なぜ響く言葉と響かない言葉があるのか?――「声」から読み解くコロナ危機
声は言葉以上に雄弁である
私たちのまわりには、常にたくさんの声があふれています。家庭や職場や学校などありとあらゆる場所で、私たちは声を使ってコミュニケーションをとり、さまざまな声が耳を通り過ぎています。例えて言えば空気のように日常にあるので、「声そのもの」に意識を向ける人は少ないのではないでしょうか。
しかし、「声という音」にはじつに多くの情報が含まれていることが、近年の研究で明らかになってきています。そしてその情報は、私たちの耳を通り抜けているようでいて、実は脳に取り込まれ、知らぬうちに感情を左右しているのです。
声を聴いたとき、私たちの脳では次のようなことが起こっています。
まず、耳から取り込まれた声は聴覚を経て、俗に「言語脳」といわれる部位に届き、私たちは自覚的に言葉の意味を理解します。しかしこの言語脳に達するよりわずかに速く、声の「音としての情報」は別ルートを通って大脳旧皮質といわれる深層に達しています。ここは本能を司るところで、好き嫌いや快不快といった感情を生み出します。
脳には60種類もの神経伝達物質があり、気分を左右したり運動機能や内臓活動に影響したりしますが、音はそれら神経伝達物質の生成の引き金となることがわかっています。
実験では、まったく同じ内容を同じ調子で話しても、声の違いによって「好き」「嫌い」、「誠実」「不誠実」など正反対の印象や感情を引き起こすことが確認されました。
つまり声は、ときには言葉以上に聞き手の脳に影響を与えていて、音としての取り込みが無自覚であるだけに、よけいに「何かわからない力」として心を揺り動かしてしまうのです。
私は音が心身に与える影響を、主に音響心理学・認知心理学をベースに研究し、社会と声の関係性なども調査しています。いまだ収束が見通せないこのコロナ禍の中で、今までよりもテレビやラジオ、ネットニュースなどの声を聴く機会が増えた方も多いでしょう。首相や官房長官、都道府県知事の記者会見の声はほぼ毎日のようにニュースで流れています。この記事では、新型コロナウィルスをめぐるリーダーの会見や報道の声から、その世界の一端を覗いてみたいと思います。
コロナショックにおけるリーダーたちの声
アメリカのトランプ大統領は、始めのうちこそ皮肉すら込めた余裕のある、普段どおりの声でしたが、全米での死者数が3万人を超えたあたりから声にかすれが目立つようになりました。トランプ大統領は大変タフで、声の使い方も手練手管、声に弱気を決して出さない方ですが、ときおり疲れや迷いや焦りが出てしまっています。しかしあえて声のトーンを低めにしているのはさすがで、自らは冷静さを失っていないことをアピールしています。
むしろ、声の意識が高いはずのアメリカの報道キャスターたちが、異常なほどに高く硬質な声になっていることに驚きます。社会に不安が蔓延するとメディアの声も、それを聞いている人々の声も高くなります。今(4月25日現在)のアメリカはまさにその状態。危機的状況の極致にあるようです。
トランプ大統領のような戦略性はほとんど感じられない声を使ってスピーチをしている首脳は、ドイツのメルケル首相。作為性や押し付けのない、落ち着いて穏やかな、どちらかといえば政治家らしくない声の持ち主です。しかしこのコロナ禍にあっては、なによりも誠実さが前面に出ている淡々とした声が、かえって安心感を与えています。
一方、その対極にあるのが日本の安倍晋三首相です。とりわけ重要な記者会見では、どうしたのかと思うほど作為そのものの声。喉頭を高く引き上げ、声道を短くする発声によって生じる高い周波数は硬質で、耳障りに聞こえるかもしれません。「安倍さんの声は心に響かない」と言う人も見受けられますが、その理由は自分の心から出た言葉ではないからでしょう。プロンプターを巧みに使い、国民に語りかけているように見せかけるパフォーマンスには長けていますが、心ここにあらず。秘書官が書いた文字を読み演じることに注力しているだけです。これほど言葉が空回りしている首脳も珍しいかもしれません。
その点、ここにきて支持を伸ばしている東京都知事の小池百合子氏は声の力を熟知し、上手に利用していると言えます。記者会見では常に落ち着いた声で、そこに力強さも温かみや優しさも含まれている。2016年の都知事選を圧勝した彼女の声の魅力が、この危機的状況にあって再び発揮されています。彼女は元キャスターですから、声の使い方、その影響力を熟知していると推察されますが、普通なら声に出てしまう本音も見事に隠す術を身に着けています。この力を使えている限り、今後も大きな力をふるうことは間違いないと思われます。
拙著『声のサイエンス』にも書きましたが、小池氏の声には人を振り向かせ、言葉を確実に届ける力があります。緊急事態下に声で人々を落ち着かせることも実践できています。この状況で彼女が東京都知事であったことは、幸いであったといえるかもしれません。
同じくこのコロナ禍の中で支持を伸ばしているリーダーに、大阪府知事の吉村洋文氏がいます。彼の声を少し追って見てみましょう。
3月末の会見では雑音が多くつぶれた声の上にかすれが混ざっていて、心身ともにかなり疲弊して、病気になりかけているのではないかと感じるほどでした。普段は健康的で明るくハリのある、素直な声です。声を聴く限りでは実直な人柄がうかがえます。その声がここまで変わってしまうとは、よほどのストレスがかかっていたのでしょう。
吉村府知事の言葉が「怖い」という方もいるかもしれません。とくに決定事項を発表するときの声のトーンは単調で、イライラした声になっています。おそらく自分の言葉で話したい、型に嵌めると活きないタイプと想像されます。日によって、または状況によって声に大きく変化が出てしまうのは、ある意味自分を繕えない、心身ともに不器用で正直な証拠です。また、吉村知事は余分なまばたきがあまりなく、目を強く開いて一点を凝視して話します。そのせいで少々強引で怖い印象を与えているのかもしれません。
しかしそのぶん、声は相手にストレートに届くのです。視線の揺れは声の揺れに直接つながります。彼にそれがないのは「思いと言葉をまっすぐに届ける」うえでかなりの強みです。声から感じ取れる「正直さ、実直さ」も人気の一端を担っているように思えます。地元である大阪の方々は、橋下徹氏の作為性が前面に出ている軽い声との対比も無意識に感じ取っているのかもしれませんね。声から感じ取れる「正直さ、実直さ」も、その人気の一端を担っているように思えてなりません。
沈みがちになってきた報道番組の声
政治家だけでなく、最新の社会の状況を伝えるテレビの報道キャスターの声にも目を向けてみましょう。
先ほど「社会不安が高まるとメディアの声が高くなる」とお話ししました(戦争時のニュースなどを聞くととくにそれは顕著です)。その例に漏れず、民放の報道番組はキャスターやコメンテーターの声が一時高く高揚していました。しかしここにきて、急激に声のトーンが沈み呼吸が弱くなっていることに、疲れと諦めが感じとれます。声のトーンは同じ場にいる人にミラーリング効果で伝染しますから、番組の中では皆がそのような声で話すようになり、聞いている視聴者にも同じ現象を起こします。
その点、NHKのアナウンサーはさすがです。震災の時もそうでしたが、災害報道では感情的にフラットな落ち着いた声が救いになることを再認識しました。
民放のアナウンサーの声が高揚期を経て、いまは元気がなく沈んできたのは、音としては疲れと諦めを感じさせますが、スタジオにいるスタッフや出演者に飛沫があたらないよう、無意識に息を弱く(声のハリが減り音程も若干下がる)、また口の開きを少なめにしているせいもあるのかもしれません。
声はその人のすべてを晒している
最後に、ここまで述べたことに関連した声の豆知識を簡単に記しましょう。
・ 声で不安な感情をコントロール
誰でも不安にとらわれると、無意識に肩に力が入り、首回りが緊張して喉頭が締め上げられ、いつもより少し高い声になります。悪いニュースなどを見て眉をひそめると、声は暗く硬くなります。そんな自分の声を聴いた脳は、本能領域で神経伝達物質を生成してさらにイライラ、鬱々とさせてしまいます。
そんな時には、低く柔らかな声を出すように意識してみましょう。肩の力をストンと抜いて、下あごを軽く引き下げお腹から声を出すような感覚で発声すると、声道が長く広くなり、声は胸腔に響きやすくなって、低い周波数を含んだ落ち着いた声になります。低い周波数は脳を鎮静させますから、そういう声は自分が落ち着くだけでなく、周りの人も穏やかな気持ちにさせます。特にお子さんには有効です。ヒステリックな高い声は、言葉以前に子どもの脳を興奮させてパニックにしてしまいますから、大切なことほど低く柔らかい声で語りかけてあげましょう。
・ 声は心身の履歴書
私たちは発声専用の器官は持っていません。「声帯」は振動によって声の原音を作り出しますが、それを増幅して声にするのは声道や口腔や鼻腔、胸腔といった共鳴腔です。実際には共鳴は骨や筋肉にまで及びます。それらは(声帯も含め)、すべてが重要な生命活動を担っている器官であり、発声行為はそれを巧みに利用して行っているわけです。だから声を聞けば体格や骨格はおおむねわかるし、病気など身体のさまざまな状態も声に出てしまうのです。これを利用して、声から病気を診断する方法も確立されつつあります。
同時に、声にはその人の人生経験と現在の精神状態までもがさらけ出されています。というのは、どのような声をどれほどの音量で出すかを決めるのは、脳の経験則によるからです。人は生まれた時から人の声と自分の声を聴き続け、環境に適応するように自分の声を決定していきます。そういう意味では、声を作るのは声帯ではなく「脳」なのです。
「声の音」を聞くことに慣れてくると、声からその人の成育歴や現在の思惑までをも読み取ることができるようになります。政治家などの声から情報の真偽を判断できることは、報道や世の中の流れを的確に読み解く、いわゆるメディアリテラシーの大きな助けになることでしょう。
それだけでなく、声に意識を向けるようになると、人や自分の声を愛おしく感じるようになります。声という音の持つ情報の多様さは、この世界の多様性にも繋がっていて、声の中には驚くほど彩り豊かな景色が広がっているのです。
コロナ禍の今だからこそ、TVやラジオなどから聴こえる「声の音」に耳を澄ませてみませんか。そして、どこにでも持っていけて、いつでも使える「自分の声」に向き合ってみませんか。
了
プロフィール
山﨑広子(やまざき・ひろこ)
音楽・音声ジャーナリスト。「音・人・心 研究所」理事。日本音楽知覚認知学会所属。国立音楽大学を卒業後、複数の大学で心理学・音声学を学んだのち、認知心理学をベースに音と声の心身への影響を研究。学校教材の執筆も手がける。著書に『声のサイエンス あの人の声はなぜ心を揺さぶるのか』(NHK出版新書)『8割の人は自分の声が嫌い――心に届く声、伝わる声』(角川新書)などがある。動物・鳥・昆虫・鉱物好き。