ピラフはチャーハンか? 焼き飯、ビリヤニは? そして源流は?(料理人・文筆家、稲田俊輔)【2/4話】
第1話に続き、料理人・文筆家の稲田俊輔さんの「心に残るチャーハン」を伺います。もう一つは学生時代に京都で食べた「焼き飯」だとか。「焼き飯」と「チャーハン」は違う? 「ピラフ」は? 謎だらけの、その「源流」は? インド料理にとどまらず、博覧強記で知られる稲田さんと地球をぐるっと巡ります。
■もう一つの「心に残るチャーハン」は、学生時代に京都で食べた「焼き飯」
──稲田さんには「心に残るチャーハン」が二つあるというお話でした。第1話では台湾の「鹹蛋炒飯」について伺いました。二つ目は?
学生時代にバイトしていた、京都の喫茶店で食べた「焼き飯」ですね。
初めてウスターソースをかけて食べました。
──どんな「焼き飯」でしたか?
具はハムや玉ねぎ、マッシュルーム、ピーマンとか。ナポリタンと一緒です。
マーガリンで炒め、しょうがじょう油の風味づけがされていました。
──初めて食べた時、どうでした?
ウスターソースをかけることを含め、知っているようで知らない味でした。
京都の人にとって「焼き飯」と「チャーハン」は別の食べものなんだろうと、この時思いましたね。
──ご出身の鹿児島は?
鹿児島はわりとごっちゃな感じでした。同じ料理を「チャーハン」と呼んだり、「焼き飯」と呼んだり。
──「チャーハン」と「焼き飯」は、京都でどう分けられていましたか?
「焼き飯」は洋食文脈の「炒めご飯」で、「チャーハン」は中華料理文脈という感じです。
ただ、元をたどると洋食と中華って、わりと一緒くたで。明治や大正の庶民的な店では「看板メニューは『カツライス』と『しゅうまいライス』です」みたいな具合でした。だから多少の混淆はあると思います。
──連載2回目に登場いただいた、大阪の漫才師のギャロップ・林健さんも、チャーハンにウスターソースをかけて食べると話されていました。またお母さんの作るチャーハンは、チャーハンというより「焼き飯」。喫茶店の「ピラフ」に近かったとも話されていました。
それはまさに関西の感覚ですね。
──でも、「ピラフ」に近かったというのが実はよくわかりませんでした。
ピラフとチャーハンは違いますよね? ピラフは米を炒めて炊き込むご飯で、チャーハンは炊いたご飯を炒める。
喫茶店のピラフは、炊いたご飯を炒めて作ってますよ。
だから家で作る「焼き飯」と喫茶店の「ピラフ」が近いのは当然です。
──えっ!? でも、それは「ピラフ」でなく「チャーハン」では? お客さんは、炒めたピラフが出てきたら「注文と違う」と怒ったりしないんですか?
いやいや。むしろ炊いたピラフが出てきたら、お客さんは物足りなく感じると思いますよ。店のオペレーションを考えても、いちいち炊き込んでいられないし意味がない。
西洋料理のチキンライスが、洋食屋のメニューになったら炒めるようになったのと同じです。
■『青べか物語』の「玉ねぎライス」に感動
──関西では、洋食系の「炒めご飯」が「焼き飯」「ピラフ」と呼ばれているということですね。
呼び方は、実はもう一つあるんです。山本周五郎の小説『青べか物語』に出てきます。
──『青べか物語』は、うらぶれた漁師町を舞台にした小説ですね。周五郎が昭和初期に過ごした、千葉の浦安がモデルになっているという。
「もくしょう」という一編なんですけれど、洋食屋の娘と寡黙な船乗りが恋仲になります。ところがちょっとした行き違いがあって、娘は船乗りを捨てて他の町に嫁に行く。一年ほどで夫と死別し、幼子を連れて実家に戻って来るのですが、船乗りに復縁を迫りに来てこう言います。
──「ライス」ですか。
そうなんですよ。「ライス」という言葉が、「洋食の炒めご飯」の総称として扱われていることに僕はすごく感動しました。
この「玉ねぎライス」は素朴なまかない料理かもしれません。ウスターソースがきっと合うと思うんですよね。
■謎だらけの「チャーハン」の源流。「ピラフ」「ビリヤニ」と一緒?
──チャーハンの大元をたどると、その起原は謎だらけで確かな情報がほとんどありません。一説に「プラーカ源流」説があります。
スープで炊いたご飯を炒める古代インドの「プラーカ」が西に伝播して「ピラフ」や「パエリア」、インドの「プラオ」などになり、東に伝播して日本の「焼き飯」「チャーハン」になったという説です。稲田さんはどうご覧になりますか。
私見ですが、ピラフの源流は中東で、ビリヤニもパエリアもその系譜だと思います。チャーハンの本質は「残りご飯の有効活用」であり、全く別の系譜ではないかと。
──ピラフなどの源流は、インドでなく中東?
一番の大元にあるのは、中東や中央アジアの「ポロ」「プロフ」といったイスラムの炊き込みご飯で、それがイスラム勢力の拡大に伴って、インドやパキスタンに伝わって「プラオ」「ビリヤニ」になり、ヨーロッパで「パエリア」「ピラフ」が生まれたと僕は考えています。
「パエリア」というとムール貝やエビと炊き込んだものをイメージする人が多いと思いますが、それは近年できたもの。もともとは肉料理でした。肉が主役で、そのすき間を米で埋める感じです。
で、その「パエリア」と「ビリヤニ」がとても似ているんですよね。ひょっとすると途中まで一緒の系譜で、分岐した可能性もあるかもしれません。
ちなみに、エリックサウスではビリヤニを「インド式スパイシーパエリア」と説明しています。
──味付きご飯の料理は3タイプに大別されるのではないかと思います。①具とスープで炊く「炊き込みご飯」方式。②具と米を炒めてからスープで炊く「ピラフ」方式。③炊いたご飯を具と炒める「チャーハン」方式。
「パエリア」「ピラフ」は米を炒めますが、「ビリヤニ」「プラオ」は炒めませんよね?
「米を炒めるかどうか」は、あまり大きなポイントではないと思います。
お話しした料理に共通するのは「肉」です。「肉と米」を同時に調理することが一番のポイントです。
当時はコンロが何口もありませんでしたし、火力も簡単にコントロールできなかった。そうした中で食べられる状態にするには、一緒に炊くのが一番合理的です。
で、最初に肉を炒める。これが鉄則です。
そのあと米を加えます。その時に手癖で全体をならすために一緒に炒めたかもしれないし、ただザバッと入れてそのまま炊いたかもしれない。その程度のことです。
それに、中東の伝統的なポロは油の量が半端なく多い。食べ終わった後に、皿に「油の海」ができるほどです。そうでないと失敗で、ケチくさいと見なされてしまう。
だから、米をわざわざ炒めなくても油は十分に回ります。それがヨーロッパに渡って油の量が減り、米に油をまとわすために炒めるようになったことは考えられます。
とはいえ、パエリアにしても必ず米を炒めるかというと、そうとは限りません。だから、米を炒めるかどうかをそんなに大きく捉える必要はないかと思います。
■チャーハンは「残った冷やご飯再生」の系譜
──そして「チャーハン」は「ピラフ」「ビリヤニ」などとは全く別の系譜で、「残りご飯の有効活用」の系譜だということですね。
「残った冷やご飯」の再生法として、日本はウォーターベースの文化なのでお粥や雑炊に。中国は昔はウォーターベースでしたが、そのあとオイルベースになりチャーハンが。そして韓国では石焼きビビンバが作られたのではないかと見ています。
僕の中では「雑炊・チャーハン・石焼きビビンバ」は一緒のカテゴリーです。
──ありがとうございました。京都の喫茶店から始まって、中東、インド、ヨーロッパから日本、韓国まで。地球をぐるっと巡りました。
※次回・第3話では、稲田さんが子どもの頃食べていた「原点となるチャーハン」や、「私たちが食べているのは日式チャーハンか」など「町中華のチャーハン」について伺います。
←第16回(稲田俊輔さん「第1話」)を読む
第18回(稲田俊輔さん「第3話」)に続く→
◆連載のバックナンバーはこちら
◆プロフィール
料理人・文筆家 稲田俊輔
鹿児島県生まれ。京都大学在学中より料理修業と並行して音楽家を志すも、飲料メーカー勤務を経て、友人とともに円相フードサービスを設立。インド料理のほか、和食、フレンチ、洋食などさまざまなジャンルのメニュー監修や店舗プロデュースを手掛ける。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。南インド料理とミールスブームの火付け役となる。2023年『ミニマル料理』(柴田書店)で料理レシピ本大賞「プロの選んだレシピ賞」を受賞。近著に『料理人という仕事』(ちくまプリマー新書)、『現代調理道具論』(講談社)、『異国の味』(集英社)など。
取材・文:石田かおる
記者。2022年3月、週刊誌AERAを卒業しフリー。2018年、「きょうの料理」60年間のチャーハンの作り方の変遷を分析した記事執筆をきっかけに、チャーハンの摩訶不思議な世界にとらわれ、現在、チャーハンの歴史をリサーチ中。
題字・イラスト:植田まほ子