わたしたちはもっと怒るべきなのかもしれない――「ことぱの観察 #16〔めまいと怒り〕」向坂くじら
詩人として、国語専門塾の代表として、数々の活動で注目をあびる向坂くじらさん。この連載では、自身の考える言葉の定義を「ことぱ」と名付け、さまざまな「ことぱ」を観察していきます。
めまいと怒り
ニランジャン・バネルジーというインドの詩人と共演したことがある。ニランジャンはかの有名なタゴールの精神を継ぐアーティストであり、タゴール館の館長でもあるという。共演のあと、わたしはどうしてか彼と親しくなり、吉祥寺のあんみつ屋さんでお茶もしたし、来日に合わせておこなわれた書の展示も見に行った。タゴールもニランジャンも日本の文化を愛していて、強く影響を受けているという。ニランジャンの書はベンガル文字で書かれてある。知らない文字が和紙に墨で書かれているのもおもしろかったし、意味がわからなくても伝わってくる迫力があった。
展示会場で会ったニランジャンは、軽いしぐさで壁にかかっていた書作品をひとつ取り、わたしに手渡した。つたない英語でわけを聞くと、なんとわたしにくれるのだという。いっしょに見ていた知りあいの詩人、村田さんもほかの一枚をもらっていて、どうやらそれぞれに合うものを選んでくれたみたいだった。わたしにくれたその作品は「怒り」と書いてあるのだとニランジャンは言った。ベンガル語の「怒り」はラァグと発音するらしい。ラァグ。
「それはなんて書いてあるんだって?」と村田さんに聞かれてそう話すと、村田さんは腹をかかえて笑った。むっ、なんだいなんだい、という気持ちになる。言うまでもなく、わたしの素行をよくよく知った上で、似合う、似合うと笑っているのだ。むむっ。反撃半分で聞きかえす。
「じゃあ、村田さんのはなんて書いてあったんですかっ」
「『かかし』だって」
「かかし……?」
思ったよりも単語の範囲が広くてひるんでしまった。感情のなかから怒りが選ばれたのではなく、ノージャンルのなかから怒りが選ばれたのか。「かかし」もまた村田さんの気に入ったみたいで、ぴったりじゃん、最高だよ、と言ってなおも笑う。
もう四、五年前のことになるけれど、いまでもその作品は大切にとってある。ときどきながめると、やっぱりふしぎな気持ちになる。ラァグ、怒り。気まぐれみたいにわたしのところに訪れた、理解のできない言葉。
確かに素行は悪い。怒っては縁を切られ、ときに切り、切らないまでも気まずくなり、停学になり、長いブログを書いたらへんに拡散されて今度は気に病み、いろんな人に叱られてきた。「短気は損気」と書いて待ち受けにしていたことさえあったけれど、たいして役には立たなかった。
怒るとき、わたしはいつもあきらめている。どんなときもなるべくなら怒りたくないと思っている。けれどわたしの肉体というのはあまり融通がきかず、すぐに涙が出たり、手がふるえたりしてしまって、そうするとなにごともなかったようには終われない。それで、ああ、もう怒るほかないのか、とうなだれながら怒るのだ。
そのときはとくにひどかった。居酒屋で、隅のテーブルに座っていた。わたしはすでに泣いていたし、発する言葉という言葉がはじめの一音で吃った。少年期にできた吃音ぐせは、すっかりいなくなったと見せかけて、いまでも不意に顔を出す。話す準備ができていなかったときや、過度に感情が昂ったときなんかに。それが来たのだ。同じく吃音の傾向のある友だちと話したところによれば、人によって得意な音と苦手な音とが違うらしい。友だちはkの音が苦手で、わたしはnとdの音が苦手である。そうして日本語というのはやっかいなことに、なにかをたずねたいとき、ほとんどnかdを発声しないといけないようにできている。どっちですか、何階ですか、どうしたらいいですか。だからそのときも舌が、d、d、dのところで詰まった。言いなおそうとするうち涙が出てきて、同じテーブルについていた人たちは息継ぎみたいに押し黙り、こちらに注目した。だからもう、怒るほかない、と思った。吃ったときは語順を入れ替えて、苦手な音を文頭から外すのがいい。それで口から出たのは、こんな言葉になった。
「……社会の、社会の厳しさを勝手に教えようとして、厳しくふるまうことが、つぎの社会の厳しさそのものになるということが、どうして、わからないんですかっ」
しゃべっているあいだも頭のなかでは、後回しにされた「どうして」が、ずっと貼りついていた。くりかえし詰まるd、d、dはみんな、どうして、どうして、どうしてだった。会社の飲み会だった。上長が店員の女性に対してばかにした態度をとり、わざと知識を試して困らせるようなふるまいをしたり、個人的なことを聞き出そうとしたり、ということをくりかえしたのだった。女性は新人で、まだアルバイトをはじめて数日であるという。はじめから何度も「やめてください」「すごいイヤな言い方!」「ほんとにイヤです!」と言ってはいたけれど、聞き入れられない。そのときはまだ怒らずにすませたいと思っていたけれど、「いじめてるんじゃないよ。これも教育だから。こうやって社会の厳しさを学ぶんだよ」と言われたところで、もうだめだった。会社の事業のうちには、教育も入っていた。
わたしが怒鳴った瞬間、お店にいた人たちがみんなこちらを見た。わたしはもう息が上がり、机に乗せた握りこぶしはふるえて、ひどく無様だった。そのとき、これまで血の出るほど反復してきた、「どうして、あのとき怒らなかったのか?」「どうして、あの場で声を荒らげるひとりになることができなかったのか?」という後悔がついに、ついに果たされたのだった。そしてそれは、全くわたしの思ってきた形にはならなかった。怒ったことは本当になんにもならなかった。上長は不快そうな顔をしたあと、まずわたしが怒鳴ったことをとがめ、内容に関しては自己弁護さえしなかった。さっきまで一緒に上長をたしなめていたほかの女性社員も上長と一緒になって、わたしの、そして怒るという行為の未熟さについて話をした。もっと悪いことにはもしかしたら、当の女性のことまでみじめな気持ちにさせてしまったかもしれない。
そうして、あのとき怒ればよかったな、と思ってきたことのすべてが、本当はそれよりさらにどうしようもなかったのだと思った。これまで血の出るほど反復してきた、あのとき。またほかの会社の飲み会で、先輩が「海外の風俗に行くと金銭感覚が違うから王様あつかいしてもらえておもしろいよ」と話していたとき、仕事で会ったはずの相手に何度も手を握ろうとされたとき、そこにいない人が「あいつ障害でしょ」と言われているのを聞いたとき。そのいずれも、わたしが怒ったとしてもきっと、なんともならなかったに違いない。
怒るときわたしはいつも、すでに怒っている。手がふるえ、声が詰まりながらも出てこようとするより前から、目に見えない怒りがすでに生まれている。そうしてその怒りを、怒れないまま見逃すことも、あきらめて怒ることもある。けれどどちらも役に立たないのなら、生まれてしまった怒りを、一体どうしたらよいのだろう。
ある朝起きたら、目のピントが合わなくなっていた。遠くを見ていても寄り目をしているときみたいに目が痛むし、立ち上がると頭がくらくら揺れる。そのうちひとりで車酔いみたいになってくる。これはよくないと病院に行ったら、良性発作性頭位めまい症、ついでに眼精疲労と診断された。原因はおそらくストレスと液晶、ようは考えすぎと書きすぎということである。
良性、というのは人を安心させるよい響きだが、わたしはげんなりしていた。知っている病名だ。肘かけに半身を預けるようにしてソファに座っていると、症状はいくらか楽になる。目をつむるとさらに。まぶたの裏には光のあとが記憶みたいにもにゃもにゃ名残って、わたしは思う。
これか、めまいというものは。
「めまい」という言葉は、身体から来る症状だけではなく、精神的なリアクションのことも連想させる。フィクションのなかでめまいはしばしば、なにか信じられないことが起きたり、恐怖を感じたり、あまりにもひどいことを言われたりしたときの描写として登場する。代表的なのはおそらくヒッチコックの映画、その名もストレートに「めまい」で、高所恐怖症の男がめまいを起こすシーンが劇中にたびたび登場する。景色が勢いよく引き延ばされていくような映像が印象的で、六十年以上前の映画だが、使われた撮影技法が今も「めまいショット」と呼ばれるという。
わたしはさほど映画に詳しくないので、それがどれほどすごい技法なのかはわからないけれど、めまいというものが主観で描かれることには惹かれる。人物の姿を外がわから眺めてきた観客の目線がその瞬間だけ男の目線に移り、共にめまいを経験するのだ。現実を生きていては、こんなことはありえない。他人の身体に起こっていることは、あくまで外がわから眺め、類推するしかない。
良性発作性頭位めまい症は、母の持病だった。わたしが少年期に差しかかり、中学校の教師からの電話や呼び出し、反省文の請求が鳴り止まなくなるにつれて、母はよく寝込むようになった。寝室へもぐっていくとき、母はきまって言った。なにかこちらの神経にさわる、過度に細い声で。
「ごめんね、ママ、めまいがするから、今日は寝るね……」
良性、のふた文字は、そのときはそこまでわたしを安心させなかった。それまでおおむね元気だった母が、リビングの明かりをつけたままで動物のように巣穴に戻ってしまうと、なぜか腹が立った。心配する一方で、問題行動をくりかえすわたしを責めているようにも思えた。けれどもわたしはやっぱり怒っていたから、授業中に校内で失踪するのも、購買で買ったカッターナイフをクラスメイトに配るのも、音楽準備室の窓から屋上に忍び込むのも、どうしてもやめられなかった。購買部はカッターナイフの販売を取りやめ、そして母はめまいを起こして寝込むのだった。
めまいは熱も血も出さない。母が「めまいがするの」とささやいてはじめて、そこに訪れているらしいとわかる。実体のつかめないその症状はだんだんただの文字の並びのようにも思え、寝室の暗がりに不気味に響いた。めまい。母のなかに起こっていることを体験することはできないし、それが身体から来るものなのか、心のうちから来るものなのかもわからない。幼いわたしはときどき、めまいというのは本当にあるのだろうか、とさえ思った。母の詐病か、せいぜい錯覚にすぎないのではないか。
けれど十五年経って、ようやくわかった。めまいは本当にある。今になって、母が横になりたがったことも、大げさにも見えたあのせりふ回しの理由も、よく分かる。視界がぐらぐら回っているときには、自然とああいう弱い声になるものなのだ。
そしてまた、心のうちで起きることがこの症状に接続されてきたこともよくわかる気がした。そちらの方にはむしろ覚えがあった。めまいは確かに、簡単には信じたくないようなことが目の前に起きたときの身体感覚によく似ている。痛みよりもずっと速く、平衡感覚の喪失が来る、あの感じ。ふだんあれほど疑わなかった上下左右の感覚が、にわかに絶対ではなくなる。足場はくずれて、視界のほうがぐるりと回る。そして、わたしたちは壁の上に立つのだ。傍目には横たわったように見えるかたちで。
「おれ、だめだなあ。もうさあ、こうやって怒ると、ほんとに自分のことが嫌いになるよ」
ワイさんがこんなに落ち込んでいるというのに、テーブルの上にはレバーの唐揚げや餃子、白身魚の唐辛子油で煮込んだのなんかが威勢よく運ばれてくる。ワイさんが主催したイベントの打ち上げである。わたしは基本打ち上げと名のつくものには行かないことにしているけれど、そのときはあんまりワイさんがしょげているので、のこのこついてきたのだ。
長い付き合いだから知っている。ワイさんもまた、わたしみたいによく怒る。それも、わたしが怒るみたいなことで怒る。わたしが飲み会で怒ったときにはワイさんにはげましてもらったし、ワイさんが安全管理を欠いたイベント運営者に怒って出禁を食らったときは、わたしがワイさんをはげました。そのときワイさんを怒らせたのは、イベント中に起こったトラブル、なかでも相手がスタッフの女性に向かって発した性的な暴言だった。話を聞いただけのわたしでも腹が立つようなことだったし、ほかのスタッフや出演者もみんなワイさんをねぎらっていた。それなのに、ワイさんだけがしょげていた。
「おれ、もっとうまくやれたよねえ。ほんとごめん。こんなに手伝ってもらって、それなのにみんなにいやな思いさせて、もうなんか情けないよ」
向かいあって座っていると、ワイさんのくやしさがひんやりと沁みてくる気がした。よくわかる、と思った。会社の飲み会にしてもそう、学校にしてもそう、怒ったあとに、怒ってよかったと思うことはない。ことさらに後悔したくなるのはやっぱり、怒りが生まれる時点といざ怒る時点とにタイムラグがあるからだろう。怒りの感情があることと、怒るという行為をおこなうこととは、関連しながらわずかに異なる。怒りはいやおうなく生まれてしまうけれど、しかし怒るときには多かれ少なかれ、怒ることを選んでいる。それが自分の意思に他ならないことが、あとになってわたしやワイさんを苛むのだ。
だからそのとき、なんとかワイさんをはげましたかった。よくわかる、と思いながら、しかし、違うじゃないですか、と思ってもいた。ワイさん、違うじゃないですか。ワイさんは自分だけが悪かったみたいに反省しているけれど、だけどワイさんが怒ったのは、ワイさんだけの問題じゃないじゃないですか。
このごろは、怒りは大切だ、と言ってくれる人もいる。けれどその先に続くのは、自分の感情を自分で認めてあげようとか、自分で処理できる方法を身につけようとか、そんな着地であることも多い。わたしもまた、自分に対してはそんなふうに反省してきた。どうして、どうして、と吃りながら怒るなんてなるべくもうやりたくないし、ここまでに書いてきた通り、怒ったところでなにもいいことは起きなかった。もっとうまくやれたかもしれない、その通りだ。
けれど、ワイさんが怒ったりしょげたりしているのを岡目八目で見ていると、どうもそれだけとは言えない気がした。ワイさんの怒りがワイさんの適切なセルフケアによって収まったとして、それを解決と呼んでいいのだろうか。それは、もっと大きくて複雑だったはずの問題を、ワイさんひとりの問題にすりかえてしまっているだけにはならないか。むしろ、簡単には理解されない内がわのできごとを、しかしひとりだけのこととして済ませてしまわないために、わたしたちは怒るのではないか。ヒッチコックの映画がめまいの視点を経験させるように、あるぐらつきをせめて伝播させようとして。めまいを患って思い出したのは、怒りの記憶ばかりだった。怒ったとき、いつも痛みより先に、平衡感覚が失われた。
ひとりで壁の上に立って、ワイさん、さびしかろう。
めまい:
共有されていた水準の感覚から不意にはぐれ、自分の暮らす世界がぐらつくように感じて、苦しむこと。視界がこれまでと、またほかの人の視界とも大きくずれているのに、傍目にはそれとわからないこと。
ときどき思い出す。長い付き合いだ。わたしが一度、ワイさんにひどく怒ったことがあった。これで縁が切れてしまうかもしれないと思ったら、怒りながらも悲しかった。けれどもそうはならなかった。ことが過ぎ去ったあとも、ワイさんはわたしに連絡をくれた。そしてあるとき、「あのときあなたが言ってくれたことは真っ当だったよ。今はそれが自分の軸になってて、感謝してる」と言ってくれたのだった。ひと回りも年下で、ワイさんのイベントに出演させてもらっている立場の、そのくせ頑としてワイさんに怒ったわたしに。わたしはいま、ワイさんを尊敬してやまない。怒ってもなんにもならないことは山ほどあるけれど、しかし怒りを自分だけの問題だと思わないですんでいるのは、そんなふうに聞いてくれたワイさんがたったひとりいるおかげだ。
炒飯が運ばれてくる。冗談半分で「そりゃ、怒ると死にたくなりますけど、怒んないんだったら死んだほうがましですよ!」と強く言うと、ワイさんは笑った。
「まあ、やっぱおれが怒るときは、まず最初におれのなかであなたがぶち切れる感じするもんね!」
「え! うそ! ちがいますよ! わたしのせいにしないでくださいよ!」
「いやいや、そうだよ。あなたがまず怒ってくれるから、おれも考えなきゃいけないって思うんだよ」
ワイさんの目が、わたしをじっと見つめる。
部屋を国語教室に改装したときに一度外していた「怒り」の書作品を、最近また壁にかけることにした。ラァグ。不意に生まれてきては、その怒りをさて怒るのかどうか、わたしたちに選択を迫るやっかいな気持ち。
ひょっとしたら、わたしたちはもっと怒るべきなのかもしれない、と、このごろになって思う。怒ったあとに死にたくなるのは、怒ったからではない。むしろ、声がふるえて怒らざるをえなくなるまで、怒らずにいてしまったからではないか。めまいも怒りもひとりぼっちの視界に訪れる。そのせいで人からはうっとうしがられ、簡単にないものにされてしまう。わたしがかつて母のめまいにいらだち、つい知らんぷりをしたがったように。だからこそ、怒らないといけないんじゃないか。ワイさんが怒るのは断じてわたしのせいではないが、しかしこう言うのならわかる。怒りがまず生まれてくれるから、考えないといけないと思えるのだ。
だから、自分の怒りを大切にしたほうがいい、というのも、もっとうまくやれる、というのも、その通りかもしれない。けれどそれは、怒りを自ら処理してなかったことにするということではない。むしろ生まれた怒りを、もっとうまく怒る、ということではなかったか。もっと怒らなくては。次こそはもっとうまく、もっと速く。そしてそれは必然、もっと怒られなくては、ということをも意味する。
わたしのめまいは、薬を飲んだらいっぺんはよくなった。けれど、ちょっと夜更かししたり働きすぎたりすると、視界がぐにゃっと曲がるようになってしまった。それが母の視界に似るかもしれないことが、説教じみて重たいような、それでいて可笑しいような心地がする。母ひとりのものでしかありえなかったぐらつく現実が、十五年遅れてわたしのところへ訪れたことが。わたしは覚悟をしている。何度してもまだし足りないと感じている。いつかだれかが手を握りしめ、つっかえながらやっと出た声をふるわせて、泣きながらわたしを怒るだろう。そのときに、怒るという行為のことでもその人のことでもなく、わたしのものでもあるその問題のことを、わたしはどれほどに聞けるだろうか。考えるだけでぞっとする。自分のかたくなさや愚かさが、にわかにおそろしくなってくる。美しい筆文字はベンガル語で、怒りと書かれている。ラァグ。書いたことも、発音したこともない言葉。まっすぐにわたしに向かう、他人の怒りである。
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プロフィール
向坂くじら(さきさか・くじら)
詩人、国語教室ことぱ舎代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。著書『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)、詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。一九九四年生まれ、埼玉県在住。