日本軍は何故全滅に追い込まれたのか。戦後75年目の夏。悲劇の真実に迫る。
太平洋戦争で快進撃を続けてきた日本軍が、一転、敗北の道を突き進んでいく端緒となったガダルカナル島の戦い。「地獄の島」と言われたガダルカナル。いったい何があったのか。『ガダルカナル 悲劇の指揮官』(NHKスペシャル取材班著、2020年7月30日発行)が、「アメリカ海兵隊の戦闘記録」や「日本軍将校の日記」などの新史料を踏まえながら、戦場の全貌と、戦時日本の病理を明らかにします。
ここでは、同書「プロローグ」全文と、同書収載写真の一部を抜粋してご紹介します。
南太平洋の島
多くの日本兵が、そのジャングルをさまよった。
ある時は進軍のため、ある時は退却のため、またある時は飢餓に陥り食糧を探すため……。
南太平洋西部、ソロモン諸島最大の島ガダルカナル――。
日本からおよそ6000キロ離れたこの島を訪れた私たちは、地元の顔役に案内を頼み、ジャングルへと向かった。少数民族が暮らすジャングルは、今でも神聖視されており、みだりに立ち入ることは禁じられている。足を踏み入れる際は、豚を生贄にささげ、森の精霊の許しを請うのが、伝統的な作法となっていた。
人の侵入を拒むかのように深い緑の木々にびっしりと覆われたジャングルの入口で、儀式が始まる。参加する男たちは覚醒作用のあるビンロウの実を口いっぱいに頰張り、口々に奇声を発しながら、四肢を木の棒に縛り付けられた豚を1匹連れてきた。
小さなナイフを取り出し、豚の喉に突き刺す。
豚が断末魔の叫び声をあげる中、流れ出す血を、あたりに撒き始める。そして、息が絶えたことを確かめると、慣れた手つきで体をさばいてゆき、心臓を取り出し、火にくべる。
こうして生贄は、森の精霊にささげられた。
精霊は、豚の心臓を燃やす炎の揺らめきを通じて、中に入る許可を私たちに伝える。
ジャングルの中は、考えていたよりもずっと騒々しかった。
風にあおられた、繁茂した草木がこすれる音。
四方から押し寄せてくる野生の獣たちの声。
耳をつんざくようにギーギー鳴く鳥。
コプッコプッと、もはやどんな生き物が発しているのかわからない音もこだましていた。
音の多彩さに比べ、景色は単調だった。
どこまでも続く、熱帯性の植物とツタに囲まれた世界。ジャングルの風景は、日本兵たちが徘徊していたころと、きっと何一つ変わっていない。
森の至るところに、戦争の爪痕が残っていた。
地面を少し掘り返すと、次々と日本兵の持ち物が現れる。ガスマスク、銃弾、ヘルメット。また別の場所の土をひっくり返す。飯盒、メガネ、金歯。ここに、無数の生きた人間がいた証だった。持ち物に名前が書かれていないかと探してみたが、見つからなかった。持ち主が、この地で命を落としたのか、それとも生きて島を出たのか、確かめるすべはなかった。
いまもおびただしい数の戦争遺品が見つかる
案内役の男が、土の中から突き出ている白い棒状の何かを見つけた。日本兵の遺骨だった。網目構造の組織がむき出しになった骨は経過した時間の割にしっかりしており、まだ肉体を支えるための固さを保っているようだった。腕の骨や足の骨、まだ歯のついたあごの骨もあった。
遺骨の中には、全身の骨が見つかるものと、一部分しか見つからないものの2種類があった。兵士が亡くなった時、そばにいた者が埋葬していれば、全身の骨が出てくる。しかし、誰にも看取られることなく孤独に死んだ場合や、傍らの仲間が、飢えや疲労から死者を埋葬する余力が残っていない場合、死体は放置され、地表で骨となっていく。ジャングルに雨が降ると、雨水が土砂とともに遺骨を方々に流してしまうため、バラバラに散らばってしまう。
一部分しか見つからない遺骨の方が、圧倒的に多かった。
この島で何が起きたのか──。
「地獄の戦場」
3年8か月にわたる太平洋戦争の中で、ガダルカナルの戦いは、日米両軍の勝敗を決する最大の分岐点となった。戦いの発端は、真珠湾攻撃以来、破竹の進撃を続けていた日本海軍が、ミッドウェー海戦での大敗の後、南太平洋の要衝だったガダルカナル島に飛行場の建設を始めたことだった。
1942年(昭和17)7月、日本海軍の輸送船3隻が忽然と姿を現した。沖合に停泊すると、続いて日本人の工兵や物資を満載した小舟が次から次へと輸送船を離れ、上陸を開始した。島にたどり着いた集団は、およそ3000人。物珍しそうにあたりを見回していたかと思いきや、すぐさまジャングルの木々を伐り倒し、ツルハシやモッコを手に、島の大地をならしていった。
ところが、ひと月後の8月、日本軍の飛行場が完成間際という時に、突如としてアメリカ軍が襲来する。航空部隊と護衛艦隊に守られた30隻の大輸送船団を組み、奇襲作戦を展開。日本海軍の飛行場に向かって空と海の両方から、爆撃と砲撃を行った。攻撃を予期していなかった日本海軍が大混乱に陥る中、アメリカ海兵隊は新兵器の水陸両用車などを使って、1万900人の大部隊を上陸させ、飛行場を奪いにかかる。3000人の日本軍のうち、武装していた兵士はわずかだった。
まもなくアメリカ軍が勝利を収め、あと数日で完成というところまで作業が進んでいた飛行場を占拠した。そして、自らの軍事拠点とすべく、ブルドーザーやローラー車を運び込み、整備作業を始めた。
日本側もすぐさま反撃に出た。陸軍と海軍が飛行場奪還のために、太平洋では初となる本格的な協同作戦を進めた。こうして、島は日本軍とアメリカ軍が真正面から激突する全面戦争の舞台となった。
飛行場奪還のために派遣された一木支隊の兵士たち
ガダルカナルの戦いは、およそ半年間にわたって陸海空で続けられた。
戦闘は、それまでのどの戦場よりも凄惨を極めた。
海では、日米の艦隊が敵を殲滅しようと幾度も決戦を行った。地鳴りのような轟音を立てながら、戦艦が砲撃を雨あられと敵に浴びせた。水面下を忍び寄る潜水艦の魚雷が兵士もろとも艦を海の藻屑とした。空では、零戦やグラマンの戦闘機が飛び交い、日米両軍のパイロットたちは格闘戦で命を散らした。陸では、飛行場を巡って地上部隊が激突した。鬨の声をあげながら怒濤のように押し寄せる日本軍の兵士に向かって、アメリカ海兵隊は機関銃や迫撃砲をとめどなく撃ち込み、全身を穴だらけにして殺戮した。それでも日本軍は突撃を繰り返し、敵の陣地になだれ込むと、アメリカ海兵隊の兵士たちを銃剣でめった刺しに突き殺した。
昼夜を問わず、ジャングルに爆音が鳴り響き、兵士たちの叫び声がこだました。弾が切れ、銃撃戦が止んでも、殺戮は終わらなかった。負傷した日本兵は、手当をしようと救いの手を差し伸べてきたアメリカ海兵隊に対して、手榴弾で自爆攻撃を実行した。日本軍に〝降伏〟という選択肢がないことを悟ったアメリカ軍は、その息の根を完全に止めるため、横たわっている日本兵を見つけると、生きていようが死んでいようがかまうことなく、戦車のキャタピラで踏みつぶした。
両軍一歩も退かず、戦線は膠着状態に陥った。
やがて日本軍の中には、戦闘以外で命を落とす者が増えていった。マラリア原虫を体内にたっぷりため込んだ蚊に刺され、凶悪な感染症のマラリアを発症する兵士が続出した。40度を超す高熱に苦しみ、脳を侵おかされ死んでいった。
日本軍の食糧補給の失敗により、兵士たちの間には飢餓が蔓延した。日本兵は生きながらえるために、畑を荒らし、家畜を奪った。人肉を喰らう者さえいたという。
しかし、それでも日本兵の命は無慈悲に失われていく。島の至るところに、骨と皮だけになった死体が転がり、わずかに残された肉をむさぼるように蛆がわいた。
6か月の激戦で、2万人の死者を出したガダルカナルは、「地獄の戦場」と言われた。
その後、日本軍は、タラワ、マリアナ諸島、硫黄島と、太平洋の島々で相次いでアメリカ海兵隊と戦い、その都度敗北を重ねた。それまで快進撃を続けてきた日本軍が、坂を転がり落ちるように犠牲の連鎖を生んでいく。そのきっかけとなったのが、この穏やかな南の島での戦いだった。
激戦地となったガダルカナル島の「ムカデ高地」
指揮官たちのガダルカナル
何故兵士たちは、故郷から遠く離れたジャングルで無残な死を遂げなければならなかったのか。悲劇は、どのようにして拡大していったのか。
謎を解くカギは、兵を率いる指揮官にあるのではないかと私たちは考えた。
指揮官の決断が、戦場の様相を一変させ、兵士たちの生死を左右するからだ。
巨大組織だった日本軍には、中央の大本営から各地の軍司令部まで、それぞれに指揮官や参謀がいた。現代の会社組織と変わらない人事異動があり、緊密なネットワークでつながっていた。軍も企業も組織をあげて追求する戦略があり、それを達成するための作戦があり、個々の戦場に適した戦術が選ばれる。指揮官が誤った判断を下したり、あるいは迷って決断を先送りにして敵に先手を取られたりしたら、たちまち部隊は全滅の危機に瀕する。指揮官を補佐し、作戦を立案する参謀の役割も極めて重大だった。いくら実戦経験が豊富で統率力のある指揮官でも、作戦計画が無謀で、敵の戦力を見誤っていたら、勝利はおぼつかないからだ。
ガダルカナルの戦いにおける日本軍の失敗は、決して遠い過去のものではない。その過ちを検証することで、現代にも共通する組織のジレンマやリーダーシップの欠陥をえぐり出すことができるに違いない。陸海軍の指揮官たちが直面した孤独や迷い、そして決断の道程をつぶさに見ていくことで、これまで秘密のヴェールに包まれてきた悲劇の真相に迫ることができるはずだ。
私たちは、戦いの全貌を明かす決定的な手掛かりを求めて、膨大な機密史料が眠るアメリカに向かった。
バージニア州クアンティコの海兵隊基地に残されていた「D-2ジャーナル」(部分)。初公開のこの手書きの史料には、ガダルカナル島の日本軍の動きが分刻みで記録されている
了
※続きはぜひ『ガダルカナル 悲劇の指揮官』でお楽しみください。
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