最新著書『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』刊行に寄せて――友田明美
発売後反響を呼び、12万部を突破したNHK出版新書『子どもの脳を傷つける親たち』の著者・友田明美先生による待望の最新作『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』が2019年11月11日に発売予定です。脳研究に携わる小児精神科医の立場から、脳とこころを傷つけずに子どもと向き合う方法を最新の科学的知見に基づいて解説する本書。その一部を抜粋してご紹介します。
誰も救えなかった命
お父さんにぼう力を受けています。
夜中に起こされたり、起きているときにけられたり
たたかれたりされています。
先生、どうにかできませんか。
2019年1月、千葉県野田市の栗原心愛ちゃん(10)が自宅の浴室で死亡しました。
死因は、極度の衰弱とストレスと報じられました。数日前から十分な睡眠と食事を与えられず、事件当日も朝からずっと立たされ、真冬の寒さのなか肌着一枚の姿で、冷たい水を幾度となく頭から浴びせられていたといいます。
心愛ちゃんは日常的に身体的暴力をふるわれていた痕跡があり、あざの多くは腹部など衣服で隠れやすい場所に集中していました。その後の調べで、父親が数年にわたって心愛さんを虐待し続けていたこと、その事実を心愛さん自身が小学校のアンケート調査で打ち明けていたことがわかりました。それが、冒頭に引用した4行の言葉です。
「すべてしつけだった」
捜査のなかで、父親はそう説明したそうです。しつけであれば何をしても許されると思って幼い我が子にむごい行為を続けていたのでしょうか。
この事件では、数々の凄惨極まる虐待行為に加え、そばにいた母親がそれを制止できなかったこと、虐待事実を認識していた児童相談所が介入しきれなかったことも明らかになりました。
毎週1人以上、虐待で子どもが死んでいる
この事件より前の2018年3月、東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(5)が虐待死した事件も皆さんの記憶にあるはずです。結愛ちゃんは母親の再婚相手である父親から継続的に暴力をふるわれていました。各メディアは結愛ちゃんの愛らしい数々の写真とともに、結愛ちゃん本人が書いたとされる、
〈きょうよりか もっと あしたは もっと できるようにするから もう おねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします〉
というメモを繰り返し紹介するなど、センセーショナルにこの事件を取り上げました。
しかし、メディアが全ての虐待死事件を取り上げているわけではありません。目黒区の事件から野田市の事件が起きるまでの約10か月の間に、虐待によって命を落とした子どもはこのふたりだけではないのです。ご存じでしょうか、平均すると1週間に1人以上の子どもが虐待死している事実を。
厚生労働省が年度ごとに行っている子ども虐待の死亡事例等の調査によれば、2008年から10年間に心中を含む虐待が原因で死亡した子どもの数は869人、年平均86人にのぼります。2016年度に虐待死した子どもは77人(うち、心中以外の虐待死49人)、2017年度は65人(うち、心中以外の虐待死52人)でした。
実際は、この数よりも多くの子どもが虐待死している、と見る専門家もいます。
2016年に日本小児科学会がまとめた論文には、1年間に亡くなった子どものうち7パーセントは、虐待死の可能性を検証すべき状況にある、と書かれています。全国で1年間に死亡する子どもを約5000人とすると、そのうちの350人は「虐待死の可能性があり」、うち150人は「虐待死の可能性が極めて高い」というのです。これらの数字は厚生労働省が公表している人数と大きく乖離しています。
同学会は、医療機関や児童相談所、警察での情報共有が不十分であること、また、それぞれの機関によって虐待死の判断基準にずれがあることなどから、多くの虐待死が見逃されているのではないかと分析しています。
わたしたちが新聞やテレビ等で知ることになる虐待死事件は、実際に起きている事件のなかのごく一部と考えられます。そして、虐待死がこれだけ存在するということは、これに相当するような扱いを受けている子どもは多数いるはずです。
相談件数から見る虐待被害は氷山の一角
厚生労働省は毎年、「児童相談所での児童虐待相談対応件数」を公表しています。2019年8月1日現在の速報値によると、2018年度の相談件数は、15万9850件で、2017年度の13万3778件から大きく増加しました。統計を取り始めた1990年の1101件と比べると、約30年で145倍に増加したことになります。
この数字は、児童相談所に寄せられた相談件数を集計したもので、ひとりの子どもに対して複数回相談があった場合にどう処理しているかが不明瞭なため、虐待にあった子どもが15万9850人ということを表すものではありません。
しかし、年間の出生数が100万人を割る少子国・日本において、この件数は見過ごせません。厚生労働省は相談件数の増加の要因として、児童相談所全国共通ダイヤル(189)の周知が進んだことや、マスコミの事件報道により児童虐待に対する意識が高まったことを挙げています。隠れた虐待、これまで見て見ぬふりをされていた虐待が表面化することは、苦しむ子ども、孤立する親を救う機会につながります。
児童相談所への相談内容の内訳について見てみると、「心理的虐待」に関する相談件数が全体の半数を占めています。心理的虐待とは、暴言を浴びせたり、無視をしたりするなどの行為のほか、子どもの面前で行われる暴力行為などを指します。近年、家庭内暴力の事案に接した警察などが、子どもへの影響を考えて児童相談所に通告するケースが増えています。これは、子どもを傷つける行為は「身体的虐待」のみではないという認識が、公的機関にもしっかり根づいてきている証しだといえます。
しかし、相談や通告に至るケースは氷山の一角といえるでしょう。虐待は通常、人の目の届かないところで行われます。つまり、ここに挙げた数の何倍、何十倍の子どもたちが、いままさにどこかで傷つけられている可能性があるのです。
親を責めるだけでは解決しない虐待問題
小児精神科医として、こころの発達に問題を抱える子どもたちの治療や支援に30年間取り組んできたわたしは、児童虐待は2000年代に入り加速度的に増加しているという実感をもっています。全国どこの専門施設も数か月先まで予約で埋まり、診療そのものが追いつかないという現状です。ここまでくると児童虐待は「社会現象」といってもいいかもしれません。
痛ましい事件を耳にしたとき、世間の怒りの矛先は加害者はもちろんのこと、児童相談所や警察、教育関係者などに厳しく向けられます。わたし自身も医師である前にひとりの人間として、表現しようのない痛みと悲しみ、そして憤りを感じます。しかし、怒りの感情をもつだけでは虐待問題は解決できません。
医師になりたてだったころ、親や保護者、ときには学校関係者(以下、「親」という言葉に集約しますが、子どもの養育・保護・教育にかかわる大人を含みます)によって傷つけられた子どもを目の前に、自分の感情をコントロールすることができず、診療のなかでその人たちを責めてきました。しかしあるとき、自分のなかに「親への視点」が欠けていることに気づいたのです。大人は子どもを死に至らしめるほどの腕力と知能をもっています。そのことを知りながらも子どもを傷つけてしまう親の脳とこころには、何らかのトラブルが生じていることが推測できます。詳細については本書のなかでお伝えしていきますが、こころに傷を負った親たちを支援し、必要に応じ適切な治療を施していくことこそが、子どもを守ることにつながると、いまのわたしは確信しています。
親の脳とこころに健やかさを取り戻す方策
2017年に刊行した『子どもの脳を傷つける親たち』では、不適切な養育が子どもの脳におよぼす悪影響を伝えました。本書では子どもと日々接する「親の脳」にも焦点を当てていきます。書名を『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』としたのは、こころに傷を抱える親に寄り添いサポートし、治療することの重要性を日々感じているからです。
第1章では、成長期にある子どもの脳に過度なストレスがおよんだときの脳変化と、その後、心身に表出する症状をお伝えします。前著をお読みくださった方にとっては前半の一部がおさらいとなります。
第2章では、虐待を受けた経験をもつ人が親になったとき、子育ての壁にぶつかり我が子を傷つけてしまう「虐待の世代間連鎖」のメカニズムに触れます。親のこころの傷が実際どのようなかたちで親子の関係を脅かすのか、そして親子にはどのような治療を施していくのかを、ケーススタディーを交えながら詳細に見ていきます。なお、本書のなかで取り上げる事例は、個人が特定されないよう細部にアレンジを加えてあります。
そして、本書の中心となる第3章では、虐待の世代間連鎖を断ち切る方策や治療法を最新の科学的知見を用いて考察していきます。
第4章では子どもの健やかな発達のために脳科学には何ができるのか、親支援に関してわたしたちが日々取り組んでいる活動や最新研究をご紹介します。
巻末には、わたしが尊敬する児童精神科医の杉山登志郎先生との対談を収載しています。発達障害研究の第一人者で、トラウマ治療の権威である杉山先生から、子どものこころの臨床現場の現在と親子併行治療について貴重なお話をうかがいました。
本書を執筆中、鹿児島県出水市で大塚璃愛來ちゃん(4)が死亡し、母親の交際相手が逮捕されました。深夜帯にひとりで外にいるところを複数回保護され、身体には暴行のあとがあったことが事前に確認されていましたが、虐待と認識されておらず、また尊い命がひとつ失われました。出水市長は記者会見を開き、「不適切な対応があった」と謝罪。しかし、璃愛来ちゃんは戻ってきません。無念のひとことです。
わたしたち医師にできることにはかぎりがあります。本書を手にとってくださった方が、子どもを守るために大人ができることを一緒に考えてくださることを願います。
了
プロフィール
友田明美(ともだ・あけみ)
小児精神科医。医学博士。福井大学子どものこころの発達研究センター教授。熊本大学医学部医学科修了。同大学大学院小児発達学分野准教授を経て、2011年6月より現職。福井大学医学部附属病院子どものこころ診療部部長兼任。2009─2011年および2017─2019年に日米科学技術協力事業「脳研究」分野グループ共同研究日本側代表を務める。著書に『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版新書)、『新版 いやされない傷』(診断と治療社)、共著に『虐待が脳を変える─脳科学者からのメッセージ』(新曜社)などがある。
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