小松左京『日本沈没』はなぜ圧倒的なリアリティを持ち、古びないのか?
7/9に配信される、湯浅政明監督によるNETFLIXオリジナルアニメシリーズ『日本沈没2020』。その原作である『日本沈没』は、小松左京の代表作であり、戦後日本のSFにおける最大のベストセラー小説です。
発表から50年近く経過した現在でもリアリティを失わない、この作品の強度は何に由来するのでしょうか? 7月10日に発売されるNHK出版新書『いまこそ「小松左京」を読み直す』より、『日本沈没』を扱った第3章の一部を抜粋掲載します。
* * *
空前の大ベストセラー
亡くなる5年前、2006年の自叙によれば、小松が「これまでに書いてきたものは、長編が十七作、中・短編が二百六十九作、ショートショート百九十九作。小説の単行本だけで六十二冊、このほかエッセイ・評論・ルポなどの単行本が六十八冊にのぼる」のだそうです(『SF魂』)。
その夥(おびただ)しい数の作品の中で、発行部数を最も伸ばし、社会的影響を及ぼしたのが『日本沈没』でした。
書き下ろし長編『日本沈没』は、1973(昭和48)年3月に刊行され、上下巻合わせて累計460万部に達する空前の大ベストセラーとなりました。同年、映画にもなり、翌年には連続テレビドラマ化されました。日曜日の20時、プライムタイムの放送でした。
日本中が俄(にわか)の「沈没ブーム」に沸き立ち、天変地異の不安に戦(おのの)きました。時に小松左京、42歳。世界11か国語に翻訳され、翌年の日本推理作家協会賞、星雲賞(日本長編部門)をそれぞれ受賞しています。構想と執筆に9年を要した、文字通りの満を持した大作でした。
当時まだ生まれていなかった世代にも、この作品の題名だけは知られています。90年以降に生を受けた若い世代においても、小松左京は「『日本沈没』の作家」として認知されている。世間的には、これが彼の代表作であることは動かし難い事実なのです。
『日本沈没』の主舞台は、登場人物の年齢をもとに計算すると1980年の日本であろう、と推定できます。またリニアモーター超特急の工事が始まり、成田の東京第二国際空港が完成し、大阪湾上の関西第二国際空港も着工済み、といった設定からも、それが作品刊行時点における近未来であることがわかります。
197X年、伊豆・鳥島(とりしま)の東北東で、名もない小島が一夜にして「沈没」するという異常な現象が発生します。独自にこの調査に乗り出したのが、地球物理学者の田所雄介博士。地震の観測データから日本列島に異変が起こっているのを直感し、深海潜水艇の操縦士、小野寺俊夫、M大海洋地質学の幸長信彦助教授と共に小笠原群島沖の日本海溝に潜った田所は、そこに謎の「溝(トレンチ)」と海底乱泥流を発見。調査の結果、数年内に、日本列島の大部分が海面下に沈むという恐るべき予測が導かれる……。これが『日本沈没』冒頭のあらましです。
ストーリーとしてとてもシンプルですが、その単純なプロットにリアリティを吹き込むための工夫は並大抵のものではありません。地質学、地震学、火山学、惑星科学から潜水工学、社会工学、政治学、文化人類学、民俗学まで、幅広い領域の、当時としては最新の知見が随所に盛り込まれ、作者の博捜(はくそう)ぶりに舌を巻きます。
しかも、それらを退屈で冗長な「科学解説」に終わらせていない。SF的発想の醍醐味(だいごみ)がたっぷり染み込ませてあります。例えば、小野寺と幸長の太平洋の火山帯をめぐる会話に割り込むかたちで、田所博士が奔放な想像力を発揮する場面があります。
「わしにいわせれば――人間も植物も珊瑚も、みんな同じようなものだな。とにかく突起があれば、それにまといつく」「小野寺君とかいったな。君はどう思うね?炭酸カルシウムを定着させて、共同骨格をつくるという点で、造礁珊瑚と、コンクリートの近代都市をつくる人間と、どれほどちがうか?」「それだけじゃないぞ、わしにいわせれば、素粒子の進化から、宇宙の進化にいたるまで、段階はちがうが、非常に似かよった、なにか共通のパターンがかくされている」(「第一章日本海溝」『日本沈没』(上)小学館文庫)
現実的認識から一気にSF的想像へと飛び立つ瞬間が描かれています。まさにSFならではの、リアリティを異化することによって新たな、自由な視点を得る感動、「センス・オブ・ワンダー “sense of wonder”」の飛躍といえるでしょう。
圧倒的なリアリティ
『日本沈没』では日本全土が海に没するという事態を、いかにもっともらしく、科学的に説明するかが、小松の課題となりました。小松は地質学等の先端的成果を渉猟し始めます。[編集部註:太字は底本において傍点が付されている語句です。以下すべて同様]
「たしか六二年にツゾー・ウィルソンの大洋底拡大説が『サイエンティフィック・アメリカン』か『ナショナル・ジオグラフィック』に紹介されてたんだ。これでウェゲナーの大陸移動説が復活するのかねって思った」「一九六四年に地球物理学者の竹内均先生、上田誠也先生の『地球の科学』、六五年に『地球の歴史』がNHKブックスから出る。要するに潜水艦や深海潜水艇で海底地形や海底の動きを観測して、いわゆるマントル対流とかプレートテクトニクスが実際にあることがわかってきた。一緒だった南北アメリカ大陸とアフリカ、ヨーロッパがだんだん離れていったというのは、大変なものだよね」(『小松左京自伝――実存を求めて』日本経済新聞出版社、以下『自伝』と略記す)
大陸移動説とは、何億年の昔、地球の陸地はひとつだったのが、分裂して別々に漂流、今の形になったというもの。アルフレート・ヴェーゲナー(アルフレッド・ウェゲナー)が『大陸と海洋の起源』という著書でその説を提唱したのが1915年。今から百年ほど前のことでした。が、当時の地球物理学のレベルでは、大陸移動の原動力を説明するものがなく、その説は停滞します。その後、ヨーロッパの大陸と北米大陸の岩石で古地磁気極移動曲線を調べると、つながっていた北米大陸とユーラシア大陸が、6,500万年前頃から分裂を開始し、大西洋がしだいに東西に拡がって現在の姿になったことがわかってきます。1960 年代になると、海洋底拡大説が登場し、プレートが海嶺で生産され、左右に移動しているという「プレートテクトニクス(=PT)」が学界で受け入れられるようになりました。
余談ですが、日本における「プレートテクトニクス」の受容には、諸外国と比して長い時間が掛かりました。小松が参考にした『地球の科学』『地球の歴史』の共著者、上田誠也はある書評で「先走って『PT』樹立の渦中にあった評者には、地球物理仲間からも『都合の良いデーターだけ並べて、プレートを勝手に動かす軽薄の徒』などとの批判は少なからずあった」と回顧しています(Japan Geoscience Letters May, 2009 No.2)。PT学説に比較的理解のあった地球物理学の世界でも、これほどの拒絶反応が起きたのです。
プレートは、マントルの上に乗っています。マントルは固体ですが、ゆっくりと対流しています。田所博士はマントルの対流によってプレートが動いていくと説明していますが、現在ではプレートが自身の重みで海溝に沈んでいく力もプレートを動かす原動力として有力視されています。そして博士は、作中の日本列島に発生している数々の地殻変動の要因を、列島付近の地下におけるマントル対流の“激変”にあるのではないかと推測しています。
プレートテクトニクスは、今日、専門家だけではなく、広く一般に知られています。小松が幸運だったのは、この小説の執筆時期は、学会においてプレートテクトニクスの定説化が進んでいる時期に重なっており、結果として最新の定論(ていろん)を取り入れたかたちに仕上がりました。
先般、京都大学の地球変動学(テクトニクス)の研究者に『日本沈没』の現時点での評価を尋ねたところ、基礎的な理論の部分はまったく古びてないということでした。但し、『日本沈没』の作中では、事象の進行速度が現実より何桁も速くなっているため、実際には日本列島が海に沈むことはないそうです。
この小説にとって、もう一つ幸いに作用したのは時代背景です。出版された1973年は「高度成長期」の最終年に当たります。1954年に始まり19年間続いた高度経済成長期が終わりを迎えようとしていました。
とくに73年の第一次オイルショックは、「列島改造景気」に止(とど)めを刺し、さしもの田中角栄首相も「列島改造はスローダウン」と表明せざるを得なくなります。
前途に暗雲が垂れ込めているがごとき世相は出版界の動向も左右します。1999年の人類滅亡を予告しているという詩篇を扇情的(せんじょうてき)に紹介した五島勉の『ノストラダムスの大予言』が爆発的な売行きをみせ、終末論がブームとなり、果ては『終末から』という名の隔月誌まで、老舗(しにせ)の筑摩書房から創刊されました。ちなみに、この雑誌には小松左京も連載を持っていました。秋竜山が先鋭的なギャグセンスに富むイラストを添えた架空インタヴュー『おしゃべりな訪問者』。著者自身がタイムマシンに乗り込んで各時代を巡り、偉人たちと会見して回るという趣向ですが、小松の博覧強記ぶりが遺憾なく発揮された奇手の快作です。
こうした時代の趨勢(すうせい)は、『日本沈没』にとっては絶好の追い風でした。
近代国家とポストモダンの“くに”
小松は、『日本沈没』を書き起した動機について、まず「戦争だった」と振り返っています。
本土決戦、一億玉砕で日本は滅亡するはずが終戦で救われた。それからわずか二十年で復興を成し遂げ、オリンピックを開き、高度経済成長の階段を駆け上がって万博。日本は先進国になった。私もその渦中を駆け抜けたのだが、豊かさを享受しながら、危うさや不安がいつも脳裏にあった。日本人は高度経済成長に酔い、浮かれていると思った。あの戦争で国土を失い、みんな死ぬ覚悟をしたはずなのに、その悲壮な気持ちを忘れて、何が世界に肩を並べる日本か、という気持ちが私の中に渦巻いていた。のんきに浮かれる日本人を、虚構の中とはいえ国を失う危機に直面させてみようと思って書きはじめたのだった。日本人とは何か、日本とは何かを考え直してみたいとも強く思っていた。(『自伝』)
1973年は高度成長が終わった年です。国民の間(あいだ)にも、国土を削り、穴を穿(うが)ち、山河を汚しながら高い成長を遂げ、なお列島を改造しようとすることへの反省が醸成されつつありました。
井上ひさしは『日本沈没』がベストセラーになった時代背景を顧みて、こう述べます。
とくに重要なのが、円の変動相場制への移行、石油危機、水銀、PCB(ポリ塩化ビフェニール)汚染魚の三つだろう。前の二つは高度成長が終わったことを告げ、汚染魚騒動は人間がつくりだした物質が食物連鎖という自然界の回路を巡って結局は人体に蓄積されるということを教えた。つまり日本人の何割かは、繁栄がカルタの城にすぎなかったこと、そして自然が必ず報復することを思い知ったのである。「逆転」を惹句にするオセロゲームがこの年に発売されたのはまことに象徴的で、戦後史はこの年、逆転をおこしていたのだった。終末論や未来論がブームになったのも、そして『日本沈没』がよく読まれたのも、この文脈に沿えば容易に理解できるはずだ。(「日本沈没 小松左京 昭和四十八年」『完本 ベストセラーの戦後史』文春学藝ライブラリー)
引文中の「カルタの城」とは英語の“house of cards”、つまりトランプで作った塔のことで、“砂上の楼閣”と同義です。
小松は、『日本沈没』よりも前に『静寂の通路』(1970年)という環境問題をテーマにした怖ろしい短編をものしています。その冒頭にはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』から「おそろしい妖怪(ようかい)が、頭上を通りすぎていったのに、気づいた人は、ほとんどだれもいない」という一文が引かれています。
『日本沈没』には、こうした終末観に繫がる状況認識とともに、日本という、“われわれ”を規定し、束縛し、限界を画している枠組みが突如取っ払われてしまったとき、果たしてわれわれは“日本人”として生き延び得るか、という問題意識が反映していました。
後者は次の問いに変換できます。「国破れて山河あり」という有名な杜甫(とほ)の漢詩の一節がありますが、では、山河が滅失したとき、国は持続し得るのか。その場合の国とは、日本とは一体何なのか、という問いです。
『日本沈没』刊行の三年ほど前、小松は杜甫の顰ひそみに倣うかのような言い回しで「“くに”はあっても国家なし」が日本という共同性の特質だ、と主張する論考を発表していました。
日本の「くに」は、このホモジニアスな国民の共通のハイマートとして、心の底には存在するが、近代的、超人種的な対外行動組織としての「国家」には、少数者をのぞく大部分の日本人はついに習熟しきれなかったのだ。(「サブナショナルの国『日本』――“くに”はあっても国家なし」「流動」一九六九年十二月創刊号、東亜経済研究所)
「ハイマート」とはドイツ語の“Heimat”で家郷という意味です。要するに日本国の本質は同族意識に基づく大規模共同体であって、近代国家としては不完全だ、というのです。しかし、小松はその状態を嘆いているわけでも、近代(国家)化を促しているわけでもありません。むしろ“くに”であることに肯定的です。
日本人は、「インターナショナル」とか「トランスナショナル」というより、むしろ「サブナショナル」なレベルにおいて、おおいに世界に発展しつつあるのである。(同前)
サブネーションとは、国家にいたらず、家族や親族よりは大きい共同体、地域社会、文化集合体、エスニック・グループ、機能集団などを指します。小松はこうしたサブナショナルな共同主体の拡がりを、前(プレ)国家的な混沌や無秩序と看做すのではなく、むしろ後(ポスト)国家的な、開放的で多様なネットワークへの先駆形と捉えます。
生産の上昇と「ゆたかな大衆」の出現、そして技術革新にともなう世界的な規模の通信、交通革命は、「国家の媒介なしで」サブナショナルな組織の直接的な交流がしだいに拡大しつつある。かつては、地域が相互に必要とした「国家というかたい外殻」は、しだいにその必要性を減少しつつある。なおそれは、「経済政策」において必要な地域単位であるとはいえ、「国家の介入を必要としない」局面は徐々に拡大しており、その中でまた、世界の大きな部分の再編成がおこなわれつつある。(同前)
マクロ経済政策を除く国家の役割は失われつつある……。まるで1980年代以降の、ポストモダンの脱国家観やコミュニタリアニズム(共同体主義)を先取りしたかのような国家と共同体のイメージです。本作の「エピローグ」などで、家郷(ハイマート)の滅失に焦点が置かれるのも、その背景にかかる問題意識が控えていたということになります。そこで描かれているのは、単なるパトリ(情懐の祖国像)喪失の悲劇ではなく、グローバリズムの進行過程にあって、なお人々のアイデンティティを担保してきた家郷性や共同性までも根扱(ねこ)ぎにされてしまう極限状況でした。小松はこのフィクションをそのように設計したのです。
つまり、「山河」に象徴されるサブナショナルな〝くに〟の器、アイデンティティの揺籃(ようらん)すら失われてしまったときに、果たして「日本」は生き残れるのか……と。
こんな、長期を見通す視位に立って問題設定がなされたからこそ、本作は色褪せず、時代の移ろいに耐え、世紀を跨いで新たな読者を得ているのです。
了
続きはぜひ『いまこそ「小松左京」を読み直す』でお楽しみください。
プロフィール
宮崎哲弥(みやざき・てつや)
1962年、福岡県生まれ。評論家。相愛大学客員教授。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。専門は仏教思想・政治哲学。サブカルチャーにも詳しい。『仏教論争――「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)、『ごまかさない仏教――仏・法・僧から問い直す』(新潮選書、佐々木閑氏との共著)、『宮崎哲弥 仏教教理問答』(サンガ文庫)など著書多数。
関連コンテンツ