宮島未奈『モモヘイ日和』第6回「百平さん改造計画」
24年本屋大賞受賞作『成瀬は天下を取りにいく』の作者・宮島未奈さんの新作小説が「基礎英語」テキストにて好評連載中です。「本がひらく」では「基礎英語」テキスト発売日に合わせ、最新話のひとつ前のストーリーを公開いたします。
とある地方都市・白雪町を舞台に、フツーの中学生・エリカたちが巻き起こすドタバタ&ほっこり青春劇!
「わしは、10 年前に交通事故で家族を亡くしたんだ」
百平さんの告白に、心臓がぎゅっとなった。さっきまでガヤガヤ騒いでいたおじいさんたちは神妙な顔をしてうつむき、会議室全体がしーんとなっている。
隣に座っているプリンスはさっきと変わらない様子だけど、百平さんの家族ってことはその孫のプリンスにとっても家族だったはずだ。一緒につらい別れを経験しているに違いない。
「あの日はよく晴れた日だった。あいつも早く散歩に行きたかったんだろうな。あまりに勢いよく飛び出すから、リードを手放してしまって……」
あ、家族ってワンちゃんだったんだ。前に迷い犬のクルミちゃんのこともかわいがっていたし、もともと犬好きだったと言われるとしっくりくる。それなのに交通事故でお別れするなんて、すごくショックだっただろう。
「あのときリードをちゃんと握っていればと、わしはさんざん自分を責めた」
百平さんが両手で顔を覆った。
「それからわしは、交通事故で失われる命がないようにと願うようになったんだ」
「百平さんの要望がきっかけで、中学校の前の横断歩道に信号機ができたんです」
白雪警察署の人が口を挟んだ。
「以前は信号機がなく、見通しの良い直線道路ということもあり、スピードを出しやすい道でした。信号機ができてから、スピード違反の車が減り、事故件数も減っています」
「それなのに、信号を守らない中学生が多くて困っている」
毎朝怒鳴っている百平さんの姿が思い浮かぶ。そんな悲しい過去を抱えて交通安全を呼びかけているのに、多くの中学生が信号無視をして横断歩道を渡っているなんて、さぞかし無念だろう。
わたしだって、これまで100 パーセント信号を守っているかというとそうでもなかった。まったく車が来る気配がない交差点で、赤信号なのに渡ってしまったことがある。それに、チカチカしている青信号を走って渡ることもあるけど、本当はだめなことなんだって気付かされた。
「信号を守るのは交通安全の基本だ。命を大事にするためには、そういう小さいことからコツコツ守る必要があると思うんだ」
「俺も、百平さんがいっつも信号を守れって言ってるからさぁ、横断歩道の赤信号で車が来ないときもちゃんと待つようになったよ」
一人のおじいさんが鼻の下をこすりながら言う。その隣にいるおじいさんも「俺も俺も」と手を挙げた。ここにいる人たちには百平さんの言うことがちゃんと伝わってるんだ。
「でも、じいちゃんは怒鳴りすぎなんだよ」
ここに来てはじめてプリンスが発言した。柔らかいけれどはっきりした声で、こんな声をしてたんだって思う。
「毎朝中学の前で『信号は守れ』『信号は守れ』って怒鳴ってても、みんな変なじいさんがいるなとしか思わないよ。そうだよね?」
プリンスがわたしに同意を求めた。まったくそのとおりだけど、正直に「はい」って言えるわけがない。
「いや、その、毎朝熱心だなって……」
わたしが慌てて答えると、プリンスはミサトのほうに視線を移した。
「えっと、わたしは、ちょっと怖いかな?」
ミサトが素直な意見を述べる。
「ほら、じいちゃん怖がられてる」
「だったらどうすればいいんだ」
百平さんはむすっとした顔でプリンスに言い返した。
「まず、怒鳴るのはよくないよ」
「そうよね。石田さん、信号を守れっていう主張はとても良いことなのに、中学生に届かないんじゃもったいないですよ」
水川さんが間に入ってくれた。
「しかし、小さい声で言っても聞こえないだろう」
たしかに、毎日ギャンギャン声を上げている百平さんはそれだけで目立つ。小さい声だったら、全然気にしていないだろう。中学生に信号を守らせるためには、大声で怒鳴る以外の工夫が必要そうだ。
「我々警察も、交通安全の啓蒙活動には困っているところです。交通安全標語コンテストや、駅や街頭で交通安全を呼びかけるキャンペーンをしていますが、なかなかつづきません。百平さんは毎日自主的にやっているわけですから、すごいですよ」
警察に褒められた百平さんは照れくさそうに笑った。いつもそんな笑顔なら怖くないんだけどな。
「普段から、もうちょっと親しみやすい感じにするのはどうでしょうか」
ミサトの発言に、わたしも「賛成です」と声を上げた。
「しかし、それではなめられてしまって、余計に話を聞いてもらえないのではないか」
「そういう考えは古いんじゃないかな。俺たち、優しい先生に対してそんなふうに思ったことないよ」
プリンスの発言に加勢するように、わたしとミサトはこくこくうなずいた。
「百平さん改造計画か。面白そうじゃねえか」
百平さんの隣に座っているおじいさんが言うと、笑いが起こった。
「やめてくれよ、80近いのに今さら何を改造するんだ」
「大丈夫、何歳からでもやり直せるわ」
参加者の一人であるおばあさんが言うと、おじいさんたちが「カツラをかぶったらどうだ」とか「背広にネクタイ締めてビシッと行こうぜ」などと盛り上がる。いつものジャージからスーツにイメチェンした百平さんを思い浮かべたら、ちょっと笑えた。
「見た目を変えるだけじゃあまり効果がない気がします。この件はもうちょっと時間をかけて考えたいので、次回までの宿題にしませんか」
水川さんの提案で、百平さん改造計画が「白雪町をよくする会」の宿題になった。
* * *
そのあとは水川さんが勤めるローズモールで売れている商品の話や、高齢者の健康づくりの話など、お菓子を食べながら和気あいあいとしゃべった。おじいさんたちも話しているうちに打ち解けてきて、わたしやミサトに話しかけてきてくれた。百平さんは基本的に怒った顔をしているから、やっぱりとっつきにくかった。
「今日は来てくれてありがとうね。二人が来てくれたおかげで、すごく明るい雰囲気になったよ」
終わったあと、水川さんから声をかけられた。次の会議は9月にあるので、都合がついたら参加してほしいとのことだった。
「百平さん改造計画ってちょっと面白そうだよね」
わたしが言うと、ミサトも「うんうん」と同意してくれた。
「百平さんがワンちゃん好きなのをもっとアピールできたらいいなって思ったよ」
「たしかに、クルミちゃんに対してデレデレだったもんねー」
わたしたちのすぐ前には会議に出席していたおじいさん集団が歩いている。
横断歩道の青信号が点滅しているのを見て全員立ち止まって、なんだか微笑ましかった。中学生もちゃんと信号を守るようになればいいのに。
信号が青になり、おじいさん集団に合わせてわたしとミサトも歩き出す。その脇を一台の自転車が追い越していった。
「バイバイ、またね」
プリンスがわたしたちに手を振ってくれた! わたしは思わず「バイバイ」とタメ口で返し、ミサトに至っては横断歩道で硬直して立ち止まっている。これで事故に遭ったら目も当てられない。わたしはミサトを引っ張って、横断歩道を渡りきった。
この続きは「中学生の基礎英語レベル1」「中学生の基礎英語レベル2」「中高生の基礎英語 in English」10月号(3誌とも同内容が掲載されています)でお楽しみください。
プロフィール
宮島未奈(みやじま・みな)
1983年静岡県生まれ。滋賀県在住。2021年「ありがとう西武大津店」で第20回「R-18文学賞」大賞・読者賞・友近賞をトリプル受賞。同作を含む『成瀬は天下を取りにいく』が大ヒット、続編『成瀬は信じた道をいく』(ともに新潮社)も発売中。元・基礎英語リスナーでもある。
イラスト・スケラッコ