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「NHK出版新書を探せ!」第12回 中国のイメージが立場で分かれるのはなぜか?――梶谷懐さん(経済学者)の場合〔前編〕

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

<今回はこの人!>
梶谷 懐(かじたに・かい)

1970年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経済学研究科教授。神戸大学経済学部卒業後、中国人民大学に留学(財政金融学院)、2001年神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学)。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、2014年より現職。著書に『「壁と卵」の現代中国論――リスク社会化する超大国とどう向き合うか』(人文書院、2011年)、『現代中国の財政金融システム――グローバル化と中央-地方関係の経済学』(名古屋大学出版会、2011年、大平正芳記念賞受賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑――アジア的なものを再考する』(太田出版、2015年)、『中国経済講義――統計の信頼性から成長のゆくえまで』(中公新書、2018年)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書、高口康太との共著、2019年)など。

卒論は中国ではなくナチス経済がテーマ

――最初に梶谷懐さんの研究の来歴について、お話をうかがいたいと思います。ご専門は中国経済論ですが、そもそも経済学部に進まれたのはどういう経緯からでしょうか。

梶谷 経済学部に進んだことにとくに意味はなくて。京都大学が第一志望だったんですが、センター試験の点数が悪かったので前期で落ち、後期で神戸大学を受けたんです。経済学部を選んだのは、センターの点数の配点が低かったというだけの理由で、当時は経済学にまったく思い入れはありませんでした。本当は思想系とか、そういうほうが好きと言えば好きだったので、経済学がやりたかったわけでは全然ないんです。

――思想系の本は高校時代から読んでいたんですか。

梶谷 そうですね。高校までは父の影響が大きくて、本棚にあったいろんな本を手当たり次第に読んでいました。父はとくに吉本隆明のファンだったんです。ずっと雑誌『試行』も購読していましたし。それもあって、吉本隆明関係の本は高校2、3年ぐらいのときからけっこう読んでいました。あと、柄谷行人氏の本にも手を出したりしていましたね。

――経済学部に入ったあとで中国経済を専門に選んだのには、なにかきっかけがあったんですか。

梶谷 それも明確な理由があったわけではありません。実は学部時代は西洋経済史のゼミに入っていました。経済学の理論的な勉強がどうも馴染めなくて、ちょっと系統の違う、社会や歴史との関連性が強い分野のほうに関心がありました。

――じゃあ、卒業論文も西洋経済史関係で?

梶谷 ナチス経済に関する卒論を書きました。ただ、関心の対象が西洋にずっと向いていたわけではなくて、研究の一環として中国や朝鮮半島などアジアのことをちゃんとやりたいな、という気持ちはありました。それもなにか具体的な理由があったわけではないんですが、しいて挙げるとすれば、母がフランス文学の教員だったので、フランス文学の本やフーコーやデリダなどの本が自宅にたくさんあったんですね。そういう環境に育ったこともあって、おフランスな、というか西洋的な文化や思想にかぶれてしまう日本のインテリ層から少し距離を置きたいという感覚があったのかもしれません。そのうえでチャレンジングな課題は何かと考えたときに、中国経済の研究に行きついたわけです。

中央と地方でまったく違うのが中国

――博士課程のときに、中国人民大学に留学されていますが、留学生活はどのようなものでしたか。

梶谷 その前段から話すと、修士課程では中国経済が専門の先生のゼミに入りました。でも、そのときはまったく中国語ができなかったので、1か月間、北京に語学留学をしたんです。そこでカルチャーショックみたいなものを受けました。とにかく、観察対象として面白いんですね。日本と比べて、雰囲気や人の感じ、行動原理、ルールに対する反応のしかたがすべて、全然違う。たった1か月いただけでも、それは感じられました。
 その後、博士課程で1年間の留学をするわけですが、1か月が1年になると、さらに日本との違いが見えてくるわけですよね。中国社会の構成原理というか、それをきちんとアカデミックな手法で明らかにしていき、自分なりに理解していきたいという問題意識は、留学をしているときにできたのだと思います。

――留学していた90年代半ばというと、中国が大きく変わっていた時代ですよね。

梶谷 まさにその通りです。(第二次)天安門事件が1989年におきますね。その後、欧米諸国からの経済制裁が数年続いたあと、92年に鄧小平が南巡講話をして、経済的な自由化を進めていく方針をはっきり打ち出しました。そこから外国の企業がどんどん入ってきて、投資ブーム、投資ラッシュが始まったのが、修士課程で最初に中国に行った頃になります。
 1年間の留学をしたのは96年ですが、すでに景気が良くなり、経済成長率も10パーセントに迫る状況でした。留学した大学の周辺も不動産開発の真っ最中という感じで、数か月で街の様子が大きく変わってしまう。そのダイナミズムをまさに目の当たりにしました。

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北京西駅は1996年当時、アジアで最大の旅客鉄道駅だった(写真は2016年撮影)。
humphery / Shutterstock.com

――梶谷さんは、「中国の中央と地方の関係」を一つのテーマとして研究してこられたと思うんですが、そういった問題意識も留学時に芽生えたんでしょうか。

梶谷 修士論文で中国のインフレーションについて書いたときに、すでに「中央対地方」という問題意識はありました。中国には31の省がありますが、いわばそれぞれが独自の財政・金融政策をやっていることに気が付いたのです。制度的には中央集権的ですが、地方政府が自由裁量的に財政資金を集めたり、当時は省ごとに中央銀行の支店があったのですが、それが地方の財政支出を貨幣供給で支えたりと極めて地方分権的な政策運営をしていました。これは、地方によってマクロ経済の状況が違うからですが、一方でそれがインフレや物価の水準に大きな影響を与えてきたという側面もあります。
 留学中に中国の各地方をあちこち旅行して、地域ごとの経済の違いを肌身で感じ取ることができました。やっぱり発展の水準が地方ごとに全然違いますし、同じ列車でも硬座(二等座席)と軟臥(一等寝台)では客層が全く違う。このときの体験によって、数字上の分析を感覚的に確かめることが大事だという考えが強まったように思います。

在外中国人はトランプを支持している?

――2011年に出された『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院)には、戦前から現代までの日本人の中国観を整理した章があります。そこでは(1)「脱亜論」的中国批判、(2)実利的日中友好論、(3)「新中国」との連帯論、という形で日本人の中国観を3つに類型化していました。本が出てから約9年が経ちましたが、その間に日本人の中国観に変化を感じることはありましたか。

梶谷 米中対立などもあるので仕方がないことですが、今、日本人の対中観は、その人の「立場」によって完全に分かれてしまっています。『「壁と卵」の現代中国論』では、そういう現在の「対中観の対立」が、実は戦前からずっと続いてきた類型として整理できるという話をしたつもりです。非常におおざっぱに言うと、中国(人)を、ビジネスの相手として見るか、政治的な視点から見るかで、印象がまったく違ってくるわけです。
 江戸川大学長の小口彦太氏は、最近出た『中国法』(集英社新書、2020年)という本で、中国ではビジネス上の契約に関する私法などはすごく洗練されていて、ビジネス上のトラブルなどがきちんと法律を通じて解決される社会になっていると指摘しています。この点から見ると、よくある「人治の国」、なんでも「なあなあで済ませる」という中国のイメージは実体と乖離しているわけです。
 けれども、ひとたびそれが憲法や刑法といった公法の領域になると、完全に日本とは異質な世界になる。一番の違いは、中国では法院(裁判所)が司法としての独立性を持たず、警察のような行政機関として機能している点にあります。典型的なのは最近の香港に対する国家安全維持法のような、国家の治安に直接関係するケースです。それ以外の一般的な犯罪でも、社会的な注目度の高い、いわゆる重大な案件では、裁判官が独自の判断で判決を下すことが難しく、上級法院の裁判官や、共産党委員会の介入を受けることが一般的だと言われています。さらにひどいのは、共産党や全人代(日本の国会に相当)の司法部門が司法機関に「内部通達」を交付し、それがいわば判決などに出てこない「裏の法律」として実際の判決や量刑に適用されるケースもあることです。このことを見ても、中国の法院が治安維持を担う行政機関の一種だというのは、決して誇張でないことがわかるでしょう。
 このような私法と公法の違いをふまえると、なぜ立場によって中国観が異なるかも理解しやすくなると思います。たとえばビジネスの世界や、エンジニア同士の交流など民間中心で中国と関わる分には、多少政府の対応に理不尽なことがあったとしても、民間にはセンスのある人、才能のある人がいっぱいいるので、そういう人たちとは楽しくつき合えます。
 でも、最近は私たちの周辺でも、大学の先生が突然日本に戻れなくなり長い間拘束されるとか、つき合いがあった人が突然捕まってしまうとか、そういう局面に遭遇する機会が増えています。そうなると、それまでなじんでいた和やかな文化交流や、私法をベースにしたビジネスの世界とはまったく違う、こわもての中国と対峙せざるをえない。それは日本の常識とはかけ離れた、専制的権力の理不尽さに対峙することにほかなりません。
 このように両面あるわけですが、後者のほうがやはりインパクトが強いので、報道もされやすい。とくに習近平政権になって、こわもての側面がますます目立つようになってきていることと、中国の国力自体がすごく大きくなってきたこともあって、日本でもネガティブな印象を受ける人たちが増えているのは致し方ないという気がします。

――中国へのネガティブな反応は、2020年11月のアメリカ大統領選挙でもよく見かけました。つまり、中国に対して強硬な態度をとるトランプに大変なシンパシーを寄せる人たちが相当数いた。こういう状況は、どうご覧になっていましたか。

梶谷 同じような反応は、在外中国人のなかにもひろがっています。たとえば、郭文貴氏という、不動産で財を成した後、中国からアメリカに亡命した大富豪がいます。彼は反共産党で、中国共産党高官の汚職やセックス・スキャンダルを暴露するような内容のメッセージをインターネットで盛んに流し、世界中で知られるようになりました。
 ルポライターの清義明氏が書かれていますが(注1)、この郭氏とトランプ大統領の首席戦略官だったスティーブ・バノン氏が「反中国共産党」「トランプ支持」という点でつながり、自前のニュースメディアを立ち上げて世界中にフェイクニュースを拡散するようになったというのです。彼らは米大統領選挙の際に「バイデン氏は中国とつながっている」「バイデン氏は大統領選挙で不正を行っている」といったフェイクニュースを英語や中国語で盛んに配信していました。その動きに、中国の民主化運動に関わり国外に亡命した知識人や、海外から香港の民主化運動を支持する多くの人たちが乗っかってしまっているという現実があります。
 たとえば、「新型コロナウイルスは武漢の研究所で人工的に作られた」という説が日本でも広まったことがありましたよね。専門家からは科学的根拠がないと全く相手にされていないのですが、ニューヨーク・タイムズ紙が、その説を唱えている中国人医師と郭氏・バノン氏との深いかかわりを明らかにする調査報道を行いました(注2)。
 驚いたのは、このニューヨーク・タイムズの報道に対して、中国政府に批判的な在外中国人たちから、「ニューヨーク・タイムズは中共の手先だ」といった判で押したような罵倒のツイートが相次いだことです。もともとニューヨーク・タイムズといえば、中国共産党を批判することにおいては人後に落ちないようなメディアです。世界から非難を浴びている新疆ウイグル自治区における強制収容所の問題でも、同紙は政府の内部文書をいち早く入手し、習近平主席の関与を報じて世界に衝撃を与えました。でもそういったメディアでも、「フェイクニュースによる中共批判はよくない」と主張したとたん、ボコボコに叩かれてしまう。このように、中国には民主主義や人権などの「普遍的価値」がない、と批判していた人たちの間でも、長い間中国の現実から離れているうちに、「敵の敵は味方」という政治判断が優先され、価値判断における普遍性や客観性という軸が揺らいでしまっているのは残念です。

注1 清義明「米大統領選の闇と中国民主化運動のヒーローの正体 怪物、郭文貴の謎/上」「米大統領選の闇と中国民主化運動のヒーローの正体 怪物、郭文貴の謎 /下」

注2 “How Steve Bannon and a Chinese Billionaire Created a Right-Wing Coronavirus Media Sensation”, in The New York Times, Nov. 20th, 2020

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2020年4月、ロックダウン中の武漢の様子。
Mark Brandon / Shutterstock.com

中国SFから何が見えてくるか

――『「壁と卵」の現代中国論』では、村上春樹が重要な参照点になっています。今回インタビューをするにあたって、梶谷さんのブログを読み直したのですが、村上春樹に関しては『1Q84』のBOOK2まで論じられていました。その後の村上春樹作品については、どのようにご覧になっていますか。

梶谷 学生時代から村上春樹はよく読んでいたし、吉本隆明や加藤典洋の村上春樹論にはかなり影響を受けました。自分の関心にひきつけていえば、村上春樹の作品は、中国を含めた「アジア」の隣人との関係性が隠れたテーマになっていると思っています。柄谷行人氏や浅田彰氏など、戦後日本の高度消費社会に批判的な人たちは、「今の日本の繁栄はアジアへの侵略とその忘却、そして経済的な搾取の上に成り立っている」と考え、そういう視点を持たず、能天気に高度消費社会を肯定しているように見えた村上に批判的でした。しかし、村上は日本の高度消費社会を前提として受け入れたうえで、そこにある大きな「欠落」として、中国をはじめとしたアジアの人々との対話や相互理解の欠如の問題を真摯に追究してきたように思います。自分としては、その姿勢に共感を覚えてきました。
 ただ、『1Q84』のBOOK3(新潮社、2010年)は、肩すかしを食ったような不完全燃焼を感じたし、その後の作品も取り立てて何かを語りたくなるような、引っかかるところを感じませんでした。それでも、今年になって出た短いエッセイ、『猫を棄てる――父親について語るとき』はとても印象に残る作品でした。村上の「アジア」に向き合おうとする姿勢には、父親の戦争体験が影響しているのだろう、という指摘はこれまでもありましたが、本人によってそれが率直に語られたことの意味は大きいと思います。

――今、梶谷さんのアンテナに引っかかる作家は誰かいらっしゃいますか。

梶谷 最近はもう、ディストピア小説も含め、中国SFばかり読んでいます(笑)。日本でベストセラーになった『三体』(劉慈欣著、立原透耶監修、大森望ほか訳、早川書房、2019年)も非常によくできたエンターテインメントだと思いますが、今回ぜひ紹介したいのは、郝景芳(ハオ・ジンファン)という女性作家です。特にアメリカ在住の中国人作家ケン・リュウが編んだ、中国SFアンソロジー集『折りたたみ北京』(中原尚哉ほか訳、早川書房、2018年)のタイトルにもなっている「折りたたみ北京」はとても素晴らしい作品でした。2016年にヒューゴー賞を受賞したのでSF好きは知っている人も多いと思いますが。
 小説はおおよそこんな設定です。北京が3つの階層世界に分かれていて、それぞれの層は同じ時には地表に出てこない。たとえば、第一層が表に出て太陽光を浴びているときは、第二層、第三層は折りたたまれ、地下に埋まっているんです。日が落ちると折りたたみがほどけて、世界が回転していくわけですが、普通、その3つの世界は行き来ができません。でも、ダストシュートを使えば移動できるようになっていて、下層の世界にいる人が上層の世界に入っていく……。
 荒唐無稽な設定ですけれど、ここに描かれているのはまさに北京の現実であり、下手なルポルタージュよりもリアリティをもって、格差社会を描いています。SFという「これは現実ではない」と言い訳ができる形式を借りた、鋭い社会批評として読むこともできます。彼女には最近翻訳が出た『1984年に生まれて』(櫻庭ゆみ子訳、中央公論新社、2020年)という自伝体の純文学作品もありますが、これもオーウェルの『1984年』を補助線にしながら、あまりに変化の激しい中国社会に適応できない主人公の感情の揺らぎを丹念に描くことで、物質的繁栄の中にある中国で「個人」として生き抜くことの困難さを印象的に描いています。そういう社会的なリスクも意識しながら、現実をしっかり見据えて創作活動をしている作家として、いま一番注目しています。

*取材・構成:斎藤哲也/2020年12月16日、オンラインにて取材

〔後編(連載第13回)へ続く〕

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プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
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