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三つの古記録から、平安時代の「リアル」が浮かび上がる――『平安貴族とは何か~三つの日記で読む実像』

 10月10日、NHK出版新書より『平安貴族とは何か~三つの日記で読む実像』が刊行されました。
本書の著者は、2024年大河ドラマ「光る君へ」の時代考証も務める歴史学者・倉本一宏氏。藤原道長『御堂関白記』、藤原行成『権記』、藤原実資『小右記』という三つの古記録を読み解き、この時代を生きた貴族たちのリアルな姿を明らかにしていきます。
 歴史の傍流として描かれることが多く、ともすれば誤解されやすい平安貴族。本書は、武士が台頭し不安定化する世情にあって、国のために周到に立ち回り、腐心しながら朝廷を支えていた彼らの実像に光を当て、その魅力を伝えます。2024年1月の放送スタートを前に、舞台となる時代背景や当時の人々の営みを知ることで、ドラマをより深く楽しめる一冊です。
 本記事では、同書の「はじめに」を公開します。


 世間では平安へいあん時代などまったく人気がなく、歴史学界でも長く平安時代は悪い時代であるとの評価がもっぱらでした。しかも、まれに平安時代の愛好者がいても、ほとんどは『源氏げんじ物語ものがたり』や『大鏡おおかがみ』『今昔こんじゃく物語集ものがたりしゅう』などの文学作品からイメージする平安貴族像を、実際の彼らの姿だと考える人がほとんどでした(小説や映画の陰陽師おんみょうじの姿を史実だと考える人すらいました)。

 平安貴族は遊宴と恋愛にうつつを抜かし、毎日ぶらぶらと暮らしている連中で、しかも物忌ものいみ怨霊おんりょうを信じて加持かじ祈祷きとうに頼っている非科学的な人間であると信じられてきたのです。草深い関東の大地から起ちあがった勇敢な正義の武士に歴史の主役を取って代わられるのも必然であると思われていたのです。
 この歴史観を象徴しているのが、NHKの大河ドラマでした。平安時代を扱ったものは、平将門まさかどを主人公とした一九七六年の「風と雲と虹と」、その次が前九年・後三年の役を扱った一九九三〜九四年の「ほむら立つ」、あとは平安末期の平清盛きよもりや源義経よしつねを扱った一九六六年の「源義経」、一九七二年の「新・平家物語」、二〇〇五年の「義経」、二〇一二年の「平清盛」があるだけでした。平安時代を扱っているとはいっても、いずれも主人公は武士で、そこに登場する貴族たちは、柔弱で狡猾な連中として描かれていました。

 しかし、二〇二二年五月十一日のことだったと、(各出版社からメールや電話が殺到したので)鮮明に記憶していますが、翌々年のNHKの大河ドラマ「光る君へ」が、紫式部むらさきしきぶと藤原道長みちながを主人公にするという発表があり、十三日にNHKからもメールが来て、私もそれに関わることになってしまいました。面倒な仕事だなと思いながらも、これは平安貴族の実像を世間に知らせる最後のチャンスかもしれないと心を奮いたたせ、大河ドラマの仕事を引き受け、この本も出版していただくことにした次第です。

 私の書く本ではいつものことですが、この本でも、『栄花物語えいがものがたり』や『大鏡』などの「歴史物語」、『今昔物語集』などの「説話集」といった文学作品を使わず、『御堂みどう関白記かんぱくき』『権記ごんき』『小右記しょうゆうき』など古記録という信頼できる一次史料だけを使って、千年も前の人たちのリアルな行動、また心の内や台詞まで、ありありと面白く再現することを目指しています。
 ちょうど『源氏物語』を書いた紫式部や『枕草子』を書いた清少納言と同じ時代には、藤原道長の記録した『御堂関白記』、藤原行成ゆきなりの記録した『権記』、そして藤原実資さねすけの記録した『小右記』といった優れた古記録が残されています。これらは出来事が起こった日か次の日に、修飾や創作を交えることなく記録された一級の一次史料です。

 現代に生きる我々は、例えば政治家やまして天皇が、かつてどのように行動したか、どのように話し、どのように考えたか知るよしもありません。しかし、古記録を読み解けば、それらがわかるのです。
 しかも、同じ時期に記された、これら三つの優れた古記録が残されています。同じ出来事について、三人のしゅが、三者三様に行動し、三者三様に記録しています。これらを読み解くことによって、千年前の出来事を複合的に再構成することができるのです。こんな素晴らしい史料が大量に残されている日本という国に生まれたありがたさを感じずにはおられません。

 ただ、古記録は「変体へんたい漢文」と呼ばれる和風の漢文で記録され、その文法も記主によって、また日によっても異なるという、なかなか近付きがたい史料です。しかし、これらを読み解くことができれば、当時の政治や経済、社会や文化、宗教などの具体的な様子が、リアルに再現できるのです。私はこれまで、古記録の訓読文を作成してウェブサイトで公開し(日文研「摂関期古記録データベース」)、また現代語訳を手に入りやすいかたちで公刊してきました。

 ところが私の力不足もあって、まだまだ古記録の魅力が世間に広まっているとは言えない状況です。この本では、『御堂関白記』『権記』『小右記』を解読することによって、この時代のリアルな姿をわかりやすくお伝えすることを目指しています。
 この本を読んで古記録に興味を持たれた方は、私の他の著作にも目を通していただければ幸いです。楽しい古記録の世界に、是非とも踏み入ってきてください。


続きは『平安貴族とは何か  三つの日記で読む実像』でお楽しみください。

倉本 一宏(くらもと・かずひろ)
歴史学者。1958年三重県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。著書に『藤原道長の日常生活』『戦争の日本古代史』『平安京の下級官人』(講談社現代新書)『蘇我氏――古代豪族の興亡』『平氏――公家の盛衰、武家の興亡』(中公新書)など多数。

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