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土葬、風葬、両墓制……日本の滅びゆく葬送を求めて――鵜飼秀徳『絶滅する「墓」――日本の知られざる弔い』

 8月10日、NHK出版新書より、『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(鵜飼秀徳著)が刊行されました。
 時の権力や死生観、土地や風土に根ざした習俗によって、日本では古来、じつに多様な葬送文化が育まれてきました。しかし、過疎化や高齢化により、現在その文化は風前の灯となっています。
 土葬の現在から、肉体と魂を分けて埋葬する「両墓制りょうぼせい」、奄美の樹上葬、沖縄の風葬やアイヌの男女別葬、無数の遺骨を粉末状にして固めた「骨仏こつぼとけ」まで。全国各地で著者が取材し撮影した写真を多数収載し、また樹木葬や海洋散骨、自動搬送式の納骨堂、コンポスト葬など、新たな弔いの形にも触れながら、広い視点で「日本人の死生観」を捉えなおす一冊です。
 本記事では、同書の「はじめに」を公開します。


 京都・嵯峨さが嵐山あらしやまにある寺の住職をしている。檀家だんかの数は100軒ほどで、典型的な「食べていけない」寺だ。観光寺院ではないため、常に静寂をたたえている。
 
 境内の中で、最もロケーションがよい場所は墓地だ。南に嵐山と竹林を借景にして、常に季節の花が咲き誇っている。その花の蜜や小虫を求めて、多くの野鳥が飛来する。手前味噌だが、他にかえがたい環境だと思っている。
幼い頃は、墓地の石畳を跳ねるハンミョウを、一生懸命追いかけた。ある時は、地域の友人と「肝試し」をし、またある時は、闇に包まれる墓地で流星を探した。私にとって墓地は、ジメジメとした怖い場所ではなかった。ここぞ、産土うぶすなと思える場所なのである。墓に埋まるにはもうしばらくかかりそうだが、正直、今から「死後」が楽しみだ。
 
 近隣に足を向ければ、多くの権力者や文化人の墓が点在している。たとえば、私の日々の散歩コースには、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとなった源融みなもとのとおるの墓がある(清凉寺せいりょうじ境内)。またそのそばには、大坂の陣で非業の死を遂げた、豊臣秀頼の墓(首塚)がある。さらには、「陰陽師」で知られる平安時代の貴族、安倍晴明の墓も、近くの住宅街の一角にある。歴史の授業や大河ドラマなどで登場する偉人が、「ご近所さま」であることに今更ながら、誇りを感じている。
 
 一方で、各地域にも郷土史を伝える墓が多く残されている。たとえば藩主の菩提寺には、歴代藩主の墓が残されていることが多い。その規模や、墓の意匠から学び取れることは多い。
 
 私は職業柄、常に墓と接する生活を続けている。しかし、その「墓」の定義が難しい。わが国の法律、つまり墓地埋葬法第二条に書かれている「墳墓」には、「死体を埋葬し、又は焼骨を埋蔵する施設」とある。つまり、そこに「故人の遺体」が存在する場所をいう。しかし考古学上、もしくは民俗学上、あるいは宗教学上の「墓」は、必ずしも遺体が埋まる場所に限定されているわけではない。本書で詳しく述べていくが、わが国には両墓制りょうぼせいという墓制が存在する。これは遺体の埋まる墓と、魂を入れる墓とを分けている。両墓制では、むしろ魂の墓のほうを重視する。
 
 また、非業の死を遂げた武将の墓や、一部の天皇陵、様々な供養塔、慰霊塔の類いにも遺体が埋まっていないことが多い。しかし、そこが故人の「生きた証」であり、残された人々が祭祀を行う場所であれば、紛れもなく「墓」といえる。本書では、そうした遺体の埋まらないモニュメントも「墓」として取り上げる。
 
 「墓」は、学びの宝庫といえる。たとえば、歴史的な教訓が、墓には刻まれている。
 2020(令和2)年から始まった新型コロナウイルスの流行は、私たちのライフスタイルを変える歴史的エポックとなった。わが国だけでも死者は7万人以上(2023年4月時点)に上り、多くの人が、いつ何時感染するかもしれないと怯える日々を送った。コロナ禍はいつ終息するのか。またいつか、別の感染症の恐怖がやってくるのだろうか。
 実は感染症の歴史こそ、「無言の先人」たちが教えてくれている。前回のパンデミックは、1918(大正7)年〜1920(大正9)年に大流行したスペイン風邪。わが国では2500万人が感染し、38万人以上が死亡したといわれている。当時、スペイン風邪の流行がどのように推移し、終息していったのか。それは、死亡記録である墓碑や寺の過去帳にはっきりと示されている。
 
 うちの寺の当時の年間平均葬儀数は、6件ほどで推移している。一般的に寺院の年間の葬儀発生率は、檀家数の6パーセントといわれている。だが、1918(大正7)年は14件、1919(大正8)年は11件、1920(大正9)年は20件と、葬儀数が不自然に増えている。増加傾向は4年ほどで落ち着き、その後はスペイン風邪流行以前の水準に戻っている。
 
 寺の墓碑をサンプル調査するだけで、過去の感染症がどの地域で、どれだけ広がり、いつ終息していったのかがわかるのだ。将来における感染症蔓延についても、どれくらいのスパンで発生し、終息していくのか。先人の死に様に、学ぶことができるかもしれない。
 感染症と墓碑の関係性を研究したものが皆無なのが残念だ。この続きは、本書の結びにあるのでぜひ、お読みいただきたい。
 
 感染症だけではない。墓の存在は、地震や噴火、台風、火災などの災害の過去も明らかにする。
 たとえば、多数の犠牲者を出した阪神淡路大震災や東日本大震災。被災地の霊園に赴けば、「平成七年一月十七日」もしくは「平成二十三年三月十一日」の没年が刻まれた墓を、そこここに見つけることができるだろう。墓こそが、かつてこの地で惨事が起きたことを想起させ、「決して、警戒を怠るな」と警鐘を鳴らしてくれるのだ。
 
 戦争の教訓もしかり。戦前から存在する墓地には、石塔の先がオベリスクのように尖った、ひと際大きな墓「奥津おくつ」が必ずといってよいほど見つかる。それは、一族の墓とは別に建立され、「武」「烈」「勇」などの漢字があてられた特殊な戒名「戦時戒名」が刻まれている。明らかに、地域の青年が出征し、戦場に散った証である。ほとんどの奥津城には、遺骨が入っていない。遺骨がいまだに戻ってきていないか、あるいは戦後の遺骨収集事業で回収され、無名戦没者として千鳥ヶ淵戦没者墓苑に祀られているか、である。誤解を恐れずにいえば、戦争の愚かさを伝えているのも英霊の墓なのだ。
 
 墓は、「負の歴史」を教えてくれるだけではない。地域の歴史や習俗などを知る「生きた教材」でもある。ところが、日本各地に残された墓制が、間もなく消滅してしまう危機に瀕している。たとえば、伝統的な土葬や両墓制などは、風前の灯火である。沖縄の破風はふばか亀甲きっこうばかも、遺体を自然の中で朽ちさせ、後に骨を洗う「風葬」がなくなったことで数を減らしつつある。
 
 本書の最大の目的は、「絶滅危惧墓(あるいは絶滅墓)」を記録しておくことにある。そうした滅びゆく墓制から、地域や日本人の弔いの歴史、さらには習俗を知ってもらうのが本書のねらいだ。
 
 私はこの8年ほど、各地に残る不思議な形態の墓や埋葬を取材してきた。足を運ぶほどに、日本における墓や埋葬の多様性に驚かされる。
 本書だけで、墓制のすべてを網羅できるものでは到底ない。しかし、日本の墓制を俯瞰ふかんし、日本人がいかに死と向き合ってきたのかを知っていただければ幸いである。

※この続きは『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』でお楽しみください。

プロフィール
鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
僧侶、仏教ジャーナリスト。1974年、京都・嵯峨の正覚寺に生まれる。成城大学文芸学部卒業後、新聞記者・雑誌記者を経て独立。2021年に正覚寺住職に就任。主に「宗教と社会」をテーマに執筆、取材を続ける。著書に『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』(日経BP)、『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』、『仏教の大東亜戦争』(文春新書)など。大正大学招聘教授、東京農業大学、佛教大学非常勤講師。

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