連載「哲学ディベート――人生の論点」【第1回】出生前診断を受けるべきか?
●「哲学ディベート」は、相手を論破し説得するための競技ディベートとは異なり、多彩な論点を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める思考方法です。
●本連載では「哲学ディベート」を発案した哲学者・高橋昌一郎が、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の論点」に迫ります。
●舞台は大学の研究室。もし読者が大学生だったら、発表者のどの論点に賛成しますか、あるいは反対しますか? これまで気付かなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてください!
教授 本日のセミナーを始めます。テーマは「命の選択」です。
科学技術が飛躍的に発展した現代社会では、もはや「科学を視野に入れない哲学」も「哲学を視野に入れない科学」も成立しません。その中でも、とくに大きな変化が生じているのが「人間の命」に対する考え方です。
今日は、これから文学部のAさんに「出生前診断を受けるべきか」という問題を提起してもらいます。その後で「哲学ディベート」を行いますから、どのような論点から肯定あるいは否定するか、頭の中でよく整理しながら聴いてください。
文学部A それでは、発表いたします。
女性が社会に進出し、晩婚化が進むにつれて、いわゆる「高齢出産」が増えてきました。医学的には、妊婦の年齢とともに胎児の染色体疾患の頻度が上昇することがわかっています。たとえば、ダウン症児が生まれる頻度(出生時)は、母体年齢が20歳で1/1,440、30歳で1/960、40歳で1/80、45歳以上で1/30に上昇します。そこで注目されるようになったのが「出生前診断」です。
これまでは「出生前診断」といえば主として「羊水検査」を意味しました。この方法では、母体の腹壁と子宮筋を長い注射針で穿刺(せんし)して20ミリリットル程度の羊水を吸引し、その中にある胎児由来細胞の染色体を検査します。具体的には、超音波診断で胎児の位置を確認しながら穿刺するわけですが、胎児が動き回って針で傷つくようなケースもあり、「羊水検査」による流産のリスクは1/300とされています。
ところが、調べてみて驚いたのですが、2013年に始まった「新型出生前診断NIPT(Non-Invasive Prenatal Testing)」では、母体から10ミリリットル程度を採血するだけで、胎児の染色体を検査できるのです!
この方法は、医療テクノロジーの急速な進歩により、母体の血中に含まれる極微細な胎児由来細胞から胎児のDNAを解析し、3種類の「染色体トリソミー」(通常よりも多い3本の染色体)を識別できるようになったために開発されました。その3種類のトリソミーとは、「21トリソミー(ダウン症)」「18トリソミー(エドワーズ症)」「13トリソミー(パトー症)」です。
日本医学会は、①35歳以上の「高齢出産」である場合、②染色体疾患の子の出産歴がある場合、③超音波診断等で医師が異常所見を認めた場合などに限って、NIPT検査を国内108の指定施設で承認しています(2021年2月時点)。これらの施設では、そもそもNIPTを受けるべきか、「陰性」ではなく「陽性」や「判定保留」の結果が出た際にはどう対応すべきか、その後のカップルのメンタル・ケアまでを含めた「遺伝カウンセリング」を行っています。
ところが実際には、インターネットで予約すれば、誰でも簡単にNIPTを受けられるような無認可施設が増えています。私がネットで見つけたクリニックは、採血して5万円から10万円を支払えば、胎児の「染色体異常」に加えて、「性別」も1週間後に通知すると宣伝しています。
私が問題提起したいのは、このような「出生前診断を受けるべきか」ということです。
教授 Aさん、どうもありがとう。わかりやすく発表してくれました。
少し補足しておくと、新聞などではNIPTは「99%以上の精度」と報道されていますが、これは厳密に言うと、NIPTの結果が「陰性」であれば99.99%の確率で胎児にトリソミーがないことを意味します。つまり、NIPTで「21トリソミー陰性」であるにもかかわらず生まれる子どもがダウン症である「偽陰性」の可能性は、1/10,000程度だということです。
一方、NIPTで「陽性」であっても、実際には妊婦の個人差によって「陽性的中率」が異なるため「羊水検査」などによる「確定検査」が必要不可欠になります。たとえば、仮にNIPTで「21トリソミー陽性」であっても、胎児が実際にダウン症である「陽性的中率」は、35歳で80%、38歳で85%、40歳で90%と妊婦の年齢によって変化します。
したがって、もし35歳の妊婦が無認可施設でNIPTを受けて「陽性」だったので慌てて人工中絶したとすると、その中には20%の確率で正常な胎児が含まれていることになります。このような事態を避けるために、日本医学会は徹底した「遺伝カウンセリング」を推奨しているわけです。
さて、今も触れましたが、現実問題としての「出生前診断」は「人工妊娠中絶」と密接にかかわっています。現在の先進国の多くでは、胎児はあくまで母体の一部であり、女性が自分の身体のことを自分で決めるのは当然の権利とみなされています。しかし、キリスト教原理主義のように、受精卵の時点で神が「人間の命」を与えており、人工中絶は胎児のすべての権利を剝奪する「殺人」に相当する大きな罪だとみなす立場もあります。
これまでの生命倫理学では、女性の自己決定権を重視する「プロ・チョイス」と胎児の人権を重視する「プロ・ライフ」の対極的見解を中心として論争が続いてきましたが、そこに以前は想像もできなかった先進的な「出生前診断」が行われる事態が出現しているわけです。
この問題をどのように考えればよいのか、君たちの意見を述べてください。
法学部B 僕は「出生前診断」は最先端医学が生み出したすばらしい成果だと思います。そして、妊娠した女性は、誰でも「出生前診断」を受ける権利があると思います。その最大の理由は、妊婦本人の「知る権利」にあります。
そもそも胎児は、妊婦の体内に存在するわけですから、その女性は胎児に関して得られるすべての情報を「知る権利」があります。それは、僕らが健康診断で血液検査を受けたら、そこで得られるすべての情報を知る権利があるのとまったく同じことでしょう。したがって、妊婦の年齢や状況などでNIPT検査に制限をかけるような考え方のほうが、むしろ妊婦の「知る権利」を侵害しているように思えます。
現在の日本の「母体保護法」では、母体の身体的あるいは経済的理由などにより、妊娠22週未満の胎児の人工中絶手術が認められています。つまり、22週未満の胎児は、法的には人間とみなされていません。極端な言い方をすると、22週に達しない胎児は、法的には「母体に生じた腫瘍」と同じ扱いになっているわけです。
だからといって、「出生前診断」の結果によって人工中絶するかしないかは、妊娠した女性自身が決めることです。がん告知されても手術するかしないかは本人の判断に委ねられるように、「出生前診断」の結果をどのように判断するか、子どもを産むか産まないかは、あくまで妊婦本人が決めることだと思います。
経済学部C 私は、少なくとも日本医学会が承認するようなケースでは、妊婦は「出生前診断」を受けるべきだと思います。その理由は、胎児の情報を知ることによって「家族の心の準備」ができるからです。
実は、私には12歳年下の妹がいるのですが、その妹を妊娠したとき母は41歳でした。医師と相談して「羊水検査」を受けた母は、結果が「陰性」だと知らされたとき、心の底から安堵して出産に向けての心構えができたそうです。「羊水検査」を受けずに、出産するまでの10カ月間ずっと不安な気持ちのままでいたら、耐えきれなかったと言っていました。
もし検査結果が「陽性」だったらどうしたのかと聞いたら、産まない覚悟だったそうです。私の家では、父と母が共稼ぎで、私と2歳下の弟を私立大学に通学させている状態なので、もし3人目の子どもに染色体疾患があれば、とても育てていくだけの余裕がありません。
もし無理して産んだとしても、どうして自分は姉と兄みたいに普通でないのか、なぜ検査で異常がわかっていたのに産んだのかと責められたら、その子どもに返す言葉がないと言っていました。
もちろん、いろいろな面で障害児のケアができるだけの経済的余裕があり、祖父母が面倒を見てくれるような恵まれた環境であれば、産む選択もあるかもしれません。しかし、もし疾患が重く病院から出られないような状況だったら、一番つらい思いをして苦労するのは、その子ども本人です。親の自己満足のために疾患のある子どもを産んだとしても、親のほうが先に死ぬのが普通ですから、その後に障害を抱えて生きる子どもは、さらに苦労するでしょう。
ですから、私は、「出生前診断」で胎児に染色体疾患が確定的に発見されたら、人工中絶する判断も認められるべきだと考えます。
理学部D 僕がAさんの発表を聴いて一番驚いたのは、母体から採血して胎児の「染色体異常」の有無ばかりでなく「性別」までも通知するような無認可施設が増えているということです。仮に男子を望んでいる妊婦は、胎児が女子だとわかったら中絶するということでしょうか。これは明らかに「選択的中絶」を助長する構造だと思います。
さきほどB君は「知る権利」を主張していましたが、僕は「知りたくない権利」も尊重されるべきだと考えます。仮に将来、僕が結婚して愛する相手との間に子どもを授かったとしたら、その事実をありのまま受け入れて、出産してほしいと思います。
もちろん、その子どもの性別は男子でも女子でも構わないし、もし何らかの疾患を抱えていたら、最善を尽くして治療してあげたい。その子は私の子どもであり、必ずその子なりの良さがあると信じるからです。もしパートナーがどうしてもNIPT検査を受けたいと言えば一緒に考えますが、僕自身は相手に「出生前診断」を受けてほしくありません。
たとえば「知的障害」といっても個人差が大きく、知的発達に遅れが見られる一方で、通常の人間には稀な才能を秘めている場合もあります。ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏は、長男の光さんが生まれたときに「脳瘤」と呼ばれる疾患のため知的障害があることを知って、絶望しかけたそうです。ところが、光さんが鳥の鳴き声を聞き分けていることを知って、音楽家を家庭教師に招き、彼に「絶対音感」があることがわかります。今では光さんは、作曲家として活躍しています。
最近では、ダウン症のために入退院を繰り返し、白血病治療や脊椎固定手術など30以上の手術を受けてきた17歳のケネディ・ガルシアさんがモデルとなって活躍し、大きなニュースになっています。
つまり、「先天性疾患」は、「障害」というよりも、一種の「個性」とみなすこともできるわけです。現代の先進国は、障害のある人々を差別あるいは排除するのではなく、多様な人々を受け入れる方向に向かっています。僕は、それに逆行するような選択をもたらす行き過ぎた「出生前診断」には、とても賛成できません。
医学部E 僕は、医学部2年次の「早期体験実習」で新生児内科に配属されました。疾患を抱えて生まれてきた赤ちゃんをたくさん見て、本当にいろいろと考えさせられて、とても一言では言い尽くせません。ただ、そこで強く印象に残っているのが、「トリソミーを抱えて生まれてきた赤ちゃんは、それだけ生命力が強いんだよ」というドクターの言葉でした。
そもそも胎児の染色体疾患は、それほど珍しいものではありません。受精卵の10%~20%の割合で存在するといわれていますが、その大部分は流産や死産となります。たとえば35歳の妊婦の胎児がダウン症である頻度は、10週目(絨毛検査時)で1/190、16週目(羊水検査時)で1/250、分娩時で1/340と下がっていきます。これは、妊娠中にダウン症児が亡くなって流産していくため、頻度に大きな差が出てくるわけです。
逆に言えば、ダウン症を抱えていながらこの世に生まれてきた赤ちゃんは、「それだけ生命力が強い」ばかりでなく、医療現場にいると、何か大きな意味をもって誕生したのではないかと思えてくるのです。
僕もD君と同じように、最近の安易な「出生前診断」の流行には危機感を持っています。すでに日本でも始めているクリニックがあるようですが、アメリカでは、1番~22番染色体および性染色体すべてのスクリーニングが行われています。つまり、胎児の全染色体の「全領域部分欠失・重複疾患」の有無を検査できるわけです。
その次の段階に登場するのは、「出生前診断」を超えた「出生前治療」でしょう。実際に2018年11月、中国でゲノム編集を施した受精卵からHIV耐性のある双子が誕生していますが、これが「デザイナー・ベビー」の始まりになるのではないかと、大きな論争を巻き起こしています。
もし受精卵の段階でヒトのゲノム編集を行ってよいことになれば、さまざまな遺伝病を治療できるばかりではなく、同じ方法で、子どもの身長を高くするとか、筋力を増強するようなことも可能になります。先端技術が異常なほど早く進み過ぎて、それをどのように考えればよいのかという生命倫理学が追い付いていないのが医療の現状だと思います。
教授 どうもありがとう。
文系の2人が肯定的、理系の2人が否定的という興味深い結果になりました。理系の2人の方が、現場の危機感を強く感じているのかもしれません。
それでは、発表者のAさん自身の意見を聞いてみましょう。
■参考文献
大江健三郎『個人的な体験』新潮文庫、1981
高橋昌一郎『哲学ディベート』NHKブックス、2007
室月淳『出生前診断の現場から』集英社新書、2020
題字・イラスト:KAZMOIS
プロフィール
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。
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