日本からは見えない日本――#8 ミルトン・ムラヤマ『俺が欲しいのは自分の体だけ』(2)
家父長制に苦しめられる二世たち
本書の舞台はハワイの海辺の町ペペラウと、カハナにあるプランテーションだ。これはムラヤマが住んでいた、マウイ島のラハイナという町と、かつてプウコリイにあったサトウキビ農場がモデルとなっている。主人公のキヨシと兄のトシオは未来の見えない日々に苦しんでいる。祖父が作った莫大な借金を返そうとした父親は漁業で失敗し、気づけば負債を6000ドルにまで増やしてしまった。
高い教育もろくな英語力もないオヤマ家の男たちにとって、残された仕事はサトウキビ農場での過酷な低賃金労働しかない。いったいあと何十年働けば解放されるのか。そもそも、どうして祖父や父親の借財を子供が負わねばならないのか。だが封建主義的な家父長制を信じ込んでいる父親は、自分の無能を棚に上げて、借金は息子たちが返すべきだと主張し続ける。しかも彼は、こんな経済状況にもかかわらず、避妊もせずに新たな子どもを作り続ける。
真珠湾攻撃が「すべて」を変えた
苛立った兄弟は、唯一の解放の手段としてボクシングを始める。これで全米チャンピオンになれば、人生はすべて好転するだろうし、借金もたやすく返せるだろう。たがハワイ州でトップクラスになったトシオは、せっかくプロにならないかと声がかかったのに、長男としての義務感から誘いを断ってしまう。このまま兄弟は、自分たち自身の身体さえ思うままにならない奴隷状態で生き続けねばならないのか。そしてみすみす人生の最もいい時期を失うしかないのか。
すべてを変えたのは1941年の真珠湾攻撃だった。もちろん、これはハワイの日系人社会にとって大きなピンチだった。彼らは潜在的な敵として、徹底的な監視下に置かれたのである。しかし、二世たちにとっては、これは解放の機会ともなった。外での日本語の使用は事実上、禁止され、日本語を堂々と使って生活することができなくなった。したがって、英語ネイティブである兄弟と両親の力関係は逆転する。
しかも彼等は志願兵として堂々と島から出ていく機会を政府から与えられた。入隊したキヨシは、兵士宿舎でサイコロ賭博を研究しつくし、手業と確率計算と強運で、家族の借財を上回る金をほとんど一瞬で稼ぐ。そしてとうとう自分自身の身体を手に入れた。彼の稼いだ金のおかげで、兄を含む家族全員もまた解放されたことは言うまでもない。
本書を書いたミルトン・ムラヤマとはどんな人物なのか。1923年、マウイ島ラハイナに、九州からの移民である両親の息子として生まれた。後にボクサーを経て建築家となる兄のエドウィンもいた。マウイ島のラハイナの町で育ち、12歳で農場のあるプウコリイの「豚小屋通り」に住む。高校卒業後ハワイ大学に入学、志願してアメリカ軍に入った。彼は持ち前の日本語力を生かして、台湾で降伏し捕虜となった見本兵を管理する仕事に参加する。
ハワイ大学卒業後、コロンビア大学で修士号を取得し、ワシントンやサンフランシスコに住んだ。コロンビア大学在学中にAll I asking for Is My Bodyの草稿を執筆したが、出版したのは1975年である。そのときにはほとんど反応はなかったものの、1988年にハワイ大学出版局から再刊されると非常に高い評価を受け、アメリカン・ブック・アワードを受賞した。その勢いで1994年には続編『石の上にも五年』(Five Years on a Rock)、次いで『農場の男の子』(Plantation Boy)を1998年に書いた。そして彼は2016年に93歳で亡くなった。
異様な英語で書かれた小説
さて、それでは実際に作品を読んでいこう。するとすぐに気づくのが、今まで見たこともないような異様な英語だ。たとえば、カナイさんという女性がキヨシの病弱な母親に話す場面はこうだ。
ここでカナイさんは日本語を話しており、そのことを示すために “zannen” という言葉が使われ、文末には “ne” が付いている。そしてもちろん、英語しかわからない読者にとっては、こうした語彙は理解不能な文中の穴でしかない。あるいは怒って家を出たトシオをキヨシが迎えに行く場面だ。
日本語に翻訳してしまうと普通の会話だが、英語では異様だ。無くてもいいbeenはなんなんだ。どうしてI so madとbe動詞が落ちるんだ。doan never〔編集部注:don’t neverの音を再現したもの〕って、帰りたいのか帰りたくないのか。
言語と文化と思考法
実はこの作品中では4つの言葉が話されている。学校で習う正式な英語、二世たちのあいだで発達したピジン英語とピジン日本語、そして、主に一世に対して使う正式な日本語だ。この全てをマスターして使いこなせるのは二世だけである。なにしろ極端に英語力が低い親たちは、二世同士の日常会話すら理解できないのだ。だからこそ二世たちは、常に言語を切り替えることで、会話の場が誰を含み、誰を排除するかをコントロールしていく。言い換えれば、言語の違いは二世たちが一世から独立していくきっかけとなっている。
二世たちにとって、一世たちが日本から持ってきた文化は異質なものだ。だから、たとえば正座はこう説明される。「母は床に置いたクッションに座っていた。脚は彼女の下に隠れていた。彼女は屈み込んで、手で着物を縫っていた」。床の座布団に正座して着物を手縫いしているだけの場面だが、こんなふうに説明されると、見知らぬ国の風習のように響く。なぜかといえば、日本文化は二世たちにとって当たり前のものではないからだ。
二世たちにとって距離があるのは生活習慣だけではない。日本の儒教的な思考法も異質である。トシオは言う。「親父はいつも俺を泣き虫だって言った。侍じゃないと。我慢も遠慮もないと。でもクソ、俺は親父とそんなふうにしか戦えないのさ。もしここで俺が引いてしまったら、親父の言うとおりになってしまう。勤勉、我慢、遠慮、黙って自分の番を待つ、全部たわごとだ。そういうすべてのせいで、俺たちは上に行けないんだよ」。
見えない日本の肖像
二世たちにとって日本は母国ではない。彼らが生きているのはアメリカであり、あくまでアメリカで、ちゃんとした市民として認められ、社会的に向上していくしかないのだ。直接見たこともない日本に忠誠を尽くしたところで、自分たちは浮かばれない。だが、こうした二世たちの気持ちを一世はまったく理解できない。
いくら変わり者と思われても一世の親たちへの批判を口にし続けるトシオと違って、性格が穏やかなキヨシは、こんなふうに激しい言葉を連ねることはない。だが兄と同じ思いは彼のなかでも煮えたぎっている。もがき苦しむトシオの姿を見て、さらには、なぜ君たちは農園主にいいようにやられているんだ、と反抗心を焚きつける社会主義者の教師スヌーキーの言葉に影響を受けながら、キヨシは大きく変わっていく。
本作を読んでいると、儒教的かつ家父長制的な日本は今もまだ残っているのではないか、と考えさせられてしまう。そしてだからこそ、現代の資本主義社会のなかで生き残らざるをえないトシオやキヨシの戦いは、他人事とは思えなくなってくる。
残念ながら、ミルトン・ムラヤマは本書の日本語への翻訳を拒み続けており、その状況は彼の死後も変わってはいない。こうした日本について深く考えさせられる作品が、日本語の世界からは見えない形で存在し続けていることは興味深い。
〔第8回了〕
題字・イラスト:佐藤ジュンコ
都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。
関連書籍
都甲幸治先生といっしょにアメリカ文学を読むオンライン講座が、NHK文化センターで開催されています。
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