宗教とは何か——日本の宗教研究の第一人者が、「救い」をキーワードに宗教という営みの“核心”を明らかにする!
文学や芸術においてしばしば表れる「救い」というテーマは、昔も今も人の心を打ちます。この「救い」の教えは、キリスト教、仏教、イスラームなど世界中の宗教において教義の中心となってきました。なぜ、宗教では「救い」が重要とされ、普遍的な教えとなってきたのでしょうか。
宗教の核心に通じるこの問いに、日本の宗教研究の第一人者である島薗進さんが迫ります。
宗教とは何か。
このように問われたら、みなさんはどんな答えを思い浮かべるでしょうか。「質問が漠然としすぎていて、すぐには答えられない」。そう思う人も多いでしょう。
宗教とは何かを考えるとき、一つの手がかりになるのが「救い」という言
葉です。「宗教によって救われた」と自覚する人は世界中にたくさんいますし、「人を救う」ことこそ宗教の本領だと考える人も多いと思います。
一方で、「救い」という言葉から受け取るイメージは、人によってかなり異なることも事実でしょう。「救い」と聞いて、“カルト” 的なものを連想してとっさに「危ない」と思う人も、「『救い』ということを深く理解できないと、宗教の本質はわからない」と捉える人もいる。このように、「救い」には何かあやうい面と、非常に大切な深い面の両方があるのではないかと思います。人によってどちらを取るかはそれぞれだとしても、そのいずれもが「救い」であることには変わりない。宗教が掲げる「救い」には、このような両面性が含み込まれているといえます。
このことからもわかるように、宗教というものは、人の生き方や考え方の
根本に関わっています。これは宗教のもつ重要な側面です。
哲学や文学なども、人の心や思考を育むのに重要な領域であり、同時にあ
やうい面をもつものだともいえるでしょう。しかし、哲学や文学については
どちらかというとその重要さの方が強調されるように思います。また、それ
ゆえにやや高度で複雑なものとされ、万人に理解されることよりも、理解できる人が理解できればよいとするところもある。
それに対して、「救い」を掲げる宗教の本質的なメッセージは「すべての
人に関わる」ことであり、実際にそれだけの広がりをもっています。ですか
ら、人類の精神文化(というと大袈裟に聞こえるかもしれませんが)というものを考える上で、哲学・学術や文学・芸術だけでなく、宗教について、またその核心にある「救い」について考えることが欠かせません。
人類史、とりわけ世界の諸文明が成立して以来の歴史(文明史)にとって
大きな役割を果たしてきたと考えられる「救い」ですが、具体的に見ると、
すべての宗教において「救い」が重視されてきたわけではありません。宗教
のなかには「救い」を主題とする宗教とそうではない宗教があり、ある時代
以降の人類史においては前者が強い影響力をもってきた、といえるでしょう。
宗教学という学問分野では、「救い」を重視する宗教を「救済宗教」と呼
んでいます。その代表は、世界の三大宗教としても知られるキリスト教、仏教、イスラームです。
この本では、「宗教とは何か」という問いを考える鍵として、この救済宗
教に焦点を当てていきます。救済宗教が人類史のなかで強い影響力をもって
きた、その意味を振り返ることが、いま重要ではないかと思うからです。ま
た救済宗教について考えることは、おのずとそれ以外のタイプの宗教の理解
にもつながり、広く人類の精神文化の理解へと通じていくことでしょう。
その上で、本書の課題は二つあります。一つは、なぜ「救い」がかくも重
要だったのか、いまも重要であり続けているのかを理解する、ということで
す。「救い」が重要であることの前提には、「人間は救われる必要がある」という認識があります。つまり、ここでは人間が救われていない状態、すなわち苦難、悪、死など、人間が深く悩まざるを得ないネガティブな領域が強く意識されている。そのことをどう理解するか。
もう一つは、「救い」や救済宗教が、現代に生きる私たちとどのような位置関係にあるのかを考える、ということです。救済宗教を理解するためには、「救済を重視しない宗教(たとえば自然宗教)」と比べるという方法があります。また、一般的に宗教の範疇には含まれませんが、人類を幸せにするものとして多くの人が共有する思想(儒教、哲学、マルクス主義など)との比較で理解するという方法もあるでしょう。
本書では、「現代に生きる私たちは、救済宗教に距離感を感じている」と
いう事実を通して、救済宗教について考えていきたいと思います。近代以降、宗教になじめない、宗教はもう受け入れられないという人が社会全体で増えてきましたが(この状況を「世俗化」といいます)、現代の私たちもその流れのなかにいます。自分たちは宗教を卒業した。我々は、過去においてとても有力だった精神文化の「あと」(post-)にいる——救済宗教への距離感は、現代人のそのような意識と関わっているように思えます。
さらにいえば、現在、多くの人はそもそも自分と宗教がどのような関係にあるのか、よくわからないままでいるのではないでしょうか。それに対する
手がかりが学校教育で与えられることはなく、メディアが意識的に提示する
ことも少ない。「世俗化」が進むあいだに、宗教への無関心、さらには宗教
軽視の態度が養われ、そこから脱却できないでいるからでしょう。
しかしいま、新しいかたちでの「宗教の学び」が求められていると私は思
います。それは、特定の宗教の教えについて知識を深める、あるいは体得し
ていくというタイプの学びではなく、宗教とは何かについて知る、すなわち
「宗教リテラシー」を身につけるというタイプの学びです。その際、長い歴
史と世界的な広がりをもつ救済宗教について考えることは、一つの有効な手
がかりになると考えます。
現代の私たちの自己理解との関係で救済宗教を捉える。本書ではそのよう
な視点に立って、救いの信仰(とその後)について考えてみたいと思います。
続きは『宗教のきほん なぜ「救い」を求めるのか』でお楽しみください。
島薗 進(しまぞの・すすむ)
1948年、東京都生まれ。宗教学者。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学名誉教授。上智大学グリーフケア研究所前所長。NPO法人東京自由大学学長。主な研究領域は近代日本宗教史、宗教理論、死生学。著書に『宗教学の名著30』(ちくま新書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)、『日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ』(朝日選書)、『いのちを“つくって”もいいですか? 生命科学のジレンマを考える哲学講義』『宗教を物語でほどく アンデルセンから遠藤周作へ』(ともに小社刊)など多数。