評伝 『ECDEAD あるラッパーの生と死』 「ECD/石田義則の命日にあたって」 磯部 涼
2020年1月24日にスタートした、ECDさんの生涯を評伝として描く連載。おかげさまで多くの方から反響がありました。現在、第2回公開に向けて執筆を進めている磯部涼さんから、メッセージが届きました。磯部さんはECDの不在に何を思うのか。連載の再開を楽しみにお待ちください!
2021年1月24日は、ECDこと石田義則が亡くなってから3年目の命日にあたる。
石田さんにまず謝らなければいけないのは、昨年の今日、『ECDEAD』と題した評伝のプロローグを発表したのにもかかわらず、結局続きを書くことが出来ないままこの日を迎えてしまったことだ。彼がいつもみたいに苦笑いをする顔が見えるようだが、執筆に向けて膨大な資料の整理に取り組む中で「石田さんだったらどうするだろう?」と考えることの多い1年でもあった。
新型コロナウイルスのパンデミックによって3年前には思いも寄らない状況になったこともそうだし、安倍晋三が内閣総理大臣を辞任した時、筒美京平が亡くなった時、Kダブシャインが陰謀論にはまったと気づいた時、まず想像したのが石田さんのリアクションだった。あるいはMoment JoonやPlayboi Cartiの新しいアルバムを聴いた時。他でもない、現在に向き合い続けたのがECDだからだ。
もちろん彼は過去の文化や社会、政治に関する広い見識を持っていたが、それをもとにどう現在的な音楽をつくるか、どう現在的な行動をするかにこそこだわった。そして“現在”、日本にそういったアーティストはほとんどいない。だからこそ、2018年1月24日以降の彼の不在が大きな空白として感じられるのだ。自身が現在に向き合う指針を定めようとするとき、もし石田さんなら……と思いを巡らせてしまうのだ。
その功績を称え、行動を受け継ぐためにも連載を再開しなければいけない。暖かくなるまでには必ず。石田さんがまた苦笑いをする顔が見えた。
プロフィール
磯部 涼(いそべ・りょう)
ライター。主に日本のマイナー音楽、及びそれらと社会の関わりについてのテキストを執筆。単著に『ルポ 川崎』(サイゾー、2017年)、『令和元年のテロリズム』(新潮社、2021年3月刊行予定)などがある。その他、共著に大和田俊之、吉田雅史との『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(毎日新聞出版、2017年)、編書に『踊ってはいけない国、日本――風営法問題と過剰規制される社会』(河出書房新社、2012年)など。
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