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『オッペンハイマー』を観た現代の天才物理学者はなにを言ったか? カルロ・ロヴェッリ『規則より思いやりが大事な場所で』より、冨永星氏の訳者あとがきを全文公開!

現代物理学のトップランナーであるカルロ・ロヴェッリが新聞等に執筆したコラムから52篇を選りすぐった『規則より思いやりが大事な場所で』(日本語版は2023年12月発売)は、「発言する知識人」としても知られるロヴェッリの全体像が日本で初めて明らかになる一冊です。『時間は存在しない』『世界は「関係」でできている』も手掛けた本書の訳者・冨永星さんは、訳者あとがきでロヴェッリの最近の活動を紹介するなかで、彼がクリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』のアメリカ公開初日に招かれた際のコメントも紹介してくださっています。「原爆の父」と呼ばれた科学者の生涯を描いた映画を観た現代の天才物理学者は何を思ったのでしょうか? 冨永星さんによる「訳者あとがき」を全文公開します(※本記事用に一部を編集しています)。


ロヴェッリの素顔が垣間見える

 本書は、Carlo Rovelliの“Ci sono Luoghi al Mondo dove piu che le regole e importante la Gentilezza(この世界には規律より配慮が重んじられる場所がある)”の邦訳である。ロヴェッリが2010年から2020年にかけてイタリアおよびイギリスの新聞、スイスのラジオなどのメディアに発表したエッセイを集めたもので、イタリア語初版は2018年、英語版は2020年に刊行され、さらにイタリア語増補版が2020年に刊行されている。
 翻訳作業は英語版を基本とし、随時イタリア語増補版を参照しながら進めた。英語版で割愛されているオリジナルのエッセイから、“Il significato del tempo”(『時間は存在しない』の内容紹介)を除く5編を加えたのは、そのほうがロヴェッリの人となりがよく汲み取れると判断したからだ。
 そう、このエッセイ集には、ロヴェッリの人となりを如実に示す文章がぎっしり詰まっている。すでに日本語に訳されている五つの著作が「作品」として練りあげた形で提示されているのに対して、これらのエッセイには、ロヴェッリのなまの考え方や視点が表れているのだ。
 ロヴェッリ自身もイタリア語原著の「はじめに」で、

……〔これらのエッセイには、〕この世界を見るわたしの眼差しがとりとめなく反映されている。すでにわたしの著作を読まれた方々は、そこに〔既刊の著作に通じる〕いくつかのテーマや考えを見いだすだろうが、どうか重複をお許しいただきたい。これらのエッセイには、すぐに消えるはずのものとして書かれた文章に特有の軽さがある。こうやって集めてみると、なんとなく気恥ずかしい。というのも、自分の限界が露わになっているし、古い写真を友人に見せたときのように、思った以上に自身の姿がさらけ出されているからだ。これらの文章にはまったく有機的な繫がりはなく、ばらばらに提示されていて、いくつかの小さな修正は別にして、まったく手を加えていない。読者のみなさんには、どうか大目に見てほしい

と述べている。(この部分は英語版では割愛)こうしてみるとこのエッセイ集は、ロヴェッリの作品の読者にとって、既訳の作品の背景を垣間見る格好の資料といえる。たとえば、本書に収録されている科学哲学に関する文章を見れば、『世界は「関係」でできている』にナーガールジュナが登場したのも決して唐突ではなく、よくよく考えてのことだったのがわかる。

ロヴェッリの三つの側面

 しかもそれだけでなく、これらのエッセイから透けて見えるロヴェッリの姿自体が、読者にさまざまなことを考えさせる。旅行記だったり、時事問題だったり、科学に関する事柄だったりと、扱っているテーマは実に多彩だが、それらは大まかに三つに分けることができる。
 一つ目は、「現代を生きる科学者としての発言」。現代を生きる物理学者、科学者として、科学と宗教、さらには文学などの他分野との関係を論じ、あるいはニュートン、ペンローズ、キュリーといった著名な科学者について語り、さらにはヒッグス粒子などの物理学の発見を紹介する文章だ。たとえそれらがさんざん語られてきたテーマであっても、そこには独特の新しい視点がある。なぜならロヴェッリは、科学について語るときもより広い「現実」を意識しているからだ。
 事実ロヴェッリの眼差しは、科学だけでなく人間そのものや文化、文明自体にも向けられていて、そこから第二の「西洋の知識人としての発言」が生まれる。たとえば自身のアフリカでの体験や、国民性、地球温暖化、不平等や戦争の起源、といったことに関する発言だ。ちなみにロヴェッリがアフリカでの体験を大きく取り上げているのは、一つには、アフリカが西洋にとって「身近な他者」であるからだ。日本に暮らすわたしたちからすると、アフリカは決して近い場所とはいえないが、西欧にとっては地中海を挟んだ対岸に広がる「お隣さん」の大陸で、かつて自分たちが植民地を持っていた場所であり、(とりわけイタリアにとっては)今も続く難民流入の源としてごく身近な存在だ。ロヴェッリはそのようなアフリカで自身が経験したことを、強靱でしなやかな独自の感性で紹介している。
 さらにロヴェッリは、「イタリアの一市民としての発言」も活発に行っており、そこでは1977年を含む自身の青春時代や、『わが闘争マイン・カンフ』の新版刊行、総選挙を前にしての政治への問いかけ、難民受け入れに関する問題、イタリアの戦争参加、といった話題が取り上げられている。

イタリアにおける学生運動の経緯

 ここで、本書に収録されている「わたしの、そして友人たちの1977年」の背景を付け加えておく。1960年代後半は、「世界各地の若者による反体制運動の季節」として記憶されているが、それらの運動は当然国ごとに異なる様相を呈していた。たとえば日本の学生運動とイタリアのそれとはかなり違っていたのである。日本では一般に、60年代に全共闘などの学生運動が盛んになるが、68〜69年の東大安田講堂事件以降急速に勢いを失い、浅間山荘事件や連合赤軍リンチ事件などを経てほぼ収束した、というイメージが強い。
 これに対してイタリアでは、60年代後半から70年代にかけて労働者運動から学生運動に比重が移り、70年代に「労働の拒否」と資本主義からの自立を目指す「アウトノミア運動」が盛んになった。そして77年に大きなうねりとなった運動によって複数の都市が占拠されると、公権力による「弾圧」が始まる。
 一方運動の担い手たちは、開放的な文化運動と武装闘争に分かれ、武装闘争を目指すグループは非合法活動に軸足を移し、78年のモーロ元首相誘拐殺人事件などを引き起こすことになる。だが「アウトノミア運動」の火は完全に消えたわけではなく、1990年代には「第二世代社会センター」が登場し、今もミラノの「カンティエーレ」をはじめとする社会センターが活動を続けている。ロヴェッリの「77年」には、このような背景があるのだ。
 一市民としてのこれらのエッセイは優れて国内向けに見えるが、それらの問題に対するロヴェッリの姿勢には国境を越える普遍性があり、読者は、自国のさまざまな問題を巡る自身の姿勢を問い直すことになる。
 こうしてみるとロヴェッリが自分自身を複数の側面を持つ存在――物理学者であると同時に、西洋の知の歴史に属しており、むろんイタリアの市民でもある人間――と認識していることがわかる。だからこそ、十全の責任を果たすためにこれらのエッセイを書いたのだろう。このエッセイ集は一見とりとめなく見えるが、じつはこの三つの側面がない交ぜになっている点が大きな魅力となっている。

丸ごとの複雑な現実と向き合う

 これら三つの側面を表す発言には、しかし大きな共通点がある。それは、物事に対する判断を決して他人任せにせず――ということは、さまざまなメディアの報道、権威筋の意見、世間で言われていることを鵜呑みにせず、安易な二分法に陥ることなく――自分の側の解像度をさらに一段、二段と上げたうえで、観察したことをじっくり考察しよう、というロヴェッリの姿勢である。ロヴェッリはルクレティウスについて、「わたしたちを、丸ごとの複雑な現実と向き合わせる」と述べているが、自身も、生業である物理学に限らず、時事問題でも文化を巡る問題でも、複雑な現実をそのまま丸ごと理解しようとする。
 2021年にEUの欧州理事会議長(男性)と欧州委員会委員長(女性)が会談のためにトルコを訪れたとき、トルコのエルドアン大統領は会談用の椅子を自分ともう一人の分しか用意しなかった。そのため大統領と議長が着席するなか、委員長だけがぽつんと立ち尽す映像が流れ、ヨーロッパのあちこちでエルドアンの女性差別を非難する声が上がった。
 このときロヴェッリはSNSで、「エルドアンは、いってみればああいう人物。それよりも腹が立つのは議長の方で、なぜ自分が当然のようにあの椅子に座って、委員長を立たせておいたのか」とコメントした。椅子を一つしか用意しなかった人物を非難するだけなら「ヨーロッパと異なる文化への非難」になるところを、さらに、自分はその椅子にのほほんと座って女性を立ち尽くさせ、屈辱を味わわせたヨーロッパの男性に対して、ほんとうにそれでよかったのですか? と問いかけたのだ。
 ここに収録されているエッセイの至る所で、このような「巷ではこう言われていますが(思われていますが)、ほんとうにそうでしょうか?」という鋭い問い直しが行われている。自身のそれをも例外とせずに思考を問い直す姿勢、それがロヴェッリの強みであり魅力なのだ。
 それでいて決して鋭いだけではなく、たとえ立場を異にする人物への反論であっても、相手の意見を頭からはねつけることなく、ともに考えてよりよい社会を作っていこう、と呼びかける。その「社会」にはむろん科学も哲学も文学も、あらゆるものが含まれていて、ロヴェッリは科学者たる自分の知識を決して振りかざすことなく、広くみんなに協働を呼びかける。その根底には、理を分けて呼びかければ、きっと誰かが応えてくれる、という人間へのそして言葉への信頼があって、それがこれらのエッセイの読後感を明るくしている。

ヨーロッパの科学者とキリスト教

 もう一つ、(これは蛇足かもしれないが)ここで補足しておきたいことがある。それは、ヨーロッパの科学者にとって「宗教」さらにいえばキリスト教が持つ重さだ。ここに収録されているエッセイ計52篇のなかには、キリスト教を正面から批判したものが2篇、さらに科学と宗教との関わりを巡るものが複数あるが、これは、ヨーロッパにおいて科学が展開するうえでもっとも激しく衝突したのがキリスト教であったからだ。
 ロヴェッリがエッセイのタイトルにもしているルクレティウスの長編詩『事物の本性について』が、ルネッサンスにおける「中世キリスト教支配からの人間性の解放」に果たした役割は、ロヴェッリのエッセイにも登場するピューリッツァー賞受賞作品『1417年、その一冊がすべてを変えた』や、『ルクレティウス『事物の本性』について――愉しや、嵐の海に』に詳しい。だが、その後も科学と宗教の対立は続き、とりわけイタリアは、カトリックの総本山であるバチカンがローマにあることから、今なお宗教との関係が濃密だ。実際、一九八四年まではカトリックを国教としており、今でも公立の初等教育学校ではキリスト教教育(選択制)が行われている。宗教を巡るエッセイがこれだけ多く書かれているのには、そのような背景がある。

『オッペンハイマー』と現代の科学者たち

 最後に、最近のロヴェッリの活動をいくつか紹介しておこう。
 まず物理学の啓蒙家としては、これまでの素人向け、一般向けの啓蒙書に加えて、2021年に英語で相対性理論の教科書(邦題『ロヴェッリ一般相対性理論入門』)をまとめている。それ以前の一般向け啓蒙書に対して、まったくの素人ではないが最先端の専門家でもない読者から、なんだかふわふわと曖昧でよくわからないという感想が寄せられていたとのことで、おそらくそこを補完する著書なのだろう。そのため至る所に数式が登場するが、ロヴェッリによると、「専門家になる野心のない人向け」に「アインシュタインの宝石」である「一般相対性理論」の概念構造と基本的な結果を紹介した著作だという。
 また社会的な活動としては、2023年5月1日のメーデーに開催された大規模なコンサートにおけるスピーチで、イタリアの国防大臣が軍需産業と直接関わっていることを名指しで非難して大論争を引き起こした。その結果翌年のフランクフルト・ブック・フェアへのイタリア代表としての招待が取りやめになったのだが、この処置がさらなる大批判を呼んで改めて招待が決まり、イタリアのブックフェア委員会は辞任した。
 さらに、2023年夏にアメリカで封切られた映画『オッペンハイマー』の初日(人類初の核実験、トリニティ実験の30周年の日)にキップ・ソーンらとともに劇場での座談会に招待されたときには、次のように述べている。

……誰もがこの映画を観るべきだ。なぜならこの映画は、40年代の問題や一般的な科学倫理の問題を描いているだけでなく、まさに今日の喫緊の問題を提起しているから。……オッペンハイマーはこの映画の中で再三「国際協力」こそが唯一の出口だと述べているが、それは今も同じだ。……この会場にも著名な物理学者がたくさんおられるが、科学者はもっと声を上げるべきだと思う。……冷戦の危機的な場面でも対話は行われ、科学者たちは重要な役割を果たしてきた。……ロシアや中国の科学者は友なのだから、今も対話は可能なはずだ。そして政治家に、この狂気を止めるよう言うべきだ。……最終決定を下すのが科学ではなく、社会であり、政治だからこそ、科学は声を上げる必要がある

 いかにもロヴェッリらしい発言である。
 またロヴェッリは、ガザで2023年10月に激しい戦闘が始まってからも、SNSやイギリスやの公共放送や大手新聞で積極的に発言を続けている。ここに来て、このエッセイ集でも再三取り上げられている人類の来し方を巡る歴史学の研究で「複雑な現実を丸ごとさらに細かく、、、、、、見よう」とする著作の邦訳(『万物の黎明』D・グレーバーなど)が出たり、「コモン」や「自治」の概念の重要性が斎藤幸平らによってクローズアップされるのを見て、そこに「ロヴェッリの姿勢」と響き合うものを感じるのは、訳者だけだろうか。
 ここに収録されたエッセイと同時期に執筆されていた『時間は存在しない』、『世界は「関係」でできている』に続いて、2023年にはブラックホールを巡る作品が刊行されている。これからさらにどのような作品が発表されるのか、ロヴェッリからは今後も目が離せない。どうかみなさんにも、ロヴェッリの「古い写真を友人に見せたときのよう」な気恥ずかしくもざっくばらんで真摯な語りが届きますように。

2023年11月 冨永星


続きは『規則より思いやりが大事な場所で』でお楽しみください。

著者プロフィール
カルロ・ロヴェッリ
(Carlo Rovelli)
理論物理学者。1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学卒業後、パドヴァ大学大学院で博士号取得。イタリアやアメリカの大学勤務を経て、現在はフランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いる。「ループ量子重力理論」の提唱者の一人。『すごい物理学講義』(河出書房新社)で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。『世の中ががらりと変わって見える物理の本』(同)は世界で150万部超を売り上げ、『時間は存在しない』(NHK出版)はタイム誌の「ベスト10ノンフィクション(2018年)」に選出、『世界は「関係」でできている』(同)はイタリアで12万部発行、世界23か国で刊行決定などいずれも好評を博す。

訳者プロフィール
冨永星
(とみなが・ほし)
1955年、京都生まれ。京都大学理学部数理科学系卒業。翻訳家。一般向け数学科学啓蒙書などの翻訳を手がける。2020年度日本数学会出版賞受賞。訳書に、マーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』『数学が見つける近道』(以上、新潮社)、キット・イェーツ『生と死を分ける数学』、シャロン・バーチュ・マグレイン『異端の統計学ベイズ』(草思社)、ヘルマン・ワイル『シンメトリー』(筑摩書房)、スティーヴン・ストロガッツ『xはたの(も)しい』、ジェイソン・ウィルクス『1から学ぶ大人の数学教室』(共に早川書房)、フィリップ・オーディング『1つの定理を証明する99の方法』(森北出版)など。

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