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人類共存の実現が、ある芸術家に託された時代があった!――20世紀初頭の世界を熱狂させた知られざる首都構想

科学、通信技術、芸術、スポーツなどあらゆる叡智をひとつの都市に集結させる――20世紀初頭、壮大な〈世界の首都〉構想が立てられた。目的は技術革新を通した世界平和。考案者は彫刻家とその義姉。計画は世界じゅうで熱狂的に支持されるが、構想から30年を経たのち夢と潰えた。だがその裏ではムッソリーニ、ヒトラーら独裁者たちが強い関心を示していた……。
ジャーナリスト、ジャン=バティスト・マレによる歴史ノンフィクション『人類の都――なぜ「理想都市」は歴史の闇に葬られたのか』(田中裕子訳、NHK出版)が、10月23日に発売となります。トマト缶を愛用する日本国民に大きな衝撃を与えた前作『トマト缶の黒い真実』(太田出版)から5年、フランスのピューリッツァー賞と言われるアルベール・ロンドル賞を獲得した著者が、計画に人生を捧げた考案者の姿を通して、幻の理想都市の謎に迫ります。
刊行に合わせて、著者ジャン=バティスト・マレ氏みずから、本書が生まれたきっかけ、読みどころなどを紹介します。*翻訳:田中裕子

――前作『トマト缶の黒い真実』は、トマト缶がどのように生産・加工されているかをグローバルな取材に基づいて描き、日本でも大きな話題となりました。それ以来の新作となる本書『人類の都』では、20世紀初頭のパリやローマなど時代も舞台も前作から大きく変わりました。本書の構想は「トマト缶」の頃からあったのでしょうか。

ジャン=バティスト・マレ(以下マレ):前作の執筆時から、すでに本書の構想はありました。加工用トマトの取材をしながら、『人類の都』の取材も始めていたんです。
わたしは好奇心が旺盛で、まったく関係のないふたつの事柄に同時に深い関心を示すことがあります。これは自分の仕事にとって利点でもあり、欠点でもある。利点は、常にあちこちにアンテナを張っているおかげで、新しい取材テーマが次々と浮かぶところ。欠点は、ひとつのことに取り組んでいる最中に別のことを始めてしまうため、エネルギーや集中力が散漫になりがちなところです。とりわけ、心が疲れきっている状態で今やっている取材を1冊の本にまとめなくてはならないとき、不安やプレッシャーから逃避しようとして、新しいことに手を出してしまう傾向があります。
今回も同様で、トマトの取材をしながら次作の構想に夢中になってしまいましたが、無事に『トマト缶の黒い真実』も『人類の都』も書きあげることができました。

――議事堂、世界銀行、国際科学研究所、音楽学校、オリンピック・センターなど、あらゆる機能を1都市に集結させるという〈世界の首都〉構想は、現代の基準から考えても途方もないように見えますが、このような構想が生まれた時代背景について教えていただけますでしょうか。また執筆にあたってどこに関心をひかれたのでしょうか。

マレ:19世紀末から20世紀初頭にかけてのベル・エポック期、国際交流がもっと盛んになり、世界が統一され、人類をひとつにする芸術作品がつくられることを、多くの人が望んでいました。人間は今よりよい生き方ができるはずだと、革命家ではない人たちもふつうに考えていました。とくに欧米諸国では、技術の進歩によってユートピアが築かれるという夢が、あらゆる社会階層に広まっていました。知識人、芸術家、企業家、政治家の多くが、人類は〝よりよい世界〞へ向かっており、〝無限の進歩〞のなかで生きるようになると信じていたのです。
本書で紹介する〈世界の首都〉プロジェクトは、こうした背景で誕生しました。ローマの図書館でこの都市の図面を発見したとき、わたしはその美しさと神秘性にすぐに夢中になりました。ところが、このユートピア都市はいまや忘却の彼方に葬られ、誰からも顧みられていない。それを知った瞬間、これは自分の使命だと感じたのです。この途方もないプロジェクトを再構築して、1冊の本にまとめなくてはならない、と。
この都市計画は、非常に大規模で、芸術的で、ユートピア的です。1913年のニューヨーク・タイムズ紙をはじめとする世界各国の新聞記事を読めば、当時は多くの人に注目されていたことがわかります。だからこそ、どうして今は忘れられてしまったのか理解できなかったんです。初めは本にするつもりはなくて、ただこの計画の行く末が知りたくて調べていただけでした。正直言って、そうとう誇大妄想的だと思いましたし、どうしてこんなものをつくろうとしたのか理解できませんでした。それでも魅了されてしまい、もっと詳しく知りたくなったんです。

――執筆には長くかかったのでしょうか。
マレ:取材期間も含めると、本書を書き上げるのに丸 8年かかりました。今振り返るとどうかしていると思うのですが、この構想を1冊の本にすると決めたとき、わたしはこの都市についてまだほぼ何も知らず、何を語るべきかも決めていなかったんです。大量の公文書を調べても、ほとんど収穫がありませんでした。出版契約を締結して1年以上経っても、本当に本にできるかどうかわからない状態でした。焦り、不安を感じ、諦めかけたことさえありました。
そしてある日、とうとう大どんでん返しが起きました。ワシントンのアメリカ議会図書館で1か月以上かけて調査を行なった末、この計画の考案者たちが残した日記を発見したんです。今度は一転して素材が多くなりすぎてしまい、適切な長さの文章にまとめるために、情報を選別する必要が生じたほどでした。本当にラッキーでしたが、わたしは日頃から、取材を続けてさえいれば「チャンスは必ずやってくる」と信じてるんです。完全に忘れられた歴史をとことん調べあげ、ユートピアの考古学者のような仕事をしたことは、自分にとって非常に貴重な体験でした。

――本書は歴史ノンフィクションですが、小説のように引き込まれるという感想が多くあります。それは中心となる彫刻家ヘンドリックをはじめとする人物描写によるところも大きいと思われますが、マレさんから見てヘンドリックはどういう人間でしょうか。

マレ:わたしは本書を執筆しながら、ヘンドリックが残した大量の手紙や日記を読み込み、ローマで彼の彫刻を長時間眺め、義姉のオリヴィアの日記を数千ページも読んできました。オリヴィアは10年以上にわたって、ほぼ毎日ヘンドリックの暮らしぶりを記録していたんです。こうして膨大な資料に浸っているうちに、まるでヘンドリックが自分の家族のような、親しいきょうだいにでもなったような気がしてきました。わたしにとってのヘンドリックは、すごく好きな面もあれば、恐ろしいと思う面もあります。
ヘンドリックで好きなのは、彫刻家として生涯を通じて一心に制作を続け、常に誠実で無私無欲であったところ。ひとりの芸術家が一生を通して真摯に制作活動に取り組んだとすれば、その作品の出来はどうあれ、何かしら非凡で驚異的なものが生まれるはずだと思います。ヘンドリックもそうでした。文字通り、制作のために自らを犠牲にしています。その強靭さと果敢さが好きです。
ただし、ヘンドリックの人格には恐ろしい一面もあります。彼は、芸術家として途方もない野心に取り憑かれ、誇大妄想的な〈世界の首都〉プロジェクトが人類を救うはずだと盲信していました。自らをまわりに理解されない天才とみなし、そのように振る舞っていて、わたしは執筆しながら苛立ちを感じました。ある意味、ヘンドリックの性格は醜怪です。世間から遠ざかり、自らの肥大した夢のためだけに生きていました。そのため、彼の尊敬すべき点にさえ、時折辟易させられました。彼を天才だと思う日もあれば、激しい憤りを感じる日もありました。
ヘンドリックの二面性に嫌気が差すことなく執筆を続けられたのは、彼に感情移入できたからです。ヘンドリックは幼少時にひどくつらい体験をし、大きな苦しみを味わいました。それでも彼が冷酷で厳格な態度で接した相手は、生涯を通じて自分自身だけでした。自らに対してだけ、非人道的な仕事を課してきました。わたしは彼に対して最大限に公正であろうとし、彼を批判するのではなく、自らの視点をなるべく客観的なところに置くよう努めました。本書を読んだ人がヘンドリックについて語るとき、人によって見方が大きく異なるのがとても興味深いです。すごく好きだという人もいれば、大嫌いだと言う人もいる。そのことにわたしは喜んでいます。ヘンドリックの二面性をうまく表現することができた証だと思えるからです。

――ヘンドリックや〈世界の首都〉プロジェクトのパートナーである義姉オリヴィアだけでなく、ヘンドリックと深い交流のあった作家ヘンリー・ジェイムズや「タンタンの冒険」の天才学者のモデルとされる書誌学者ポール・オトレなど、本書にはさまざまな実在の人物が登場します。彼らの詳細な描写や台詞はすべて資料があるのでしょうか。

マレ:本書に書かれていることはすべて事実です。何ひとつ創作はしていません。すべて資料にもとづいて書かれています。実話としてあまりにすさまじい展開なので、もし小説にしていたら逆にリアリティのないものになっていたかもしれません。登場人物の台詞や心理をこれほど正確に書くことができたのは、膨大な文献資料のおかげです。本書の主要登場人物であるヘンドリックとオリヴィアは、「世界の首都」が建設された暁には、自分たちのことが英雄物語として語り継がれると信じていました。だからこそ、自分たちの体験について大量の資料を残しておいたのです。オリヴィアの日記のおかげで、ふたりの暮らしぶりを知ることができました。数千ページにも及ぶこの資料がなければ、これほど詳細にわたって登場人物や物語を描写することはできなかったでしょう。

――〈世界の首都〉プロジェクトには外交官の宮岡恒次郎、法学者の穂積重遠といった日本人の有識者たちも関心を寄せていたようですが、この事実はどのようにお知りになったのでしょうか。

マレ:ローマのヘンドリック・アンダーソン美術館には、貴重な資料が多く保管されています。そのうちのひとつに、世界コミュニケーションセンターの建設を支援する団体「世界意識」の入会申込書があります。芸術家、知識人、政治家、そして世界じゅうの平和主義者たちが、個人名で記載・署名した申込書が数百通残っていて、そこに日本人のものも含まれていたんです。外交官の宮岡恒次郎、法学者の穂積重遠のものもありました。
当時、日本の知識人、外交官、法学者たちは、人類の未来をテーマにした国際会議に積極的に参加しており、国際機関の創設を願う人も複数いました。ヘンドリックとオリヴィアは、〈世界の首都〉プロジェクトを広く知らしめるために、多くのパンフレットや書籍を日本へ送りつづけました。だからこそ現在、日本の国会図書館にも、この都市計画を宣伝するための書籍が所蔵されているんです。

――平和主義で始まった〈世界の首都〉プロジェクトが、ファシスト政権と結びつけられるようになったのは、プロジェクトの成功を得るために妥協した結果とも考えられるでしょうか。人類の統一的な共存を求めることは、ロシアのウクライナ侵攻も想起します。マレさんは本書のなかでGAFA信仰に通じる危うさを指摘していましたが、〈世界の首都〉プロジェクトは最初から危険性をはらんでいたと思われますか。

マレ:最初の問いに明確にお答えすると、本書の結末のひとつを明かすことになり、ネタバレになってしまいますね。「どうして平和主義的で国際主義的なプロジェクトが、ファシスト独裁者であるベニート・ムッソリーニの関心を引き起こしたのか?」。わたしはこの問いを軸にして、本書のプロットを構築しました。そしてこの問いの答えが見つかった時、その説明のために本書の一章を割こうと思いました。ファシズムの歴史と文化のある部分について知ることは、ムッソリーニがこのプロジェクトに惹かれた理由を理解するのに重要です。
次に、ふたつ目の問いにお答えします。世界主義的なプロジェクトは、芸術家や夢想家にとってはおそらく実り多いものになりうるでしょう。ですが、ここに権力の問題がからむと大変危険なものになりかねません。わたしは本書で、世界主義的な主張には、帝国主義的な計画が隠されているケースが少なくないと書きました。それは理にかなってもいます。もし独裁者や企業家が自らの国家や企業によって世界を牛耳りたいと願うなら、いかにも征服者らしく振る舞うより、平和主義者を装うほうが目的を達成しやすくなる。人類を統一させたいと願うのはよいことですが、ほかのよい考えと同様、大義を掲げて大きな計画を立てる者たちは疑ってかかる必要があります。その裏に、悪辣な意図を隠し持っている場合があります。

――ヘンドリックたち〈世界の首都〉の考案者たちは意識していなかったと思われますが、彼らの闘争と希望は現代世界を形作るうえで影響があったでしょうか。

マレ:影響は間違いなくありました。わたしたちが知っている現在の国際機関の基礎は、ヘンドリックとその仲間たち、そしてベル・エポック期のすべての平和主義活動家たちによって築かれました。国際連合(UN)、国連食糧農業機関(FAO)、世界保健機関(WHO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)といった組織は、いまや世界じゅうのほとんどの人たちから正当で重要な機関とみなされています。今ではあって当たり前に思えるこうした機関が存在するには、まずは夢想家たちが空想し、実現に向けて積極的に推進する必要がありました。平和主義や理想主義の活動家たちは、戦争が国際法によって違法とされる日が来るのを望み、国家間の紛争を避けるために仲裁制度が作られるのを願っていました。確かにわたしたちは、こうした機関は世界を完全無欠にはしてくれないし、国際連盟や国際連合があっても戦争はなくならないことを知っています。それでもこうした機関が、世界の発展にプラスにはたらくものをもたらしたことも、決して忘れてはならないでしょう。
ヘンドリックとその仲間たちによる〈世界の首都〉プロジェクトは、こうした国際機関の萌芽にほかなりません。だからこそ、1910年代初めの平和主義者たちの多くは、この都市の建設を支持したのです。この都市計画は実現しませんでしたが、この時に掲げられた理念はその後も引き継がれ、現在わたしたちが知っている国際機関として具現化されました。こうして考えると、わたしたち現代人は、ベル・エポック期における世界じゅうの平和主義者たちに恩義があるのです。第一次世界大戦前、ワシントン・ポスト紙は、ヘンドリックのプロジェクトを「平和主義運動のもっとも輝かしい象徴」と評しています。

――マレさんが本書でもっとも書きたかったこと、伝えたかった点はどういうところでしょうか。

マレ:わたしがこの取材を進めてきたのは、ただひたすらこの都市の美しさに魅了されたためです。そして、本書に出てくる登場人物たちが、このユートピア都市のために莫大なエネルギー、時間、財産を費やしてきた理由を知りたいと思った。そうして取材を行なう中で、このプロジェクトの明るい面だけでなく、暗い面も発見しました。
今、本書を通じて読者に伝えたいことがあるとすれば、こうです。「よりよい世界をつくりたいと願うのは、人類や社会にとって大切なことだが、その願いは現実に反したものではなく、現実に即したものでなくてはならない」。ユートピアは魅力的ですし、心惹かれるものがあります。ですが多くの場合、ユートピアは現実を破壊して幻想にすり替えようとします。これはとても危険です。夢を抱くのは大事ですが、幻想には気をつけなくてはなりません。

――次回作の構想があれば教えてください。

マレ:2019年から、大変困難で危険な取材を世界じゅうあちこちで行なっています。自分の身に危険が及びかねないので、残念ながらここで詳細を語ることはできません。『トマト缶の黒い真実』のときと似て、取材と調査を組み合わせて現代世界の実情をあぶり出すものになるでしょう。これまで行なってきた中でもっとも難しい仕事です。多大な忍耐力、労力、自己犠牲を必要とされています。日本にも関係する現象を取り上げているので、刊行されたら話題になるのではないかと思います。

ジャン=バティスト・マレ Jean-Baptiste Malet
ル・モンド・ディプロマティーク、シャルリー・エブドなど多くの有力メディアに寄稿する新進気鋭のジャーナリスト。2013年刊行En Amazonie: Infiltré dans "le meilleur des mondes"(未訳)はAmazonの配送センターに潜入取材して内部事情を告発し、フランスでベストセラーとなった。2017年刊行『トマト缶の黒い真実』(太田出版)はグローバル経済の衝撃的な実態を暴き、イタリアで出版停止となった一方、フランスの権威あるジャーナリズム賞「アルベール・ロンドル賞」の2018年書籍部門賞を受賞。同書と並行してドキュメンタリー映画「トマト帝国」も製作し、スイスとスロヴァキアのエコ映画祭で高く評価された。2022年刊行の本書は、緻密な調査に基づいてベル・エポック時代のユートピアを魅力的に描き出し、多くのメディアから称賛を受けた。

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