大河ドラマ「べらぼう」の近世美術史考証者が、「コンテンツビジネスの風雲児」蔦屋重三郎に迫る
2025年大河ドラマ「べらぼう」。本作の近世美術史考証を担当した松嶋雅人さんの著書『蔦屋重三郎と浮世絵 「歌麿美人」の謎を解く』が好評発売中です。
「べらぼう」の主人公のモデルは蔦屋重三郎。
江戸時代中期、数多ある版元の中で、なぜ蔦重だけがこれほど注目を集めたのか。蔦重が歌麿に描かせた「ポッピンを吹く娘」はなぜ名作と言われるのか。話題を呼ぶ浮世絵を次々に手掛け、江戸を騒がせた蔦重の独自の仕掛けとは――。
蔦屋重三郎のビジネス上の足跡に沿って代表的作品から知られざる名画まで多くの作品を取り上げ、オールカラー図版を実際に見ながら、その歴史的意味やインパクトを明らかにしていく、充実の一冊です。
刊行を記念し、「はじめに」と冒頭部分を特別公開いたします。
ヘッダー画像:喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」東京国立博物館蔵。/出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
はじめに
「蔦重」こと蔦屋重三郎(一七五〇~九七年)は、江戸時代も後半にさしかかろうとする頃、貸本屋から身を起こし、社会状況の変化をつぶさにとらえ、メディア王にのぼりつめました。彼は、まさに時代の風雲児と言ってよいでしょう。
浮世絵師のなかでもとくに名高い喜多川歌麿や東洲斎写楽を見出し、プロデュースしたことで知られ、蔦屋が刊行した彼らの浮世絵は、現代でも国内外で高い人気を誇っています。また、黄表紙や洒落本といった文芸のジャンルでも、時流をつかみ、数々のベストセラー作品を生み出しています。敏腕プロデューサーであり、稀代のマーケターでもあったと言えます。
蔦重の仕事は、これまで「出版」文化という文脈のなかで主にとらえられてきました。確かに彼は十八世紀後半の、わずか三十年足らずで江戸の出版文化、出版物の内容をべらぼうに変えてしまいました。しかし、もう少し長いスパンで見ると、出版だけでなく、江戸の文化そのものを変えてしまった、とも言えるのです。さらに言えば、蔦重の登場によって、平安時代以来の日本文化の潮目が変わった。これは決して過言ではありません。
彼の何がそれほど大きな変化を生み出したのでしょうか――。それは蔦重が捉えた「リアリズム」が鍵だと考えています。絵画をはじめとする造形分野の世界においても、文芸においても、古く日本文化が紡いできたものは、基本的に「ファンタジー」だと言えます。紫式部は『源氏物語』で、香しい宮廷や貴族の暮らしを背景に、光源氏の人生と複雑に絡みあう貴族たちの心の襞ひだを細やかに見つめて、人間関係を深く描き出しましたが、決して当時の死臭漂う都の姿――リアルな世界は描写しませんでした。また日本で連綿と詠み続けられていた和歌は、詠み人の願いや祈りが込められた抒情詩でもありました。
古来、日本ではファンタジーに仮託して心を震わせた文芸を専らとして、ありのままの現実はあまり描写してきませんでした。それは、文芸がごく一部の、上流階級の人々のものだったからです。
しかし、江戸時代も中頃になると、それでは社会が回らなくなってきました。武家の世とはいっても、実質的に社会を動かしていたのは金を握っていた商人です。理想や建前と現実との乖離を無視できなくなった幕府は、現実路線に大きく舵を切っていきます。
幕府の動静と軌を一にするように、市井の人々の関心も、より現実へと向かいはじめていました。当時、江戸で出版されていた読み物は、ほとんどが古典や昔話を翻案(アレンジ)したものです。しかし、人々が欲していたのは「今、何がいちばん新しいか」ということでした。一歩先、いや半歩先の流行りを知っているのが「通」であり、それをさりげなく体現しているのが「粋」と評されました。現代を生きる私たちと同じように、江戸の人々も最新トレンドを求めていたのです。
通人は、その多くが金持ちです。通な情報が集まるのは、金持ちが集まる吉原でした。
そこに蔦重の最大にして唯一の強みがあったと言っていいでしょう。
彼は、生まれも育ちも吉原です。浅草の外れに作られた遊郭「新吉原」の事情に通じた蔦重は、若くして武家や大店の商人たちなど、さまざまな多くの人々と交わって、人脈を築いていました。吉原で生まれる最新カルチャーや、吉原に集まってくるさまざまな情報を市中に向けて発信すれば商売になる。そう考えたのではないでしょうか。
「最新」は常に更新されるので、この情報ビジネスは持続性(サステナビリティー)が高いという現実的な読みもあったと思います。案の定、蔦屋の商品は市中で評判となり、やがて蔦屋そのものが時代の最先端をいくブランドとして影響力を持つようになったのです。
蔦屋の出版物によって、江戸の人々は最先端の情報を手に入れ、ファンタジーよりも遥かにワクワクする面白い現実(リアル)があることに気づいていきます。後年、蔦重は情報や出版物の全国的な流通網の構築にも乗り出します。リアルな情報の拡散は、人々の文字リテラシー、文化リテラシーをいっそう高めて、封建的なピラミッド型社会の裾野部分の水準を飛躍的に底上げすることにつながっていきました。これは日本文化の一つの大きな転換点になったと言えるのではないでしょうか。その意味で彼はまさしく文化のゲーム・チェンジャー、革新者だと思います。
「リアリズム」に注目することで、蔦屋から版行された造形の新しさやその意義も、蔦重のパーソナリティや事業戦略も説明することができます。歌麿や写楽らの浮世絵は、作品にリアリズムを持ち込んでいますが、これも蔦重のリアリズムから発したものです。
本書では、蔦重の活動を追いながら、その手法の特色を取り上げ、いかにメディア王になったかを示すと同時に、蔦屋の商品、主に浮世絵を通して江戸の人々や社会全体がリアリズムに覚醒していった過程をみていきます。まずは歌麿の造形を通して、そこに現れている蔦重の考えや革新性をみていくことにしましょう。
歌麿のリアリズム—―浮世絵美人画の旋風
ふとした瞬間の心情を二次元世界に描き出す
浮世絵の美人画と言えば、真っ先に「歌麿」の名が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。喜多川歌麿(一七五三~一八〇六年)は江戸時代中期、十八世紀の後半から十九世紀初頭にかけてとくに人気を博した浮世絵師です。かなりの作品が今に伝わっていますが、なかでも広く知られているのは、やはりこの一枚でしょう。寛政四~五(一七九二~三)年頃に刊行された「婦女人相十品」というシリーズの一枚、「ポッピンを吹く娘」です。
「婦女人相十品」は、女性のバストアップを画面いっぱいに描いた歌麿の代名詞とも言える「美人大首絵」の一つです。背景は省き、女性の表情やしぐさを細やかに描き出しています。
「ポッピンを吹く娘」は着物の袖が長く、まだ十五、六歳くらいの年頃でしょうか。華やいだ装いから大店の娘だろうと想像できます。彼女が口にくわえているのは、吹くと「ポコン、ペコン」と音のするガラス細工のおもちゃです。
たっぷりとした袖が、ふんわりと翻っています。風のせいではありません。振り返った瞬間に、その勢いで袖の先が翻っているのです。描かれていませんが、画面の外にいる誰か(男性でしょうか)に、ふいに声を掛けられたのでしょう。あるいは、遠くで声がしただけかもしれません。いずれにしても、声の主が一瞬にして彼女の心をとらえたことが、その表情にありありと表れています。目は声のするほうに釘づけになり、まだ自分がポッピンをくわえたままだということも忘れているようです。
同時期の歌麿美人画を、もう一点ご紹介しましょう。こちらは「婦人相学十躰」というシリーズのうちの一枚、「浮気之相」です。
湯上りなのでしょう。ざっくりと浴衣をまとい、涼んでいるようです。手拭いを肩にかけ、手を拭きながら誰かに話しかけているようにも見えます。その「誰か」は近隣の知り合いでしょうか。あるいは気になる男性なのかもしれません。画面から匂い立つ色香が、そのことを物語っているようにも思えます。
いずれの作品も日常のなかにある、ふとした瞬間の仕草や表情をとらえた傑作です。ただのスナップショットではありません。その瞬間の女性たちの心情まで、二次元世界に描き出しています。このような絵は、歌麿以前にはなかったものです。
続きは『蔦屋重三郎と浮世絵 「歌麿美人」の謎を解く』でお楽しみください。
プロフィール
松嶋雅人(まつしま・まさと)
1966年、大阪市生まれ。東京国立博物館学芸企画部長。金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科卒業、同大学大学院修士課程修了。その後東京藝術大学大学院博士後期課程に進み1997年単位取得満期退学。日本近世から近代にかけての絵画史を中心に研究。著書に『あやしい美人画』(東京美術、2017年)、『細田守 ミライをひらく創作のひみつ』(美術出版社、2018年)など。展覧会企画に「没後400年 長谷川等伯」(東京国立博物館・京都国立博物館、2010年)、特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(東京国立博物館、2024年)など。2025年4月に特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」(東京国立博物館 平成館)を企画。