訃報から1年。担当編集者が綴る中村哲さんの人柄にふれた日々のこと、そして馳せる思い
中村哲先生との思い出
2019年12月4日に中村哲先生の訃報を聞いてから、早いもので一年が経ちました。アフガニスタンのNGOガフワラ著の絵本『カカ・ムラド~ナカムラのおじさん』(さだまさし他訳、双葉社)や『天、共に在り~アフガニスタン三十年の闘い』の英語版Providence Was with Us: How a Japanese Doctor Turned the Afghan Desert Green(JPIC 一般財団法人 出版文化産業振興財団)が出版され、テレビや新聞、雑誌などで特集が組まれるなど、今なおたくさんの人が中村先生の死を悼んでいます。
周知のとおり、中村先生は1984年に医師としてパキスタンとアフガニスタンに赴任したあと、治療では多くの人の命を救えないことを痛感し、1600本の井戸を掘って25.5キロに及ぶ用水路を拓き、亡くなられるその時までアフガニスタンで支援活動を続けていました。
私がはじめて中村先生にお会いしたのは、2006年2月のことだったと思います。「100分de名著」の前身にあたる教養番組「知るを楽しむ この人この世界」の語り手として出演されることが決まり、そのテキスト編集の担当者として福岡に挨拶にうかがいました。
第一印象は「色黒で、日本人離れした顔の小柄なおじさん」というものでしたが、それは先生自身も自覚されていたようで、「いやあ、先日パソコンを見に家電量販店に行ったら、店員から英語で話しかけられましてね」とにこやかにおっしゃられたときは、場に居合わせたみんなが声をそろえて大笑いしました。すでに著名でしたが、決して偉ぶることなく、ユーモアを交えて、誰とでも同じ目線で会話をする――それが中村哲という人でした。
この時の番組は2006年6~7月に「アフガニスタン・命の水を求めて~ある日本人医師の苦闘」というタイトルで放送され、書き下ろしのテキストとともに反響を呼びました。そのテキストがやがて、先生唯一の自伝ともいえる『天、共に在り』へと結実するのですが、当初はテキスト発行から2年後に別名で刊行する予定でした。しかし、先生のあまりの忙しさで無期限延期となり、私も半ば、企画の実現をあきらめかけていました。
ところが2013年4月、中村先生から突然、「企画の件、もしまだ生きているようでしたら、7月までに原稿を送ります」との一報が入ります。びっくりして先生の盟友である石風社社長・福元満治さんに確認したところ、先生は「書籍化の約束は必ず守る」と常々おっしゃっていたとのこと。そして2か月後、全12章分が一気にメールで私のもとに届きました。そのときのメール内容を以下にそのまま掲載します。
大凡の稿が成りましたので、お送り申し上げます。
7年もお待ちいただいて、恐縮しています。
NHKのテキストは構成が良くできていて、それに加筆修正してみました。
ただ、内容が余りに多岐、膨大なので、井戸掘りなどは思いきり圧縮しました。
やはり、動きとしては最近のものが大きく、当方の意図は、
1.アフガン旱魃の実態と気候変化の重大さを伝えること
2.アフガンでは河川からの取水方法の改善が生存の術であること
3.技術が自然に従い、折合わせるべきこと
4.自然の恩恵は身近にあるのに、人が自分の造った世界に埋没して気づかないこと
以上を伝えることにあります。
また、この際、小生の考え方がどうして出来ていったかも、少し宗教のことに触れています。
余りに劇的なことばかりを並べると疲れますので、省いたこともたくさんあります。
(中略)
以上、宜しくお願い申し上げます。
この短い文章からでも、中村先生の誠実さ、また行動力や責任感の強さが伝わってくると思います。
その後、数回にわたるやりとりを経て、2013年10月に『天、共に在り』は刊行されました。本書は初版5000部のスタートでしたが、この年に中村先生自身が福岡アジア文化賞大賞と菊池寛賞を受賞、翌年には本書が城山三郎賞と梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞したことなどもあって徐々に増刷を重ね、重版の本の帯は受賞に合わせた文言をそのつど追加するようになっていきました(17刷時点の今もその帯を使用しています)。
しかし最近になって、初版時の帯のメインコピーについて尋ねられる機会が増えてきました。そのコピーとは、「道で倒れている人がいたら手を差し伸べる――それは普通のことです」というもので、ECサイトの書影などはこちらを使用していますが、あの言葉の出典は何かと聞かれるようになったのです。
実はあの一文は、『天、共に在り』や中村先生のほかの本に出てくるものではありません。私が何度かうかがった先生の講演会で幾度となく耳にしたのが、あの言葉だったのです。
帯コピーを最初に先生にお見せしたとき、先生は「気恥ずかしいので変えてほしい」とおっしゃいました。それを私のほうからお願いするかたちで残したのですが、本稿を書くにあたって過去のメールをたどってみたところ、その時の先生とのやりとりがみつかりましたので、少しだけ紹介させていただきます。
先生のご講演にうかがうたびに必ずといってよいほど、
「なぜ先生はアフガニスタンで活動しているのですか?
なぜお医者さんが井戸を掘って、用水路を拓くのですか?」
という質問が出ます。その際に先生がおっしゃった言葉が、
現状の帯のお言葉です。
この当たり前といってよいはずの行為が出来ていないことに
ドキリとした人は、私だけではないと思います。
「普通の人助け」という行為が忘れられてしまった今、
先生から発せられたこの言葉は、社会全体に大きな
反響を呼ぶと思うのですが、いかがでしょうか?
お許しいただけるようでしたら、何卒この帯の言葉を
生かしていただければ幸いと存じます。
これに対する、先生の返答が以下のものでした。
了解しました。
おっしゃる通りかもしれません。
ここは、出版する側のセンスにお任せいたします。
あとは宜しくお願いいたします。
「困っている人がいたら手助けをする」。この、誰もができると思いながらできていない「普通のこと」を実践していたのが中村先生でした。私は、先生の真似はとてもできそうにありませんが、せめて「誠実」でありたいと思っています。
中村哲先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
2020年12月18日
NHK出版 加藤 剛
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