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もし今、アメリカで……――ネイサン・イングランダー『耐えられない衝動を和らげるために』#1

早稲田大学教授で翻訳家・アメリカ文学研究者の都甲幸治さんによる連載の第5回で取り上げるのは、アメリカ合衆国ニューヨーク州の敬虔なユダヤ教徒の家庭で生まれ育ったネイサン・イングランダー。都甲さんがユダヤ系の作家という存在を意識することになった留学中の体験とはどんなものだったのでしょうか。本日と明日の2日連続更新です。


傷を負って生きるマイノリティー

 授業中に聞いたある一言がどうしても忘れられない。僕が2001年から3年ほど留学していた南カリフォルニア大学はロサンゼルスの中心部にあって、学費もまあまあ高く、したがってある程度、裕福な家庭で育った白人の学生が多かった。だから、キャンパスに通う学生の半分ぐらいがアジア系で占められている地元のライバル校、カリフォルニア大学ロサンゼルス校とは雰囲気も対照的だ。言ってみれば、お金持ちの子どもがスポーツをやり、勉強し、恋愛をし、ITや映画といったビジネスの世界に就職して行く、という感じだろうか。もっとも、大学院生はたいてい奨学金をもらって入学しているので、そこまでキラキラな雰囲気ではない。けれどもやっぱり白人の学生は多くて、マイノリティーの学生はそこまでいない。

 僕はその雰囲気の中で、思いっきり見た目がアジア系ということもあり、かなりマイナーな存在として学校に通っていた。本当はクラスの真ん中でワイワイやっているイケイケ白人学生と仲良くなりたい、とは思っていたものの、英会話力の壊滅的な欠如により、うっすら可哀想な存在になってしまっていた気がする。というわけで、向こうから話しかけてくれたり、あるいはレポートの作成を助けてくれたりしたクラスメイトは、黒人やアジア系、ラティーノといった学生ばかりだった。彼らはみな、社会的階層こそ他の白人学生たちと変わらないのだろうが、アメリカ社会で暮らすうちに少なからず心に傷を負ってきた感じで、だからこそ僕はいっしょに話しやすかった。

 その中にも例外はあった。同じ英文科のクラスに一人、ユダヤ系の学生がいて、彼は例外的に、わりと心を開いて僕としゃべってくれたのだ。けっこう突っ込んだ文学の話にもなって、僕が、モダニズムの作品はあまり得意じゃないんだよね、と言うと、彼は、そうかな、ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』には感動したけどな、なんて返してきた。そうやって、僕に対して自然に自分の意見を言ってくれるのが嬉しかった。なんと言うか、少々無理して、多様な学生の意見を聞いてみよう、みたいなのとは全然違う。

「僕はユダヤ人だ。みんなとは違う」

 南カリフォルニア大学の学生は、地元の人が圧倒的に多い。でもユダヤ系の彼は珍しく東部からやって来ていた。そしていつも、少々緊張したような、割と暗めな表情をしていたのを憶えている。ある日の授業のディスカッションでのことだ。何かの作品についてみんなでわいわい話していると、彼が突然こう言い出した。「僕はユダヤ人だ。みんなとは違う」。そういう彼を見ていて僕は、彼が何か決定的なことを言ったと感じた。けれどもこの重い言葉が、正確には何を意味しているのかは、当時の僕にはわからなかった。だからこそ、そのときの光景は僕の目に焼き付いている。

 もちろん、当時の僕がユダヤ人の歴史について完全に無知だったわけではない。敬愛する批評家スーザン・ソンタグや、偉大な人類学者クロード・レヴィ=ストロースといったひとたちがともにユダヤ系だったこと、第二次世界大戦中、ナチスによって多くの人々が国を追われ、あるいは殺されたことは知っていた。ジャン=ポール・サルトルの『ユダヤ人』(岩波新書)という本を読んで、ユダヤ人とは周囲からユダヤ人だと指差されたもののことである、という差別の力学についても学んでいた。だが、それらは結局、単に本を読んで集めた知識でしかなかった。目の前に具体的な人がいて、他のクラスメイトに向かって彼が、僕は君たちとは違う、と言い放つ状況は、そうした本から得た知識とは決定的に異なっていたのだ。

 結局、僕はそのときまで、ユダヤ人といっても白人の一種ぐらいにしか思っていなかったんじゃないか。確かに僕の目には、アングロサクソンの人々とユダヤ系は区別がつかない。特徴的な言葉の訛りや肌の色の違いなんて無いし、表面的に見れば、持っている教養も同じだ。だからこそ、私はあなたたちとは根本的に違う存在だと宣言している姿を見て、かなり度肝を抜かれたんだと思う。西洋世界が持つ暗さに、うっかり直接、手を触れてしまったと言うか。そしてその日以来、ユダヤ系という存在がずっと気になってきた。

アイザック・バシェヴィス・シンガー『不浄の血』(西成彦訳、河出書房新社)。シンガーは1978年にノーベル文学賞を受賞した。授賞理由は「ポーランド系ユダヤ人の文化伝統に根ざし、普遍的な人間の条件にまで到達した情熱的な語りの技法」(撮影:都甲幸治)

ユダヤ系作家の作品と今ここにある危機

 やがて日本に戻り、教育や執筆などいろいろな場所で、ユダヤ系の作家が書いた作品を読むようになった。アイザック・バシェヴィス・シンガーの書いた、第二次世界大戦前の東ヨーロッパの人々。バーナード・マラマッドの短篇に出てくる、まるで寓話の中にいるような登場人物たち。彼らは主流のアメリカ文学を彩る人々とはひと味もふた味も違った存在感を示してくれていた。偏屈で取っつきにくいのに、それでもどうしようもなく愛すべき人々、とでも言おうか。だが、僕に最も強い印象を与えたのは、フィリップ・ロスの長篇『プロット・アゲンスト・アメリカ』(集英社)の家族だった。

 大西洋横断で国民的人気を得たチャールズ・リンドバーグは、その勢いもあって大統領に当選する。そしてヨーロッパではナチスが暴れ回っているのに、彼は一向に第二次世界大戦に参戦しない。なぜか。実はリンドバーグはナチスと通じあっていたのだ。大統領による扇動もあり、アメリカ国内ではユダヤ人たちに対する風当たりがどんどんと強くなる。やがて百人以上のユダヤ人が殺され、あまりに危険が高まると、主人公もようやくカナダに逃げ出そうと決意する。だが、そのときにはすでに、アメリカ合衆国の全ての国境が封鎖されていた。

 この作品を読むと、ユダヤ人たちは現在のアメリカ合衆国においてさえ、自分たちが迫害される可能性は常に今ここにあると感じているとわかる。それは心配のしすぎではないか、とそのときは僕も思った。けれども、ドナルド・トランプ元大統領の言動を見て、その恐れは決して空想上のものではない、と強く感じた。もしトランプがもっと「有能」であれば、このフィリップ・ロスが描いた地獄は完全に現実のものとなっていたかもしれない。あらためて作家の幻視する力に圧倒された。と同時に、かつてクラスメイトが放った「僕は君たちとは違う」という言葉の意味が、僕にもじわじわと迫って来た。

フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』(柴田元幸訳、集英社)。1940年のアメリカ大統領選でもしフランクリン・ローズヴェルトでなくリンドバーグが当選していたら……という設定のいわゆる歴史改変小説。2020年にはアメリカでドラマ化もされている(撮影:都甲幸治)

「もし今、アメリカで……」

 さて、ネイサン・イングランダーという作家がいる。彼については10年ほど前に出した『生き延びるための世界文学』(新潮社)という本でも触れた。ポップな文体で、アメリカに住むユダヤ人たちの生活感覚や、イスラエルに移住した人々への疑問などを現代的に語る彼の文章に、僕はユダヤ系文学の新しい形を見た。たとえば短篇「アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること」では、アメリカに住むユダヤ系の夫婦が、イスラエルから遊びに来た友人の夫婦と、アンネ・フランクゲームという物騒なゲームを行う。

 もし今、アメリカでユダヤ人迫害が起こったら、特定の人は命の危険を冒して自分たちを匿ってくれるかどうかを推測する、というゲームだ。だが、途中でイスラエルに住む妻は夫について、この人はたぶん匿ってくれない、と思ってしまう。ユダヤ教を熱心に奉じ、家族の価値について力説する彼だが、心の底では自分はこの人を信用していない、と彼女は気づくのだ。そしてその気づきが、表情の変化や沈黙を通して、他の参加者にもわかってしまう。あるいは「姉妹の丘」では、ヨルダン川西岸地区にむりやり住み着いた、暴力的なユダヤ人たちについて書く。

『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』(小竹由美子訳、新潮社)の原書カバー。日本語版も原書のイメージを活かした装幀になっている(写真:都甲幸治)

宗教を捨て、創作と出会う

 1970年にニューヨーク州ロングアイランドで生まれたイングランダーは正統派ユダヤ教徒の共同体で育った。厳格な宗教教育を受けたものの、ニューヨーク大学ビンガムトン校で出会った教師に目を開かれる。宗教的コミュニティの外にはこんなにも広い世界があったのか。やがて彼は滞在したイスラエルで、ユダヤ教を奉じない、極めて世俗的なユダヤ人たちと出会い、宗教を捨てる。その後たまたま書き上げた「二十七番目の男」という短篇を友人の母親に見せたところ、創作を続けることを熱心に勧められ、名門であるアイオワ大学創作科の修士課程に進学する。

 そのあと「二十七番目の男」を収録した短篇集『耐えられない衝動を和らげるために』で2000年にPEN/マラマッド賞を獲得、続いて短篇集『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』(新潮社)で2012年、フランク・オコナー国際短篇小説賞を受賞する。こうして彼は現代アメリカにおけるユダヤ系文学の代表的な書き手となっていった。日本でも『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』に加えて、長篇『地中のディナー』(東京創元社)が翻訳されている。

『地中のディナー』(小竹由美子訳、東京創元社)の原書kindle版の表紙。イスラエルの諜報員になったユダヤ系アメリカ人の数奇な人生を描く長篇小説(写真:都甲幸治)

明日に続きます。お楽しみに!

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

関連書籍

都甲幸治先生といっしょにアメリカ文学を読むオンライン講座が、NHK文化センターで開催されています。

NHK文化センター青山教室:1年で学ぶ教養 文庫で味わうアメリカ文学 | 好奇心の、その先へ NHKカルチャー (nhk-cul.co.jp)

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