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宮沢賢治没後90年に読む、天体をめぐる賢治の生涯。

日本の天文学をけん引してきた天文学者、渡部潤一さんによる『賢治と「星」を見る』が刊行になります(2023年8月25日)。

 宮沢賢治ほどつかみどころのない人物はいない。
 渡部さんは、子どものころから『銀河鉄道の夜』をはじめとする賢治作品に魅了されてきました。数々の作品を読むうちに、鉱物、天体、文学、宗教、音楽、さまざまな分野にアンテナを伸ばす“賢治”その人に惹かれるようになったと言います。いったい宮沢賢治とはどういう人だったのだろうかと。

 『賢治と「星」を見る』は、渡部さんがアマチュア天文家時代からその知識の正確さに驚かされてきたという賢治の天文学識の奥深さを作品の中に見ながら、宮沢賢治という人の人生をたどり、その人物像を探ろうという試みです。

 宮沢賢治の名前を知らない日本人はいないと思いますが、代表的な作品以外を読んでいる人はそう多くはないかもしれません。本書はそんな人たちにとって、賢治ワールドへの入り口になる本です。また、星空を漫然と見上げるばかりというタイプの人にも、この本をきっかけに「星」の愉しみ方を知ってもらいたいという思いも込められています。

 これまでも、一般の人にわかりやすく天文知識を伝える役割を果たしてきた渡部さんが、9年の歳月をかけて書き綴った渾身の作品です。

 ここでは刊行を記念して、その一部をご紹介いたします。


(「旅のはじめに」より)
 旅に出ようと思う。
 足を使って、どこかに行く旅ではない。宮沢賢治の残した作品の宇宙や星空に関する記述をたどり、そこから賢治という人物をたどる思索の旅である。
(中略)
 作品を深く読みこめば、その人を知ることができる。その作品の魅力に惹かれて、これまで多くの人がこうした思索の旅に出て、賢治に触れてきた。
私は改めて先人たちと同じことをしようとは思っていないし、そんなことをしようとしても非力な私には無理だろう。それは多くの賢治研究者に任せることにして、先人たちが読み解いてきた論考を参考にしながら、私なりに星や月といった天文学の素材を通して、賢治の作品に触れる旅をしてみたいと思っている。
 たとえば、代表作である「銀河鉄道の夜」。天の川がよく見える田舎町に住む主人公は、銀河の祭りの夜、友人といっしょに天の川を下る鉄道に乗って、数々の不思議な体験をする。その物語の底流にあるのは彼の思想であることはもちろんだが、わき役あるいは物語の舞台となる宇宙の役割も大きい。そのうえ、登場する数々の星たちや星座に関する記述は、天文学者の目から見ても、かなり正確で、賢治の宇宙に関する知識が当時としては、半端なものではなかったことがわかる。
 知識に裏づけされて書かれた作品は「銀河鉄道の夜」に限らない。「双子の星」「月夜のでんしんばしら」あるいは「東岩手火山」などの詩にも、星や月が登場して、一定の役割を果たしている。賢治は宗教や農業だけでなく、天文学にもかなり造詣が深かったことは確かである。彼の人生をたどりながら、彼がいかにしてこうした知識を得て、それをどのように表現してきたのか。それを考えることで、彼に触れてみたい。彼の作品に出会い、感動した天文学者として、読者といっしょに、星めぐりの夜汽車に乗って、彼に会いにいこう。

(「第二章 教師、宮沢賢治の星空」より)
 かしはばやしの夜
 (前略)わき役でありながら、月が、変化する色や光り方で時間の経過を表現する重要な役どころとなって登場する童話が、「かしはばやしの夜」である。妙な絵描き(原文:画かき)とともに、柏の林に入りこんで、不思議な体験をするこの話は、現実からひょいと夢の世界に入り、そして最後に現実に戻るという、賢治の創作物語独特のパターンに沿っているだけでなく、賢治自身の星や宇宙への思いや体験の片鱗が見え隠れする作品だ。
 冒頭、主人公の清作が絵描きと出会い、あいさつをするところでは、

「えつ、今晩は。よいお晩でございます。えつ。お空はこれから銀のきな粉でまぶされます。ごめんなさい。」

と、「銀のきな粉」という表現で満天の星を表現する。そして、柏の林に入りこんだはいいが、招かれざる客とされた清作は柏の木大王と口論を始める。月が登場するのはその最中、絵描きが仲裁に入るシーンからである。 

「おいおい、喧嘩はよせ。まん円い大将に笑はれるぞ。」見ると東のとつぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしい桃いろの月がのぼつたのでした。お月さまのちかくはうすい緑いろになつて、柏の若い木はみな、まるで飛びあがるやうに両手をそつちへ出して叫びました。
「おつきさん、おつきさん、おつつきさん、ついお見外れして すみませんあんまりおなりが ちがふのでついお見外れして すみません。」 

 賢治は「桃いろ」の月の光に独特の力を与えている。やがて、柏の木大王も歌いだすのだが、そこに描かれる月の色は、最初に「ときいろ」、そしてやがて「みづいろ」になる。これは月の出直後には夕日と同じように赤みを帯びている月が、高度が高くなるにつれて次第に赤みを失っていくようすである。
 その後も物語が進むにつれ、要所要所に月が登場する。その記述はぜんぶでじつに十三回。月の光は、「ぱつと青く」なったり、「なんだか白つぽく」なったり、「青くすきとほ」ったり、「すこし緑いろに」なったり、ふたたび「青くすきとほつてそこらは湖の底のやうに」なったり、「真珠のやうに」なったりしていく。物語の最後には、「月はもう青白い霧にかくされてしまつてぼおつと円く見えるだけ」となる。
 ひと晩じゅう、星空のもとで過ごした人には経験があると思うが、実際、夜明けまえには大気が冷えて霧が出ることがある。そんな夜明けまえの霧に、月も星も隠されるさまを賢治はよく知っていたのだと思わせるラストである。
 賢治はこの作品全体の物語のリズムを、多様に変化する月の光にのせて整えようとしていたのである。


続きはぜひ本編にてお楽しみください!

目次
旅のはじめに
第一章 賢治の生きた時代へ
石っこ賢さん/理科少年と星空/中学生の賢治が見上げた星/詩歌への目覚め/文学と天文/さそりの赤い眼/星に見つめられて/賢治の信じる心/親友、保阪嘉内/傷心/帰郷
第二章 教師、宮沢賢治の星空
月夜のでんしんばしら/東岩手火山/かしはばやしの夜/烏の北斗七星/シグナルとシグナレス/雪渡り/水仙月の四日/よだかの星/永訣の朝/青森挽歌/冬と銀河ステーション
第三章 賢治、大地に根ざす
草野心平との出会い/心平への手紙/迷い道の苦悩/教職との決別/嘉内の影を追って/羅須地人協会の設立/大地と向きあう/理想を追いもとめて/理想と現実/揺れる思い/運命のいたずら
第四章 ふたたび石に向きあう
志を同じくする人との出会い/生きる意欲/ビジネスマン、宮沢賢治の誕生/猛烈社員の手帳/遺書をしたためて/雨ニモマケズ手帳/グスコーブドリの伝記
第五章 そして、宇宙へ
星座早見/幻想の世界への旅立ち/カムパネルラとの旅/天の野原/りんどうの花/はくちょう座/プリオシン海岸/鳥たちの星/アルビレオの観測所/四次元空間/わし座/神の国へ/幻想空間のりんご/からす座からくじゃく座へ/いるか座/ジョバンニと賢治/インディアン座/ふたご座/さそり座/ケンタウルス座/南十字星/天の川の向こう/石炭袋/もうひとつの「銀河鉄道の夜」、すばるの謎/カムパネルラとの別れ/現実世界の悲しみ/賢治、宇宙へ
旅の終わりに――あとがきにかえて

著者:渡部潤一(わたなべ・じゅんいち)
 天文学者、理学博士。東京大学、東京大学大学院を経て、東京大学東京天文台に入台。ハワイ大学研究員となり、すばる望遠鏡建設推進の一翼を担う。2006年に国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星という新しいカテゴリーを誕生させ、冥王星をその座に据えるなど世界的に活躍。自然科学研究機構国立天文台副台長を経て、現在は、同天文台上席教授。総合研究大学院大学教授。1960年福島県生まれ。日本文藝家協会会員。
2023年8月7日から11日まで福島県郡山市で開催された、国際天文学連合(IAU)の「アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議(APRIM=エイプリム)」 の組織委員長も務めた。

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