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アリストテレスで「人間」の本質を抉り、ハイデガーで「存在」の意味を知る。 西洋哲学の名著を題材にして、複雑化する世界をとらえる――『名著ではじめる哲学入門』より

 私たちを取り巻くこの世界とは、いったい何なのだろうか? その問いに答えるべく、注目の哲学者・萱野稔人が、「哲学」「人間」「存在」「国家」「政治」「権力」など15の問いを設定し、アリストテレス『ニコマコス倫理学』からドゥルーズ、ガタリ『千のプラトー』まで、名著38冊と49のキーワードを駆使して、日本人の哲学力を磨きます。
 複雑化する世界を新たな視点でとらえる、実践的学び直しの書として編まれたNHK出版新書『名著ではじめる哲学入門』(9月10日発売)より、当記事では冒頭の章「哲学とは何か」を一部抜粋してお届けします。

哲学とは何か

*キーワード:起成原因

*取り上げる名著:
スピノザ『スピノザ往復書簡集』
独自の形而上学体系を構築して後世の思想に大きな影響を与えたオランダの哲学者スピノザ(一六三二〜七七)が、自らの哲学をめぐり友人・門弟と交わした書簡集。その思想や人柄、また当時の時代状況を理解するための貴重な資料である。

 私たちはしばしば「……とは何か」と考えることがあります。たとえば熱烈な恋愛を経て結婚したにもかかわらず結局離婚することになった人は「結婚とは何か」と考えるかもしれません。ひどい親をもったおかげで苦労した人は「家族とは何なのか」と考えることもあるでしょう。仕事や人生に行き詰まっている人は「働くとはどういうことか」「生きるとはどういうことか」「人生とは何か」などと考えるかもしれません。
 こうした「……とは何か」という問いはきわめて哲学的な問いです。「人生とは何か、生きるとはどういうことか」という問いなんてまさに哲学っぽいですよね。もちろん学問としての哲学では、こうした人生論的な問いにとどまらず、「貨幣とは何か」「法とは何か」「人間とは何か」といった理論的な問いも取り上げられます。とはいえ、どちらにおいても「……とは何か」という問いのかたちは変わりません。「……とは何か」という問いこそ、哲学を哲学たらしめている究極的な問いだとすら言ってもいいでしょう。
 この「……とは何か」という問いは、少し角度を変えてみると、対象となるものの概念、あるいは定義を問うている問いだと考えることができます。たとえば「人生とは何か」という問いは、人生というものの概念(人生とは何かという概念)を問うているわけですよね。あるいは「法とは何か」と問うことは、法というものの定義(法とは何かという定義)を概念的に考えるということです。もし「……とは何か」という問いが哲学にとっての究極的な問いであるならば、哲学とはものごとを概念的にとらえる知的営みだと考えることができるでしょう。
 一七世紀オランダの哲学者スピノザは、こうした「……とは何か」という問いについて、その問いの答えは対象となっているものの「起成原因」を表現していなくてはならないと考えました。たとえば「法とは何か」という問いの答えは法の「起成原因」をあらわしていなくてはならない、ということです。とはいえ「起成原因」というのは耳慣れない言葉です。どういったものなのでしょうか。スピノザは次のように述べています。

 ところで、物に関する多くの観念のうちのどの観念から対象(subjectum)のすべての特質が導かれ得るかを知り得るためには、私はただ次の一事を念頭に置きます。それは、物に関する観念乃至定義はその起成原因(causa efficiens)を表現せねばならぬということです。(畠中尚志訳、岩波文庫)

 引用文では「起成原因」について「物に関する多くの観念のうち」「対象のすべての特質が導かれ得る」観念だと説明されています。しかしこれだけでは何のことかさっぱりわかりません。
 私たちは通常、ものごとの原因を考えるとき、機械論的な因果関係でそれを考えています。たとえば地面に置いてあるボールを子どもが蹴って、ボールが転がっていったとしましょう。そのとき私たちは、ボールが転がっていったのは「子どもがそれを蹴ったからだ」と考えますよね。つまり、「子どもの足によってボールに加えられた力」を、ボールが転がったことの原因だと考えるのです。
 もちろんそう考えることはまちがっていません。しかしスピノザが考える起成原因はこれとは違います。たとえば子どもが蹴ったのがボールではなく、ごつごつとした大きな岩だったらどうでしょうか。それは転がってはいきませんよね。ボールが転がっていくのは、そもそもボールが丸くて軽く、弾力があるという性質をもっているからです。そうした性質があるからこそ、「ボールを蹴る→転がる」という機械論的な因果関係もなりたつのです。スピノザのいう起成原因とは、まさにそうしたボールの性質をなりたたせている原因(「対象のすべての特質が導かれ得る」原因)のことです。
言いかえるなら、起成原因とはものをそのように存在させている原因にほかなりません。ボールについていえば、人間がそれをそのように製造したということだけにとどまらず、そもそもゴムなどの弾力をもつ物質が地球上に存在するということも、そして硬い地表があり重力が作用しているということも、ボールの起成原因となります。

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 こうした起成原因こそ、「……とは何か」という問いにおいて考えるべきものだとスピノザは主張します。とりわけ哲学的にものごとをとらえるためには、起成原因にどこまで着目できるかがカギとなります。
 例として「国家とは何か」という問いを取り上げましょう。「国家とは何か」という定義を得るために辞書や教科書などをみると、よく「領土、国民、主権からなる政治社会」などと書いてありますよね。しかしこれでは十分にその起成原因をとらえたものとはいえません。というのも、領土も国民も主権も、国家が存在するからこそ存在するものだからです。つまり、辞書や教科書の記述は国家についての一つの説明にはなっていても、スピノザのいう定義にはなっていないのです。「国家とは何か」という定義を得るためには、人類社会において国家というものを存在させている原因(国家の起成原因)を考えなくてはなりません。私が著書『国家とはなにか』(以文社、二〇〇五年)のなかで暴力による支配の実践について論じたのはそのためです。
 スピノザはこうした起成原因の考えを出発点として世界のなりたちを概念的に探っていきました。そのスピノザの考察は、ものを存在させている原理を探るという方法論をつうじてさまざまな理論に応用されうる可能性をもっているのです。

※続きはぜひNHK出版新書『名著ではじめる哲学入門』でお楽しみください。

プロフィール
萱野稔人(かやの・としひと)

1970年愛知県生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。博士(哲学)。著書に『国家とはなにか』『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』『成長なき時代のナショナリズム』『死刑 その哲学的考察』『哲学はなぜ役に立つのか?』『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』『NHK「100分de名著」ブックス カント 永遠平和のために』など多数。

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