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行動遺伝学がもたらしたパラダイム転換とは?!「残酷すぎる世界」との向き合い方を論じた決定版。

知性、能力、性格、そして運まで――。行動遺伝学が明らかにしたのは、人間社会のあらゆる面を「遺伝の影」が覆っており、それから誰も逃れられないということだった。私たちは、残酷すぎる世界の真実といかに向き合うべきか。
人気作家の橘玲氏と、行動遺伝学の第一人者である安藤寿康氏が、知能格差社会の真実から遺伝的な適性の見つけ方までを論じ合った本書の発売を記念し、安藤氏による「あとがき」を特別公開します。


遺伝を取り巻く「闇」と「光」

 行動遺伝学については2000年に『心はどのように遺伝するか――双生児が語る新しい遺伝観』(ブルーバックス)を出版させてもらって以降、今日まで、それぞれの時点での最新の知見と、それをふまえた私論を、主として新書の形で、たびたび紹介させていただく機会を得てきた。遺伝環境問題という、多くの人が関心を持つであろう、しかしタブーに触れるようなテーマなので、それなりの社会的プレゼンスは示せているのかなという感触はありながらも、その反響の薄さにいささか失望し、むしろ不気味さすら覚えてきた。行動遺伝学の知見は、本来、人間存在の認識の本質に関わり、社会科学のパラダイムを根底から揺るがすかもしれないインパクトをもつと、密かに任じていたからである。

 ところがベストセラー作家の橘玲さんが『言ってはいけない』で、行動遺伝学を大々的に世間に広めてくれた。出版当時、書店や電車内の広告で何十万部のベストセラーとして派手派手しく宣伝しているのを遠目で眺めながら、いったい何が起こっているのか、これをどう理解したらいいのか、よくわからない奇妙な違和を感じさせられたことを、今でも覚えている。そもそも「行動遺伝学の知見は言ってはいけないことなんだぞ、だけどそれこそ暴露しなければいけない真理なんだぞ」という表現姿勢に偽悪性を感じたし、それが橘さんの芸風をもってするとここまでインパクトをもって世間にアピールできることが、自分が日頃取り組んでいる学問姿勢とあまりに相容れなくて、当惑しつづけた。

 行動遺伝学が明らかにしてきたことは、確かに知能や学力や収入に遺伝の影響が大きいというタブー性を持つものもあるが、もっともっとずっと豊かな知見、社会のダイナミズムを理解するうえで重要な知見がたくさんあり(それをこれまでも紹介してきたつもりだ)、橘さんのストーリーだけで行動遺伝学を理解してもらっては困ると思って、SB新書から『日本人の9割が知らない遺伝の真実』を出させていただいた(ベストセラーへの便乗でもあったわけだが)。またその頃に一度、まだ当惑の気持ちを持ちながら、橘さんと雑誌で対談させてもいただいた。

 実のところ「橘玲」の名前は、その名前こそよく目にしていたものの、私が苦手で無関心とするお金儲けの話や、人の心を逆なでするようなタイトルの本ばかり出す人という先入観で、申し訳ないが手に取って読んだことがなかったのだ。しかし『言ってはいけない』のおかげで、いやでも読まねばならなくなった。そして驚いたことに、そのセンセーショナルな筆致にもかかわらず、私の書いたものや行動遺伝学のオリジナルな研究を実に正確に深く理解し、そのうえで持論を展開していることがよくわかった。正直に言って、私の授業で懇切丁寧な行動遺伝学の講義を聞いていたはずの(笑)学生はおろか、学界の同業者や隣接領域の研究者でも、ここまでしっかりと読み込んで、そのメッセージを真正面から受け止め、その意義を理解してくれている人に出会ったことがなかった。

 しかもここが重要なことだが、橘さんの偽悪的芸風の裏には、私たちの社会が抱える矛盾、不条理、偽善性に対する怒りや苦悩の叫びがあり、苦しむ人たちを何とかして救いたいという深い人間愛すら、その行間に感じられた。それでいつか橘さんと、再度お話をする機会を持てたらいいと思っていた矢先に、NHK出版からこの対談の企画を持ちかけていただき、二つ返事でお引き受けさせていただいたのである。

 「偽悪的芸風の行間に垣間見られる愛」と私が表現したことを、ひょっとしたら橘さんは不本意と思われるかもしれない。そもそも本書で繰り広げた遺伝と人間に関するテーマは、そんなお花畑で締めくくっていいものではない。私はあくまでも遺伝を良きものとして、少なくともみんなが思うほど悪いものでも忌み嫌われるべきものでもないのだという、たぶんこれ自体これまでほとんどそのようにとらえられたことのなかった「新しい遺伝観」を模索しようとしている。

 それは行動遺伝学の科学的知見を根拠としているが、そこには科学を超えた脚色が施されていることを否定しない。それはもともと悪の学問だった優生学と同根の行動遺伝学を、社会的に許容され、市民権のあるものとして発表するためにどうしても必要な姿勢であった。言ってみれば、この偽善的とも受け取られるような姿勢が私の芸風なのだ。しかしそれで優生学が象徴する闇の側面が帳消しになるわけではない。それがわかっていて、私はあくまでも光の部分を探し求めようとしている。

 それに対して橘さんはあくまでも闇の部分を見つめ続けようとしてくれている。この遺伝を取り巻く闇と光の構図こそが本書の追求しようとするテーマの本質であり、それを橘さんはあくまでもデモーニッシュに、それに対して私はアポロン的に描こうとしているのである。そのいずれもが重要であり、今日的な意味でも、生命科学によって直面させられる社会的問題の根幹を照射する視点だと思う。

 橘さんがそのデモーニッシュな芸風にもかかわらず、いやそのスタイルだからこそ、多くの支持者を得ているのに対して、私の本に対しては、ネットの書評や感想で「言いたいことがあるならはっきり言え」「結局言葉遊びでごまかされた感じ」、さらには「期待外れだった、橘さんの本で十分」というような批判コメントが混じっていて、苦笑している。

 もちろん深く理解し共感してくださる読者、私の本から何かをインスパイアされたと思われる読者コメントも少なくない。さらに橘さんに対してにせよ私に対してにせよ、行動遺伝学自体に疑いの目を向け、遺伝を論ずることに断固として拒否反応を示す論客も依然として存在する。行動遺伝学者の私は、ここにも読み手の遺伝的多様性が表れていると面白がってしまうのは職業病か。

 それでいいのだと思う。本書で繰り広げられた対話によって、その多様性が健全に社会の中で生まれ、それぞれの見解を表明し、それぞれに考えて行動し続けるきっかけとなれば、本書を世に出す十分な存在意義となるだろう。


続きは『運は遺伝する――行動遺伝学が教える「成功法則」』でお楽しみください。

安藤寿康(あんどう・じゅこう)
1958年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。『能力はどのように遺伝するのか』『教育は遺伝に勝てるか?』『「心は遺伝する」とどうして言えるのか』など、著書多数。

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