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「NHK100分de名著 ヘミングウェイ スペシャル」出演の著者がエドガー・アラン・ポー「黒猫」を読み解く! 10/15(金)発売『教養としてのアメリカ短篇小説』より、第1講を抜粋公開

「100分de名著 ヘミングウェイ スペシャル」で指南役を務めている早稲田大学文学学術院教授の都甲幸治さん。ドミニカ共和国出身でアメリカ合衆国に移民した作家ジュノ・ディアスの翻訳などで知られ、自身でも「今まで自分はマイノリティ文学に特化して読んできた」という都甲さんが、アメリカ文学の“王道”ともいえるメジャー作家たちの短篇小説13作品を読み解く『教養としてのアメリカ短篇小説』が10月15日(金)に発売となりました。
 それぞれの小説についての講義は、まず作品のあらすじを振り返った後、作者の経歴や文学史的な位置づけを解説。次いで作品の背景となるアメリカ特有の事情を押さえ、作品の具体的な細部を読み解いていくという構成をとっています。
 今回、「暴力と不安の連鎖」と題してエドガー・アラン・ポーの「黒猫」を論じた第1講の前半部分を抜粋公開します。「黒猫」を読んだこともある方もない方も、日本人にとって近くて遠い国・アメリカ合衆国の文学が何を描いてきたのか、その一端を覗いてみてください。

小学生なら夢中の物語

 最初に読むのは、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」です。ポーは日本でもかなり親しまれている作家ではないでしょうか。多くの人が、少年少女向けの翻訳で「黄金虫」や「モルグ街の殺人事件」といった作品に触れた経験があるのではないかと思います。シャーロック・ホームズのシリーズや『怪盗紳士ルパン』のような推理小説と並んで、読むのがちょっとうしろめたいような、残酷で、でも面白くてドキドキする物語。
 僕も幼いころからポーを読んでいて、とても好きな作家です。しかし大人になってあらためて読みなおすと、面白いだけでなく、その作品にさまざまなアメリカ的特徴が表れていると気づくようになりました。そうした部分も含めて、この短篇の魅力に迫っていきたいと思います。
 まずは「黒猫」のあらすじです。主人公は心の優しい男性で、動物を愛しています。「動物の主人に対する忠実さと愛情は、人間のうわべだけの友情やうすっぺらい誠実さを思い知らされた者にとって、心をうつものがある」、つまり人間は裏切るけど動物は裏切らない、と言ったりしている。若くして結婚し、「さいわい妻も同じような性格だった」ため、夫婦でいろいろな動物をペットとして飼って、のどかに暮らしていた。その様子が主人公自身によって語られる。
 そのままほのぼのとした雰囲気で進むかと思いきや、一気に転換する。その原因が、酒です。「わたしは酒という悪魔にとりつかれ、告白するのもはずかしいが、気持ちも性格も激しくすさんでいった」。酒量が増えるにつれて、人格が変容してくる。酔うと動物に暴力を振るい、妻に暴力を振るうようになる。アルコール依存症の人の状態を思わせますよね。酔いが醒めるとさめざめと泣いて反省するけれども、また酒を飲んでしまう。そして同じことを繰り返す。結局、どんどん酒量が増えていくことを、自分ではコントロールできない……という状況だったのではないか。
 ここで焦点が当たるのがプルートという名の黒猫です。主人公はペットのなかでもこの黒猫を特にかわいがっていて、猫のほうもよくなついていた。暴力を振るうようになってからも、プルートにだけは手を出さなかった。しかしあるとき、酒に酔った主人公はちょっとした仕草にイラっとして、ついにプルートにも暴力を振るってしまう。片目をえぐり取るというひどい虐待です。プルートは当然、主人公から逃げ回るようになる。すると主人公は、自分が悪いのに、「寂しい」「裏切られた」という気分になり、また暴力を振るう。こうした状況がエスカレートして、ついに主人公はプルートの首に縄をくくり付けて、木から吊るして殺す。
 その夜、事件が起こります。主人公の家が原因不明の火事で燃えてしまう。夫妻はなんとか脱出しますが、家はほぼ全焼。翌日、一枚だけ燃え残った壁に見物人が群がってざわついている。

 わたしは気になって、そちらにいってみると、白い壁の上に大きな猫の影ができていた。それも異様なほどくっきりと浮かびあがっていて、首にまいた縄までがはっきりみてとれた。(金原瑞人訳「黒猫」『モルグ街の殺人事件』所収、岩波少年文庫。以下、出典を特に示していない引用は同書に拠る)

 燃え残った漆喰の壁に、首をくくられたままのプルートの姿がまざまざと現れる。怪奇ですよね。そんなことあるのか、という。主人公は、おそらく木に吊るされていた猫を誰かが放り込んで、それが壁に密着して、その跡がついたのだ、と自分を納得させようとする。読んでいても「そんなわけないよ」と思うようなかなり苦しい説明です。そこで、「ああ、こんなことをして自分はひどいやつ」とうしろめたく思うのですが、酒浸りの生活が改まるわけではない。
 酒場通いを続けていた主人公は、ある日そこでプルートにそっくりの猫(プルート二世と呼ぶことにします)を見つける。よせばいいのに、主人公はわざわざプルート二世を家に連れて帰る。妻はたいへん喜んでこのプルート二世をかわいがります。
 しかし、主人公はプルート二世のことがだんだん嫌になってくる。連れ帰った翌朝、よく見るとその猫が片目であると気づいたことがその理由です。以前プルートの目をえぐった虐待のことを思い出してしまう。片目であることまで同じなのに、唯一違うのは、プルート二世の胸には白い毛があって、何かの模様のように見えることです。不思議なことに、この白い模様がなぜかだんだんと姿を変えていき、主人公には最終的に、くっきりと絞首台のかたちに見えてくる。これもリアリズムでは考えられないような展開ですが、心理的なリアリティは感じられますよね。イントロダクションで言及した、ノヴェルとロマンスでいうとロマンス寄りというアメリカ文学の特徴が、非常によく表れている部分ではないかと思います。
 あるとき、主人公は用事があって妻と一緒に地下室に下りようとする。ついてきたプルート二世のせいで足を取られて転げ落ちそうになった主人公は、猫を斧で殺そうとします。妻が身を挺してそれを止めると、逆上した主人公はなんと妻の頭をその斧でかち割って殺してしまう。
 主人公は死体をどうしようかと考えます。いろいろと手段を検討するなかで、中世の僧侶が殺した者を壁に塗りこめていたという話を思い出す。この地下室には漆喰を塗りなおしたばかりで乾ききっていない壁があるから、そこに隠してしまおうと思いつくわけです。いったんレンガをはずして妻の死体を奥の壁に立てかけて、レンガを積みなおしてまた漆喰を塗る。なかなかきれいに塗れて、主人公はその仕上がりに満足します。
 ところが、ハッと気づくと、猫がどこにも居ない。見つけたら殺そうとまで思っているのですが、主人公はプルート二世の存在に嫌気がさしているので、怯えて逃げたのだとしてもいなくなってくれたのであればまあいいか、ということでしばらくは心安らかに過ごす。
 とはいえ、人が一人突然いなくなっているわけなので、警察が嗅ぎつけて、何かあったのではないかと何回も調査に来る。ところが死体は全然発見されない。主人公は、これだけうまく隠しているのだから大丈夫だろう、と思う。そうすると、気持ちよくなってきちゃうんでしょうね。必要のないことまでぺらぺらとしゃべるようになる。何も発見できずに帰ろうとする警官たちに向かって、この壁はよく塗れているでしょう、頑丈なんですよ、私も頑張りました。などと言いながら、持っている杖で壁をバコーンと叩くんです。すると、「ニャーッ」という声が聞こえてきて、これはなんだということになる。戻ってきた警察官たちが壁を崩すと、立ったまま腐乱した妻の死体が出てきて、その頭の上にはプルート二世が乗っている。真っ赤な口を開いて「ニャーッ」と鳴いているんです。
 だから、本当にもう、「小学生なら夢中」みたいなストーリーですよね。しかし、面白いお話だというだけではない部分もある。そのことを考えていきたいと思います。

ポーの人生と経歴

 エドガー・アラン・ポーは、日本では短篇小説作家という印象が強くあると思いますが、実は彼は、何よりもまず詩人です。特にフランスでは、ボードレールをはじめ、マラルメやヴァレリーといった十九世紀の象徴派を代表する詩人に高く評価されていた。たとえばヴァレリーは手紙のなかで「ポーは唯一の完璧な作家であり、誤ることがなかった」と評しています。フランス象徴派の詩人に影響を与えたということは、ヨーロッパ近現代詩の源流だということですね。
 ポーを特徴づけるのは不思議な理屈っぽさではないかと思います。読者からすると、単に幻想とか怪奇で書いている感じがしないでもないのですが、自身では理屈に基づいて、詩も効果を計算しながら書いていたと主張したりします(ポー「構成の原理」)。この理屈っぽさがプラスに働いて、SFや推理小説を発明した――このように言われる作家は何人かいますが、ポーはその代表だと思います――作家です。推理小説では「モルグ街の殺人事件」などが有名ですね。
 生きた年代を見ると、ポーというのはけっこう昔の人だということがわかります。生まれたのは一八〇九年、北部のマサチューセッツ州ボストンで、両親は旅役者でした。父親は失踪してしまい、母親も体が弱いところに無理をして、ポーが二歳の時に亡くなる。物心つく前に孤児になり、南部のヴァージニア州リッチモンドに住む裕福な商人ジョン・アランに引き取られる。それで「アラン」というミドルネームをもらってエドガー・アラン・ポーになるわけですね。リッチモンドはヴァージニア州の州都で、奴隷売買の中心地でした。ポーがアメリカ南部の文化のなかで育ったことを押さえておきましょう。養父母の仕事の都合で六歳のときイギリスに渡って、五年間、ラテン語やギリシャ語などヨーロッパの古典的な教育を受けます。その後、アメリカ合衆国に戻ってきて、ヴァージニア大学に入る。
 このあたりからのポーは私生活にはいろいろ問題があったことがわかっています。まず賭け事がもとで大学を退学になる。その後軍務に就き、軍人としては優秀でウェスト・ポイントという士官学校に行くことになる。しかし、「詩人になりたいのに、このままでは本当に軍人になってしまう」と考えたポーは、わざと授業をサボったりして、放校処分になるように持っていく。詩人になろうとして自費出版などもするのですが、なかなかうまくいかない。雑誌のような見通しの立たない商売を始めては投げ出すとか、あるいは飲酒癖が止まらないといった問題も出てきます。そのようななかでも、懸賞小説が評価されたりして少しずつ文名が上がっていく。
 ポーの生涯で有名なのは、十三歳のいとこヴァージニアと結婚したことですね。なかなか衝撃的なエピソードですけれども、十九世紀は日本でいえば江戸時代のことなので、まあ、そういうこともあるのかなと思います。この妻は二十六歳のとき、肺結核でポーより先に亡くなります。ポー本人は多くの作品を残しましたが、亡くなったのは四十歳なのでまだ非常に若いときのことですね。ボルチモアの投票所近くの路上で倒れているところを発見され、病院に運ばれるも意識を取り戻すことなくそのまま亡くなったようです。死因はわかっておらず、当時は選挙運動でお酒をふるまわれる習慣があったので、飲みすぎたのではないかとか、急に心臓発作になったのではないかとか、いまだに議論されています。
 「アッシャー家の崩壊」「ウィリアム・ウィルソン」「黒猫」「盗まれた手紙」などが代表作でしょうか。ひとつひとつ解説していくと無限大になってしまうのですが、ひとまずどれもとても面白い作品だということは言っておきたいと思います。

動物を通して見る「自然」と「人種問題」

 ここからは「黒猫」という作品を具体的に読み解いていきます。まずは背景知識として、動物との関係をどう考えるかという部分を見ていきましょう。
 イントロダクションでご説明したように、アメリカ文学の大きな特徴として自然描写があります。ここで「自然」というのは、単純に大きな砂漠とか高い山とか広い平原とか大森林とかだけではなく、動物とのかかわりについて語ることも含まれる。
 たとえばジャック・ロンドンに『野性の呼び声』という作品があります。これは主人公である犬の視点からすべてが語られる小説です。この作品は当時、動物を勝手に擬人化して語らせているのではないかと批判されるのですが、ジャック・ロンドンは「いや、むしろ擬人化しないように気をつけて書いている」と反論しています。ジャック・ロンドンにはほかにも『白い牙』のような有名な作品があります。
 動物について書くと、さまざまな動物が暮らしている、北米のバリエーション豊かな自然が見えてきますよね。「黒猫」も、家の中の飼い猫ではあるけれども、人間の力の及ばない存在という意味では、アメリカの大きな自然とつながっているということが言えると思います。そのことによって、作品の最後で復讐というか、回帰していくことになるわけです。主人公にとって黒猫は単なるペットであり、コントロール可能な存在に思えています。だからこそ彼は猫を平気で虐待したりする。精神的には辛いと言っていますが、やはり彼は猫を自分より弱い存在だとしか見ていない。しかしながら、自然は人間が支配できない巨大なものであり、その一端を担う黒猫もまた主人公を大いに超えてきます。だからこそ生まれ変わり、そして一度姿を消しても、思わぬ形で彼の前に再び姿を現す。そうやって主人公の傲慢さが挫かれるわけです。
 そして動物が登場する作品でもう一つ考えてみたいことは、アメリカにおいては黒人奴隷が動物扱い、家畜扱いされていたという歴史です。誰が人間として認められる権利を持ち、誰が人間ではないのか。この問題はアメリカの社会だけでなく、文学のなかでも常にテーマであり続けています。この「黒猫」という作品では、人間に暴力を振るわれた猫が、まるで意思を持っているかのように主人公を追い詰めていく。人間は動物と違って理性をもつ存在と考えられるわけですが、酒に狂わされて理性を失ってしまうと、本能、すなわち自然に基づいて動いている猫のほうが攻撃力が高くなって、人間が敗れていくという展開になる。これは動物と人間の境界がゆらぐ話というか、ある種の上下関係が転覆される話という見方もできるのではないかと思います。このことは後ほど詳しく見ていきます。

※続きは『教養としてのアメリカ短篇小説』でお楽しみください。

【『教養としてのアメリカ短篇小説』目次】

イントロダクション
第1講 暴力と不安の連鎖――ポー「黒猫」
第2講 屹立する剝き出しの身体――メルヴィル「書記バートルビー――ウォール街の物語」
第3講 英雄の物語ではない戦争――トウェイン「失敗に終わった行軍の個人史」
第4講 共同体から疎外された者の祈り――アンダソン「手」
第5講 セルフ・コントロールの幻想――フィッツジェラルド「バビロン再訪」
第6講 存在の基盤が崩れるとき――フォークナー「孫むすめ」
第7講 妊娠をめぐる「対決」――ヘミングウェイ「白い象のような山並み」
第8講 人生に立ち向かうためのユーモア――サリンジャー「エズメに――愛と悲惨をこめて」
第9講 美しい世界と、その崩壊――カポーティ「クリスマスの思い出」
第10講 救いなき人生と、噴出する愛――オコナー「善人はなかなかいない」
第11講 言葉をもたなかった者たちの文学――カーヴァー「足もとに流れる深い川」
第12講 ヴェトナム戦争というトラウマ――オブライエン「レイニー河で」
第13講 愛の可能性の断片――リー「優しさ」

プロフィール
都甲幸治(とこう・こうじ)

1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。主著に『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社)、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

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