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【怪談】「決して入らないでください」と言われた部屋で見てしまったもの

怪奇体験から垣間見える、現代社会の実像とひずみ――。
 
2020年からNHKで不定期に放送され、SNSで話題となった「業界怪談 中の人だけ知っている」。番組の再現ドラマをもとに体験者ひとりひとりに徹底追加取材し、より恐ろしく、より不可思議に、全16篇からなる怪談として新たに描き出すことで各業界のリアルに迫った書籍『業界怪談 中の人だけ知っている』が本日発売です。
 “事故物件住みます芸人”松原タニシさんが「自分一人の人生では体験できぬ怪異、まさに「私の知らない世界」」と評した本書から、リフォーム業界でのある怪談をご紹介いたします。


両親の愛した家

村田 智さん(仮名・リフォーム会社経営)

 背筋がちりちりと、くすぐられるような感覚がする。おかしな家というものは。
 たとえば敷地に入った瞬間、何かがいる、と感じたことがある。その家はあるべきはずの場所にフェンスがなく、そもそも違和感があった。気になって尋ねてみると、表情をなくした顔で奥さんが答えた。
「昔はあったんですけど、あなたがいま立っている場所で夫が首を吊ったんで、フェンスごと撤去しました」
 家にあがると、その亡くなったご主人の位牌が、仏壇に置かれることもなく、リビングのローテーブルにめりこむように突き刺さっていた。はっきり言って、異様だった。いったい誰が、どんな力で、どんな執念で。
 息子がやったのだと、奥さんは言った。
「夫が死んでから、ちょっとおかしくなっちゃって。ときどき夜になると、ぶつぶつ言って家の中を燃やして回ろうとするんです」
 よく見れば、柱や天井の壁など、家じゅうに無数の焦げ跡が残っていた。
 どうにも返事のしようがなかった。ただ、この家を工事するのは危険だと、ちりちりとした感覚を背中に感じながら、ずっと思っていた。
 結局、その家とはリフォーム契約に至らなかった。最後まで会うことのなかった息子が、見積もり金額が高すぎるとかいろいろ難癖をつけて反対し、依頼主である奥さんは逆らえなかったらしい。
 正直、よかったと胸をなでおろした。どうにか理由をつけて断ったほうがいいのではないかという焦燥と、リフォーム会社を営む社長としての矜持との狭間で生まれていた葛藤を、あっさり手放すことができたから。
 昔はそんな、オカルトを信じるような性格ではなかった。“第六感”なんてものも信用していなかった。だけど、長年かけて現場経験を重ねていくうちに、無視できない何かが自分の中で育っていった。
 背中がちりちりするときは、無理せず撤退したほうがいい。
 おおっぴらには言えないが、それは俺にとって重要な指針だった。
 だけど――。
 何も感じなかったのだ、あのときは。
 
 依頼主は、一軒家にひとりで住んでいるという四十代半ばの女性だった。
 築三十年から四十年は経っていただろうか。一階は亡くなったご両親が営んでいた中華料理店で、いまは空き店舗となっている。もしかしたら娘さんが生まれたのを機に独立して、自宅兼店舗のこの家を建てたのかもしれない。だが、役所勤めの娘さんにとっては無用の長物だ。居住スペースは二階だけれど、風呂とトイレ、それから店舗とは別に自宅用のキッチンが一階にあるから、店舗を他人に貸すのも気が引けるだろう。
 だからてっきり、店舗部分も居住用にリフォームしてほしいと、そういう依頼なのかと思っていたのだ。しかし、
「リフォームはお風呂とキッチン、それから外壁の塗装だけお願いします」
「厨房はどうするんですか?」
「一切いじらないでください」
 娘さんは語気を強めて言った。
「将来的に使う予定があるんですか? 状態はいいですもんね。いまからでもまたお店をはじめられそう」
「いいえ、そんな予定はありません。でも、いいんです。店舗はそのままで」
 物静かな人だっただけに、その、断固とした口調がやけに気になった。それでも、引き受けるのを躊躇するほどではない。空間を遊ばせておくのはもったいないけれど、思い出も詰まっているのだろうし、そのままにしておきたいなら尊重しよう。その程度の感想しか抱かなかった。
 違和感を抱いたのは、見積もりを出して契約を正式にかわした後だ。
「水回りの工事をするとき、塩やお酒をまいてほしいんですけど、どうすればいいですか」
 依頼主に尋ねられた。
「準備は何日前から必要ですか。神主さんをお呼びしたほうがいいんでしょうか」
 ずいぶんと熱心に細かく尋ねてくる。
確かに水回りに触れるときは、お祓いやおきよめをしたほうがいいと言われている。でも、近頃では気にする人がぐんと減った。今回の依頼主の世代はとくに。俺も、自分が担当した現場で申し出を受けたのは、これが初めてだった。
 依頼主はリフォームの仕様も最低限を望み、ケチることはないが贅沢ぜいたくもしない。無駄をきらう合理的な性格がうかがえていただけに、意外だった。
「何か宗教上の理由とかあるんですか? 大事にされている形式とかあったら教えてください。できる限り、ご希望に添うようにしますので」
 聞きかえすと、彼女は慌てたように首を振った。
「そういうのじゃないんです。ほら、水回りを動かすときって、いろいろあるっていうから。事故とか起きたら困るし、一応、ね」
「なるほど。じゃあ、我々のほうで基本のお浄めはしておくようにします」
「よろしくお願いします」
 ほっとしたように、彼女は微笑んだ。
 といっても、自分も詳しいわけではない。現場監督に相談しながら、米と塩、それから酒と水を、水回りと塗装する外壁の付近に見よう見まねでまいて浄めた。それに意味があったのかなかったのか――いまでも、わからない。
 
 塗装し直すだけとはいえ、外壁に足場を組んで作業をするのだから、それなりに大きな音が出る。人の出入りもさわがしくなる。着工日の数日前に、近隣にタオルを持って挨拶に行くことにした。
 そのとき訪ねた近所の飲み屋で、店主に言われた。
「ああ、あのお化け屋敷。工事するの? 大丈夫?」
 地元では、有名な話らしかった。二階から、じいっと外を見下ろしているおばあさんの姿を、何人も、何度も、目撃しているのだと。依頼主のお母さんだ、とわかる人にはわかるらしい。
「あそこのお父さんもお母さんもずいぶん店を大事にしていたからな。下手にいじると、祟られるんじゃないか」
「いやだな、脅かさないでくださいよ」
 居酒屋の常連客と思しき男の言葉を、俺は笑って受け流した。みんな酔っ払っていたから、きっと大袈裟に話しているのだろうと。
「ま、水回りを大事に扱えば大丈夫だろ、きっと。気をつけてな」
 不意に、お浄めをしようとしていた依頼主の真剣な表情を思い出した。長年放置されているはずなのに、ふだん使っているはずのキッチンよりぴかぴかに磨き上げられていた、厨房のシンクのことも。
 
 奇妙な写真が撮れたのは、そのすぐ後だ。
 いつも工事に入る前、現状確認のためにデジカメで写真を撮っていた。写真を確認していたら、その中に一枚、上下がさかさになった写真がまぎれ込んでいた。不思議に思って、画像を回転させて確認してみると、厨房の壁に設置されたダクトを写したものだった。銀色でL字型の排煙口。
 よく見ると、カーブのかかった側面に、小さな丸椅子に座った女性が写り込んでいる。見覚えのない、おばあさん――いや、これは。
「……まじかよ」
 店舗に飾られていた写真に、依頼主と一緒に写っていた女性。亡くなった母親の姿だった。
 すぐさま、現場監督に見せた。
「これはやばいかもしれないな」
 いつになく顔色をなくしている彼の様子から、異常事態であることの危険信号を感じ取った。
「事故が起きないよう心してかかろう。でも、現場のやつらには内緒だ。士気がさがるし、びびるとよけいに事故が起きやすくなる」
 自分としても、触れ回って大事にしたくなかった。というよりも、気のせいだと思いたかったのかもしれない。
 ――だって全然、何も感じなかったのに。
 第六感とはいえ、センサーが磨かれるのは、現場経験を積んだ証しだと自信を持っていたことに、そのとき気づいた。怖さと、気味の悪さと、そして少しの悔しさを抱えながら、何事もなかったかのように工事を進めた。
 水回りも風呂場も、経過は順調だった。
 時折、誰もいないはずの家の中で人影を見たとか、その人影に声をかけたのに無視されてしまったとか、現場から声が寄せられてきた。だけど、「気のせいだろう」「気づかなかったんだろう」と答えて流した。
 完成まであともう少し。それで終わるはずだったのだ。
 
「すみません、雨戸を閉め忘れちゃいました」
会社にいる自分に現場のスタッフから電話が入ったとき、すでに日は暮れていた。
 外壁を塗装する際に開ける二階の雨戸を、帰るときには閉めておいてほしい、というのは依頼主からきつく言われていた約束だった。平日、帰宅の遅い彼女が防犯に気を配るのは当然のことだ。
 俺はため息をついた。
「わかった。俺が行って、閉めておく」
 面倒で気が進まなかったけれど、これも仕事だ。仕方なく、車を現場に走らせた。
 ふだんその雨戸は、家の中に入らず外の足場から開け閉めしていたのだが、いまは作業中でもなく、人けの少ない夜だ。そんな状況下で、足場にのぼって二階の窓に手をかけていたら泥棒と誤解されて通報されかねない。
 俺は借りていたカギを使って、勝手口から依頼主が留守中の家の中に入ることにしたが、憂鬱な気持ちはまったく消えない。
 二階へあがって雨戸を閉めてくる。たったそれだけ。
 だけど、勝手口を開けるとその先は、厨房だ。つまり、あのおばあさんが写真に写り込んでいたダクトがあるのだ。日中でさえ、近くを通るときは薄気味悪い気持ちになるというのに、こんな暗がりでひとりだなんて、たまったもんじゃない。
 ドアを開けると、闇夜にぼんやり銀色の輝きが浮かび上がった。ぞっとするものを感じながら、足早に通り過ぎ、奥の階段へと向かう。厨房内に響く自分の足音が、こんなにもおぞましく聞こえるものとは思わなかった。
 ギイ……ギイ……と、一段のぼるたびに足元が軋む音がする。
 古い家の呼吸が、場の静けさに反射するように、昼間よりも大きく響きわたる。自分の呼吸だけが大きく聞こえていることに、妙な焦りを感じた。
 階段をのぼりきると、その先は真っ暗な廊下が延びているだけだということは、最初に家の中を案内されたからよく知っている。二階の電気がなぜか階段の近くではなく、廊下の奥まで行かなければつけられない、ということも。
 無人の家なのに、誰かに聞かれて困るというわけでもないのに、できるだけそっと、音をたてないようにして廊下を歩こうとしている自分がいる。そうしなければならない、と。けれど、どうしたって、ギイ……ギイ……という音は鳴り響き、そのたびに心臓が収縮するような感覚になる。
 閉め忘れたという雨戸は、廊下を突き当たって左手にある部屋のものだ。その途中、右手の壁には窓がある。みんなが、見下ろしているおばあさんを見かけるという、あの窓が。
 ああ、いやだ。本当にいやだ。
 声に出さないのはせめてもの分別だったが、せめて内心でだけでも何か言ってなければ、静寂に完全に吞み込まれて、立っていられなくなるような気がしていた。
 ほんの数メートルなのに、永遠かと思われる廊下を抜けて、部屋のドアに手をかける。
 そこは、依頼主の寝室だった。これが、憂鬱だった最大の理由。
 寝室にだけは決して入ってはいけないというのもまた、依頼主にきつく言い含められていたことだった。だが、背に腹は代えられない。
「お邪魔します。すみません」
 頭を下げながら、ドアを開ける。
 その瞬間、信じがたいものが目に入った。
「なんだこれ……」
 壁という壁に、お札がびっしりと貼られていた。漢字やら、梵字ぼんじやら、意味ありげな図章やら、大きさも種類もそれぞれ違うけれど、隙間なく、部屋を埋めつくすように。
 その異様さに、眩暈がした。
 ――彼女は、こんなところで寝起きしているのか?
 見てはいけないものだった、と考えなくてもわかる。急いで部屋の奥にある窓を開け、雨戸に手を伸ばした。ガチャガチャと音が鳴るばかりで手元が狂い、なかなかうまくいかない。焦る気持ちをなんとかおさえ、どうにか閉めることができた、そのとき。
 背後で扉が開く音がした。
 ばっと振りかえるも、部屋のドアは微動だにしていない。はっとした。あれは、一階の勝手口が開く音だ。古い木造の家だから、遠く離れていても家の中で生まれた音は響いて、耳に届いてしまう。
 ああ、なんだ、そうか。僕は安堵の息を漏らした。彼女が帰ってきたんだと。
 だが、いくら耳をすませても、厨房を歩く人の足音は聞こえてこない。
 厨房の床は石張りだ。いつもヒールを履いている彼女の足音がしないわけがない。自分のスニーカーですら、反響するような音を鳴らしていたというのに。
「すみません、村田です! 雨戸閉め忘れて、入っちゃいました!」
 部屋から顔を出して叫んだ。
 こんな時間に勝手口のカギが開いていたから、彼女もびっくりしているにちがいない。泥棒でも入ったのではないかと、息をひそめているのかもしれない。そう思い、安心させようと、ことさら声を張った。
「申し訳ないです、いま終わって、すぐに帰りますから!」
 だけど、返答はない。あたりはあいかわらず静まりかえっている。
 ひょっとして、ただの風の音だったのだろうか。そういぶかしんでいると、ギイ……ギイ……と今度は木の板が軋む音がした。
 誰かが階段をのぼってくる。
 そう察した瞬間、危険を知らせるように、全身から汗が噴きだすのを感じた。
「村田です! すみません!」
 もう一度叫ぶと、足音が止まった。再び静寂が訪れる。
 何かが変だ。
 最初に思ったのは、幽霊などではなくこれは泥棒なのではないか、ということだった。だとしたら危険だ。自分の責任を問われるし、そもそも鉢あわせて殺されてしまうかもしれない。いや、いっそのこと、不意をついて捕まえたほうがいいのだろうか? 現場仕事で鍛えられた身体はそんなにヤワじゃない。相手がよほどの手練てだれじゃなければ、どうにかできるかもしれない。
 ギイ……ギイ……。
 そんなことを考えているうち、また音が鳴った。一歩ずつ、一歩ずつ、音がこちらに近づいてくる。
 出ていくしかない、と思った。相手が泥棒にしろ、依頼主にしろ、ここに自分がいることは明らかに知られているのだから、飛びだしていくべきなんじゃないのかと。でも、動けなかった。金縛りにあったように、足が硬直している。
 ギイ……ギイ……。
 ギイ……ギイ……。
 音はさらに近づいてくる。もう階段じゃない。廊下を歩いて、こちらにやってくる。だけど――おかしい。やっぱり、変だ。
 誰かがいる、、ような気配が、少しもしない。聞こえてくるのは音だけで、生きた人間の息遣いも、温度も、まったく伝わってこない。
 やがて、廊下を数歩進んだところで、音が止まった。
 それが、おばあさんの立つ窓の前だということが直感的にわかった。
 これ以上はまずいということも。
「お邪魔しました! もう帰りますね!」
返事がないとわかっていても叫ばずにはいられなかった。部屋を飛びだし、誰もいない廊下を一気に通り抜けようとして、ふと窓の向かいにある部屋のドアを、前触れもなく勢いよく開けた。廊下に誰もいないのならば、潜んでいるとしたらその部屋しかありえない。
 だが、いない。息を潜めるような気配も、当然、ない。
 どこにも、誰も、いないのだ。この家に、自分以外は。最初から。
 限界だった。
 足がもつれそうになりながらも階段を駆けおり、家から飛び出た。震える手を押さえながら急いでカギをかけると、うしろもふりかえらずに車に乗り込み、ただ無事に家に帰りつくことだけを考えた。二階の窓を見上げることなど、もちろんできるはずもなかった。
 
 その後、工事はつつがなく済んだ。
 しかし解散した翌日、現場監督が急な高熱を出して、一週間休み続けた。
 職人のひとりが「首が痛い」と言いだし、原因不明のまま仕事にも出られない状態が二か月も続いた。
 俺はというと、今回の仕事を紹介してくれた人の家にお礼に向かう途中、車で事故を起こしてしまった。よそ見はもちろん、確認不足だったということもない。だけど、自転車が飛びだしてくるまで、その姿がまるで見えなかった。
 自転車に乗っていた人も、障害物があるわけでもないのに、こちらの車の存在がわからなかったと言っていた。
 どちらにも怪我がなかったことだけが、幸いだった。
 
 なぜ彼女は、あれほどたくさんのお札を貼っていたのか。
 死んだ母親が現れる、というだけであそこまでするだろうか。
 ご両親とは、生前、財産のことで揉めていたらしいとか、店の権利をめぐって対立していたらしいとか、後から噂でいろいろ聞いたものの、本当のところは何一つわからない。
 彼女はいまもあの家で、水回りを磨いているのだろうか。
 誰もいない厨房を、ただひとり、どんな気持ちで守っているのだろう。

(了)


目次

【怪談小説】 文・橘 もも
 建設業界 「地下からの声」/「おきつねさん」
 清掃業界 「終わらなかったワックスがけ」/「忘れもの」
 美容師業界 「それ私のせいかも……」/「髪の毛には、宿る」
 葬儀業界 「聞こえるはずのない音」/「コンセキノコスナ」
 タクシー業界 「幽霊からの配車依頼」/「過去からの叫び」
 登山業界 「彼岸に現れた男」/「白い足袋の女」
 リフォーム業界 「両親の愛した家」/「そこに、誰かいます」
 フードデリバリー業界 「五階に棲むお婆さん」/「夜桜の下で」

【業界関係者座談会】
 建設業界編、清掃業界編、美容師業界編、葬儀業界編、タクシー業界編、登山業界編、リフォーム業界編、フードデリバリー業界編

はじめに 「彼岸風呂 まえがきに代えて」
おわりに 「〝昭和〟の終わりとアプリ社会」

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