本がひらく
「読解力」と「読む力」 《「読む」ってなんだろう?――認知科学から考える》第2回
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「読解力」と「読む力」 《「読む」ってなんだろう?――認知科学から考える》第2回

本がひらく

言語の理解と思考の発達に焦点を当て、「学び」の本質について研究を行ってきた、慶應義塾大学教授の今井むつみさん。本連載では、私たちの誰もが日常で当たり前のようにしている「読む」という行為を手掛かりに、そのことを掘り下げて考えます。
*第1回から読む方はこちらです。


私の子ども時代の読書

 前回は、小学生の算数の文章題に焦点を当て、「読解」とは何かを考えてみた。今回は、より広い視点で「読む」ということについて考えてみたい。そもそも「読む」は「読解」と同じ意味なのだろうか?
 「人はそれまでに読んだ書物でできている」とよく言われる。このことばを借りるなら、私の半分は、小学生のときに読んだ児童文学でできている。子どものとき、とにかく本が好きだった。今でも大好きなことに変わりないが、児童文学には格別の思い入れがある。
 高校生くらいになると「教養をつけるために読書をする」というような下心が芽生えてきた。それは、読書の質を変えたように思う。読書が嫌になったわけでは全くないが、子どものころに本を開くたびに経験した、心震えるワクワク感が薄らいでしまった気がする。
 また、いわゆる「大人向きの本」というのは、人生や社会の悲しさ、困難さ、複雑さ、醜さ、不条理さなどを描いたものが多い。そういう本には泣いたり悲しんだり憤ったり共感したりしつつも、大人の本を読むようになってから、児童書を読んでいるときに感じたような楽しさや不思議さを感じることが少なくなってしまった。
 児童文学は、ファンタジーの世界を描いたものが多い。浦島太郎は海の底の宮殿に、ドリトル先生は動物とことばを交わせる世界に連れて行ってくれた。長くつ下のピッピは自分と同じくらいの齢の女の子が不思議なパワーを発揮して悪者をやっつけてしまう痛快な物語だ。
 ムーミンシリーズでは、ムーミンという人間ではない不思議な生物が主人公だ。ムーミンはちょっとカバに似ているが、単なる擬人化された動物ではなく、妖精の一種らしい。ちびのミイやスナフキンのように人間っぽい登場人物もいる。この不思議な登場人物たちが、様々な種類の生き物とごく自然に同居して暮らしているのだが、彼らは人間と同じように家に住んでパンケーキを食べたり、ヨットに乗ったり、冒険をしたりする。
 ナルニア国物語も、ことばを話す動物、半身半獣の生き物、妖怪や氷の女王、そしてライオン神のアスランが住むナルニア国に、人間の4人の兄弟姉妹が魔法によって呼ばれて、王と女王になり、悪に支配されそうになった国を救うという壮大なサーガである。
 物語が連れて行ってくれるファンタジーの世界にワクワクし、一度読みだしたら何があっても本から離れたくなかった。

児童書を読むことは時間の無駄か

 シャーロック・ホームズも好きだった。子ども用にやさしく書き直したものを読んだのだと思う。「バスカヴィルの家の犬」や「まだらの紐」などの話の不気味さに心からおののきながらも、謎を鮮やかに解決するシャーロック・ホームズの推理に酔いしれていた。
 しかし、そうした推理だけではなく、日常生活の場面がさらに好きだった。特に建物や街の風景、部屋の描写、料理や食事の様子。自分の住んでいるのとは全く違う街や自然の姿を想像して、見たことがない外国に思いをはせ、食べたことのない料理にあこがれた。
 ムーミンママがよくつくっているパンケーキや真っ赤なキイチゴのジュースの味を想像したり、ベーカー街の様子やシャーロック・ホームズの風貌やしぐさなどを想像したり、彼の下宿の主人のハドソンさんがつくるイギリスの伝統的な料理のことを想像した。文字から自分の想像力でイメージをつくっていくのが大好きだった。
 これらの物語の筋や結末を今でも覚えているかというとほとんど覚えていない。児童文学には、寓意や教訓が潜んでいるものも多いのだが、子どものときにはそれもほとんどわからなかった。寓意や教訓に気づいたのは大人になってからだ。
 私にとって大事だったのは、プロットや結末を理解することではなかった。教訓を得ることでも、著者の意図を読み取ることでもなく、読んでいる場面ひとつひとつを想像することだったのだと思う。そう考えてみると、私の半分をつくっているのは、話のプロットや教訓ではなく、非日常の世界を垣間見て想像した経験ということになる。
 私のこのような読書体験――特に教訓を得ることなく、プロットも結末も覚えていない読書――は、ただの遊びにすぎず、学びがないものだったのだろうか? 
 齋藤孝は『読書力』(岩波新書、2002)で「本を読んだというのは、まず『要約が言える』ということだ」(18ページ)と述べている。齋藤氏の基準で言えば、私の読書は「読んだうちに入らない」読書である。
 齋藤氏はさらに、小学校時代は本が好きだったのに、中学以降はなぜか読まなくなったという人が日本には多いと指摘し、「小学校時代の本好き読書好きというのには、実はトリックがある。その読書の多くが、児童書なのだ。現在の小学生の好きな本でいうと、『ネズミ君』のシリーズさえも読書に数えられる。これは、完全な絵本だ。絵本に近いものや完全な子ども向けのエンターテインメントを冊数に数えても、大人の読書とはあまりに開きがあり参考にならない」(30ページ)と続けている。
 このように言われてしまうと、私の半分をつくっている(と私自身は思っている)子ども時代の読書はカタナシである。教養の知識として学ぶところがない児童書を夢中でひたすら読みまくっていた私は、ただ時間を無駄にしていたのだろうか。

効率的な読書は「深い学び」につながる読書か

 おそらく斎藤氏の見解は、読書が大事だと主張する多くの人たちに共通する考えだと思う。
 読書の目的は、本の中にある情報を正確に、できるだけ多く抽出し、覚えることである。とすれば、読書に熟達するとは、短い時間で要領よく情報を抽出できることだ。全部を読まなくてもポイントを抽出できるようになれば、それがもっとも効率的で、熟達した「読み」である――。
 このような効率を重視する考え方は、その人の「学び」についての認識――哲学の用語では「エピステモロジー」――を反映している。すなわち、学びとは、外界にある「正しいとお墨付きが得られた」知識、特に「知っていると教養があると思われる高級で難しい知見」をできるだけ多く、自分の中に入れ込み、覚えこむことだ、という認識である。
 近年、認知科学では、このような知識観に対して見直しがなされている。それは観念、理念からの批判ではなく、「学びの深さ」を科学的に検証した結果である。詳しくは拙著『学びとは何か――〈探究人〉になるために』(岩波新書)をお読みいただきたいが、受動的に情報を頭に入れ、覚えたとしても「深い学び」にはならず、後で問題解決に使える「生きた知識」にはならないのである。
 本に書かれている情報を自分の中で「生きた知識」にするためには、その情報を使って「推論し、本にある情報を超える」過程が必要である。書かれている情報をただ受容するのではなく、もともと自分が持っている知識でもって解釈し、新しい知識を構築するのが「深い学び」をもたらす読書なのである。

「読みの流暢さ」の目的とは?

「書かれている情報を効率よく掬い取って覚える」ためには前提がある。流暢に素早く文字を認識し、文字列から単語を認識し、脳内の辞書にアクセスして単語の意味を把握する。単語単体の意味がわかっても、文の意味は理解できない。脳内に記憶されている単語を束ねる文法の知識にもアクセスし、単語の知識を文法の知識と統合して、文の理解をする。さらに書かれている文章のテーマについての「スキーマ」を引っ張ってきて、テキストに書かれている情報の行間を埋める。前回のエッセイにも書いたがこの「行間を埋める」過程がないと、書かれていることは理解できない。「読み」というのは、このような極度に複雑な認知過程に支えられている行為なのである。
 読みの発達に伴う脳の変化を研究する神経科学者のメアリアン・ウルフは、『プルーストとイカ――読書は脳をどのように変えるのか?』(小松淳子訳、インターシフト、2008)という素晴らしい本の中で、読みの発達とは、「文字情報の解読」から「流暢な読み」へ移行することである、と述べている。
 ただし「流暢な読み」は、速く読めるようになること自体、言い換えれば速読の能力を得ることが目的なのではない。流暢さは本当の意味で読むこと、、、、、、、、、、を可能にする前提となる。では、「本当の意味で読む」とはどういうことか。

解読に取り組んでいる読み手たちが進歩するにつれて、彼らの読解力は、こうした記憶などの実行プロセスや、単語に関する知識、流暢さと密接に結びついていく。これらはみな、相互に関連しているのだ。流暢さが向上していけば、推論する余地ができる。推論と洞察に割ける時間ができるからである。流暢さは読解力の向上を約束してくれるものではない。むしろ、脳の実行システムが最も必要とされているところに注意を向けられる時間を延長するものと言える。つまり、推論し、理解し、予測し、時には矛盾した理解を修復して、新たに意味を解釈する時間である。〈中略〉読字発達のこの段階は、幼い子どもが文中で語られていることと語られていないことが織りなす微妙な綾のなかから予測する術を学ぶ時期なのだ。子どもたちが初めて〝与えられた情報を踏み越える〟瞬間だ。突き詰めて言えば、文字を読む脳に最も重要な貢献を果たすもの――つまり、考える時間がここに始まるのである。

(『プルーストとイカ』200ページ)

 読みの流暢さの獲得は、読んで考えるための「時間的な余裕をつくる」と言っている。つまり、幼児期から児童期にかけて本を読むことの重要性は、本に書かれている情報に高速でアクセスし、自分の知識と統合させ、推論によって新しい知識をつくり出すための脳の情報処理システムの形成にあるのである。
 この高速に働く情報処理システムができていると、本からの情報の「取り出し」がうまくなることは間違いない。しかし、『プルーストとイカ』の著者は、読むことの目的は「情報の取り出し」ではなく、「与えられた情報から離れ、超えること」であると書いている。
 「本を超える」というと、ものすごくたいへんで、ごく一部の賢人にしかできないことという印象を持ってしまいがちである。しかし、認知科学の観点からは、「与えられた情報を超える」というのは、まったく新しい、だれにも発見されていないイノベーションをすることではない。行間を埋めて、推論をする。想像をする。それだけでも十分に「与えられた情報を超える」ことになるし、「深い学び」につながるのである。

「教養」に結びつかない読書にも意味がある

 このように考えると、「教養」には結びつかない児童書を貪るように読んだ私の子ども時代の読書体験は、じつは非常に意味があった、ということになる。大量の読書体験によって、私の脳は、文字情報を高速で解読し、推論に結び付けるための情報処理ネットワークを形成することができたからである。
 それは、大人になって、特に大量の文献の情報を頭に入れなければならない学術研究を生業とする上で、本当に役に立っている。しかし、もっと役に立っているのは、読んだものから自分の考えをつくり上げる力だと思う。登場人物の風貌や、味わったことのない料理の味を想像したり、魔法の絨毯に乗って空を飛ぶときに眼下に見える街の景色を想像したり。これが「本を超える」ということなのだ。
 この経験が大人になってからの、自分の持つ知識と外の世界にある知識を統合して新たな知識をつくり出すための「考える力」のベースになっていることは間違いない。子ども時代の自分からの、何事にも代えがたい贈り物だ。
 以下は、慶應義塾の塾長だった小泉信三のことばである。小泉は『読書論』(岩波新書、1950)という著書を遺している。70年以上前に書かれたものであるが、「読書」のみならず、「学び」の核心をついていて、読むたびに感動し、新たな発見がある。

人は読書によって思索を刺激される。しかし読書そのものは本来受動的の行為であって、その場合、他人の思想を受け入れるということが主とならねばならぬ。もっともよき読書の態度は、心を虚しゅうして著者の言うところを聴くということにあるであろう。しかし著者の言うところを受動的に受け入れるということに止まるなら、AはA、十のものは十たるに終わって、それ以上にでることはない。一人著者の働きかけに対する反応として、能動的なる思索の起こるを俟、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(ま)って、初めて読書は読者自身のものである、新しい実を結ぶ。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、読書が読書だけに終わるなら、そこに何らの発展は起こらない。右の受動の一面のみがあって能動の一面を書くものは、畢竟物知りたるを以て終わるであろう。世の学窮といい、pedantといわれるものは、多くはそれである。読書をこととし、それにのみ耽る間に、何時か読書の安易なるに慣れて、自分でモノを考えなくなってしまう危険に対し、人はよくよくみずから戒めなければならぬ。

(『読書論』78ページ)

 次回は小泉信三の『読書論』をあらためて取り上げ、「書籍の中の情報を効率的に頭に叩き込む」とは真逆ともいえる別の読書観、学びの認識(エピステモロジー)について紹介し、読むとは何かということについて考えを深めていきたい。

バナー・イラスト作成:スタジオびりやに

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プロフィール
今井むつみ(いまい・むつみ)

慶應義塾大学環境情報学部教授。1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。1994年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専攻は、認知科学、言語心理学、発達心理学。著書に『ことばと思考』『学びとは何か――〈探究人〉になるために』『英語独習法』『ことばの発達の謎を解く』『親子で育てる ことば力と思考力』ほか。

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