「視覚でひらめく」人々の驚きの思考法と新たな才能の世界を示す!
『自閉症の脳を読み解く』(NHK出版)など数々のベストセラーで知られるテンプル・グランディンによる『ビジュアル・シンカーの脳~「絵」で考える人々の世界』が、NHK出版より7月25日に発売されます。全米大学教授トップ 10(CEOWORLD 誌)、世界で最も影響力のある100人(タイム誌)にも選出されたグランディンは、自閉スペクトラム症の当事者であり、同啓発活動において世界的に影響力のある学者のひとりです。本書では、自身も視覚思考者(ビジュアル・シンカー)であるグランディンが多くの実例や最新研究をもとに、ものづくり、ビジネス、教育に革新をもたらす新たな才能の世界を示します。
刊行を記念して、本文の一部を特別公開します。*本記事用に一部を編集しています。
■視覚思考(ビジュアル・シンキング)とは何か
私は自閉スペクトラム症(ASD)であるため、4歳になるまで言葉が出なかった。8歳になってやっと字が読めるようになったのは、発音とつづりを結びつけて単語を学ぶ音声学習法の個人指導をたっぷり受けたからだ。
小さいころ、まわりの世界を言葉で理解できなかった。画像で理解したのだ。たしかに今では言葉を話すが、それでも考えるときにはおもに「絵」を使う。私の思考は言葉がなくても豊かで生き生きしている。視覚的なイメージが次から次へと思い浮かぶ。グーグルの検索画像をスクロールしたり、インスタグラムやTikTokのショートムービーを見たりしているように、画像で考える。これが視覚思考(ビジュアル・シンキング)だ。
私は自閉スペクトラム症であるとともに視覚思考者(ビジュアル・シンカー)でもある。視覚思考は、よく視力に関係すると誤解されるが、見ること自体に関係するのではない。脳が視覚の回路を使って情報を処理する思考のプロセスである。つまり、考える方法が言葉で考える通常の言語思考と異なるのだ。この考え方を理解するには、第一に、こういう考え方が存在することを理解しなければならない。
私は自分の考え方がふつうと異なることを知らなかったので、ほかの人がみな自分と同じ方法で考えているわけではないとわかって戸惑った。仮装パーティに招待されて出かけて行ったら、仮装していたのは自分だけだったときのような気分だ。たいていの人と私自身の思考のプロセスがどう違うのか、想像するのは難しかった。だれも彼もが絵で考えているのではないと知ったとき、人はどんなふうに考えるのかを明らかにし、自分と同じように考える人を見つけることが私の使命になった。それ以来、私のような視覚思考者がどのくらいいるのか研究を続けてきた。資料を調べ、じっくり観察し、自閉スペクトラム症や教育関係の会合で講演をしたときに簡単な調査を行ない、親や教育者、障害者支援者、仕事関係者など、たくさんの人と話をした。
さらに、視覚思考には二種類あるのではないかと考えるようになったが、それはある日、突然、思いついたのではない。当時は証明できなかったが、ある種の視覚思考者が私とまったく異なることにそれとなく気づいたのだ。空間視覚思考者、絵でなくパターンや抽象的な概念で考える人たちだ。
最初にこの相違を感じたのは、エンジニアや機械設計者と仕事をしていたときだ。その後、私の観察を裏付けている科学文献を見つけ、うれしくて天にも昇る心地だった。心理学者のマリア・コジェヴニコフの論文によると、視覚思考者には、私のような絵で考える「物体視覚思考者」と、数学の好きな「空間視覚思考者」という二つのグループがあって、後者はこれまで見過ごされてきたが、視覚思考者の重要な一集団で、パターンで考えるというのだ。「やはりそうだったのか」との思いはとても強く、自分の個人的な体験にとどまらず、学校や職場を含めた社会というもっと大きな視点から視覚思考を眺める必要性を感じた。
自分が視覚思考かどうか、どうすればわかるのだろう。音楽が好きか、絵を描くのが上手か、機械を組み立てるのが得意か、それとも文章を書くほうがいいか、こういうことが手がかりになる。視覚思考は、たいていの特質と同じように程度に幅がある。大方の人は言語思考と視覚思考の両方を組み合わせながら考えるものだ。研究、知見を通して自分がその幅のどのあたりにいるのか見つけてほしい。
私は自閉スペクトラム症の支援活動にも長年携わってきた。何よりも大切なのは、子どもたちが幸せな人生を送れるようにすることで、その第一歩は、子どもたちがどんなふうに考えるのか、それゆえどうやって学ぶのかを理解すること。経営者には、従業員全員の能力を正しく評価し、履歴書にとらわれずに、視覚思考者や多様な思考タイプの人たちができることを見きわめてほしい。
■2つの思考タイプの異なる世界
視覚思考者の立場から、言語思考タイプの特徴がどのように見えているのか、両者の違いはどこにあるのかあげてみよう。
言葉による思考は、つながりがあって一つにまとまっている。おもに言語思考をする人は物事を順序立てて理解する。だから学校では成績がいい。学校での勉強はたいてい連続していて体系化されている。
言語思考タイプは一般的な概念を理解するのが得意で、時間の感覚に優れているが、方向感覚は必ずしもいいとは言えない。子どもならプリントをきちんと整理してバインダーにはさみ、おとなならコンピューターのデスクトップにフォルダーを項目ごとにきれいに並べる。問題に対して講じる対策を明確にして、解決や決定にたどり着く。声に出さずに自分の心に語りかけ、自分の世界を構築する。メールをさっと書き、そつなくプレゼンをこなす。小さいときからよくしゃべる。
そもそも、口の達者な人は会話を仕切る傾向があり、やたらと几帳面で、社交的だ。言葉を巧みに使いこなす能力が必要な華やかな職業に就き、出世するのもうなずける。教師、弁護士、著述家、政治家、企業の管理職などだ。たぶん、みなさんもこういう人を知っているだろう。
私たちは、おしゃべり文化の中で暮らしている。言語思考者は宗教やメディア、出版、教育で世論を支配している。放送の電波やインターネットは言葉であふれ、宗教指導者や評論家、政治家はその大部分を占領し、ニュース解説者は「番組の顔」と呼ばれる。主流の文化は口の達者な人に有利で、言葉がものを言う世界なのだ。
一方、私のような視覚思考タイプは頭の中でイメージを見るから、高速で連想する。一般に地図や絵画、迷路が好きで、道案内がまったく不要なこともよくある。一度しか行ったことのない場所を簡単に見つける人もいる。頭の中のGPSが目印を記録しているのだ。
視覚思考タイプは子どものころに話しはじめるのが遅く、学校や従来の教え方では苦労する傾向がある。代数が苦手なのは、あまりにも抽象的で、視覚化できる具体的なものがないからだ。そのかわり、建設や組み立てのような実際の作業に直接関係する計算が得意だ。私は、機械の装置が動く仕組みを簡単に理解し、新しい装置を考え出すのが楽しい。問題を解決するのが好きで、しばしば人づきあいが苦手に見えるらしい。
■ファイルする人、積み上げる人
記憶は学習にも関係するが、デンバーの高度発達研究所の心理学者リンダ・シルヴァーマンは、学習スタイルの相違について発表したときに、書類をファイルにとじてキャビネットにきちんと並べる人と、書類の山に囲まれている人を比較した。「ファイルする人(きちんとした人)」と「積み上げる人(だらしない人)」。みなさんは自分がどちらのタイプかわかっているだろう。そこから自分の思考法について何がわかるのだろうか。
書類をファイルしない人にきちんと整理させたら、何も見つけられなくなってしまうとシルヴァーマンは述べているが、これは図星だ。彼らは、整理しなくても何がどこにあるのか、ちゃんとわかっている。「だらしない状態」は組織化されていて、それを頭の中で見ているのだ。つまり視覚思考である。
これは、私にもずばり当てはまる。オフィスは、専門誌や雑誌がごちゃごちゃと積まれ、書類の山がいくつもできていて、混沌の極みに見える。それでも、でたらめに積み上げられているのではなく、それぞれプロジェクトごとにまとめられているのだ。私は決まった山から必要な書類を取り出せる。だらしなく積まれた書類の山から特定の資料を見つけるのは、天才の証拠ではないかもしれないが、脳がどんなふうに作用するのかを知る手がかりになる。知性や能力などについては、だらしない人ときちんとした人をくらべて決定的な結論は出せないとシルヴァーマンは指摘している。これは正しいが、それでも、だらしない人は知性や能力が劣るという型にはめられやすい。プリントをきちんとバインダーにはさんでいる学生と、ばらばらのままリュックに詰め込んでいる学生では、バインダーの学生のほうが品行方正で成績もいいと思われる。ただし、こういう学生は学校でだけ優秀な可能性もある。
発達心理学者のサイモン・バロン= コーエンは、著書『ザ・パターン・シーカー――自閉症がいかに人類の発明を促したか』で、自閉スペクトラム症の人は世界の革新に大きな貢献をしているというすばらしい説を唱えている。「極端にシステム化する人びとは、人づきあいや、人間関係を維持するといった日常生活のごく簡単な社会的タスクでさえ困難だが、生まれつき、あるいは経験を通して、ほかの人がつい見すごしてしまうパターンを簡単に見つけることができる」。これは、自閉スペクトラム症で視覚思考の人がどんなふうに考えるのかを的確に描写している。
ところが、バロン= コーエンも言語思考の重要性を高く評価し、認知革命から「言語という人間のすばらしい能力」が生まれたと唱える。この説は人間を理解する歴史で幅をきかせている。何らかの摩訶不思議な経緯から、言語は思考を意識に変換すると考えられ、一方、視覚思考はその過程のどこかで抹殺されてしまったのだ。
■思考タイプの判定テスト
子どもが視覚思考タイプかどうか、どうやって判断するのかとよく尋ねられる。その兆候は早ければ3歳で現れるかもしれないが、6歳から8歳のあいだで見られることが多い。視覚思考の傾向は、子どもが興味をもつ活動に現れる。よく目にするのは、きわめて精密で写実的な、みごとな絵を描くこと。こういう子は、積み木やレゴなどのブロックおもちゃを組み立てるのも好きで、段ボールや材木など身のまわりの物で何かを作る。千ピースのジグソーパズルを見て目を輝かせ、あるいは地下室やガレージで何時間も工具や電子機器をいじくりまわし、分解しては元に戻す。
理論物理学者のスティーヴン・ホーキングは模型の電車や飛行機を分解するのが好きで、その後、中古の時計や電話器の部品から簡単なコンピューターを作った。数学者のグレース・マレー・ホッパーはコンピューター科学者の草分けで、家にあった置き時計7個を全部分解した。もし、十代のわが子がノートパソコンを分解してしまったら、たぶんうれしくないだろうが、その子が第二のスティーブ・ウォズニアックになったら、きっとうれしいだろう。
おとななら、私が考えたイケア・テストをしてみると、視覚–言語スペクトラムのどのへんに当てはまるかわかる。厳密には科学的と言えないが、思考のタイプを見分けるのにかなり信頼できる手軽な方法だ。テストでは、家具を買ってきて、これから組み立てると仮定する。さて、説明書の文を読むか、イラストを見るか、どちらだろう。私なら、言葉で書かれた説明文を読んでも、ちんぷんかんぷん。連続した手順についていけないのだ。でもイラストを見れば一目瞭然。これまでに組み立ててきた家具などを全部思い浮かべて、この家具ができあがったときの姿がわかる。
家具量販店イケアの説明書は一連のイラストで示されていて、言葉で書かれていない。すでに気づいている人もいるだろう。創業者が言葉より絵を優先するディスレクシア〔学習障害の一つで、文字の読み書きに困難がある〕だったと知って、なるほどと思った。言語思考タイプの人がイケアの説明書を見て何がなんだかさっぱりわからなくなり、いらいらしたと話すのをたびたび聞く。視覚思考タイプの人にとって完璧な手引きが、逆に混乱を招くのだ。
家具の組み立てはさておき、視覚思考かどうかを調べる脳画像検査は今のところないが、リンダ・シルヴァーマンの研究グループが数年かけて開発した「視覚空間型思考判定テスト」は「聴覚連続型」思考者(言語で考える人)と「視覚空間型」思考者(絵で考える人)を見分けるのにとても役に立つ。自分がこのスペクトラムのどこに当てはまるのか関心がある人は、次にある「視覚空間型思考判定テスト」の18の質問に「はい」か「いいえ」で答えてみよう。
「はい」が10以上なら視覚(空間型)思考タイプの可能性がかなり高い。忘れていけないのは、視覚(空間型)思考タイプか言語思考タイプかは、どちらか一方に当てはまるのでなく、だれもが言語優位から視覚優位までの連続するスペクトラムのどこかに当てはまるということ。全問「はい」の人はめったにいないだろう。著述家や編集者、弁護士はたいてい「はい」が10よりずっと少ないだろう。私は「はい」が16で、視覚思考スペクトラムの端のほうに当てはまる。きわめて創造力のある人や数学の好きな人なら、「はい」が多いだろう。本書の執筆も手伝ってくれた編集者はかなりの言葉人間で、「はい」は4つだけだった。たいていの人はそのあいだのどこかに当てはまり、二種類の思考の混合タイプになる。
■あなたは視覚思考タイプor言語思考タイプ?
「視覚空間型思考判定テスト」の以下の項目に「はい」「いいえ」で答えてみよう。
視覚思考者の割合はどのくらいなのかとよく尋ねられる。これについてはまだ十分な数のデータがない。リンダ・シルヴァーマンの研究グループがさまざまな家庭環境と知能指数の小学四、五、六年生の750人を対象に行なった調査では、ほぼ3分の1が明確な視覚(空間型)思考タイプで、およそ4分の1が明確な言語思考タイプ、残りの半分弱が混合タイプだった。
私は、自分が視覚思考者だと初めて気づいたとき、さっそく科学者モードに入り、独自の調査法を編み出した。視覚記憶の取り出し方が明らかになるような質問を十分な数の人にしたら、同じような考え方をする人のデータベースができるのではないかと考えたのだ。当時は気づかなかったが、調査を通して視覚思考者を探しながら、自分の同類を探し求めてもいた。ちなみに脳神経科医で作家のオリヴァー・サックスは、徹底的に情報を収集するという私のこの性分について、著書『火星の人類学者――脳神経科医と7人の奇妙な患者』で取り上げた。本のタイトルは、いわゆるふつうの、つまり「定型発達の」人びとにまぎれ込んだ異星人の人類学者のように、人の行動や習慣を研究する私の姿を的確に描写している。
さて、視覚記憶の調査は、回答者に自宅やペットの説明をしてもらうことから始めた。すると、ほぼ全員が目に見える特徴で説明した。トースターやアイスクリームのようなありふれた物を説明してもらったときにも、同じような結果が出た。回答者は物を思い浮かべて説明するのに何の苦労もしなかった。とすると、全員が視覚思考者なのだろうか。いや、こうした対象物はなじみがあるから詳細に思い出せるのかもしれない。
そこで、説明の対象を変えて、知ってはいるけれど、必ずしも毎日の生活で見かけるわけではない物にした。そのころ、ちょうど町の教会のそばを通ったときに尖塔が目にとまった。尖塔はだれでも知っていて、ときたま見るだろうが、生活の中で大きな存在ではない。教会に通っている人でも、とくに気にすることはないかもしれない。聖職者でも、自分の教会の尖塔をほとんど気にかけていない人がいた。そこで、調査した人びとに教会の尖塔を思い出してもらうと、結果は大きく変わった。
回答者は必ず三つのタイプのどれかに当てはまった。まず、特定の尖塔の説明をして、実際にある教会の名をいくつかあげるタイプ。頭の中に描かれた絵には曖昧なところや抽象的なところがまったくない。写真かリアルな絵を眺めているようなものだった。尖塔がそのくらいはっきり見えるのだ。こうした人は視覚思考者といえる。次に、Vを逆さにしたような線が2本ぼんやりと見えるタイプ。まるで木炭でざっとスケッチしたみたいで、ちっとも明確でない。一般に、こういう人は言語思考者だ。回答がこの両極端のあいだに当てはまる人もけっこういた。ニューイングランド様式のどこにでもあるような教会の尖塔が見えると答えた人は、これまでに見たことのある教会の尖塔や、本で読んだり映画で見たりした尖塔を思い浮かべているのだ。こういう人は視覚–言語思考スペクトラムの中央に当てはまり、言語思考と視覚思考の混合タイプだ。
もう一つ、視覚思考者を見つけるために長年行なってきた非公式の実験では、私がよく講演をする二つの異質なグループを対象にした。小学生と教師だ。それぞれのグループに、牛が食肉加工工場の通路から出て行く写真を見せた。牛は床を照らす明るい日光を見つめている。写真には、「すべらない床が重要」という説明文がある。牛が日光を見つめているのを見た人は何人いるだろうか。手をあげてもらったところ、結果は一貫して同じだった。小学生では半分が手をあげた。写真をよく見ていたので、視覚思考タイプと考えられる。教師で手をあげた人はほとんどいない。教師は説明文にのみ注目したので、言語思考タイプと考えられる。
続きは『ビジュアル・シンカーの脳~「絵」で考える人々の世界』でお楽しみください。
著者紹介
テンプル グランディン Temple Grandin
コロラド州立大学動物科学教授。動物学博士。自閉スペクトラム症の当事者であり、同啓蒙活動において世界的に影響力のある学者のひとり。自叙伝をもとにしたテレビ映画「テンプル・グランディン~自閉症とともに」は、エミー賞7部門とゴールデングローブ主演女優賞などを受賞、大きな話題となった。著書に『自閉症感覚』『自閉症の脳を読み解く』(以上、NHK出版)、『我、自閉症に生まれて』『自閉症の才能開発』(以上、学習研究社)など。2010年にタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に、2016年にアメリカ芸術科学アカデミー会員にそれぞれ選出された。コロラド州フォートコリンズ在住。