宮島未奈『モモヘイ日和』第1回「祝・中学入学!」
24年本屋大賞受賞作『成瀬は天下を取りにいく』の作者・宮島未奈さんの新作小説が「基礎英語」テキストにて好評連載中です。「本がひらく」では「基礎英語」テキスト発売日に合わせ、最新話のひとつ前のストーリーを公開いたします。
とある地方都市・白雪町を舞台に、フツーの中学生・エリカたちが巻き起こすドタバタ青春劇、スタートです!
「ばっかもーん!!」
空まで届くようなその怒鳴り声に、わたしは耳を疑った。
わたしは白雪町立白雪中学校1年の花岡エリカ。きのう入学したばかりで、一人で登校するのは今日がはじめてだ。
学校はもう目の前で、あとは信号のついた横断歩道を渡るだけ。校門の前にあった「入学式」の大きな看板はもう片付けられているけれど、いっぱいに咲いた桜の花はわたしたち新入生を歓迎してくれているようだ。
そんな雰囲気を台無しにするような怒鳴り声の主は、ジャージを着たおじいさんだった。学校の向かいにある家の前で、険しい表情で腕組みをして立っている。年はわたしのおじいちゃんぐらいかな。おじいちゃんはフサフサの白はく髪はつだけど、このおじいさんはツルツルのハゲ頭だ。
わたしを含めた登校中の生徒たちは固まっておじいさんを見ていた。だってそうだよね、「ばっかもーん」なんてアニメでしか聞いたことがない。そもそも、おじいさんが家の外で堂々と怒鳴っているところだって珍しい。
「赤信号だぞ! 見えてないのか!」
見れば、赤信号にもかかわらず二人の男子が横断歩道を渡っている。二人はちらりとおじいさんを振り返り、逃げるように走って校門を抜けていった。
「信号は守れ! 信号は守れ!」
おじいさんは矛先を変えて、全方位に怒鳴りはじめた。ちょっとヤバい人かもしれない。みんな目を合わせないように、少し下を向く。わたしも青信号になった横断歩道をダッシュで渡り、校舎に入っていった。
「おはよー」
下駄箱のところで、おかっぱ頭の女の子が笑顔で話しかけてきた。セーラー服の胸ポケットについた校章がえんじ色だから、同じ1年生だ。
「おはよう」
「同じ2組だよね? わたしは泉ミサト。ミサトって呼んでね」
白雪中学校には第一小学校と第二小学校から生徒が集まる。わたしは第一小だったから、ミサトは第二小から来たんだろう。
「わっ、わたしは花岡エリカ。よろしくね」
わたしはミサトと並んで廊下を歩く。
「どうしてわたしが同じクラスって覚えててくれたの?」
「そのキーホルダー、まるぺんさんでしょ? わたしも大好きなの」
ミサトがわたしのカバンを指さす。
「えーっ? 本当?」
まるぺんさんは丸っこいペンギンのキャラクターだ。お菓子作りが得意で、ついつい食べすぎてしまうのが悩みらしい。ネットでしか見られないアニメだからあんまり有名じゃなくて、こんなふうに気付いてもらえたのははじめてだ。
小学校から仲が良かった子たちとクラスが離れて不安だったけど、さっそく新しい友だちができてうれしくなる。
「さっきのおじいさん、びっくりしたね」
ミサトが言う。
「ね。本物の人間で『ばっかもーん』って言った人、あの人がはじめてなんじゃない?」
わたしたちは声をそろえて笑った。
* * *
晩ごはんのテーブルで、お父さんとお母さんに学校のことを話した。まるぺんさんを好きな友だちができたこと、来週の遠足で白雪公園に行くこと、ALTのロバート先生は身長が2メートルぐらいあったこと……。
「それと、学校の目の前に、変なおじいさんがいたの」
「あぁ、交通安全じいさんね? 昔マサキも言ってた」
マサキは高校3年生のお兄ちゃんで、塾に行っているから帰りが遅い。
「変なおじいさんって、不審者?」
お父さんが心配そうに言う。
「ううん。信号を守らない子に、『ばっかもーん』って怒鳴ってた」
「ええっ」
お父さんも驚きを隠せないみたいだ。
「たぶん害はないのよ。こだわりの強い人なんじゃないかな」
「それならいいけど、もし何かされたらお父さんかお母さんに言いなさい」
「はーい」
お父さんは優しいけど、ちょっと心配しすぎるところがある。こういうのを過保護っていうんだっけ。
夜になって帰ってきたお兄ちゃんに、例のおじいさんのことを話した。
「あぁ、百平ね。今も元気なんだ」
「百平?」
「石田百平っていうんだよ」
顔に似合わずかわいい名前で、くすっと笑ってしまった。
「たぶんこれからも毎日いるよ。大雨のときでも怒鳴ってたもん。それでもみんな慣れちゃって、赤信号渡るやつは渡るんだよな」
なんだかちょっと気の毒だ。
「昔教師だったとか警官だったとかいろんな説があるけど、なんかよくわかんないジジイってことになってた」
「へぇ~」
明日、ミサトにも百平さん情報を伝えようと思った。
* * *
次の朝も百平さんは家の前に立ってにらみをきかせていた。
「青信号が点滅したら渡るな!」
きのうは気付かなかったけど、百平さんに対してぎょっとした顔をするのはえんじ色の1年生ばかりだ。お兄ちゃんの言うとおり、2年生と3年生は慣れているみたいで無視して歩いている。
「信号は守れ! 信号は守れ!」
わたしもやっぱり関わり合いになりたくなくて、青信号を早足で渡った。
すでに教室にいたミサトにお兄ちゃんから聞いたことを話すと、「エリカってお兄ちゃんいるんだ」と別のところに食いつかれた。
「イケメン?」
「ううん、普通だよ」
「そっかー」
妹のわたしから見て、そんなブサイクでもないけど、とりたててかっこいいとは思わない。小さい頃からゲームのやりすぎで、メガネをかけている。
だいたいイケメンの兄なんてめったにいないと思うのだが、ミサトは一人っ子で、兄という存在に憧れがあるらしい。
「そうそう、エリカは何部入るか決めた?」
「バスケ部にしようかなと思ってて……」
小学校のときに体育でちょっとやっただけだけど、はじめてみたいと思ったのだ。
「いいね! わたしもバスケかバレーで迷ってたの。一緒に見にいこうよ」
かくしてわたしとミサトは放課後、バスケ部の見学に行った。練習は大変そうだったけど、先輩たちは和気あいあいとしていて、わたしたち新入生にも明るく話しかけてくれた。
わたしもミサトも前向きになり、仮入部を申し込んで体育館を後にした。
「雰囲気良さそうだったね」
「うん、もっとギスギスしたところだったらどうしようかと思った~」
そんな話をしながら校門を抜けると、思いがけない光景が目に入った。
道の向こうで、百平さんがしゃがんでイヌを撫でている。その表情は朝の顔とは全く違う、笑顔だった。
「よちよちよち。どこから来たのかな?」
横断歩道を渡ると、百平さんの声が耳に入る。
「迷い犬ですか?」
ミサトが百平さんに話しかけたので、わたしはぎょっとする。百平さんは目を細めてわたしたちを見上げた。
この続きは「中学生の基礎英語レベル1」「中学生の基礎英語レベル2」「中高生の基礎英語 in English」5月号(3誌とも同内容が掲載されています)でお楽しみください。
プロフィール
宮島未奈(みやじま・みな)
1983年静岡県生まれ。滋賀県在住。2021年「ありがとう西武大津店」で第20回「R-18文学賞」大賞・読者賞・友近賞をトリプル受賞。同作を含む『成瀬は天下を取りにいく』が大ヒット、続編『成瀬は信じた道をいく』(ともに新潮社)も発売中。元・基礎英語リスナーでもある。
イラスト・スケラッコ