消し去ることのできない言語的人格――#3シャオルー・グオ『恋人たちの言葉』(1)
「どうしてわざわざ日本に戻るんだ?」
今でも時々、なんで自分はアメリカから日本に帰ってきたんだろう、と思う。20年ほど前、ロサンゼルスにある南カリフォルニア大学英文科の大学院に入ったとき、できた友人のほとんどが、外国からアメリカに渡ってきた人だった。ナイジェリアから亡命同然で来たクリスだけではない。ペルーから移民としてやってきたり、あるいは韓国からアメリカの白人夫婦に養子として引き取られてきたりと、教室のメンバーは本当に多様だった。
そもそも、僕の指導教員はヴィエト・タン・ウェンというベトナム出身の男性で、僕よりも年下だった。ヴィエト先生は、1975年の南ベトナム崩壊のときに家族でカリフォルニアに逃げてきていた。彼らには共通点があった。アメリカに来た理由はさまざまだ。でもみんな、故国に帰る気がない。
だから僕が頑なに、将来は日本に戻る、と言うとみんな不思議そうな顔をした。こんなに安全で、こんなに豊かで、こんなにチャンスに満ちた国にせっかく来られたのに、どうしてわざわざ日本に戻るんだ。世界にはアメリカに来たくても来られない人がいっぱいいるのに。特に、アメリカ文学研究を続けるなら、中心地はアメリカだろう。ならば日本に戻る意味なんて全くないじゃないか。
何かが根本的に違う
彼らの言葉には説得力があった。僕も頭ではその通りだと思った。でも心は決して納得しなかった。そして当然のように僕は日本に戻り、日本の大学に就職した。どうしてそうしたのだろう。アメリカが合わなかったのか。日本食が恋しかったのか。それらはすべて正しい。でも、それだけではない気がする。シャオルー・グオの『恋人たちの言葉』を読んでいて、そのことに気づいた。
中国南部からロンドンにやってきて大学院で映像人類学を学んでいる主人公の女性は言う。「私は白人に囲まれていた。白人のヨーロッパ人たちが、しゃべったり笑ったりしていた。私は思った。自分は英語を話すし、英語で読み書きもできる。それでも自分はモノリンガル(単一言語使用者)なんだな、と感じる。本当に、たった一つの言語しかないのだ。そしてもっと悪いことに、その言語を私は自分のものにできない。その言語は私を遠ざけるし、それは決して私のものにはならない。なぜ自分がそう感じるのかわからなかった。」
この一節を読んだとき、そうだ、あのとき自分はたまらなく日本語を欲していたのだ、とわかった。アメリカに行くと、見渡すかぎり英語一色なことに驚く。もちろんコリアタウンやチャイナタウンに行けば、別の言語で看板の文字が書いてあるし、ロサンゼルスなら日本食のスーパーも紀伊国屋書店もある。それでも何かが根本的に違う。
日本語は幻か?
大学では英語を読み英語でしゃべる。周囲の人々も基本的には英語しか使わない。そうすると、だんだん奇妙な感覚に囚われるようになる。生まれてから30年以上、自分は日本語を使って考え、さまざまなことを感じてきた。そうやって積み重ねてきた個人史全体が、まるで異次元世界で起こった幻のように思えてくるのだ。
今目の前にある現実がリアルであればあるほど、そもそも地球上に日本なんて存在するのだろうか、なんて思うようになってくる。周囲の人々も日本については知識としてしか知らない。だから大学で扱う知的なこと以外の多くを共有できない。
そういうとき、自分はカリフォルニア大学ロサンゼルス校にある、日本語書籍が詰まった図書館に行って、日本語の本を読みまくった。金もないのにアマゾンで日本語の本を取り寄せた。ブックオフに行き、割高な文庫本を買い込んだ。
英語人格と日本語人格
英語を使っていると、英語で経験したことや考えたことが蓄積されていき、日本語でできたものとは違う、もう一つの人格が自分の中に育っていく。周囲から強制されて英語のモノリンガルと化した自分は、できるだけ英語力を上げたい、アメリカ人みたいにしゃべりたい、顔の表情も仕草も同化したい、と努力する。でもその一方で、自分の中に押し込めたもう一つの人格が暴れだす。自分は英語だけの人間じゃない、と心の奥底で叫ぶ。
あるとき僕はレンタルビデオ店で何気なく、北野武監督の『菊次郎の夏』を借りた。そして冒頭の浅草の風景を見て、部屋で一人で泣いてしまった。特に感動的なシーンでもなんでもないのに。そして、ああもうだめだ、日本に帰ろう、と思ったのではないか。
10代や20代でアメリカに来ていたら、あるいは日本語人格より英語人格の方が強くなっていたかもしれない。ならば今頃アメリカのどこかで、アメリカ人相手に文学史なんかを教えていただろう。けれども僕は、自分の中の日本語人格を消し去ることができなかった。そして日本に戻ってきて、今こうして日本語で、英語圏の文学や文化について書いている。
明日に続きます。お楽しみに!
題字・イラスト:佐藤ジュンコ
都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。
関連書籍
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