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脳は「深遠な展望台」、尿は「太古の海」──世界を旅する現役医師が語る人体の驚異と奇跡

本がひらく

 血液は「体内を流れる川」であり、心臓は流れが滞らないよう指揮をとる。
 脳は「自分だけの高い山」であり、人体にとっての奥深い展望台だ――
 北極圏、ネパール高地、アメリカ先住民居留地など世界各地で医療活動をおこなってきた著者は、体内の器官を理解するために自然の生態系への深い知識が必要だと気づきます。人間は自然という大きな「体」のひとつの器官であり、内臓どうしは体内の生態系として互いに連携してはたらいているのです。
 自然界を通して得た豊かな知識と深い洞察に満ちたユニークな医学エッセイ『未知なる人体への旅――自然界と体の不思議な関係』(ジョナサン・ライスマン/羽田詩津子訳)が、11月29日に発売となりました。刊行を記念して、本文の一部を特別公開します。*本記事用に一部を編集しています。


旅が教えてくれたこと

 医師になるまえに、わたしは世界じゅうを旅した。飛行機で旅をするときは、離陸直後と着陸寸前のクローズアップで見る風景をとても気に入っていた。旅客機から眼下を見下ろし、地上を観察するのは楽しい。ビルがぎっしり立ち並ぶ町、整然とした農場や森の広がり、ところどころに建つ煙をたなびかせている工場。なによりも、地上をヘビのようにのたくって走る水路に魅了された。人が作った農場や町を身をくねらせながら、堂々と横切っていく水路に。
 上空からだと、川が分岐したり合流したりする様子がよく見えた。ちっぽけな小川が大きな流れになり、さらにほかと合流し、どんどん大きくなっていく。どれもいつまでも独立して流れることはなく、すぐに大きな川の支流になる。高い山の中でも海辺でも、支流のフラクタルは普遍的だった。飛行機の旅が日の出か日没にかかると、太陽の光が眼下の大地をくっきりと浮かび上がらせたので、土地の形と、そこを流れる水との相関関係をよりいっそう明瞭に見てとることができた。水系がある土地には流域と呼ばれる範囲があり、ここからひとつの河川に水が流れこんでいく。
 医科大学に行くまえから、自分の体にも同じパターンがあることに気づいていた。首を伸ばして小さな丸窓から外をのぞくとき、アームレストにおいた前腕には、表面に青みがかった血管がくねくねと走っている。まさに眼下に広がる大地を水路が延びているのと同じだ。血管は腕を上っていき、より太い血管と合流する。地上の流域を流れる川のように。
 ロシア極東を旅したとき、水路をこれまで以上に熱心に探求し、川に沿って旅をした。カムチャツカ半島で先住民について人類学的リサーチをしたときは、地元の家族といっしょに一週間にわたって馬で旅をし、彼らの夏の狩猟小屋まで行った。頰骨が高く顎に無精髭を生やした、エヴェン族のヴァシリーという小柄な三十六歳の男性が、小さな馬で道案内をした。彼の奥さんのオルガがそのあとに続き、赤い丸々したほっぺたをもつ五歳の息子のアンドレは、母親のうしろに乗って上着にしがみついていた。わたしはしんがりで自分の馬に乗り、カムチャツカでいちばん大きな町、エッソを出発して広い谷間を登っていった。町を離れるにつれ白い泡立つ流れになったビストラヤ川沿いに、上流へと馬を進めた。そのあいだじゅう、アンドレは馬の上で何度も振り向いては、わたしに向かっておどけた顔をしてみせた。
 出発してから数時間して、ビストラヤ川のもっと細い支流との合流地点にたどり着いた。右に曲がり、しばらく支流沿いに進み、最初の晩はそこでキャンプをした。土手にテントを張り、川の水をわかしてお茶を淹れ、夕食を作った。翌日、上流に向かって進んでいくと、また合流地点にぶつかった。そこでは、これまでたどってきた支流よりもさらに細い流れに分かれていた。そしてふたたび曲がり、さらに細い支流沿いに馬を進めた。こうして、細くなっていく流れを次々にたどりながら、山に分け入った。ヴァシリーの頭には道順が完全に入っていて、支流の名前をひとつひとつ教えてくれた。ついに、たどってきた流れが、水がちょろちょろ流れるだけになると、ヴァシリーはこれには名前が付いていない、と言った。やがて、その水は岩が散らばるツンドラの下にすっかり消えてしまった。ついに、わたしたちは谷間の頂上である山の峠に立ったのだった。
 峠の上から、反対側の険しい斜面の下にも別の広い谷間が開け、水が反対方向に流れ落ちていくのが見えた。それはたった今登ってきた谷間とそっくりな風景だった。峠がふたつの水系の境界、すなわち分水界になっているのがはっきりとわかった。はるか下に小川の流れが見える。それが別の水系の始まりで、やがて支流に分かれたり合流したりするのだろう。わたしたちは峠を越えると、今度はそちらの流れをたどっていくことにした。その後数日で、流れはほかの支流と合流して、刻一刻と大きくなっていき、わたしはその地域の水の流れがどういう形になっているか、直感的に理解するようになった。ヴァシリーは流れがどこでどのように分岐していくのかについて精通していたが、それは道なき道を歩んで山中を案内していく際に不可欠の知識だった。
 数週間後、北カムチャツカのサケが群れをなすカイリノ川べりにすわって、サケが争いながら上流をめざすのを眺めているときに、自分の将来についての考えがまとまり、ひとつの結論が出た。地球上でもっとも美しい辺境の地の旅は終わりを迎えようとしていた。わたしはいつかふたたびこの地を訪れることを想像した。旅人としてではなく、わたしの滞在中、とても丁重にもてなしてくれた地域の人々を助ける医師として。家に帰ったら、医科大学に志願しようと決心したのは、その川のほとりでだった。それがわたしの分水界となった。

人体の分水界

 医科大学に入学して、人体の解剖学について学ぶようになると、人体にはいたるところに分水界があることを知った。胆汁は肝臓から細い管に排出されると、次々に大きな流れへと合流していき、やがて膵臓の消化液の支流に入り、そこで混じり合った物質を小腸へと運んでいく。同じようなパターンの流れが唾液腺と乳腺からの排出にも見られる。わたしは人体の地形図と、体液が流れる枝分かれした水路をすべて暗記した。
 わたしにとって心臓血管系の地図は、なによりも強制的に頭にたたきこんだもののひとつだ。それは、カムチャツカの旅で学んだことを思い出させた。ビストラヤ川を遡る旅は、心臓から出発した血液が人体のあらゆる組織へ旅していくのと似ていた。心臓から押し出されるすべての血液は最初に人体の本流である大動脈に入る。合流地点に到達すると、曲がって、より細い支流の動脈をたどっていき、さらにいっそう細い支流に分岐した動脈網へと進んでいく。こうしてひとつ曲がるたびに、血液は体内の目的地へぐんぐん近づいていく。
 人体の太い血管や中太の血管にはすべて名前があるが、人体の奥地を流れている、いちばん細い毛細血管には、どんなに詳細な医学書でも名前が付けられていない。細胞の入口まで直接栄養を運んでいく毛細血管は、人体における山の峠だ。動脈の流れを旅してきた血液は、そこを通過すると、ふたたびそっくりな別の血管の流れへと入っていき、帰りの旅路につくのだ。循環する旅の第二章は、細い静脈の流れで始まる。その流れは次々に合流して、より太い血管を流れていく。前腕を走っている青みがかった血管は、手とその筋肉、骨、腱、皮膚が出合った地点から流れ出たごく小さな流れが合流したものだ。人体のどの部分も、血液の流れ同士が合流するために必要だ。ちょうど地面に落ちる雨の一滴一滴が、やがてひと筋の流れを作るように。そして、人体の地形図でもっとも遠い場所から出て酸素を使い果たした血液は、人体でもっとも大きな静脈の川、大静脈に流れこんでいく。
 人体の血管は地球上の川と同じく活力にあふれ、自ら軌道修正して慢性的な障害物を迂回することができる。たとえば冠動脈疾患がある人々には、長年のうちに迂回路ができることがよくあり、それによって血液が細胞まで流れていくことが可能になる。川は岩によって流れをせき止められると、やがて岩を迂回する新しい流れを見つけるが、それとまったく同じように、人体の心臓血管系は血液の流れのために新しい流れを作り、古い流れは三日月湖のように取り残される。
 わたしは体じゅうをめぐっているほとんどすべての血管の名前、道筋、分岐点を暗記しながら、地元の山々における川の流れを熟知していた案内人のレベルに早く到達したいものだ、と心から願っていた。

配管工から人体を学ぶ

 人体についての見識をより深めるために、わたしは配管工の考え方を取り入れることにした。リチャード・ブレイクスリーはわたしが働いていた病院のメンテナンス責任者で、病院の配管システムのために、心臓専門医(循環器内科医)と外傷外科医の両方の役目を果たしていた。しかも、医師がやるのと同じやり方で配管の問題を解決した。
 病院のある棟で水道が完全に止まってしまったという連絡が来たとき、彼は病院内のほかの場所にいる同僚たちにただちに無線で連絡し、ほかの棟でも同じことが起きているかとたずねた。その根拠について、彼はこう説明してくれた。病院全体の水が同時に止まったのなら、解決は簡単だ―町の水道課に電話する。なぜなら病院へ水を供給する町のシステムそのものに問題があるからだ。
 しかし、ブレイクスリーの同僚たちは、病院のほかの場所では勢いよく水が出ていると無線連絡してきた。病院規模の現象ではなく部分的な問題で、病院の一部の配管システムだけで起きていた。ブレイクスリーは病院内の配管を一本残らず熟知していて、配管がどう走っていて、どこで分岐し、さらにそれがどの蛇口につながっているかも把握していた。分岐し、合流する配管の地図に精通しているおかげで、どこに詰まりが生じているかを推測できた。
 彼は給水設備室に向かい、頭の中の地図が問題ありと教えてくれている箇所に歩み寄った。予想どおり問題の病院棟に供給している管が本管から分岐するまさにその箇所で、原因を発見できた。バルブが故障したので、流れを管理しているゲートが閉まり、心臓発作の血栓さながら完全に水を止めてしまっていたのだ。心臓ステントのようにバルブの交換によってその病棟への水流が回復し、問題は解決できた。
 勤務を終えたある日、わたしはこれまで知らなかった階段の吹き抜けにあるドアから中に入った。そこは、病院の給水設備室だった。リズミカルに回転する大きなモーターの音に負けじと、ブレイクスリーは大声でしゃべりながら、床から天井まで這っている薄汚れた白い管を指さした。管には開閉用の大きな赤い輪が付いたバルブが取り付けられている。そこは、病院のありとあらゆる場所に新鮮な水を送り出す管が並ぶ、いわば病院の心臓部だった。それは、心臓から延びている複雑に入り組んだ大きな血管網を連想させた。
 病院の配管の分岐点と同じように、人体における分岐点は臓器とそれに接続する血管系から構成されている。人体の血栓を治療するとき、わたしはブレイクスリーとまったく同じように考える。冠動脈の支流の中で血栓が作られているなら、その支流が栄養を運ぶ細胞だけ血流が遮断され、心臓の残りの部分は健康な血流を受け取っている。しかし、それを解明するのは簡単ではない。心臓は肉と骨でできた不透明な胸壁で隠されているので、さまざまな場所にいる同僚に蛇口をひねってみてくれと無線で連絡したり、給水設備室に入っていったりすることはできない。そこで心電図が役に立つわけだ。心電図は心臓の中をのぞき、その中の蛇口を確認するための手段なのだ。そして、心電図の解釈をするためには、流域を理解する必要がある。
 標準的な心電図の十二本の電極は心筋の中を走る電気信号を記録し、それぞれが心臓の別の部位を表している。心組織への血流が止まると、電気活動の混乱が心電図のジグザグの線に現れるが、重要なのは、それが全体的なのか部分的なのかを判断することだ。胸痛を訴える患者の心電図を見るたびに、わたしの最初の質問はブレイクスリーと同じだ。その混乱が起きているのは、どこの場所か?
 心臓の健康についての心電図のメッセージは、つねに簡潔明瞭とは限らない。もっとあいまいな手がかりを読みとるためには、医科大学で暗記した冠動脈地図を利用している。心臓のそれぞれの部位は、特定の冠動脈枝によって血液を提供されているので、心電図で示された電気的混乱がすべて心臓の同じ部位に集中しているのを見ると不安がふくらむ。問題が冠動脈のひとつの流域内だけで起きていれば、患者の胸痛は些細な原因からではなく、おそらく心臓発作で引き起こされたのだ。
 ブレイクスリーの問題解決テクニックと同じように、また、山の中を旅するように、地形と分岐する水の流れを熟知することは不可欠だ。カテーテル治療をおこなう心臓専門医も、冠動脈にカテーテルを挿入して心臓発作を起こした犯人である血栓までたどっていくときに同様の技巧を発揮する。心臓専門医は分岐ごとにどちらに曲がればいいのかを知っているので、どんどん細い血管に入りこんでいき、造影剤が停止している箇所までたどり着けるのだ。きわめてやっかいな配管の問題の解決や命にかかわる病気の治療をし、人里離れた深い山を進んでいくとき、配管工も医師も旅人も流れのほとりに立ち、相互につながる流れや枝分かれする水路を大局的に眺めなくてはならない。すべてはその流域を理解するためだ。
 わたしは心臓発作の患者を何人も診断し、躊躇なく落ち着いて手順をこなせるようになった。長年にわたって診断をおこない、心電図を読むことがなじみのある道筋を進むように感じられてきた。
 ただし人体の血流は、地上の水路や建物の下水管とはある重要な点で異なっている。大地からの排水は大きな川に合流して網状三角州を作り、旅の最後に海へ到達する。同じように、建物の配管システムからの流出物は太い管に流れこみ、最後に汚水処理場という終点に着く。しかし、血液はちがう。心臓から出ると、無限に分岐する血管を流れて、全身のあらゆる細胞と出合ってから、ふたたび太い血管に合流する。そして最終的に旅が始まった場所である血液の三角州に、人体の真の中心である心臓に戻ってくるのだ。

Ⓒ Olaf Starorypinski

ジョナサン・ライスマン Jonathan Reisman
内科・小児科医師。北極圏や南極、ネパールの高地、アメリカ先住民居留地など世界各地で医療活動をおこなう。スペイン語とロシア語に通じ、健康と教育の向上を目指すインドのNPO代表を務める。自然と現代医療のつながりについて、ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、オンラインマガジン「スレート」などに多数寄稿。妻と子供たちとともにアメリカ、フィラデルフィア在住。本書は初の著作にあたる。

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