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著書累計250万部超! 世界が注目する物理学者カルロ・ロヴェッリ氏の新作序文を特別公開

2年前に刊行された『時間は存在しない』が話題を呼び、そのエレガントな文体と鋭い洞察が日本でも人気の著者カルロ・ロヴェッリ氏。彼の新作『世界は「関係」でできている~美しくも過激な量子論』が10月29日に発売される。新作のテーマは量子論だが、そこから話題は科学の真髄や哲学にもおよび、わたしたちを“真実”をめぐる旅へといざなう――。発売を記念して、新作の「序文」を先出しでご紹介したい。

深淵をのぞき込む

 チャスラフとわたしは、砂浜に座り込んでいた。香港で開催された会議の午後の休み時間に、目と鼻の先のラマ島を訪れたのだ。世界的に有名な量子力学の専門家の一人であるチャスラフは、その会議で複雑な思考実験の解析結果を発表していた。その実験について延々と論じながら海岸沿いの密林の小道を抜けていくと、やがてひょいと海辺に出た。すでに意見の一致を見ていたわたしたちは、波打ち際に腰を下ろすと、黙って海を見た。かなり経ってから、チャスラフがふとつぶやいた。「ほんとうに、信じられない。こんなことを、信じろというのか? これじゃあまるで……現実が……存在しないみたいじゃないか」
 これが、量子を巡るわたしたちの現状だ。百年にわたって完璧な成功を収め、今日の技術や二十世紀物理学の基盤そのものをわたしたちに与えてくれた量子の理論。科学のもっとも偉大な成功の一つといえるその理論を細かく見ていくと、ただただ驚き混乱し、ほんとうなのかと疑うことになる。
 かつてほんの一瞬だけ、この世界の成り立ちを定めている原理がはっきりわかったと思われた――じつに多様な形をした現実すべての根っこには、いくつかの力に導かれた物質粒子しかない。わたしたちはついに「マーヤーのヴェール〔インド哲学でいう無知の帳(とばり)〕」をめくって、現実のおおもとを見定めたのだ、と。しかしそれも、長くは続かなかった。つじつまの合わない事実が多すぎたのだ。やがて一九二五年の夏に、二十三歳のドイツの青年が、北海の吹きさらしの孤島、「聖なる島」を意味するヘルゴラント島で一人不安な日々を過ごすこととなった。そしてそこで、さまざまな御しがたい事実をすべて説明し得る着想、量子力学の数学的構造――すなわち「量子論」の確立へとつながる着想を得る。史上もっとも偉大な科学革命が始まったのである。その若者の名は、ヴェルナー・ハイゼンベルク。この本の物語は、彼から始まる。
 量子論は、化学の基礎や原子や固体やプラズマの働きを明らかにし、空の色、星のダイナミズム、銀河の起源を始めとするこの世界の無数の側面を明確に説明してきた。さらに、コンピュータから原子力施設に至るさまざまな最新技術の基礎となった。工学者、天体物理学者、宇宙論学者、化学者、生物学者たちは、日々この理論を使っている。さらにその基本原理は、高校のカリキュラムにも組み込まれている。この理論は、未だかつて誤りだったためしがない。それは、今日の科学の脈打つ心臓なのだ。そのくせそれはひどく謎めいていて、人々をなんとなく不安にさせる。
 量子論は、この世界はきちんと定められた曲線に沿って動く粒子からできている、という現実の描像を壊しはしたものの、ではこの世界をどう捉えたらよいのかは、はっきりさせていない。この理論の核となる(数)式は、現実を記述していないのだ。しかも不思議なことに、遠く離れた対象物は互いに結びついているらしい。そのうえ物質が、ぼんやりとした確率の波に置き換えられるというのだから……。
 歩みを止めて、量子論が現実世界について何を語っているのかを問う者は、みな途方に暮れる。アインシュタインは、ハイゼンベルクを正しい道へと導くことになるいくつかの着想に先鞭(せんべん)をつけていたにもかかわらず、ついにそれを自分のものとすることができなかった。さらに二十世紀後半の偉大な理論物理学者リチャード・ファインマンは、誰も量子を理解していない、と記している。
 だが、これぞまさに科学なのだ。科学とは、世界を概念化する新たな方法を探ること。時には、過激なまでに新しいやり方で。それは、自分の考えに絶えず疑問を投げかける力であり、反抗的で批判的な精神による独創的な力――自分自身の概念の基盤を変えることができ、この世界をまったくのゼロから設計し直せる力――なのだ。
 たとえわたしたちが量子論のあまりの奇妙さに戸惑ったとしても、この理論は現実を理解する新たな視点を開いてくれる。そこから見える現実は、空間に粒子があるという素朴な唯物論の描像より精妙だ。現実は、対象物ではなく関係からなっているのだ。
 量子論は、さまざまな大問題について考え直すための新たな方向を指し示している。現実の成り立ちや経験の本質、さらには形而上学や、ひょっとすると意識自体の本質などのさまざまな問題、科学者や哲学者たちが今もきわめて活発に議論しているこれらすべてのテーマについて、語っていこう。
 北風が吹きすさぶ最果ての不毛の島ヘルゴラントで、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、わたしたちと真実とを隔てる帳をめくってみた。するとそこには深淵があった。この本で語るべき物語は、ハイゼンベルクがその着想の萌芽を得た島から始まり、現実の量子的構造の発見がもたらしたさらに大きな問題を取り込みながら、着実に広がっていく。

 わたしはこの本を、何よりもまず量子物理学にはなじみが薄いが、それでも量子力学がどんなもので何を意味しているのかをできる限り理解したいと考えている人々に向けてまとめた。なるべく簡潔にするために、問題の核心を捉えるうえで必ずしも必要でない詳細は、すべて省いた。科学の不可解さの核にあるこの理論について、なるべく明晰に語ろうとした。ひょっとするとわたしは、量子力学をどう理解すればよいかではなく、量子力学はなぜかくも理解しがたいのかを説明しただけなのかもしれない。
 だが同時にわたしは、わが僚友たち――この理論について調べれば調べるほど戸惑いを深めていった科学者や哲学者――のことも意識していた。この驚くべき物理学の意味を巡る現在進行形の対話をさらに継続してゆきたいと思ったのだ。そのために、量子力学になじみがある人向けの注釈をたくさん付け、本文では読みやすい形で記したことを、さらに厳密に述べるようにした。
 理論物理学におけるわたしの研究目標は、空間と時間の量子的性質を理解すること、すなわち量子論とアインシュタインの発見を結合させることにある。そのために、気づいてみればいつも量子のことを考えていた。この本には、現在のわたしの到達点が示されている。ほかの意見を無視こそしていないが、その扱いはひどく偏っており、自分がもっとも有効だと考える観点、もっとも興味深い道が拓けると思う観点――すなわち量子論の「関係を基盤とする(リレーショナルな)」解釈――を中心に据えている。
 これから旅を始めるにあたって、一つご注意申し上げたい。未知の深淵は、常に人を引きつけ、そしてめまいを起こさせる。ところが、量子力学を真剣に受け止めてその意味するところを深く考えるのは、ほとんどシュールといってよい経験で、いずれにしてもわたしたちは、自分たちがこの世界を理解するうえで堅牢かつ不可侵として大切にしてきたものを手放すしかなくなる。現実が、自分たちが思い描いていたものとは根本的に異なっている可能性を受け入れて、底知れぬ闇に沈むことを恐れずに、その深淵をのぞき込むことが求められるのだ。

※続きは『世界は「関係」でできている~美しくも過激な量子論』でお楽しみください。

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プロフィール
カルロ・ロヴェッリ(Carlo Rovelli)

理論物理学者。1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学卒業後、パドヴァ大学大学院で博士号取得。イタリアやアメリカの大学勤務を経て、現在はフランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いる。「ループ量子重力理論」の提唱者の一人。『すごい物理学講義』(河出書房新社)で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。『世の中ががらりと変わって見える物理の本』(同)は世界で150万部超を売り上げ、『時間は存在しない』(NHK出版)はタイム誌の「ベスト10ノンフィクション(2018年)」に選ばれるなど、著作はいずれも好評を得ている。本書はイタリアで12万部発行、世界23か国で刊行予定の話題作。

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