見出し画像

90年代で足踏みしている日本人へ! マルクス・ガブリエルが語る日本社会

「新実在論」を掲げ世界を飛び回ってきた天才哲学者マルクス・ガブリエル。そんな彼が日本社会を語り尽くした新書『マルクス・ガブリエル 日本社会への問い 欲望の時代を哲学するⅢ』が刊行されました。
気候変動も絡んだネステッド・クライシス(=複合的な危機)の時代、「これまでの改良で十分だ」という〝保守主義〞では自分も他人も救われない。
ではどうするのか?——文明が転換する兆候と時間感覚の変化を指摘し、近代化で失われた〝存在〞を回復する方法、さらに日本的特質を生かした「倫理資本主義」への道筋を示す。
本稿ではそんな本書の一部を特別公開します。


「ネステッド・クライシス」=「入れ子構造の危機」の時代を生きる

 キーワードがあります。私たちが「ネステッド・クライシス」=「網の目の危機」/「入れ子構造の危機」と呼ぶべき時代に生きていることは確実です。現状を、ポリクライシス=「複数の危機」と表現する理論家もいますが、それは違うと思います。ポリクライシスとは、言葉の定義に則して正確に表現するなら、多くの危機がある、いくつかの危機がある状態ということですよね? それとは異なり、「ネステッド・クライシス」の場合には、相互に絡み合った影響し合う輪の中において、もはや一つの危機が他の危機の一部となって組み込まれているような状態です。
 その前提として、もちろん忘れてはならないのは、今起きているすべての出来事の背景には気候危機があるということです。今や地球上の誰もが感じるように、人間が住む地球環境は変わりつつあります。そして、ただ変わりつつあるだけではなく、「変わりつつある」と私たちが気づいている事実の中で、変わりつつあるのです。
 つまり、変化に気づきつつある気候科学と変化自体がミックスした状態ですね。気候変動に関して高まっている社会意識と、気候変動が進んでいる事実のミックスが、人間の行動を変えている。このことは間違いありません。
 たとえば、ドイツは再生可能エネルギーに向けて、かなり大胆な移行の段階に入っています。近年、経済的な側面に関しては、ドイツはロシアからのガス供給に多くの部分を依存してきました。〔天然ガスをロシアからドイツへ運ぶ〕「ノルドストリーム」などです。すなわちアンゲラ・メルケル首相の全一六年間と、その前のゲアハルト・シュレーダー首相の時代にわたって、つまり基本的に二一世紀になってからずっと、ドイツはロシアのガスを当てにしてきたのです。ロシアのガスがドイツの経済成長の主なエネルギー源でした。市場原理に従って、ドイツは安価なガスに頼ってきたのです。
 しかしその後、最近になって、ドイツは気候危機や「欧州グリーンディール」、その他諸般の理由から、ロシアのガスを断ち切ることをようやく決断したのです。当然、これに対してロシアは大いに反発しました。もちろん、この決断だけで、ドイツが今までの選択を正当化できたわけではありません。私も今、ただ単に事の推移を時系列に沿って説明しただけです。
 そしてこのドイツの路線変更の結果、今あらためてロシアが、ビジネスモデルと経済全体のあり方を見直し、変革していかねばならないことに気づいたというわけです。ドイツがロシアのガスから手を引いたからというだけではありません。この件に関してはロシアも、輸出先においてドイツがだめなら中国や、さらに言えば日本へ、という具合にシフトすることもできたはずです。
 しかし彼らもまた、認識を新たにしたのです。すなわち、化石燃料による近代化というモデル自体がいよいよ終焉に近づいている、と。実は、このロシアの状況認識の変更が、ウクライナ戦争をもたらした一因であると言えるのではないでしょうか。気候科学と気候危機の結果として生まれたエネルギーシフトは、ロシアの行動に影響を与えた可能性があります。
 これらに加えて、さらにこの数年の間に、徹底的に国境を閉ざすべき状況が生まれました。ご存知のように、新型コロナウイルスによるパンデミックです。こうして、複合的な要因が入れ子構造のように絡み合って、新しい形の国粋主義的な考え方が生まれたというわけです。

誰にも展開が読めない危機

 ここで一つ忘れてはならないことがあります。
 パンデミックの間は、どの国においても、自国のパンデミック対策が他国よりも優れているという認識に基づいたかのような政策が目につきましたよね? 日本の戦略も、ひとまず海外との往来を禁止することで自国民の精神的な動揺を鎮しずめて、自粛要請を行うという動きが目立ちました。一時期の海外渡航禁止は厳しい政策でしたが、それ以外は、ある意味、「お願いベース」のとても民主主義的な対処法だったと言えるでしょう。
 日本において国家は、責任は国民それぞれが負うべきという考え方で、たとえばヨーロッパの国々と比べるとそれほど強引な政策はとりませんでした。ヨーロッパの大抵の国々は、パンデミックの間は日本よりもっと強権的でした。しかし、どの国も結果的には失敗したように思えます。
 ワクチンが普及すると、日本でも感染者数が減りました。同時期にヨーロッパでは既に感染者数が再び増えていて、皆そのことを知っていたにもかかわらず、日本は「ああなるのは彼らの国だけだ」と思い込んでいたのです。「私たちは低い感染者数を保てる」と、ある時期の日本は独自の感染対策に自信を持っているように見えました。しかしそうはならず、他の国々同様に、やはり感染者数は増えました。私たちが見たのは自然現象で、社会的反応がウイルスのネスト=巣/温床となったのです。
 これは一つの例に過ぎません。ウクライナ戦争、パンデミック、中国の台頭などの明らかな危機に加えて、格差の拡大もあります。アフリカのさまざまな国々では食糧危機も起きています。
 それにしても、誰もいわゆるG8以外の国々で起きていることを話題にしませんよね?
 ブラジル、インド、中国、ロシアという新しい「同盟」ができています。このすべてが、実は、人間社会の根本的真実の顕在化の単なる始まりだと思うのです。つまり、唯一の中心などというものはなくて、あるのは、新たな、混沌とした、危機的で多極的な状況です。この現実が顕在化したのです。
 ある意味で、現実が姿を現し続けているのだと思います。私は「ネステッド・クライシス」という考え方はそういうものだと見ています。厳密に言って、これらの危機を乗り越えるために、世界政府のような新たな支配の中心を作るのは不可能です。そんなわけにはいきません。まあ、もともと、世界政府を作るなどということ自体が不可能な夢だと思いますが。万一、そんな方向へと事態が動き出したなら、独裁体制になるのか民主主義的な体制になるのか、永遠に終わらない論争が生まれることでしょう。
 たとえ世界政府が、人間の問題を解決する世界的独裁政権という形でできたとしても、非常に複雑な現実が待っています。八〇億人の行動を、いったい誰が、どのように管理するというのでしょう? そんなことは想像もできない「偉業」です。その意味で、私がここではっきり主張しておきたいのは、複雑な現実の顕在化が進んでも、その状況を収めるために個人や集団にできることは、根本的には何もないということです。収めるなどということは不可能です。私たちは危機的状況の展開を目の当たりしても、それがどうなるのかについては、わからないのです。
 私は終末論的な思想を持ってはいません。こうした危機が「世界の終わり」などに必ずしも繫がるとは思っていません。物事がどこへ進むのかはわからないのです。
 重要なのは、繰り返しますが、誰にもわからないということです。


続きは『マルクス・ガブリエル 日本社会への問い  欲望の時代を哲学するⅢ』でお楽しみください。

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!