール政府は優生学的政策から、学歴を問わない全体的な出産奨励政策へと重点を移した。だがいずれの政策も効果はわずかで、しかも短命に終わった。
 
 シンガポールの例からわかるのは、政府の努力で出産を抑制することはできるかもしれないが、出産を奨励するのはかなり難しいということである。
 シンガポール政府が1960年代なかばから80年代前半にかけて出生率を下げようとした試みは、歴史の流れに沿ったものだったので成果が出たのだが、その後の出生率を上げようとする試みは、最初から不可能に挑戦するようなものだった。

「日本化」は進むのか

 トマス・マルサスは、人口圧力は常に資源不足によって制限されると主張したが、間違っていた。人口学者たちは、合計特殊出生率はいずれあらゆるところで女性1人あたり子供2人強に落ち着き、世界の人口はほぼ安定するだろうと考えたが、これも間違っていた。
 
 当初、低出生率は裕福な地域ならではものだったが、今では世界各地に広がり、経済との関連性はかなり薄れている。小家族化が早くから進んだ国々では、合計特殊出生率が人口置換水準をやや下回ったところで一進一退を繰り返しているが、あとから追いかけた国々のなかにはもっと極端に下がったところもある。
 
 日本はかなり前から低出生率とそれに伴う景気低迷に苦しんでいて、典型的な「低出生率の罠」に陥っている。女性が教育機会を得た国では、一般的に合計特殊出生率が人口置換水準あたりまで下がるが、そこで仕事と出産の両立が奨励されないとなると、出生率はいっそう低下する。
 日本がまさにその例で、この国には母親としても働き手としても満たされずにいる女性が大勢いる。国民が快適で豊かな暮らしを送っていて、犯罪率も低い国であるにもかかわらず、日本は先進国のなかでもっとも幸福度が低いが、それも当然のことと言わざるをえない。
 
 出生率に関して、今後アフリカが急速にほかの大陸のあとを追い、スリランカのような国でももう1段階の低下が起こるとしたら、世界全体が「日本化」することもないとは言えない。それはつまり、どの国も教育が行きわたって豊かになるが、合計特殊出生率は人口置換水準を下回り、男性にも女性にも多くの子供を育てる時間的・金銭的余裕がないという世界である。


続きは『人口は未来を語る――「10の数字」で知る経済、少子化、環境問題』でお楽しみください。

著者紹介
ポール・モーランド Paul Morland

人口学者。ロンドン大学バークベック校アソシエイト・リサーチ・フェロー。オックスフォード大学で哲学・政治・経済の学士号、国際関係論の修士号を取得後、ロンドン大学で博士号を取得。イギリス、ドイツの市民権を持つ。作家・放送作家として、現代および歴史的な世界の人口動向について執筆・講演を行うほか、フィナンシャル・タイムズ紙、サンデー・タイムズ紙、テレグラフ紙など多くの新聞や雑誌に寄稿。著書に『人口で語る世界史』(文藝春秋)がある。ロンドン在住。

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