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戦争、幻影、罪、トラウマ……作家・阿部智里(「八咫烏シリーズ」)が挑んだ長編小説『発現』執筆の背景とは?

 シリーズ累計130万部を超える人気ファンタジー小説「八咫烏シリーズ」著者・阿部智里さん。満を持してシリーズ外の作品として刊行した『発現』は、ジャンルの垣根を越え、時代も空間もクロスした大きなスケール感の長編小説です。刊行に寄せて阿部さんに執筆の裏側や思いをうかがいました。
 ※当記事は、2019年1月にNHK出版ホームページ内の特設サイトで公開したインタビューを再掲するものです。

構想3年、自分ならではのアプローチで挑む

 初めて執筆依頼の連絡をいただいたのは、私が『烏に単は似合わない』(文藝春秋)でデビューした直後の2012年。それからしばらくの時を経て編集担当者と会い、どんな小説にするかを少しずつ話し合い始めたんです。当時の私はいろいろと書きたいものがありました。「八咫烏シリーズ」以外で初めての作品になるわけなので、せっかくなら全く違うものが書きたかった。それは編集担当者とも目的が一致していました。
 当初、ご提案いただいたのは、「異なる時代をまたいだ小説」と「ダークファンタジー」の2点でした。時代設定を決めたのは割と執筆に入って後半のあたりでしたが、ジャンルについては、早い段階で「加害者の中の被害者意識」をテーマの一つにしたいというストーリーの構想にたどり着いたこともあり、ファンタジーから自然と離れていきました。
 テーマをもとに最初に考えたプロットは現代ミステリーでした。それがおよそ3年前のことです。ホラーを書くことにも興味があってそちらの方向も模索したのですが、「何か違う」という違和感がどこかで離れずにいました。そんな中、ああでもないこうでもないと打ち合わせを重ねていたら、「だったらいっそどちらの要素も取り込んで、阿部さんなりのアプローチでジャンルにとらわれない小説にしてみたらどうか」という意見が出てきたのです。そこからは試行錯誤を繰り返しながら、現在の形に収れんしていきました。ですから、本作はあえてミステリーともホラーとも謳っていないんです。その意志は、カバーの装幀にも色濃く反映されています。

突き当たった「現実」の壁

 ミステリーやホラーの要素を取り込んで、こんなギミックも使って……と、物語の全体像を考える作業は楽しかったのですが、構想を練り上げていくと、意図せず現実世界と深く関わらざるを得なくなり、私が何気なく設定したこのテーマは、もっと真剣に考えないといけないことに気づいたんです。
 本作の大きな要素の一つでもある満州に関する描写については、私が学部生の頃に大学で聴講した、学徒出陣を体験された方の講演がヒントになっています。その講演の2年後、再び大学で同じ方の話を聴講する機会を得て編集担当者とともに講演に出席し、さらに後日、改めて個別に取材をさせていただきました。その後も、長野県にある満蒙開拓団に関する資料館を訪ね、当時のことを知る方に話を聞いたり、さまざまな資料をあたったりと、どんどん史実を吸収していきました。
 現実世界が物語に影響すればするだけ、「現実を超えられないのでは」というプレッシャーが自分にのしかかってきました。なぜならば、完全なるフィクションの小説は、作家が自分の物語において“神様”になれますが、現実はそうではありません、その理由もあって、私は作家になってから歴史ものを書かないと決めていたのですが、本作は少しそれに踏み込むことを避けて通れなくなりました。それでも強行できるだけのストーリーがあったからフィクションとして書き上げられましたが、避けていた領域に意図せず近づいてしまったので、苦しみも大きかったですね。ですが、本作で自分なりのやり方がわかり、そのためのスキルも身についたと手応えはあります。本当によい修業をさせていただきました(笑)。
「八咫烏シリーズ」もそうですが、物語にはあるべき姿というのが存在するのではないか、と私は日頃考えます。本作も同様で、先述のようなさまざまな過程を経て、「八咫烏シリーズ」を書いてきた自分にとって、「このような世相で時機だからこそ、この小説を書くべきだったんだ。私が取り組むべきものだったんだ」と納得できる境地に至っている。それが、『発現』を世に出すことになった必然的理由なのだとすら思っています。

結局は“人間”を描きたかった

 キャラクター性が重要な「八咫烏シリーズ」とは異なり、本作はそれを醸成せずにあえてキャラクターの属性に焦点を当てて書いています。そのため、キャラクター小説にはできない一方、キャラクターの描き方を簡素にしすぎると、登場人物たちは人間ですらなくなってしまう。私が書きたいのは結局、人間です。テーマやストーリーは初めからありましたが、キャラクター作りとの距離を見定めるまでが大変でした。でも最後には、それがあるべき場所に落ち着いて「人間を描けた」という感があります。
 この物語の背景にある現実は、「誰にでも起こりうること」だと思っています。ほんの数十年前に、戦争をしていた時代があって、本作で描いた登場人物たちが体験したことは、私たちの祖父母や近しい人など、誰にだってありえることではないだろうか、と。だからこそ、この物語の登場人物には山田や鈴木といった、ありがちな姓をつけ、一般化しました。
 最近、戦争を扱った小説が増えていますが、それは、表に出せない傷を負っている人たちの不満をあえてすくい上げるような小説を形にしたものが登場してきたのが背景にあるように思います。私は、むしろそこをないがしろにせずにこられたらもっと建設的な議論ができたのではないか、という思いもあり、この小説を書いたところもあります。そういった背景を考えますと、この小説は「救い」の物語と言えるのではないでしょうか。

新しい引き出しを開いた『発現』

 ファンタジーである「八咫烏シリーズ」を楽しんでこられた読者の皆さんにとって、本作を読んだ後は複雑な感情を抱かれるかもしれません。しかし『発現』を書いた意図には、「ファンタジーを書いてきた阿部智里がそれ以外にこんな作品も書くんだ」ということをお伝えしたかったという気持ちがあります。「八咫烏シリーズ」で培った手法が通用せず、限られた引き出しの中での執筆でもありましたが、私の力はすべて出し尽くせたと実感していますし、新しい引き出しを開けたと思っています。もし批判を受けたとしても、これが今の実力だと受け止められるレベルには仕上がったという自負もあります。ですから、「これもまた、阿部智里です」と思って読んでいただけたらうれしいです。
 今後は、ド直球のハイファンタジーものや、刑事ものにも挑戦し、『発現』や「八咫烏シリーズ」と同様、いろいろな結末を描いてはそのたびに読者をいい意味で裏切っていけたらと思っています。「おもしろい」と感じていただける作品を引き続きお届けできるよう頑張りますので、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

 「本がひらく」では、阿部智里さんの掌編小説「秘密のお客さま」を公開中です。阿部智里さんの実体験も含まれた、心がじんわり温まる、どこか懐かしく、そして、ちょっと不思議なストーリー。こちらもぜひあわあせてご覧ください!

プロフィール
阿部智里(あべ・ちさと)

1991年生まれ、群馬県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。2012年、『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少受賞。14年、早稲田大学大学院文学研究科に進学、17年、修士課程修了。デビュー以来、「八咫烏シリーズ」を7冊刊行し、累計130万部を突破。同シリーズのコミカライズも好評発売中。19年、最新長編小説『発現』を上梓。
*『発現』特設サイトはこちら
*「八咫烏シリーズ」公式サイトはこちら
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