やさしさが、いつもわたしの身に余る。――「愛がありふれている #2」向坂くじら
いま、文芸の世界で最も注目を集める詩人・向坂くじらさん。「本がひらく」連載で好評を得た、言葉の定義をめぐるエッセイ「ことぱの観察」の次なる連載テーマは「愛」。稀有なもの、手に入りにくいものだと思われがちな「愛」はどのようにありふれているのでしょうか。向坂さんの観察眼でさまざまに活写するエッセイです。
女の子たちとの付きあいは、いつもやさしさからはじまる。それはたとえば、持ちものを褒めることだったり、体調を気にかけることだったり、かわいいシールをあげることだったり、相性の悪い人同士が居あわせないように調整することだったりする。どこへ行ってもそうなのがふしぎなくらいだ。個々人の性格によるものというよりは、ある国に浸透している独自のふれあい、というような風情さえある。流行り廃りをてんで知らず、化粧もせず、いつも付きあいから半歩あぶれていたわたしでさえ、それにふれる機会は十分すぎるほどあった。
授業のあと、わたしのとっていたノートを見て、同級生の女の子が「えーっ」と声をあげた。中学三年生のときだ。
「真っ黒じゃん。分かりづらくない?」
女子校だった。そのとき女の子たちのあいだには、勉強することもそんなに悪くないよね、というような空気が流れていた。中高一貫校とはいえ、高校進学が近づくと進路なんかも気になってくる。そのぶん、高校受験がないことに甘えてさぼってきたこれまでの遅れを取りもどさないといけないような気分が生まれてくるらしい。と言っても全員ではなく、あるものは丹念にノートをとりはじめる一方で、あるものは変わらず追試に呼ばれつづけていた。言うまでもなく、わたしは後者のひとりだった。
女の子は自分のノートを見せてくれた。大事だと思われるところは違う色のペンで書いてあったり、マーカーが引いてあったりする。配色も字もきれいで読みやすい。わたしのノートはシャープペンシル一色の悪筆殴り書きで、並べてみると確かに違う。
「色ペン貸してあげるよ」と女の子は言った。
「わたしいっぱい持ってるから。次の時間貸してあげるから、一回使ってみなよ。絶対使いやすいから」
そこには、なんということはない、てらいのないやさしさの気配が込められていた。わたしは素直にペンを借りて、次の時間を過ごした。いつも通りシャープペンシルでなにか書いたあと、とってつけたように何本か線を引いた。見せろと言うからそれを見せると、女の子はほのぼのと喜んだ。
「ほらー、ぜんぜん違うじゃん。絶対こっちの方がいいよ」
けれどそれを最後に、わたしがカラーペンを使ってノートを取ることはなかった。
大学に行くようになると、私服で通学しなくてはいけなくなった。女の子たちはやっぱり近づいてきて言う。
「もっとおしゃれしたら絶対かわいいのに」
「メイクしないの? してあげようか」
わたしはときどき彼女たちに連れられてデパートに出かけていった。メイク用品の並ぶフロアはあちこちにライトつきの鏡が光っていて、歩いているだけで眩しい。ひとりでは気後れして行けないところでも、女の子の背中を追っていると平気でいられた。彼女たちは何時間もかけてわたしでも着られそうな服を探し、インナーだとかマットカラーだとか、知らない言葉をあれこれ教えてくれた。わたしはその眩しい時間が好きだった。ときどき選んでもらった服を買うことがあると、そればかり着るようになってあきれられた。いろんな女の子が、アイシャドウや、マニキュアや、リップグロスをくれた。そのたび、おもちゃをもらったみたいに喜んで受け取ったけれど、けっきょくどれも使いきれないまま、化粧をしない大人になった。
女の子たちはいつもやさしい。そしてそのやさしさが、いつもわたしの身に余る。スマートフォンをひらくと、「女子会しよー」という名前のグループラインに、未読がもう十七件も溜まっている。
芥川賞候補になってしまった。今年の夏のことだ。テレビや新聞にわたしの名前と顔写真が映った瞬間、ひどいさわぎになった。
急遽決まった単行本化の作業や著者近影の撮影で忙しくなったのはまだいいけれど、取材の申し込みとその日程調整、そして知りあいたちからのたくさんの連絡。電話口の担当編集者はまじめな声で、「候補になると、親戚が増えると言いますからね」と言った。
異常な反応を見せたのは、両親もまた同じだった。ふたりとも、目に見えて、これ以上ないほど舞いあがっていた。当人であるわたしの五倍十倍は喜んでいたと思う。わたしの名前がちらっとでもニュースに映るたびに家族ラインに写真が送られ、母からは定期的に「あと◯日だね」とカウントダウンのメッセージが届いた。「当日着ていく服を用意してね」というメッセージには「わかった」と返し、「受賞の瞬間を本当にあったことのように想像してね」というメッセージには「しない」と返した。わたしは基本的にこの種の、自己啓発に幼いおまじないをないまぜにしたようなTipsを憎んでいる。
母はあたふたしているだけだったからまだよかったけれど、問題は父だった。万一、万一のことがあった場合には、どうしても受賞会見に行きたいと言って聞かない。笑って聞き流していたけれど、昔からみょうな行動力があるのが父だ。気づいたときにはなんと出版社と直接連絡を取りあい、無理やり受賞会見を観覧しようとしていた。もちろん、そのときにはまだ選考会も済んでいないのに、だ。担当編集者からの連絡でそのことを知り、青くなって父に連絡をとると、「絶対に迷惑はかけないようにする」みたいなことを言う。あほか。
そのときにはさすがに、わたしも頭に血が上っていた。
「芥川賞候補になったら五年は食えると俗に言うよ。たった五年だぜ。このことで、出版社はわたしと仕事しづらくなるかもね。文芸業界はそう広くないそうだから、ほかの出版社にもうわさが回るかもね」
家族ラインに細切れで連投すると一瞬時が止まって、父は「本当ごめん」と言った。
親というもののあまりの愚かさにカッカと怒りながら、同時に申し訳ないような気分だった。はじめの段階でもっと強く止めるべきだったのだ。けれど放っておいてしまった。まさか来ないだろうと思っていたこともあるけれどそれ以上に、父の喜んでいる気持ちを尊重してやりたいような気分があったのだった。そして、そのさらに根っこにあったのは、やさしさというよりも単なる面倒くさがりだった。
「だからこれで仕事がなくなるとしても結局のところはわたしの責任なんだよ」と言うと父はますますしおらしくなり、「もっと冷静になるべきだった」などと言った。結局、主には担当編集者のたいへんな寛容、それから父とわたし相互のわずかずつの寛容によって、ことは選考会を待たずに何事もなく、つまり父がすべての要望を取り下げるかたちでおさまった。
いまになって思えばあっさり落選したわけなのだからばかばかしい。候補になったからと言っていいものが書けるようになるわけでもなく、ただちょっといいにおいの風が吹いていったくらいのことだった。けれど、そのときはみんな真剣そのものだった。
わたしはくたびれはてていた。自分に向けられるやさしさを面倒がって受けながしてきたしっぺ返しを、そのとき食らわされたような気がした。
けれどやっぱり、女子会には行かない。賞の候補が発表になった日にもラインを見ていた。そして、次々にブロックしていた。
普段からたいした関係があるわけでもないのにこれに乗じて連絡をとってきたものはブロックすると、前の晩から決めていた。当日になってエスちゃんにそう宣言すると、さすがにぎょっとしたみたいだった。エスちゃん、わたしと同じくらい性格が悪く、しかしわたしより若干人づきあいをうまくこなす、学生時代の悪い友だち。
エスちゃんは指さすみたいに「ASDっ」と言った。わたしも、エスちゃんもそう診断されている。
「それでなんの得があんねん君に」
「得とかはないのよ。そういうことにもう決めたの」
「マジでなんで?」
「なんでとかはないのよ。そういうことにもう決めたの」
「怖すぎるな」
前夜の悪い予感はあたり、一度仕事で同じ場に居合わせた程度の相手や、もうどこで知りあったかも覚えていないような相手から、たくさんラインが届いた。それが「また今度どこかで会えたら」的な、距離感をさぐるようなラインだと、なおさら躊躇なくブロックした。母からは「いまどんな気分?」とたずねられ、「あんまり知らない人からお祝いの連絡が来たらブロックするってルールにしたから、気が楽だよ」と返事をしたら、「いまは心から喜んでいるあなたが見たい。他人の思惑なんて意に介さないで」と悲しまれた。
ブロックしたうちのひとりは、エスちゃんも知っている女の子だった。デパートに連れていってくれたことも、学生食堂で化粧をしてくれたこともあるけれど、卒業して以来連絡はとっていない。
エスちゃんはつぶやく。
「仲良さそうだったじゃん、いい関係だったでしょ」
「ううん。いつも半分見下されて、そこでちょうどいい関係だっただけ」
わたしがそう答えると、エスちゃんはわずかにだまった。友人としてなんと言ってやるべきか考えているみたいだった。
「そんなことないんじゃないの。君のことリスペクトしてたと思うよ」
「うん、だから、リスペクトするってことは、見下すことのうちにふくまれるでしょ」
「それはちょっと本質的すぎるよ。下は上にふくまれるって言ってるのと同じことだよ」
その日、わたしは鍋いっぱいにお湯を沸かして、大量のスペアリブを茹でていた。肉を剝ぎ取るように手づかみで食べまくり、骨のにおいのするスープを飲みまくるつもりだった。なんの音も流さず、ずっと台所に立って、際限なく沸き出てくるあくをとりつづけていた。
「うん。だからどっちでも関係ないんだ」
エスちゃんは低い声でうなった。
「……うん。横がいいんだよね」
「うん」
沸騰している水面はたえず動きつづけており、ある一点を注視しようとしてもうまくいかない。かならず視点がぶれて、ほかの一点へと逸らされる。
これもまた、騒動が去っていったいまになって思う。あのときは大変だった。そして、ブロックしてもいいと決めていなければ、もっと大変だっただろう。
だからあの日がああでよかったのだ。あのときわたしは、立てつづけに来る仕事の連絡より、また緊張やプレッシャーより、やさしいメッセージのほうが怖かった。やさしさはときに剣呑であやうく、ともするとわたしに赤やオレンジの口紅や、きれいな言葉を塗りつけようとする。それから逃れようとして、多くのやさしさを空ぶりにしてきたのだ。そのくせ半端に相手を尊重したがって、うまく受け取れなかったはずのやさしさを、それなのに重たく感じてもきた。
そしてあのときだけはそれが、考える前から自分自身でよくわかっていたのだった。そう思うと我がことながら感心する。よかったと思う。そして同時に、やっぱり申し訳ないような、なにもかも自分の欠損であるような気がしてくる。
きれいな色のペンだって断ってみればよかったのだ。やさしさが、いつもわたしの身に余る。受け取られなかったやさしさたちが、風のようにわたしを行きすぎていく。
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プロフィール
向坂くじら(さきさか・くじら)
1994年、愛知県名古屋市生まれ。2016年、Gt.クマガイユウヤとのポエトリーリーディング×エレキギターユニツト「Anti-Trench」を結成、ライブを中心に活動をおこなう。主な著書に詩集『とても小さな理解のための』、エッセイ『夫婦間における愛の適温』『犬ではないと言われた犬』(百万年書房)、『ことぱの観察』(NHK出版)など。2024年、初小説『いなくなくならなくならないで』(河出書房新社)が第171 回芥川龍之介賞候補となる。執筆活動に加え、小学生から高校生までを対象とした私塾「国語教室ことぱ舎」の運営をおこなう。