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雌雄/男女は、2つに分けてもわからない! 生物学の最前線で進む驚きの研究を、第一人者がやさしく語る

 生物はオス/メスが別個に存在しているのではなく、じつは両者は連続している――「性」の本質をそう捉える研究が、生物学の最前線で進んでいます。性は生涯変わり続ける? すべての細胞と、その集まりである臓器や器官は独自に性を持っている? この度刊行された『オスとは何で、メスとは何か?――「性スペクトラム」という最前線』は、生物、とくに哺乳類の性に関する基礎研究を続けてきた著者が、さまざまな生き物の多様な雌雄のあり方と、それを形づくる仕組みの解説を通して、二項対立では語り切れない性本来の姿を明らかにする一冊です。刊行を記念して、「はじめに」の一部を一部改変し、特別に公開します。


 『オスとは何で、メスとは何か~「性スペクトラム」という最前線』というタイトルを見て、何を感じられたでしょうか。「性スペクトラム」というのは見慣れない語句だと思います。何を言い表した語句なのだろうかと、疑問に思われたのではないでしょうか。

〝性〟には「生まれつきの性質」という意味もあるようですが、ここでは雌雄、男女、オスとメスを意味する性のことです。一方の〝スペクトラム〟は聞き慣れない言葉かもしれません。光スペクトラム(光スペクトル)という言葉をご存じでしょうか。太陽光をプリズム(三角形のガラスの棒)で分解すると7色の光の帯が出現します。この7色の光の帯は、隣り合う2色の間に境界があるというより、徐々に次の色へと変化しているように見えます。紫色が徐々に藍色へ、そして青色に、さらに青色は緑色へ、そして黄色、橙(だいだい)、赤色という具合に変化します。このように、連続して移り変わってゆく7色の光の帯を光スペクトラムと呼びます。

 性スペクトラムという言葉には、生き物の性を研究してきた研究者が、最近になってたどり着いた考え方が込められています。光スペクトラムで黄色が徐々に橙色に、そして赤色に変化するように、生物の雌雄はオスからメスへと連続する特性を有しているのではないか、という仮説を言い表した言葉です。つまり性スペクトラムとは、オスからメスへと連続する表現型として「性」を捉えるべきではないか、という新たな捉え方のことなのです。

 わたくしたち研究者はこれまで、生物の性を研究対象として取り上げるとき、オスの対極にメスを置き、あるいはメスの対極にオスを置いて、2つの性を対比しながら雌雄を理解しようとしてきました。対極に配置したオスとメスの間に深い境界を設けて、生物の雌雄を位置づけてきたのです。

 しかしながら、本書で詳しく触れますが、ある特徴をもって雌雄を区別したとしても、そういった区別にはどうしても当てはまらない中間型の個体や、時にはその特徴が逆転している雌雄が自然界に普通に存在していることを、研究者は以前から知っていました。そのため、雌雄を2つの対立する極として捉えることで性を理解することに違和感を抱いていたものの、残念ながらそうした考え方から解放されずにいました。

 しかしわたくし自身、「性スペクトラム」という考え方に沿って研究を進めるにつれて、長年感じていた違和感が次第に消失するのを感じています。もしかしたら、読者の皆さんの中にも現時点で、オスとメスを対極に配置して性を理解するより、オスからメスへと連続するものとして性を理解する方が、より自然なのではないかという印象を持たれている方がいらっしゃるかもしれません。

 本書では、この新たな「性スペクトラム」という考え方がどのように登場してきたのか、また生物の性がそもそもどのようなメカニズムで成り立っているのかを解説することで、この考え方に沿って性を理解することがいかに自然であるかについて述べてみたいと思います。

 また、この本を手にされた方の中には、自らの性に違和感を持っている方もいらっしゃるかもしれません。最近、あちらこちらでLGBTQなどのセクシュアル・マイノリティの理解に向けた議論が行われるようになってきました。性自認や性指向は脳の働きと密接な関わりがありますが、脳、特にヒトの脳は、科学的にはまだまだ「未開の地」であり、雌雄の脳がどのように形成され、そして維持されるのかなど、多くの問題が未解明の状況です。

 ですが、脳も生物の身体の一部です。ですから、身体の性が決まるのと同じようなメカニズムのもとに脳の性も決まり、そしてオスからメスへと連続する表現型をとり得るのではないかと考えられます。もしそうであるのならば、わたくしたちの身体の性がどのようにして決まり、そしてどのようにして維持されるのか、この基本的なメカニズムを知ることも、脳の性を理解するためには重要だと考えます。多少理屈っぽいと感じられるかもしれませんが、本書では生物の性差を生み出すメカニズムの説明に紙幅を割きました。

 わたくしは若い頃に、研究対象としての「性」の魅力に取り憑かれ、その後およそ三十余年にわたって研究を行ってきました。そしてその間、ひとりの研究者が見てきた生物の性の姿をお伝えしたいと思って、本書を書き始めました。学術研究の成果は社会を豊かにするものです。それは単に新たな技術や製品が登場するとか、新たな治療法によって不治の病を克服できるといった、目に見える発展だけではありません。文学や絵画、音楽がわたくしたちを深く感動させるのと同じように、基礎研究もまた、同じような感動を与えてくれます。そしてその結果、基礎研究は社会を豊かにします。「性スペクトラム」という新たな性の捉え方は、きっとこの社会を豊かにするだろうと考えています。

※続きは『オスとは何で、メスとは何か?――「性スペクトラム」という最前線』でお楽しみください。

『オスとは何で、メスとは何か?――「性スペクトラム」という最前線』
目次
第1章 雌雄は果たして分けることができるのか
第2章 性は生涯変わり続ける
第3章 オス/メスはどのように決まるのか?――「性決定遺伝子」の役割
第4章 オス化とメス化はどう進むのか?――「性ホルモン」の力
第5章 全ての細胞は独自に性を持っている
第6章 「脳の性」という最後の謎

プロフィール
諸橋憲一郎(もろはし・けんいちろう)

1957年福岡県生まれ。九州大学大学院医学研究院主幹教授、久留米大学医学部客員教授。九州大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。九州大学大学院医学系研究科助手、自然科学研究機構基礎生物学研究所教授を経て現職。文部科学省の支援による性関連の領域研究「性分化機構の解明」「性差構築の分子基盤」「性スペクトラム」に主要メンバーとして参加し、30年余にわたり生物の性の研究を行っている。NHKスペシャル「男と女 最新科学が読み解く性」「人体 ミクロの大冒険」などの番組監修にも携わる。

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