名場面・名文句から読み解く、イギリス小説の傑作――エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
オースティン『高慢と偏見』、ブロンテ『嵐が丘』、イシグロ『日の名残り』――。名前は知っているあの傑作小説を、名場面の優れた英文と濃密な文法解説を通してじっくり精読。斎藤兆史氏(東京大学名誉教授)と髙橋和子氏(明星大学教授)の共著による『名場面の英語で味わう イギリス小説の傑作 英文読解力をみがく10講』は、英文の裏側にある意図にまで踏み込んで解釈することで、作品をより深く味わいながら本質的な英文読解力をみがくことのできる一冊です。3月14日に発売となる本書の刊行を記念して、本文の一部を特別公開します。*本記事用に一部を編集しています。
【作家と作品】
愛と復讐の物語として、現在も広く読み継がれている『嵐が丘』。ブロンテ一家が暮らしたヨークシャー州ハワースの荒々しい自然が作者の想像力をかき立て、創作の源になりました。
エミリー・ブロンテ(1818-48)は、1818年、ヨークシャー州のソーントンで生まれました。パトリック・ブロンテとマリア・ブランウェルの六人の子どもたち(長女マリア、次女エリザベス、三女シャーロット、長男ブランウェル、四女エミリー、五女アン)の中で、エミリーは五番目の子どもです。『ジェイン・エア』の作者であるシャーロット・ブロンテは、彼女の姉にあたります。1821年に母親が死去、1825年には長女と次女が、相次いで病死します。残されたシャーロット、ブランウェル、エミリー、アンは、早い時期から詩や物語の創作に励み、絵を描く才能にも恵まれました。父親のパトリックは、ケンブリッジ大学卒業後に牧師になりましたが、イギリスを代表するロマン派詩人であるワーズワースの詩をはじめとする文学作品を深く愛し、自然に心を惹かれ、我が子に豊かな教育を施したことで知られています。子どもたちの文学的才能が開花するきっかけを与えたのもパトリックであり、1826年に彼が出張先から土産として持ち帰ったおもちゃの兵隊は、子どもたちの文学的な創作の原点になりました。ブロンテ家の子どもたちは、これら兵隊に名前を付け、独自の劇を作り、やがてエミリーとアンは想像上の「ゴンダル」王国の物語を、シャーロットとブランウェルは「アングリア」王国の物語を、それぞれ紡いでいったのです。エミリーは「ゴンダル」王国をもとに多くの詩も書きました。
エミリーは、姉シャーロットとは背格好も、性格もずいぶん異なっていたようです。小柄なシャーロットに比べて、エミリーは大柄で、因習に縛られず、独自の世界観を持っていたと言われています。ハワースの荒野をこよなく愛し、この地を離れることを望まず、家族のために家の中の仕事を引き受けていました。このようなエミリーに、父親同様に影響を与えたのは、1825年から30年以上もブロンテ一家の世話をした、タビサ・アークロイドです。ヨークシャー出身の彼女は、料理やこまごまとした家事を担うかたわら、ヨークシャー近辺に伝わる物語や、方言、人々の暮らしを語ってくれました。タビサは『嵐が丘』で語り手をつとめる、ネリーのモデルと言われています。
1846年、姉のシャーロットと妹のアンとともに書いた『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集』(Poems by Currer, Ellis, and Acton Bell)を出版。1847年、シャーロットの『ジェイン・エア』がベストセラーになった同年、その人気に後押しされて、エミリーの『嵐が丘』とアンの『アグネス・グレイ』(Agnes Grey)が出版されました。『嵐が丘』に対する当時の読者の反応は、批判的な意見が大半でした。当時(ヴィクトリア朝)は産業革命の影響を受けて、政治・経済面で近代化の波が押し寄せ、従来の階級秩序が揺らぎ、新たな大衆社会が生まれ、これまで文学とは縁のなかった庶民たちが読者層に加わりました。ヴィクトリア朝は、福音主義が浸透したことでも知られています。このような時代に生きた読者は、先代の恩を忘れて、己の欲望を満たすために執拗に復讐を繰り返すヒースクリフを許せなかったに違いありません。また、従順さや貞淑さを持たず、自己主張を繰り返すキャサリンのような女性も許しがたかったことでしょう。それでも『嵐が丘』は、英文学史の中で異色の傑作と評価されてきました。この作品では、ヨークシャーの荒野を背景として、恐ろしいまでの人間の情念が描かれ、生死の境を超えた魂の一体化が追求されています。技法面でも工夫が見られ、ロックウッドの語りの中に、ネリーの語りが組み込まれた「入れ子式」の語りが用いられ、激しい愛憎劇の外枠を囲う形式になっています。エミリーの晩年は、ブロンテ一家にとって明るいものではありませんでした。1848年、酒や薬物におぼれて錯乱状態になった兄ブランウェルの死後、まもなくエミリーも死去しました。彼女は、病にかかり危篤状態になっても、最後まで医者の診察を拒んだといいます。翌1849年、エミリーの最愛の妹アンもあとを追うように亡くなりました。
【全体のあらすじと名場面】
物語は、「私」ロックウッドが、スラッシュクロス・グレンジ(Thrushcross Grange)邸を借りようとして、家主ヒースクリフのもとを訪れたところから始まります。嵐が丘(Wuthering Heights)と呼ばれる屋敷に住むヒースクリフは、愛想が悪く、同居人たちも不機嫌で、平穏とはとても言えない様子です。「私」は、嵐が丘、スラッシュクロス・グレンジ邸をめぐる人々の話を、家政婦ネリーから次のように聞きました。
昔、嵐が丘にはアーンショー夫妻とその子どもたち(ヒンドリーとキャサリン)が住んでいました。ある日、アーンショー氏は旅先から孤児を連れ帰り、ヒースクリフと名付けて我が子のようにかわいがります。やがてキャサリンは、彼と仲良くなりますが、ヒンドリーは彼を毛嫌いします。アーンショー夫妻の死後、家督を継いだヒンドリーは、ヒースクリフに対してひどい仕打ちをします。間もなく、キャサリンはスラッシュクロス・グレンジに住む、裕福なリントン家の息子・エドガーの求愛を受けます。彼女は、ヒースクリフをかけがえのない存在と感じながらも、エドガーとの結婚を決意します。ヒースクリフはそれを知って姿を消し、やがて大金持ちになって、戻ってきます。ここからヒースクリフの復讐が始まります。自分を痛めつけたヒンドリーへの復讐、キャサリンを自分から奪ったエドガーへの復讐が、世代を超えた周囲の人々を巻き込みながら実行されます。リントン夫人となったキャサリンは、ヒースクリフに再会しますが、やがて死亡します。彼女の死をヒースクリフは受け止めきれず、狂ったように苦しみますが、復讐の手を緩めることはありませんでした。復讐劇の結末はどうなったのかは、ぜひ同書を読んでご確認ください。
同書の名場面は、キャサリンが、エドガーに求婚されて、これを受け入れたのちに、ネリーに結婚について打ち明ける場面です。ネリーは、幼いヘアトンを抱きながらキャサリンの話を聞きます。このとき、二人の話をヒースクリフが部屋の隅で聞いています。ネリーは、途中で彼の存在に気づきますが、キャサリンは気づかぬまま、話を続けます。ヒースクリフが静かに立ち去ったあと、キャサリンは、自分にとって彼が特別な存在であることを打ち明けます。
【名文句】
I $${\textit{am}}$$ Heathcliff.は、キャサリンとヒースクリフの深い結びつきを示す台詞として、『嵐が丘』の中でもとくに有名です。ネリーは、キャサリンがエドガーの求婚を受け入れたことを知り、批判的な態度を取ります。エドガーと結婚することは、彼女がヒースクリフを捨てることになるからです。一方キャサリンは、自分自身は、ヒースクリフの中にも存在すると感じています。たとえエドガーと結婚しても、ヒースクリフが孤独になることはなく、キャサリンとヒースクリフはいつまでも一心同体だと信じるのです。決して自分はヒースクリフと離れることはないのだと主張します。
I $${\textit{am}}$$ Heathcliff.
I $${\textit{am}}$$ Heathcliff. は、主語(S)+be動詞(V)+補語(C)のいわゆる第二文型です。この文型は、主語がどうなのか・何なのかを示します。補語は、主語+動詞だけでは意味が不完全な場合に、情報を補う語(句)です。amが斜体(italic)になっている理由は、この部分を強調して強く発音することを示します。それによって、「私こそ、まさに」という特別な意味合いが付与されます。「AはBである」という意味を表す第二文型において、AとBの価値が等しいことを強調するためには、be動詞の部分を強く発音します。
キャサリンとヒースクリフの関係
キャサリンとエドガーの関係は時間がたてば変化してしまう儚い関係です。キャサリンは、エドガーとの関係を「森の木々の葉っぱのようなもの」(the foliage in the woods)に例えています。一方、ヒースクリフとの愛は「永遠に地下に埋まっている岩」(the eternal rocks beneath)だと言うのです。I $${\textit{am}}$$ Heathcliff.は、短い文章であるものの、彼女とヒースクリフの関係を集約した言葉と言えるでしょう。二人の関係はロマンチックとは程遠く、壮絶で、時には恐ろしいほどです。
キャサリンがエドガーと結婚したあと、ヒースクリフが突然姿を現しますが、喜びも束の間、病に伏した彼女は「彼[ヒースクリフ]を墓まで連れていく̶彼は私の魂の中にいる」([I shall]take him with me―he’s in my soul)(第2巻 第1章)とネリーに言います。その後キャサリンは、娘を出産して亡くなりますが、ヒースクリフは「私の命[キャサリン]なしには生きていけない! 魂なしには生きていけない!」(I $${\textit{cannot}}$$ live without my life! I $${\textit{cannot}}$$ live without my soul!)と叫ぶのです(第2巻 第2章)。
文法的には I $${\textit{am}}$$ Heathcliff. は第二文型(SVC)でS = C(Catherine=Heathcliff)が成り立ち、二人は等しい関係だと言えます。二人は、生死の境界を超えて魂が一体化するほどの強く激しい関係を求めていたと言えるでしょう。
(髙橋和子)
※名場面の原文や文法解説などは、『名場面の英語で味わう イギリス小説の傑作 英文読解力をみがく10講』をお読みください。
本書の刊行を記念して、著者の斎藤兆史氏と翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子氏との対談イベントをジュンク堂書店池袋本店で実施します。詳細は下記のURLよりご確認いただけます。
髙橋和子 Takahashi Kazuko
東京女子大学文理学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科修士課程、同博士課程修了。博士(学術)。
著書に『日本の英語教育における文学教材の可能性』(ひつじ書房)などがある。
斎藤兆史 Saito Yoshifumi
東京大学名誉教授。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。インディアナ大学英文科修士課程修了。ノッティンガム大学英文科博士課程修了(Ph.D.)。
著書に『英語達人列伝』(中央公論新社)、『英文法の論理』(NHK出版)、訳書にラドヤード・キプリング『少年キム』(筑摩書房)、共訳にチャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』(偕成社)などがある。