日本の「常識」が通じない隣国と、今いかに対峙するか?――亀山陽司『ロシアの眼から見た日本』
5月10日、NHK出版新書より『ロシアの眼から見た日本~国防の条件を問いなおす』が発売されました。昨年2月より続くロシアによるウクライナ侵攻で、東アジアにも緊張が続いています。日本の安全保障についての議論も過熱していますが、元ロシア駐在外交官の著者・亀山陽司氏は、戦争の危機を煽るのでなく、なりふり構わぬ防衛力強化を唱えるのでなく、今こそ冷静に、可能性としての「戦争と平和」を問うことが必要だと説きます。これからの東アジア地域の安定を生み出すための、国防の論理とリアリズムとは? 本記事では刊行を記念して、特別に同書の「はじめに」を一部改変のうえ、公開します。
ロシアは「無法国家」なのか?
私は2008年6月に初めてロシアを訪問した。それから7年間にわたり、モスクワの日本大使館とサハリンの総領事館で勤務した。そのころ、ロシアはものすごい勢いで変貌していた。サハリンのユジノサハリンスクで2年間勤務した後、再びモスクワに帰っただけで、モスクワの様子は一変したかのような印象を受けたものである。それはユジノサハリンスクも同じだった。新しいマンション群が建ち、ショッピングモールができ、道路まで開通した。2008〜9年当時のモスクワの街を走っていた車の多くはジグリやラーダといったロシア車だったが、2010年には日本車を含む外車が大半を占めていた。それは、当時のロシアが外国資本の投資を一生懸命呼び込んで、ロシア経済を立て直そうと努力したことの結果である。ロシアは、自動車メーカーの組み立て工場をロシアに作った。その結果、ロシアで組み立てられた海外メーカーの車がロシア市場で容易に手に入るようになったのである。ロシア人の購買意欲も高く、注文に対応しきれず、納車まで数か月待ちだと言ってぼやいていたロシア人の友人もいた。ロシアはプーチン政権の下で、社会的にも経済的にも安定した成長を謳歌していた。
ところが、私が帰国した2014年にはウクライナで政変が起こり、ロシアによるクリミア「併合」という事態が起こった。それ以来、ロシアはこれまでとは全く違う方向へ舵を切ったかのように見える。何がロシアを変えてしまったのか。いや、本当はそのように問うことは正しくない。ロシアは別に変わってなどいないからである。2000年のプーチン政権誕生以降、経済協力を軸にした西側諸国との協力関係を大事にしつつ、ロシアは一貫して大国の地位を回復しようとしてきた。2014年のウクライナ政変は、くすぶっていたロシアの大国意識に危機感を植えつけ、火種を提供したに過ぎない。
ウクライナ政変以降のロシアの国際社会における行動は、我々日本人の眼には異常に感じられる。プーチン大統領は狂った独裁者であるかのような印象を受ける。アメリカは2022年のロシアのウクライナ侵攻当時、ウクライナを軍事的に支援すると同時にロシアに経済制裁を行う一方で、悪いのはプーチン大統領をはじめとする指導者層であり、ロシア国民ではないとの立場を表明していた。にもかかわらず、ロシアにおける世論調査は、プーチン大統領に対して国民の強い支持があることを示している。
我々日本人やEU諸国の市民、米国民には異常に見えるロシアの行動が、ロシア国民にとってはそうではないという事実、これをどう受け止めればよいのだろうか。
しかし、あえて反対に問うてみよう。ロシアの政治指導者層を含むロシア国民から、日本人はどのように見えているのだろう。彼らの眼には我々の方が奇妙で異常な国民のように見えているのかもしれないではないか。
2022年のウクライナ侵攻という世界史的事件は、日本人に大きな問題意識を喚起した。日本は核保有すべき? 世界は19世紀に巻き戻った? 国連は信ずるに足らず? 日本はもはや安全ではない? 自衛能力は十分なのか? 敵基地反撃能力は必要か?
こういった議論が現実のものとしてなされるようになったのは、日本人が自分自身について改めて顧みるようになったことが原因である。つまり、我々日本人が「戦争」の能力を放棄しているにもかかわらず、戦争の可能性が現実のものとして認識されつつあるのである。だからこそ、安易に戦争の危機感をあおるのではなく、なりふり構わぬ防衛力強化を唱えるのでもなく、「戦争と平和」について考えていくことが必要なのではないだろうか。
「ロシアの世界観」から日本を見る意味
「戦争と平和」というのは、言わずと知れたロシア文学の代表作の題名でもある。作者のトルストイは、ロシア軍がナポレオンのグランダルメ(フランス軍を中核とする多国籍軍)を撃退した対ナポレオン戦争を描いた。ナポレオン戦争当時のロシアは、ヨーロッパ全土を征服しようとしたナポレオンの野望を挫き、ヨーロッパに新たな秩序をもたらした大国であるとみなされていた。しかし、現代のロシアはウクライナに侵攻する「無法国家」のように見なされている。ロシアが「無法国家」かどうかについては本書で考えていきたいが、ともかく、我々の「常識」をはずれた国であることは事実だろう。こうした国を相手にして、どのような対応が可能なのかについて考えておく必要があるのは間違いない。
我々には選択肢がある。軍事力を高め、徴兵制を整備し、来るべきロシアの侵攻に備えるというのも一つ。もちろん、最悪の事態に備えておくことは必要だ。しかし、それが我々のできる最善の策なのだろうか。孫子の兵法には、善の善なるものは、戦わずして勝つことだとある。戦わずして勝つことができれば、確かにこれに勝るものはない。しかし、どのように? これが問題だ。
戦争における勝敗の判断は、ある意味で多義的で複雑なものである。我が国は第二次世界大戦では確かに敗北し、アメリカ軍の駐留を許している。国連憲章の条文には今でも「旧敵国条項」が残っている。ロシアにとって日本は、今なお「敗戦国」に他ならないのである。しかし一方で、日本はアメリカとの関係を基礎とした国の再建によって経済発展を遂げ、アメリカの同盟国として自国の国防をより強固なものとし、また、自由民主主義を掲げる国として大きな地位を占めている。戦勝国であったソ連は崩壊し、今やソ連という名の国はどこにも存在しない。長期的に見れば本当に勝ったのはどちらなのだろうか。
ともあれ戦争と平和の問題は複雑である。それはいろいろな考え方や見方、そして事情があるからである。一番危険なのはそのことを理解せず、井の中の蛙となってしまうことだ。世界の人々はどのように世界を見ているのか、また、日本が世界からどのように見られているのか。日本はこのままでいいのか。このことを考えるうえで、外部の視点から自らを顧みることは有益であろう。
本書では、こうした問題意識の下、ロシアの世界観から見た日本の姿について考え、同時に、明治以降の日露関係の歴史をふり返ることで、難しい安全保障環境に置かれた現代日本の国防の条件と、将来に向けた展望を考えていきたい。
※この続きは『ロシアの眼から見た日本~国防の条件を問いなおす』でお楽しみください。
プロフィール
亀山陽司(かめやま・ようじ)
1980年生まれ。2004年、東京大学教養学部基礎科学科科学史・科学哲学コース卒業。2006年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後ロシア課に勤務し、ユジノサハリンスク総領事館、在ロシア日本大使館、ロシア課、中・東洋課などで、10年以上にわたりロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は林業のかたわら執筆活動に従事。著書に『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』(PHP新書)がある。