『NHK8Kルーブル美術館』の愉しみ方・再び!(後編)
『NHK8Kルーブル美術館~美の殿堂の500年~』のもとになった番組(全4集)のうち、第3集と第4集が今夜再放送されます!
第3集「革命とナポレオンのルーブル」
BSプレミアム 10月23日(土)午前1:25から ※22日(金)の深夜
第4集「永遠の美を求めて」
BSプレミアム 10月23日(土)午前2:25から ※22日(金)の深夜
この再放送にあわせて、「本がひらく」で今夏連載した〈『NHK8Kルーブル美術館』の愉しみ方〉(6月11日~7月2日/全4回)を抜粋して再掲載します。読んでから番組を視聴すれば愉しみがグッと膨らみます。あるいは番組視聴のあとでこの記事を読めば理解がグッと深まります。
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『NHK8Kルーブル美術館~美の殿堂の500年~』は、同名の8K番組をもとに、名作を鑑賞しながらルーブルのコレクション史をひもといていく美術書です。編著者は、小池寿子さん(國學院大學教授)と三浦篤さん(東京大学大学院教授)とNHK「ルーブル美術館」制作班。このみなさんが本の完成後に久しぶりに集まりました。8K番組の学術監修を務めた小池さんと三浦さんは同世代の西洋美術史家で、本のなかでは丁々発止の対談を繰り広げていますが、久々の邂逅でも2人は縦横無尽に語り合いました(そして番組制作班も参加)。今回は、その対談のなかから番組第3集(本の第3章)「革命とナポレオンのルーブル」と番組第4集(本の第4章)「永遠の美を求めて」にかかわる内容をお届けします(「本がひらく」で6月18日・6月25日・7月2日に配信した記事の再構成版です)。
※前編を読む方はこちらです。
ナポレオンが夢見た美術館
三浦 第3章は、ナポレオンが主人公で、エジプトも登場して、新しい市民の勃興という話もあって、豊富な話題があったところだと思いますが、ふりかえってみてどんな印象が残っていますか。
小池 これもこのプロジェクトに関わらせていただいたおかげなんですが、19世紀ってほんとうにおもしろい時代だなということを、あらためて今ごろになって認識しています。「19世紀」はひと言では簡単にくくれないということも、よくわかってきました。ナポレオンについて言えば、私はどちらかと言うとグロの〈アルコレ橋のボナパルト〉が好きなんですが、でも何と言っても迫力はジャック=ルイ・ダヴィッドの〈ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠〉。8Kで見て、しみじみダヴィッドは本当にうまい画家、テクニシャンだなと思いました。特に人物の肖像画。19世紀の画家としてはこのダヴィッドがとてもおもしろかったんですが、19世紀には、ヤン・ファン・エイクの〈宰相ロランの聖母〉のような15世紀ネーデルラント絵画が収蔵されていたりする。第3章は、ルーブルのコレクションのあり方が比較的よくわかる章だと思うんですよね。さらにエジプト美術が出てきて、ミイラも出てくる……。そういう意味で、19世紀冒頭の段階のルーブルのコレクションが、どのくらいの範囲にまで及んでいたのかということが把握できて、なおかつナポレオンの一つの頂点を極めたジャック=ルイ・ダヴィッドの肖像画も見られるということで、バリエーションに富んでいながら充実した章だったと思っています。
三浦 私も賛成です。コレクション形成史をたどるというのが、このプロジェクトの一つ縦軸です。最初はイタリア美術を蒐集して、次にフランス美術も蒐集し始める。これは基本的な古典主義の伝統なんですよね。それでロココまで来るんですが、そのあと、わーっとバラエティーが出てきちゃって、この第3章には、エジプトもあれば、古代ギリシャもあるし、近代もあるし、またネーデルラントもある。もしかしたら一番いろんな種類が出てきたかな。今おっしゃったように、ルーブルのコレクションのレンジがわかりますね。それを可能にしたのは、一つはナポレオン。彼がヨーロッパ中のものを集めようとした。もう一つは、この英雄が強引に収奪したあと、ルーブルにナポレオン美術館をつくっちゃったということですね。これを私は歴史的な事実としては知っていたんですが、その実際のインパクトは、中身を調べるほどにものすごいことだったんだなということを非常に感じました。
小池 そうですね。
三浦 そのことを私は第3章の総論『ナポレオンが夢見た美術館』に書いたんですが、アンドレ・マルローの空想美術館の概念がリプロダクションで構成する美術館だったのに対して、ナポレオンは本物の絵で想像の美術館をつくっちゃった。これはすごかったんだろうな……。ナポレオン美術館を見てみたいというのが第3章ですね。
小池 まさに、空前絶後。
三浦 そこにまたヴィヴァン・ドゥノン(ナポレオンの腹心。後にルーブル美術館の館長に就任)が絡んで、北方絵画とか、あるいはイタリアンプリミティヴなども収蔵される。そういう意味では激変した時代ですよね。
小池 三浦さんの総論で流れがとてもよくわかりました。資料もたくさん出していただいて、近寄りやすさを加速させているなと思いましたよ。
三浦 8K的なことで言うならば、〈ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠〉は、巨大なだけにこれまではちゃんと見ていなかった。それを部分部分、一つ一つのモチーフをじっくり見ることができたのは大きかった。逆に〈宰相ロランの聖母〉はそれほど大きくはないんだけれども、細部をあそこまで拡大して見ることができたのは貴重でした。これまでは、あれほどまでクローズアップすることはありませんでしたから。この2作品はそれぞれ違う意味で、8K体験としてとても印象に残っています。
ジャック=ルイ・ダヴィッド〈ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠〉(部分/写真提供=ユニフォトプレス)
小池 今あらためて思うのですが、ちょうどベルギーが独立するのが1830年。それまでフランスの支配下にあったベルギーがベルギーとしての自覚を持ち始めた時代でもありましたから、きっと学芸員の中に、フランス絵画とネーデルラント絵画の差異化ということが、当時のルーブルの蒐集の意識としてあったのかもしれないなと、改めて考えています
三浦 なるほど。それにしても〈宰相ロランの聖母〉の拡大図。8Kの最初の番組(2016年放送の「ルーブル 永遠の美」)で見たアップは、ほんとうに一番印象深かった。
小池 すごいとしか言えない。すごいって、最近いろいろな場面でみんなが使いますから、なるべく避けたいけれども、やっぱりすごいなっていうのが、この〈宰相ロランの聖母〉ですよね。
ヤン・ファン・エイク〈宰相ロランの聖母〉(写真提供=ユニフォトプレス)
本の第3章から〈宰相ロランの聖母〉をめぐる対談(抜粋)
三浦 8Kの力が最も発揮される作品の一つだと思います。ヤンは技術がすばらしい。細部まで本当に緻密に描き込んでいる。背景の橋の上に1ミリくらいの人がいますが、一筆か二筆くらいで描いているのに、歩いている感じなどがしっかりわかる。すごく驚きました。
小池 ヤンの別の作品、〈ヘントの祭壇〉(1432年、ベルギーの聖バーフ大聖堂蔵)を修復する過程で明らかになったのですが、ヤンは宝石や真珠などを一筆で描いているそうです。丹念に細かく描いているわけじゃないんですね。
三浦 素晴らしい技術ですよね。確かにハイライトなどは、筆先でちょっと絵の具を置いている感じ。布地や金属の質感の出し方もうまい。
小池 金色の部分は、多くの場合、絵の具の上に金箔を貼っています。ロランが着ている金糸の刺繡の部分もそうだと思います。ビロードやウールの部分は、灰色のリスの毛を束ねた柔らかい筆にたっぷり画料を染みこませて、幾層にも塗り重ねています。油彩画は、やっぱりヤンで頂点に達した気がします。ヤンはよく「油彩画の開発者」といわれるけれど、そうじゃない。ヤンが頂点で、乗り越える者がいなかった。
三浦 のちのレオナルドも、薄塗りで何層も重ねていますね。〈モナ・リザ〉が典型的です。やっぱりテクニックのある人は、薄塗りで微調整していく。そういう意味では、共通しているのかな。
小池 使っているオイルの種類は、ヤンのほうが多いですね。ヤンの場合、31から38種類のオイルを使っています。でも、そのうちの3分の1くらいは、オイルの種類が不明です。ここまで多くのオイルを使うのは、ヤン以外にはいないと言われています。
三浦 使いこなせるというのは、絵を描くための技術や素材などの事前研究が膨大にあるということですよね。
小池 そう。ヤンは光を描き分ける技術にも長けていました。宝石に反射した光や、水に入って屈折していく光、布に当たって反射する光など……。この作品に、これだけ宝石が描かれているのは、彼が宝石の光の反射について光学的な関心を持っていたからかもしれません。サイエンティストですよね。レオナルドもそうですが。
市民の時代、自由の女神
三浦 第4章「永遠の美を求めて」は、まとめるのが一番大変でした。
小池 そう思います。
三浦 近代と言えば、普通はオルセー美術館を思い浮かべます。特に19世紀の半ば以降はオルセーのイメージが強いけれども、ルーブルにも実はこれだけの近代の名品があるんだということを知ってほしかったし、また近代だからこそルーブルに入ったもの、コレクションに加わった作品があるということも知ってほしいという気持ちで、私は第4章の総論『芸術の再発見とコレクションの変貌』を書いたんです。
小池 とても読み応えがありました。
三浦 「ラ・カーズ・コレクション」が一つの象徴だなと思います。ラ・カーズはお医者さんですが、ああいう人が当時の市民社会のコレクターを代表していると思うんです。自分でお金をためて、自分の美意識でコレクションをしていくと、こういう名品が集まるという典型的な例ですよね。彼は、ロココもレンブラントも、それからリベラも、全部傑作をそろえてルーブルに寄贈しているわけですから、それを個人でやったのはすごい。市民社会になってそういう流れができてきた。いろいろなコレクターやお金持ち、実業家が出てきて、あるいは「ルーブル友の会」ができたりして、重要な作品を手に入れてはルーブルに寄贈するという流れですね。普通の市民のなかで、それなりに裕福な人、購入できる人が作品を蒐集してルーブルを豊かにしていく、そういう傾向が19世紀からできていった。そのあたりのコレクション形成史をあらためて再認識したという感じがありました。
小池 そうですね。これまでは、あまりまとまったイメージがなかった時代でしたし、ルーブルがこのように集めようとしていたということを知らずにいましたので、とても参考になったというか、勉強になった章ですね、第4章は。
三浦 私も勉強せざるを得なかった(笑)。
小池 本当にいっぱい勉強しました(笑)。
三浦 そう言えば、第4章には小池さんのこだわりのドラクロワ〈7月28日――民衆を導く「自由」〉が登場しましたね。
ウジェーヌ・ドラクロワ〈7月28日――民衆を導く「自由」〉(写真提供=ユニフォトプレス)
小池 そうそう。慈愛の擬人像のことをしつこく言っていましたね(笑)。
三浦 ものすごいこだわりを感じましたよ。
小池 ほんとうにこだわっているんです。マリアンヌ像(自由の女神)の系譜は、古代ローマの擬人像に遡ることができるんです!
三浦 小池さんらしいなと思いました。普通は19世紀の研究者は、そういうところにそこまでこだわらない。この絵はほかにもいろいろと見どころがありますから。それなのに、ああ、そこにくるのかと思いましたよ。
小池 今も授業で常々言っていますが、一度気になると徹底的に追及したくなる(笑)。その後、たとえば古代から中世のキリスト教美術などの図像を見るたびに、もうほとんど確信を持って、闘士のごときフランス女性像のルーツは古代ローマの擬人像から来ている、と断言できるようになりましたね。
南仏のピエタ
小池 アンゲラン・カルトンの〈ヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンのピエタ〉を入れましょうと言ってくださったのは三浦さんでしたね。さまざまなコレクションのバリエーションがあるなかで、ふっと心安らぐのがこの〈ピエタ〉です。
三浦 そう。強く主張したと思います、これを入れたいって。やっぱり名作ですから。南仏のヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンにある教会の礼拝堂に安置されていたこの〈ピエタ〉は、1905年に「ルーブル友の会」が購入して美術館に寄付した作品です。
アンゲラン・カルトン〈ヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンのピエタ〉(写真提供=ユニフォトプレス)
本の第4章から〈ヴィルヌーブ・レ・ザヴィニヨンのピエタ〉をめぐる対談(抜粋)
三浦 アンゲラン・カルトン(1415頃~1466頃)の作というのは確定しているんでしょうか。長らく作者不明でしたけど。
小池 はっきりとした証拠はないのですが、今はもうほぼ確定しています。
三浦 当時これだけのものを描ける画家は、ほかにいなかったということなのかな。胸の下から垂れている雫は、血の跡ですよね。
小池 いえ、体液ですね。
三浦 ということは、磔刑のときに刺されて血がしたたって腰の方まで落ちていき、今はもう横になっているから、ここから体液が漏れているってことでしょうか。まるでその場で見てきたかのように細かいですね。番組ナレーションは「したたる血は、まるで涙のように透き通っています」と説明していました。まあ、血の要素がまったくないわけではないと思うのですが。
小池 でも、血だったらやっぱり赤い。聖書には、ちゃんと「血だけじゃなくて体液がしたたっている」と書いてあるんですよ。『ヨハネ福音書』です。
三浦 では、それに忠実だということですね。リアリティの問題ではなくて、聖書に忠実。
小池 でも、涙として描いている可能性もあるかな。この時代、ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー周辺)ではけっこう涙を描くようになっていました。アンゲラン・カルトンは北フランスのピカデリー地方の出身で、おそらく初期ネーデルラント美術の影響を受けていますので、フランス南東部のプロヴァンスに移住後も、その伝統を受け継いでいたのかもしれませんね。
三浦 ネーデルラントとプロヴァンスとでは何となく様式が違うような気もするけれど……。
小池 プロヴァンス派と他の地域の画家たちの交流については、近年研究が進んでいます。
三浦 8Kでよく見ると、この雫はちょっとピンクっぽい。少し血が混じっていて、途中から白くなる。
小池 真珠のように白くなります。
三浦 これが涙だとすると、キリストの涙でしょうか。
小池 上に描かれたマリアの涙かもしれません。
三浦 たしかに、マリアの涙という意味もあるかもしれませんね。傷口から流れているように見えて、マリアの涙であることを象徴的に描いている。
小池 絵を見ると、マリアは本当に嘆いていますものね。
三浦 タイトルの「ピエタ」は、キリストの遺体を抱いて嘆き悲しむ聖母マリアを表す絵や彫刻のことで、普通ピエタで涙といったら聖母マリアの涙。この絵の場合は、キリストの血と聖母マリアの涙が混じっていると……。
彫刻に注目!
三浦 第4章では彫刻の〈アモルの接吻で蘇るプシュケ〉が紹介されますが、これはわれわれではなくて、フランス側がぜひ入れてほしいといってきた作品でした。
小池 そうでしたね。
三浦 最初はすごく疑問だったんですけどね。磨かれたピカピカの大理石で……。でもいろいろな角度から撮影された8Kの映像は面白い試みでした。それに、これまでは「ああ、カノーヴァのこれね」なんて思っていたのが、8Kでじっくり見ると、なるほどといえる技術の高さがある。
アントニオ・カノーヴァ〈アモルの接吻で蘇るプシュケ〉(写真提供=ユニフォトプレス)
小池 この本には、ミケランジェロの〈抵抗する奴隷/瀕死の奴隷〉からはじまって、大理石の彫刻がところどころで紹介されていますが、時代が下るごとにつるんつるんになっていくのが、よくわかりますよね。
三浦 ミケランジェロの〈奴隷〉のあとには、ピュジェの〈クロトナのミロ〉があって、そしてカノーヴァに行くと、もうつるつるになっている。
小池 ちょっとつるつる過ぎる。けれども今の学生さんは、授業で番組の資料映像を紹介すると、みんなこのカノーヴァの〈アモルの接吻で蘇るプシュケ〉に一目ぼれ状態でしたね。
三浦 へぇ、そうなんですね。
小池 そうなんです。きれいー、って。
三浦 なるほど。でも、この4章には〈サモトラケのニケ〉も入っていますが、紀元前の〈サモトラケのニケ〉の大理石はちょっとざらついていて、ごつごつしていて、あの感じがすごくいいじゃないですか。
小池 私もそうなんですけどね。
三浦 粗い感じがいい。いや、これがやっぱりギリシャ彫刻だし古典なんだなと思う。あとの時代は、それを受け継ぎつつ、こういう形で〈アモルとプシュケ〉に行き着くことになる。古典主義がこんなふうに丸っこくなっていくというか、あの荒々しい部分が緩和化され、理想化されていく。古典主義の運命というか……。
小池 そうですね。やはり歴史の流れを感じてしまいますよね。
三浦 古代から19世紀までが「まとめて在る」ことの利点は感じますよね。いろいろな時代を行きつ戻りつしながら見ることができる。
小池 時空間を旅することができる貴重な場所ですよね、ルーブルは。
三浦 本当にそう思います。
じわじわわかる
小池 第4章で紹介したフェルメールの〈レースを編む女〉(1669~1670年頃)も、8Kで見ることができてよかったなと思える作品でした。とても小品とは思えない、奥行きの深さを持っていることがわかりましたね。
三浦 そうですね。本当にいろいろな筆触というか筆致が使い分けられていることがわかりましたよね。本当に小さい絵ですから、実物に対面しても、ふっと、ああこんなものかと思ってしまいます。
小池 「ああ、フェルメールか」ってなっちゃいますね。
ヨハネス・フェルメール〈レースを編む女〉(写真提供=ユニフォトプレス)
三浦 そうそう。どうしてもわれわれは、つい名前で見ちゃうところがある。「ああ、フェルメールはこうね」って。じゃあ、どうなんだということがわかるためには、この本や番組がやはり必要ですね。でも、ルーブルの作品を全部紹介するなんて無理ですから、今回は歴史的にも意味があり、また美的にもいいもので、なおかつ8Kで撮って効果があるものを精選していますので、ここで紹介したものをつかめば、ルーブルのいいところがわかるようになっているなと改めて思いました。
制作班 このプロジェクトの立ち上げの頃に、お2人から「ルーブル美術館って言ったら何を思い浮かべますか」と問われたことがありましたね。〈モナ・リザ〉〈ミロのビーナス〉〈サモトラケのニケ〉でしょうかと答えると、「全部異国のものですよね。それらをふまえて、その後、どのようにフランス美術ができたのかがわかる場所がルーブル美術館なんです」と説明していただきました。その答え合わせが、番組とこの本できちんと担保されているということが、表立って言ってはいませんが、番組を見る人、本を読む人にはわかっていただけるんじゃないかなぁと思っています。
三浦 普通ルーブルと言ったら、まず古代エジプトから入る。たいてい時代順にイメージしますよね。それを今回は崩している。むしろ、ルーブルのコレクションの歴史はフランスの歴史でもあるということなんですよね。しかも、それを前面には打ち出さず、ちゃんと読んでいただければわかっていただける、くらいにしている。そのあたりのバランスがすごくよかった。
制作班 そうですね。はっきり出さずにやっているのがいいと思うんです。表紙が〈モナ・リザ〉ではないところも、実は裏テーマがあるなという感じ。ルーブル美術館ってどういうものなのかが、じわじわわかってくる、じんわり染みてくる感じです。
(了)
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