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「脱落」するリスクは誰にでもある――日本経済を激しく蝕む、労働市場の「落とし穴」とは何か?

 労働市場から100万人を超える“消えた”人々がいる――。
 取材を進める中で著者たちに見えてきたのは、雇用統計にすら反映されず、労働市場から“消えた”状態となっている中高年たちの存在だった。その数、100万人超。働き盛りのはずの40代・50代に、いま何が起きているのか? 日本経済にまで負のインパクトをもたらす、労働市場の「落とし穴」とは? 誰もが陥りかねない「消えた労働者(=ミッシングワーカー)」の実態と問題の背景、そして解決の糸口に密着取材で多角的に迫る。
 当記事は、NHKスペシャル取材班『ミッシングワーカーの衝撃 ~働くことを諦めた100万人の中高年』(NHK出版新書)から一部を抜粋してお届けするものです。

内閣府調査が浮き彫りにしたこと

 この本の原稿と格闘した2019年、「ひきこもり」が世間から注目を集め、社会問題として繰り返しクローズアップされた。
 端緒は、2019年3月、内閣府が公表した「中高年ひきこもり」の実態調査の結果だった。40歳から64歳で自宅に半年以上ひきこもっている人が推計613,000人に上ると発表されたのだ。
 このうち男性が70%以上を占め、7年以上の長期にわたっている人が半数近く、という分析結果にも注目が集まった。一家の大黒柱として、働き盛りの世代であるはずの男性が「ひきこもり」状態で、働けていないことになるためだ。
 私たちが内閣府の調査で注目した点は、もう一つある。「ひきこもり」というと、自宅の部屋に閉じこもり、出てこないような人をイメージしがちだが、実際の「中高年ひきこもり」は自宅だけに閉じこもっているわけではないということだ。
 調査で外出の頻度をたずねた設問、

① 仕事や学校で平日は毎日外出する
② 仕事や学校で週に3~4回外出する
③ 遊び等で頻繁に外出する
④ 人づきあいのためにときどき外出する
⑤ ふだんは家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する
⑥ ふだんは家にいるが、近所のコンビニなどには出かける
⑦ 自室からは出るが、家からは出ない
⑧ 自室からほとんど出ない

の選択肢のうち、⑤~⑧が「ひきこもり」状態だとされるが、自宅から出ないのは⑦と⑧だけだ。この二つを選択した人は合わせても15%程度にとどまっている。つまり、「ひきこもり」とされる人のうち、ほとんどの人は自宅に閉じこもっているわけではないのだ。では、何が問題なのだろうか。
 調査の結果、明らかになったように、「ひきこもり」は普段は家にいることが多いが外出することもある人たちだ。しかし職場や学校など、社会的な役割を持つ場所、そして他人と接点を持ち得る場所に積極的に出かけることはない。外出はしていても、他者と関係を築ける状態にはほとんどないということだ。
 すなわち「社会と接点を持てない」=孤立した状態の人だと言うことができる。そうした人たちに必要なのは、社会との接点を取り戻すことだ。まずは働く前段階として、他者とつながる機会を得られることが支援に結びつける鍵になる、それをこの調査は証明したのだと言える。
 しかし、なぜこうした状態になってしまうのだろうか。私たちは、内閣府による調査の前年、NHKスペシャル「ミッシングワーカー 働くことをあきらめて…」を放送したが、その折に見たのは「長期間働かず、社会から孤立する中高年」の姿だった。就職氷河期に直面した40代、そして非正規労働が拡大した初の世代でもある40代、50代は、バブル崩壊のあおりをもろに受けて仕事につまずき、働くことから長く遠ざかってしまっていた。
 もう一つ、親の介護を理由に仕事が続かなくなった人も増えていた。彼らは経済的に余裕がないからこそ、自分で介護しようと思うあまり、すべてを背負って身動きできなくなり、やがてアルバイトやパートの仕事さえ続かなくなってしまうという、追い詰められた状況に陥っていた。
 内閣府の調査は、そうした状態に陥った人たちが数多く存在することを、改めて浮き彫りにするものだった。

「ミッシングワーカー」とは何か?

 長期間働くことができていない人、すなわち「ひきこもり状態が続いている人」に注目した私たちは、こうした人たちが働き盛りの世代に増えていることが、日本特有の現象ではないことも突き止めた。労働者に格差があり、弱い立場におかれている労働者が「労働市場から排除」されがちな先進諸国に共通する現象であることを発見したのだ。それが、「ミッシングワーカー(消えた労働者)」という、アメリカでも問題視され始めている「働きたくても、働けなくなってしまった人たち」の存在だった。
 このことについては本書の中で詳述するが、なぜ日本でも「ミッシングワーカー」、つまり家でひきこもっている状態の中高年の増加が深刻化しているのだろうか。そこには、親の年金に依存して長期間の「ひきこもり」が可能になってしまった結果、労働市場に戻れなくなるほど、心身の状態が「働くこと」から遠ざかってしまうことが、原因の一つとしてある。
 親の年金があるから、周囲からは困っているように見えず、リスクがある状態にもかかわらず外から発見しにくい。そのため、親の死で年金がストップする時には、すでに子どもは50代、60代になっていて、支援機関からすれば「なぜここまで発見できなかったのか」と思わざるを得ないほどに深刻化してしまっているケースが増えているのだ。
 親子関係で言えば、中高年世代の親は70代、80代の、介護が必要となる世代でもある。親の介護をすることが子どもの免罪符になり、働かないのではなく、働けないのだと自分に言い聞かせて介護に専念するうちに、負担の度合いが重くなり、親を一人で背負う重圧から精神的にも追い詰められ、さらに働くことから遠ざかってしまう―――私たちは取材中、そんな事例にたくさん出会った。
 私は、高齢の親を介護するために「仕事を辞めて同居するしかないと思うけど、どう思うか」と相談を受けると、必ず、仕事を辞めてはいけないと伝えることにしている。親と同居するかどうかは個人の選択だが、「ミッシングワーカー」となってしまうと、孤立を深め、労働市場から排除されるだけでなく、いずれ社会からも排除されてしまう大きなリスクがあるためだ。

2019年に起きた、社会を震撼させる事件

 2019年には、社会を震撼させる事件が起きたことで、世間がさらに「ひきこもり」に注目する流れが強まった。その事件は内閣府の調査結果の公表から2ヶ月余り経った5月28日の朝に起きた。神奈川県川崎市にある住宅街の路上で、51歳の男性が登校中の小学生らを殺傷し、自らもその場で自殺する、という地域の平穏を一瞬で崩壊させた事件だった。
 容疑者の男性は、伯父夫婦のもとで、働かず、「ひきこもり」の状態だったと報道された。私は、この時に多くのワイドショーが「ひきこもり」という言葉を連呼し、あたかも「ひきこもりの人たち」が危険な存在であるかのような伝え方をしていたことを非常に危ないと感じていた。
 それでなくても社会から孤立している人たちである。こうしたニュースの報じられ方をきっかけに「危ない人たち」という見方をされ、冷たい視線を浴びてしまえば、さらに孤立を深め、事態をより深刻化させかねない、あるいは追い詰められてしまう人が出るのではないかと心配になったのだ。
 中高年の無職の子どもと同居している親たちが「まさか我が子も同じことを」と無用な不安を募らせてしまうことも心配だった。私たちは、「ひきこもり」の状態にある多くの人たちが、働くことにつまずいたり、親の介護と両立できなくなったりした結果、働けなくなり、無職になったという以外に、何ら問題のない「ミッシングワーカー」であることを知っている。
 長期間、無職の状態が続いた人の中には、やや無口で口ベタな人も少なくないが、それでも日常生活には何の問題もない人が大多数だ。収入を得られる仕事をしていないというだけで、それ以外は普通の人と何ら変わらない人を差別するような、そんな憤りさえ覚える報じられ方も散見された。
 もちろん、働くことが長期間できていない人には就労支援など、何らかの手助けは必要だろう。しかし、決して社会にとって危険な存在などではない。ただ、知っておかなければならない重要なことは、「ひきこもり」になった要因は、仕事の失敗や失業、病気、家族の介護、あるいはそれらが重なった結果など、人それぞれ違うということだ。
 そうした中に、精神疾患や発達障害なども含まれる。あるいは、親の虐待やいじめなど精神的に追い詰められる事情があって、そうした状況になってしまう人もいるかもしれない。あるいは、違法薬物に依存した結果、ギャンブルやゲーム依存症など、じつに多様な原因を想像しなければならない。
 中には、ひきこもっていることで、精神的に攻撃性を助長させていくリスクを抱えている人もいるかもしれないが、それはごく一部で、多くの人はそんなリスクとはほど遠い、むしろおとなしい人たちだ。
 しかし、この事件の報道のわずか4日後、東京都練馬区の住宅で、76歳の父親が44歳の長男を刺殺する事件が起きた。この長男も長年、「ひきこもり」の状態で働くこともせず、ゲーム三昧の日々を送っていた。両親は、長男から長年にわたって暴力を受け続けていた。追い詰められた末の犯行だった。

なぜ支援は行き届かなかったか?

 いずれも「ミッシングワーカー」の状態を脱するための支援などは受けておらず、同居する家族や親族だけが悩みを抱えたまま孤立していた。なぜこうして追い詰められる前に、支援が行き届かなかったのだろうか。
 後者の事件の裁判員裁判は、東京地裁で2019年の暮れ、12月11日に始まった。冒頭陳述によると、長男は中学時代にいじめを受けていた。それが原因で家に閉じこもるようになり、しばらくして母親への暴力が始まった。
 大学進学後は、一人暮らしを始めたが、事件が起きる1週間前に実家へと戻っていた。一人暮らしをしていた際、ゴミ屋敷のような有様だったことを父親がとがめると、父親に暴力を振るうようになった。両親はそんな暴力に苦しむ日々が再び始まったことを恐れ、絶望していたのだろう。
 父親は事件を起こす前に妻に宛てた手紙を書いており、それが法廷で読み上げられた。原稿用紙には「これしか他に方法はないと思います。死に場所を探します。見つかったら散骨してください。英一郎も散骨してください」と書かれていた。
 証人尋問では、母親が証言台に立った。そして、長男の暴力が中学2年生の頃から長年にわたって続いていたこと、事件の1週間前には父親が激しい暴行を受けたことを証言した。そして長男の妹は、兄が原因で縁談が破談となり、自殺したと苦しそうに話した。自分も2018年の12月、自殺を試みたが未遂だった。母親は最後に涙声で訴えた。
 「長男のことを本当に一生懸命やってくれた。刑を軽くして下さい。お願いします」
 弁護側は、長男が統合失調症やアスペルガー症候群と診断されていたことも答弁している。
 裁判の判決は、12月16日に言い渡された。検察側の求刑懲役8年に対して、判決では懲役6年とされた。弁護側は、執行猶予つきの判決を求めていたが、裁判長は「強固な殺意にもとづく短絡的な犯行」とした。判決では、仕事のない長男を支えてきた努力は否定しないとしながら、発達障害に悩みながらもインターネット上で人間関係を築くなどしてきた長男の人生を一方的に奪う権利はないとした。

私たちの社会が試されている

 こうした家族を取材した経験からすれば、親に経済的な余裕があり、教養もあるのだから「支援に結びつく相談ぐらいできただろう」と外から他者が簡単に言うことはできないと感じている。この2つの事件に関わる家族たちも、本人も、相当に苦しんだはずだ。実際、支援体制が十分に整っているとは到底言えない状況があるためだ。
 外見上は、「ミッシングワーカー」となった中高年(長期間働いていない中高年の子ども)を抱える世帯の問題だと言えるが、原因が精神疾患や発達障害など、働こうにも働けない問題だった場合、そして家族関係にもきしみが生じている場合には、普通に生活困窮者支援の窓口で受けられる就労支援などで解決に進める状態ではない。専門家による治療と、きめこまやかなケアが必要だ。
 これを家族だけで背負ってしまえば、いつか追い詰められてしまうだろうし、その家族がいなくなればどうなるか―――つまり「親亡き後」の問題が、そこには常につきまとう。
 国は、精神病を患っていても、施設に入所させるのではなく、家や地域で普通に暮らせる社会を目指してきた。しかしその一方、こうした人たちを在宅で支援する環境は十分ではないのだ。これらの家族が本当に必要だったのは、臨床心理士や訪問診療を行う精神科医などのチーム医療体制がある訪問診療サービスを受けることだったと思う。
 しかし地域によっては、チームどころか訪問サービスが皆無というところも少なくない。「ミッシングワーカー」と一括りにするのではなく、こうした特別な事情を抱えた人でも、労働市場から排除され、社会から隔絶された状態にしておくのではなく、地域がケアするなど安心できる態勢の中で見守り、同居する家族まで追い詰められてしまうことがないようにしなければならない―――そのことをこの2つの事件は示唆しているのではないだろうか。
 さらに、事件を起こすリスクがまったくないと言い切っていい、多くの「ミッシングワーカー」に必要なことは、社会とのつながりを取り戻し、いずれ労働市場に帰っていけるようになることだろう。
 これについては、彼らの存在に気づき、少しばかりおせっかいする勇気を地域の人たちが育んでいけば可能なこともわかってきている。個人主義に向かって突き進んできた私たちの社会は、そうした意味で、いま試されているのではないだろうか。
 読者の方々には、まず「ミッシングワーカー」となってしまった人たちのことを知ってほしい。そして、誰しもが陥りかねない、その「ミッシングワーカー」というリスクについて知ってもらった上で、その人たちを再び社会の中に呼び戻すために何ができるのかを、本書を通じて一緒に考えていきたいと切に願っている。

プロフィール

板垣淑子(いたがき・よしこ)
1970年生まれ。東北大学法学部卒業。94年、NHK入局。報道局制作センター、仙台放送局、報道局社会番組部、大型企画開発センターを経て、現在、名古屋放送局報道部報道番組。主な担当番組は、NHKスペシャル「ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~」(2006年度ギャラクシー賞大賞)、同「無縁社会~〝無縁死〟3万2千人の衝撃~」(10年菊池寛賞)、同「終の住処はどこに 老人漂流社会」(14年度アメリカ国際フィルム・ビデオ祭 ゴールドカメラ賞)、ほか多数。15年には、放送文化基金賞個人賞を受賞。

木下義浩(きのした・よしひろ)
1982年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2006年、NHK入局。大阪放送局、報道局社会番組部、「おはよう日本」を経て、現在、名古屋放送局報道部報道番組。主な担当番組は、かんさい熱視線「〝見えないホームレス〟~個室ビデオ店放火事件の周辺~」、NHKスペシャル「巨大津波 〝いのち〟をどう守るのか」、同「MEGAQUAKEⅡ 巨大地震 第1回」、同「〝新富裕層〟vs.国家~富をめぐる攻防~」、クローズアップ現代+「追跡〝なりすまし〟社会~職業偽装の闇~」、ほか多数。

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