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知識人カルロ・ロヴェッリの全体像が明らかになる『規則より思いやりが大事な場所で』発売記念、収録作「錬金術師ニュートン」を全文公開!

『時間は存在しない』『世界は「関係」でできている』で知られる理論物理学者カルロ・ロヴェッリは、本国イタリアではテレビ・ラジオ・新聞などのメディアに多数出演し、社会問題等についてもコメントを求められる「発言する知識人」でもあります。物理学だけでなく、哲学や文学にも造詣の深いロヴェッリが新聞等に執筆したコラムから52篇を厳選して収録した『規則より思いやりが大事な場所で』より、ニュートンの意外な一面について考察した「錬金術師ニュートン」を全文公開します(※本記事用に一部を編集しています)。


錬金術師ニュートン

 1936年にサザビーズで、アイザック・ニュートン卿の未発表文書のコレクションが競売にかけられた。落札価格は低かった――たったの9,000ポンド。同じシーズンに落札されたルーベンスとレンブラントの作品各一枚についた14万ポンドという値と比べれば、じつに微々たるものだ。ニュートンの文書を落札した人物の一人に、著名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズがいた。ニュートンを大いに尊敬していたのだ。ケインズはすぐに、落札した文書のかなりの部分が、およそニュートンが関心を持つとは思えないある主題に関するものなのに気がついた。錬金術だ。そこでケインズは、ニュートンの錬金術に関する未発表の文書をすべて入手しようとした。そしてじきに、この偉大な科学者が錬金術というテーマに、「ほんの一時興味をそそられて、ちょいと手を出した」だけではなかったことに気がついた。錬金術へのニュートンの関心は生涯続いていた。そしてケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だった」と結論した。
 ケインズは1946年に、自身が所蔵するニュートンの未発表文書をケンブリッジ大学に寄贈した。錬金術師の衣をまとったニュートンの姿はいかにも奇妙で、「近代科学の父ニュートン」という従来のイメージとひどく食い違っていたので、大方の歴史家たちはこの問題に近寄らないことにした。ニュートンの錬金術への情熱に関心が集まるようになったのは、つい最近のことなのだ。ニュートンの錬金術関連の文書は、今ではそのほとんどがインディアナ大学の研究者たちの手でウェブ上に公開されており、誰でも見られるようになっている(*)。そしてこれらの文書の存在は未だに議論を引き起こし、戸惑いの元になっている。
*インディアナ大学が公開している文書は以下のURLで閲覧可能 https://webapp1.dlib.indiana.edu/newton/

「近代科学の父」の限界?

 ニュートンは近代科学の中心的な存在だ。なぜここまで圧倒的な地位を占めているかというと、科学において非凡な業績を上げたからだ。力学に、万有引力理論に、光学に、さまざまな色の光が混じると白色光になることの発見に、微分積分法。エンジニアや物理学者や天文学者や化学者たちは、今でもニュートンが書いた方程式を使って仕事をし、彼が導入した概念を用いている。だがそれより何より重要なのは、ニュートンこそが、今日こんにち近代科学と呼ばれている知の探究の方法を確立した人物だったということだ。彼は科学を、デカルトやガリレオやケプラーなどの業績や着想の上に――太古に起源を持つ伝統の延長線上に――構築した。それでも現在「科学的手法」と呼ばれているものに今日の近代的な形を与えたのはさまざまなニュートンの著作であって、そこから直に、じつに多くの素晴らしい成果がもたらされた。ニュートンが近代科学の父だというのは、決して誇張ではない。だとすると、錬金術はこういったことすべてとどう関わっているのか。
 ニュートンが科学から逸脱したこのような錬金術研究を推し進めたのは、早熟で精神が脆弱だったからだ、という説がある。かと思えば、ニュートンが錬金術を研究していたという事実をてこにして、このイギリス人を科学の合理性にも限界があるといって批判する陣営に加えようとする動きもある。

発表されなかった研究結果

 じつはもっとずっと単純なことだ、とわたしは思っている。
 鍵となるのは、錬金術に関するこれらの文書をニュートンがいっさい発表しなかった、という事実だ。これらの文書を見ると、ニュートンの錬金術に対する関心がひじょうに広かったことがわかるが、それらは一つも公にされていない。発表されなかったのは、イギリスでは15世紀には早くも錬金術が違法とされていたからだ、というのがこれまでの解釈だった。しかし、錬金術を禁ずる法律は〔ニュートン存命中の〕1689年にはすでに廃止されていた。それに、もしもニュートンが法律や慣習に逆らうことをそこまで恐れていたら、あのニュートンにはなっていなかったはずだ。ニュートンは時には、途方もない究極の知識をあれこれ拾い集めて独り占めしてさらに強い力を得ようとする悪魔的な人物として描かれてきた。しかし、ニュートンは実際に途方もない発見をしたのであって、決してそれらを独り占めしようとはしなかった。事実、『プリンキピア』をはじめとする偉大な著書でそれらの知識を公開している。そしてそこに載っている力学方程式は、今でもエンジニアたちが飛行機や建物を作るときに使われている。成人後のニュートンは名をあげて、広く尊敬を集めた。じっさい、当代一の科学機関、英国王立協会ロイヤル・ソサエティの会長になったくらいで、知的な世界はニュートンの成果を待ち望んでいた。では、なぜ錬金術を巡る活動の結果をまったく公表しなかったのか。

引き継がれる問題意識

 答えはきわめて単純だ。いっさい公表しなかったのは、納得いく結果が一つも得られなかったからだ。そう考えると、すべての謎が解ける。今では簡単に、錬金術の理論的・実験的な基礎があまりに脆弱だった、というこなれた歴史的判断に寄りかかることができる。だが17世紀には、そのような判断を下すのは簡単なことではなかった。錬金術は広く実践され、多くの人々が研究しており、ニュートンも本気で、そこに真の知が含まれているかどうかを理解しようとした。もしも錬金術のなかに、自身が推し進める合理的で実験的な研究手法を用いた精査に耐えるものが見つかっていたら、ニュートンは間違いなくその結果を発表していたはずだ。錬金術の世界のとっちらかった混沌のなかから、科学になりそうな何かを抽出しおおせていたら、今頃わたしたちは、光学や、力学や、万有引力の著作と並んで、その主題に関するニュートンの著作を手にしていたことだろう。だが、うまくいかなかった。だから、何も発表しなかったのだ。それはそもそも空しい望みだったのか。始める前に放棄すべき計画だったのか。いいや、それどころか、錬金術が提起した種々の重要な問題や、展開したかなりの数の手法は――とりわけさまざまな化学物質の別の化学物質への変化に関する問いや手法は――じきに化学という新たな分野を生み出すことになった。ニュートン自身は錬金術から化学へと向かう決定的な一歩を踏み出すには至らなかったが、次世代の科学者たち――たとえばラヴォワジエ—―が、その役割を引き継いだのだ。
 インディアナ大学がウェブで公開している文書からも、このことは明らかだ。そこで使われている言語は、比喩やほのめかし、不明確な言い回しに奇妙な記号など、確かに典型的な錬金術の言葉であるが、述べられている手順の多くは単純な化学反応でしかない。たとえばニュートンは、「硫酸塩の油」(硫酸のこと)、硬い水アクア・フォルティス(硝酸のこと)と「塩の魂」(塩酸のこと)の製造について述べていて、その指示に従えば、これらの物質を合成できる。ニュートンがこの試みに「チミストリー(chymistry)〔化学(ケミストリー)を意味するchemistryとは一字違い〕」という名前を付けたのも、いかにも暗示的だ。ルネサンス以降の後期錬金術は、着想を実験で確認することに強くこだわった。すでに、近代化学のほうに向かい始めていたのである。ニュートンは、錬金術の処方の混沌とした瘴気しょうきのなかから(「ニュートン的な」意味での)近代科学が生まれようとしていることに気づき、産婆になろうとしていた。そのために膨大な時間を費やしたが、結局は混乱を解きほぐす糸口を見つけることができなかったので、何も公にしなかったのだ。

さらなる探究と歴史学への影響

 ニュートンの奇妙な情熱と探求の対象となったのは、錬金術だけではなかった。その手稿からはもう一つ、さらに面白そうなテーマが浮かび上がってくる。彼は、聖書の年代記を復元することに膨大な労力を費やしていた。あの聖なる書に記された出来事の正確な日付を突き止めようとしていたのである。手稿から見る限り、ここでもたいした成果は得られなかった。じつは科学の父は、この世界がほんの数千年前に始まったと考えていたのだ。ニュートンはなぜこの作業に没頭したのか。
 歴史学はきわめて古い学問で、ミレトスのヘカタイオスに始まり、ヘロドトスやツキディデスの時代にはすでに一人前になっていた。これら古代の歴史家から今日の歴史家まで、脈々と続いてきたものがある。過去の痕跡を集めて評価するさいには、何よりもまず批判精神が必要なのだ(ヘカタイオスの著作は、次のような言葉から始まっている。「わたしは、自分にとって真実であると思われるものを記している。なぜならギリシャ人が語ってきた事柄は、矛盾だらけで馬鹿げていると思うから」)。しかし今では、歴史資料を編修するときには数値が問題となり、そのため過去の出来事の正確な日付を確定するための努力が欠かせない。そのうえ近代の歴史家が重要な仕事をする際には、ありとあらゆる資料を考慮に入れて、各々の信頼性を評価し、得られた情報が妥当かどうかを判断する必要がある。そうやって資料を評価し、それぞれの重みを勘案しながら統合することで、もっとも理に適った復元が可能になる。量を用いて歴史を記述するこの方法は、じつはニュートンの聖書年代記を巡る仕事に端を発している。ここでもニュートンのやり方はきわめて近代的で、自分の手元にある不完全で信頼性もまちまちな大量の資料に基づいて、古代史の日付を合理的に復元する方法を探った。そして、後に重要になる概念や方法をはじめて導入したのだが、自分にとって満足いく結果が得られなかったので、結局何も発表しなかった。

限界を認識することこそが……

 これら二つの例はいずれも、従来の合理主義的なニュートンという描像から外れていない。それどころかむしろ逆で、この偉大な科学者は、真に科学的な問題に取り組んでいたのだ。ニュートンが、検証されていない伝統や権威や魔法と優れた科学を混同した形跡はいっさいない。それどころか彼は先を見通すことができる近代の科学者であって、優れた判断力を持って科学の新しい分野に向き合い、明確で重要な結果が得られればそれを発表し、得られなければ何も発表しなかった。ニュートンは有能な、きわめて有能な人物だったが――限界はあったのだ。他のみんなと同じように。
 思うに、ニュートンの天才たる所以ゆえんは、まさにこれらの限界を深く認識していた点にある。自分が何を知らない、、、、のか、その限界を知っていた。そしてこれこそが、彼がその誕生を後押しした科学の基本なのだ。


続きは『規則より思いやりが大事な場所で』でお楽しみください。

著者プロフィール
カルロ・ロヴェッリ
(Carlo Rovelli)
理論物理学者。1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学卒業後、パドヴァ大学大学院で博士号取得。イタリアやアメリカの大学勤務を経て、現在はフランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いる。「ループ量子重力理論」の提唱者の一人。『すごい物理学講義』(河出書房新社)で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。『世の中ががらりと変わって見える物理の本』(同)は世界で150万部超を売り上げ、『時間は存在しない』(NHK出版)はタイム誌の「ベスト10ノンフィクション(2018年)」に選出、『世界は「関係」でできている』(同)はイタリアで12万部発行、世界23か国で刊行決定などいずれも好評を博す。

訳者プロフィール
冨永星
(とみなが・ほし)
1955年、京都生まれ。京都大学理学部数理科学系卒業。翻訳家。一般向け数学科学啓蒙書などの翻訳を手がける。2020年度日本数学会出版賞受賞。訳書に、マーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』『数学が見つける近道』(以上、新潮社)、キット・イェーツ『生と死を分ける数学』、シャロン・バーチュ・マグレイン『異端の統計学ベイズ』(草思社)、ヘルマン・ワイル『シンメトリー』(筑摩書房)、スティーヴン・ストロガッツ『xはたの(も)しい』、ジェイソン・ウィルクス『1から学ぶ大人の数学教室』(共に早川書房)、フィリップ・オーディング『1つの定理を証明する99の方法』(森北出版)など。

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