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【著者インタビュー・後篇】どの会社でも行われる「社員研修」と、大正時代の「教養ブーム」が、もとは同じもの?! 著者インタビューの続きを公開

先月末に発売されて好評の『「修養」の日本近代 ――自分磨きの150年をたどる』の著者・大澤絢子さんは、かつて大手保険会社に就職した際、手渡された本に違和感を覚えて研究の道に進み、「修養」という“鉱脈”に出会いました。明治初期から現代まで、日本社会の中で形を変えながら続く「修養」の歴史をたどる力作について、今回は「意識高い系」を糸口にインタビューを進めます!

前回から続く)
――ビジネス書とオンラインサロンについて、ちょっと細かいかもしれませんが質問させてください。ビジネス書には、時間の管理や、効率性の追求、メンタルを強くするための方法など、働く人のヒントになるものがたくさんあります。でもこれは令和や平成の働き方で重視されるものであって、昭和、ましてや明治や大正の時代にそういうものはなかったのではありませんか? モーレツとか、根性とか、飲ミニケーションとか、そういう文化は、修養と関係あるのでしょうか。

 関係しています。効率の良い時間の使い方や余暇の過ごし方、職場での人付き合いといった、働くための処世術も修養文化なのです。
 現代のサラリーマンの原型のようなものは、明治期に誕生しています。明治30(1897)年に創刊された『実業之日本』(1964年から『実業の日本』。2002年休刊)でも、明治の終わり頃には職業の選び方や目上の人との付き合い方などが指南されており、『処世大観』(1905年)といった処世術に関する特集号も発行されました(写真)。

「大衆雑誌」と呼ばれた『実業之日本』の読者の多くは、工場などで働く青年たちでした。金銭や社会的地位のためではなく、与えられた環境で、彼らが働きながら自分を磨き、高めていけるよう導いたのが新渡戸稲造です。エリート知識人の新渡戸は、この雑誌を通して、働くノン・エリートたちに同情や克己心(自分に打ち勝つ心)を持って生活することなど、さまざまな修養法を語り続けたのです(写真)。

――そうすると、修養というのは働く男性向けであって、主婦が多かった女性向けではない気がしますが、そのへんはどうなのでしょうか。

 修養がすべて男性たちのものというわけではありません。大正期以降、『主婦之友』などの女性雑誌でも、女性たちの修養についてさまざまに説かれています。良妻賢母として内助の功を尽くすよう説くものや、男性と同じように女性も立身出世を目指すべきといった、多様な修養論がありました。
 戦後になると、主婦の日常生活が大きく変化します。1960年代以降、家電製品の普及により主婦の家事負担が軽減され、彼女たちはそれによって生み出された時間を自分の成長のために使えるようになったのです。これは、女性の修養を考えるにあたってとても重要な転機だと思っています。
 家庭の電化の立役者は松下幸之助であり、彼が世に送り出した家電製品は、主婦たちに読書や自分磨きの時間を提供しました。時間に余裕ができ、向上心を抱えた女性たちを家庭用清掃用具のレンタル訪問の担い手として取り込んだのがダスキンです。
 このように女性の視点に立てば、また違った修養の系譜が見えてくるでしょうね。

――「意識高い系」とか「意識が高い」という言葉があって、時間の管理やビジネススキルに積極的な態度について使われることがあります。明治時代から日本人は「意識高い系」だったのでしょうか? これに関連して、本の帯には「何が『働くノン・エリート』を駆り立てたのか」とありますが、ノン・エリートこそ「意識が高かった」ということになりますか?

 「意識高い」が意味するところは、自分を高めることに意識的かどうか、といったことかと思います。自分を高めることと、働き方は必ずしも直結するものではありませんが、日本ではそれが会社での働き方に取り込まれていきました。
 「意識高い」エリートもいるとは思いますが、「意識高い」ことがノン・エリートの働き方として積極的に評価され、職場での処世術や人付き合いといった独自の文化を形成してきたことが近代日本の修養を考えるにあたって重要だと考えています。

――今さらですが、エリートとノン・エリートはどこで分かれるのでしょうか? 明治と今とはまた違うかもしれませんが。

 大学に進学できる人数がかなり限られていた戦前期には、「大卒のエリート」と「そうでないノン・エリート」という分かりやすい図式がありました。とりわけ帝大は、大正になって制度が大きく変更されるまで全国にわずかしかない稀有な大学であり、帝大卒は正真正銘のエリートでした。当時の私立学校は、「大学」と名がついていても、専門学校の位置付けでした。
 その後の制度改革によって、私立大学や帝大以外の国立の学校も「大学」となりますが、現在のように多くの大学が存立するようになるのは戦後になってからです。そして大学進学率が上昇するようになると、「エリート」と「ノン・エリート」の区分は容易にできなくなっていきます。
 エリートかそうでないかは、学歴や出身校である程度分けることができるかもしれません。しかし、そのほかにも現在の年収や職業、親の社会的地位や財産の額、交友関係に趣味趣向など、複数の要素から判定する必要があるでしょう。周囲が「あの人はエリートだ」と思っていても、本人にその自覚がない場合もありえます。
 とは言え、曖昧ながら「エリート」と「そうでないノン・エリート」の区分が現代においても存在していることは確かだと思います。そのうち「ノン・エリート」の日常と密接に結びついてきたのが修養なのです。

(撮影:丸山光)

――では、違う角度からお聞きします。帯に二宮金次郎の絵を使った理由は何でしょう? 二宮金次郎は江戸時代の人ですよね?

 帯に使用したのは、昭和13(1938)年刊行の『講談社絵本』シリーズの表紙(復刻版)で、伊藤幾久造が描いたものです。かつて講談社は『キング』という国民的大衆雑誌を発行しており、この雑誌は「青年修養訓」などを掲げて修養を前面に打ち出していました。講談社は修養文化の重要な担い手の一つであり、この絵を選びました。
 理由はもう一つあります。修養は、明治になって普及した考え方ですが、それ以前の日本にも似たようなものはありました。だからこそ修養は広く受け入れられ、150年も続いてきたと言えるでしょう。
 二宮尊徳として有名な二宮金次郎の思想は報徳思想と呼ばれ、修養の精神性とも密接に関係しています。金次郎は、日常的な心がけによる自己形成や自己鍛錬という考え方が、前近代から近代へと繋がっていることを示唆する存在でもあります。それに、薪を背って勤勉に「働くノン・エリート」の金次郎は、本書のイメージにぴったりだと思ったのです。

――報徳思想というのはどういうものでしょう。

「至誠」を基本に、「勤労」「分度」「推譲」の実行を重視する考え方です。誠を尽くして労働に勤しみ、無駄をなくして贅沢をせずに生活する。その結果生まれた剰余は他に譲るといったことを根本とします。
 自発的な勤勉、倹約、忍耐、孝行、早起き、粗食などの徳目は通俗道徳と呼ばれ、尊徳や石田梅岩の思想はその代表的なものとされます。通俗道徳が説く生活態度と経済の問題の結びつきは修養にも見られ、自助努力や自己向上が成功や金銭と結びつけられていきます。

――日本人は昔から勤勉だったという話を聞いたことがあります。

 どれくらい「昔」からか、はっきりとは断言できませんが、日頃からの心がけの大切さを説く通俗道徳は、18世紀から19世紀頃の日本社会を生きる人々の生活規範であったとされます。
 歴史学者の安丸良夫が説いたように、幕末から明治初期の日本において、急速に発達する資本主義経済を裏で支えたのは通俗道徳だったとされます。通俗道徳に即して考えれば、ある人が貧乏なのは、その人が勤勉でないから、ということになります。
 経済の構造的な変化にともなう貧困や矛盾を、個人の生活態度だけですべて解決するには限界があります。それでも、通俗道徳は、明治初頭までの日本社会が抱えるさまざまな矛盾を見えなくさせ、人びとは貧しさから抜け出すために自主的に生活態度を改め、道徳的に振る舞い、努力を続けました。
 近世社会で醸成された通俗道徳の抱えるそのような問題を、近代になって普及した修養という考え方を切り口に現代の具体的な事象に照らして考えてみることも、この本で目指したことの一つです。

――ありがとうございました。最後に、今後の研究についてのお見通しがあれば伺いたいです。

 気になっているのは女性の修養です。本書では働く男性たちが主として登場することになりましたが、そのすぐ近くには家や会社などで働く女性たちがいたはずです。また、「働く」以外の女性のさまざまな生き方を含め、女性たちの人生に修養がどのように入り込んできたのか、男性の修養との共通点や違いなども明らかにしてみたいと思っています。

何が「働くノン・エリート」を駆り立てたのか?
明治・大正期に、旧制高校・帝国大学を出るようなエリートになれなかった多くの人々、昭和期にサラリーマンとして会社で「研修」に励んだ人々、平成以降の低成長期に、自己啓発産業やビジネス書の消費者となった人々ー。彼らが拠りどころにしたのは、あくなき「自己向上」への意欲だった。
本書は、「教養」として語られがちな、自己成長のための営為が実は明治初頭から宗教の力を借りて社会に広く行きわたり、近代日本の社会を根底で支える水脈となっていたことを示す。時代ごとに違う形で花開いた、「自己向上」にまつわる大衆文化の豊かさ、切なさ、危うさに触れながら“日本資本主義の精神”の展開史を描き出す、気鋭の力作!

目次
序章 「自分磨き」の志向
第一章 語られた修養 ――伝統宗教と〈宗教っぽい〉もの
第二章 Self-Helpの波紋 ――立身出世と成功の夢
第三章 働く青年と処世術 ――新渡戸稲造と『実業之日本』
第四章 「経営の神様」と宗教 ――松下幸之助の実践
第五章 修養する企業集団 ――ダスキンの向上心
終章 修養の系譜と近代日本――集団のなかで自分を磨く

プロフィール
大澤絢子(おおさわ・あやこ)

1986年、茨城県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒業、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了、博士(学術)。龍谷大学世界仏教文化研究センター、大谷大学真宗総合研究所博士研究員などを経て現在、日本学術振興会特別研究員(PD)・東北大学大学院国際文化研究科特別研究員。専門は宗教学、社会学、仏教文化史。
著書に『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』(筑摩書房)、共著に『知っておきたい 日本の宗教』(ミネルヴァ書房)、『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)、監修書に『親鸞文学全集 〈大正編〉』第1―8巻(同朋舎新社)、論文に「演じられた教祖――福地桜痴『日蓮記』に見る日蓮歌舞伎の近代」(『近代仏教』第29号)などがある。

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