見出し画像

椎名誠さんも絶賛! 手銛一本でクジラに挑む人々を描く 感動のノンフィクション『ラマレラ 最後のクジラの民』

 世界で唯一、伝統捕鯨に生きる村ラマレラ。インドネシアの小さな村をアメリカ人ジャーナリストが3年にわたって密着取材してまとめた貴重なルポルタージュが『ラマレラ 最後のクジラの民』(小社刊、5月29日発売)です。圧倒的な迫力のクジラ狩りと、近代化に揺れる村人の心の葛藤が丹念に描写され、2019年の『ニューヨーク・タイムズ』ベストブック100冊に選出されました。その一部を抜粋してお届けします。

 オンドゥは先ほどまで、柄が竹でできた5メートルほどの銛(もり)を水平にかまえ、綱渡りをする曲芸師のような姿で、予測不能なテナ(木造船)の縦揺れ、横揺れ、蛇行に耐えていた。しかし今、その武器を垂直に持ち替えて、銛の狙いを真下に定めている。「家族に食わせると思って漕げ!」と、今一度声をはりあげる。

  ジョンは船体に足を踏ん張り、頭蓋骨がきしみ胸が苦しくなるまで漕いだ。残りの櫂(かい)を握るメンバーは進行方向を向いているが、ベファジは後方を向いて漕ぐので、肩越しにクジラの様子を見るためにずっと上半身をねじっていなければならない。 

 船首から海面の上に、ハマロロと呼ばれる銛打ち台が1.5メートルもせり出している。その先端で、オンドゥが腰を低く落としてタイミングをうかがう。頭より高く銛をかまえた上腕三頭筋が震えている。ついに船がクジラに追いつき、銛打ち台の先にいるオンドゥの影が、波間できらめくクジラの背に落ちた。船首がぶつかりそうだ。ずっとそのまま動かないかのようだったオンドゥが、突風のごとき勢いで、銛打ち台から跳んだ。竹製の柄を両手で握りしめ、全体重をかけて、獲物に銛をつきたてる。銛が激しく震え、たわみ、その後まっすぐにつきあがるが、オンドゥは体重をかけ続ける。それからクジラの脇腹に身体が当たり、跳ね返され、腕と脚を振り回しながら水に落ちた。銛はクジラにしっかりと刺さって震えている。 

  マッコウクジラの尾びれが海面を猛烈に叩く。ボリサパン号の船首がまともに波をかぶる。猛スピードで繰り出されていく銛綱が船のへりをこすって煙が出るので、発火を防ぐために漁師たちが海水をかける。綱は銛の先端とテナの後方をつないでいる。綱が最後まで繰り出されると、船全体ががくんと揺れ、ジョンの手から櫂が離れそうになった。長い糸を撚って作った大綱が濡れそぼち、しぶきを飛ばしながら振動で鳴っている。馬がそりを引くようにクジラがテナを引きずるので、前のめりになった船体が波を浴びている。 

  ジョンは急いで自分の櫂を船の上に引き揚げ、副銛手でジョンの遠縁にあたる男、フランシスクス・ボコ・ハリオナの手伝いに回った。銛綱が暴れ回らないよう、船首側に安全綱2本をとりつける。海中でマッコウクジラが急旋回したので、銛綱が強く引っ張られ、負荷のかかった左側の安全綱がねじれてきしんでいる。船体がスピンして男たちが叫び声をあげた。クジラはもっと深く潜ろうとしている。深海の潮流に乗ることで自由を勝ち取ろうとしている。 

  ボコが大声で叫んだ。彼の手にあるのは、踏まれたヘビのような綱が2本。左側の安全綱が、指3本分の太さがあったのに、2つにちぎれてしまったのだ。ボコは必死に2本をつなぎあわせ、暴れる銛綱を抑え込んでいる。

  混乱のなか、右側の安全綱もほどけ始めていた。ジョンは銛綱をまたいで右側に手を伸ばす。突然、右のふくらはぎに激痛が走った。ボコが当座しのぎに作った結び目がほどけ、銛綱が左舷側に跳ね返り、ジョンの脚を挟んで船体に叩きつけたのだ。ジョンは前のめりに倒れ、船べりから身を乗り出して嘔吐(おうと)しているかのような姿勢になった。身体をよじって綱をしっかりつかもうとしたが、反対側にいる30トンの重みに引っ張られ、綱は鉄棒かと思うほど固くつっぱっている。

  ふくらはぎにまたがる綱が皮膚を裂く。ジョンはそれでも声をあげなかった。大人たちが気づく前にピンチを脱したかった。激痛が数秒続いたが、もはや時間の感覚がない。村には脚が途中から切断された体で歩き回る老人が何人かいて、どうせ若いころに不注意な行動をしたのだろうとしか思っていなかったが、自分も彼らと同じ境遇になるかもしれない、という実感が急にわきあがってきた。長柄包丁なら手の届く位置にある。綱を切れば脚は解放されるが、それでクジラに逃げられたら、彼の氏族は何か月も肉を食べられないし、村の幸福よりも自分の身を優先したことを長老たちに責められるだろう。そんなわけにはいかない。クジラが綱をはじいて脚が外れる瞬間に期待するしかない。 

  ボリサパン号は激しく揺さぶられ、左舷が海面ぎりぎりまで傾いた。海はおだやかなのに、まるで2メートルの高波に揉まれているかのようだ。とくに左舷に集中的な負荷がかかる。11人の男たちは右舷に固まってバランスをとろうとしているが、シーソーの軽いほうに乗っているのと同じ状態だ。ジョンだけが左舷にとどまり、絶望的な気持ちで仲間を見上げた。テナはほとんど垂直に傾き、男たちが海面に投げ出されていく。1人甲板に残されたジョンは、綱を引っ張りながら叫ぶ。船は転覆した。

  漆黒の闇に、気泡が盛大に舞う。銛、綱、包丁、ヤシの葉で巻いた煙草、砥石(といし)、竹笠、ぼろぼろのTシャツ、サンダル――あらゆる残骸がジョンと一緒に沈んでいく。頭上のがらくたごしに見える男たちの影は、波を蹴って、転覆し海中へ引きずり込まれていく船から離れようとしている。ジョンも太陽の光に向かって必死に水をかくが、身体はさらに深く沈んでいく。脚の痛みが脈打ち、足首がねじ切れそうだ。見下ろすと、海底深く潜ろうとするクジラにつながった銛綱が、ジョンの脚にからまっていた。引っ張ってもびくともしない。 

  怖くはなかった。やましいところのない自分には必ず祖先の助けがあると確信していたからだ。この村が崇拝するクジラ狩人の精霊が救ってくれるに決まっている。だが、そう考えたとたん、あることを思い出した。ジョンが属するハリオナ氏族は、少し前に祖先の掟(おきて)に背く行為をした。祖先は過ちを赦(ゆる)すために犠牲を要求しているのだ。海底の墓から浮かびあがってきた亡霊が周囲を取り囲むのを感じる。ジョンは祖先の霊に祈り、キリストに祈った。どうか、綱をゆるめてください。クジラに浮上させてください。 

  ジョンには両親がいない。だから、老いた祖父母と妹たちを養うのは彼の責任だ。まもなく妻になる女性もそこに加わる。自分が鯨肉(げいにく)を持ち帰れなかったら、だれが持ち帰るというのだろう。弱々しい気泡があがる。空気が、大事な酸素が、肺から逃げ出していく。生き残る方法はただ一つ、どうにかしてクジラより速く泳ぎ、綱をたるませて脚を抜くしかない。脳に酸素が回らなくなり始めていたが、ジョンは身体を反転させ、海底へ向けて潜行した。

※続きは『ラマレラ 最後のクジラの民』でお楽しみください。

プロフィール

ダグ・ボック・クラーク(Doug Bock Clark)
著述家、フリー・ジャーナリスト。ニューヨーク大学客員研究員。『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』『ジ・アトランティック』『ナショナル・ジオグラフィック』『GQ』『WIRED』『ローリング・ストーン』『ザ・ニュー・リパブリック』などの雑誌や、「ザ・ニューヨーカー」ウェブサイトなど有名メディアに寄稿。2016年Mirror Award最終候補、2017年Arthur L. Carter Journalism Institute Reporting Award受賞、フルブライト奨学金を2回授与されたほか、ピューリッツァー危機報道センターの助成金、およびカリフォルニア大学バークレー校11th Hour Food and Farming Journalism奨学金も授与された。ABC局の番組「20/20」をはじめ、CNNやBBC、ラジオではNPRでインタビューを受ける。本書中の写真は、『ニューヨーク・タイムズ』『ザ・ニュー・リパブリック』『WIRED』『メンズ・ジャーナル』『ELLE』「Buzz Feed」などにも掲載されている。本書が初の著作。

Lamalera_author窶冱 photo

関連コンテンツ

関連書籍

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信中です。ぜひチェックしてみてください!