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“しなやかに力強く、理想の国を詠う若き詩人”アマンダ・ゴーマン――連載「アメリカ、その心の生まれるところ~変革の言葉たち」新元良一

 自由・平等・フロンティアを旗印に、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカ。様々な社会問題に揺れるこの国の根底には何があるのか? 建国から約230年。そこに培われた真のアメリカ精神を各分野の文化人の言葉の中に探ります。
 第1回は、バイデン大統領の就任式典で、自作の詩を朗読し一躍世界の脚光を浴びた若き詩人、アマンダ・ゴーマンです。

第1回「国は瓦解してはいない / ただ未完成なだけ」 アマンダ・ゴーマン

波乱の幕開け

 ぎりぎりのところであった。アメリカの首都ワシントンで祝祭が行われたこの日、冬の陽光に包まれた空間は明るさに加え、安らぎを醸し出していたが、わずか2週間前、同じ場所で戦場を思わせるような惨事が起こった。
 戦場という言葉に、大仰な響きがあるかもしれない。だが、国の基盤となる民主主義が危機に瀕していたと言えば、米国国会議事堂での騒乱がもたらした意味と緊迫の度合いが伝わるだろうか。
 2020年11月に4年に1度の大統領選挙が行われ、開票から2週間を経て、アメリカの新しいリーダーが民主党候補のジョー・バイデンという最終結果が出た。
 この国の法律では、選挙に敗れた候補者は、結果が不服なら異議を唱える権利を与えられる。落選した共和党候補で、現職だったドナルド・トランプは、その権利を行使した。投票の有効性を精査する再調査が行われ、その結果を受け、選挙管理を担当する地方の役人から連邦の最高裁判所に至るまで、今回の選挙には不正がなかったとすでに表明されていたにもかかわらず、だ。
 “通常なら”この時点で敗れた側はこれに従っただろう。だがトランプはさらなる不服を申し立てただけでなく、結果を覆すため、前例のないさまざまな行動に出た。なかでも突出したのが、1月6日のワシントンにおける自身の支援者による集会で、盛り上がる聴衆に向かって、米議会へ押しかけ抗議するよう促す言動であった。
 信奉する現職大統領からの指示を受け、彼らはバイデンが正式に選挙に勝利したという承認を阻止すべく、議事堂に向かって行進を始めた。副大統領だったマイク・ペンスに制裁を加えると叫ぶ者、議事堂の窓ガラスを割って侵入する者、警護に当たっていた人間に暴力を振るう者……トランプの支援者たちの暴徒化により、5人の犠牲者を出す大惨事となったこの2021年1月6日は、汚点として、アメリカ史に刻まれる一日となった。
 もしあのまま、議事堂を襲撃した親トランプのグループの望み通りに、選挙結果が覆されていたら、政治のみならず、社会における価値観や倫理観、市民生活にも影響を及ぼしかねなかった、そう想像してしまうのは筆者だけではないだろう。
 だからこそ、ジョー・バイデンがアメリカの第46代大統領に任命される就任式典の意義は大きかった。自分以外の考えや主張は断じて受けつけない独善的な思考、さらには議事堂襲撃という暴力に対して、危機を乗り越えたと国内外に示す必要があったからだ。民主主義は、まだここアメリカで生きているのだ、と。

雲間の光

 そして祝うために駆けつけた有名人たちのパフォーマンスが終わり、ひとりの黒人女性が演壇に立った。多くの参列者のなかで、黄色のコートと赤い髪飾りのコントラスト、その褐色の肌が冬の光に照らされ、22歳の若き詩人アマンダ・ゴーマンはひときわ輝いて映った。
 ジョーとファースト・レディになったばかりであるジルのバイデン夫妻、女性として初めて副大統領職についたカマラ・ハリスと彼女の夫ダグ・エムホフを始めとする超党派の政治家、その家族たちに囲まれ、アメリカ国民、さらには日本を含む世界中の人びとからの注目を認識しているのだろうが、ゴーマン本人に緊張した様子はうかがえない。むしろ、自信がみなぎっているかのような表情や声の響きが伝わってくる。
 過去においても、民主党から大統領が選出されると、詩が披露されることは度々あった。1961年のジョン・F・ケネディが就任したときには、近代詩壇の礎を築いたロバート・フロストが、ビル・クリントンが新大統領となった1993年は、ゴーマンと同じ黒人女性のマヤ・アンジェロウがこの場で自作を朗読している。
 よく知られているように、こうした機会で詠まれる作品は、詩人たちが普段創作するものとは趣が異なる。社会や時代の動向に着目しながら、新しい時代の到来を告げる祝祭的なイメージを喚起させる朗読と言われている。

 フロストやアンジェロウが手がけた作品と、今回のゴーマンによる「The Hill We Climb(我らが登る丘)」を見比べると、先のふたりの詩が洋々とした趣があるのに対し、後者のそれは、より具体的なものにフォーカスを合わせた印象を受ける。
「The Hill We Climb」にもスケールの大きさを感じさせる表現がないわけではない。「海(sea)」、あるいは「丘(hill)」といった自然や環境を示す言葉や、アメリカという国の精神性に言及するフレーズも見つかる。
 しかし一方で、「大惨事(catastrophe)」といった先の親トランプのグループによる議事堂襲撃を暗示する言葉など、具体的な事象への示唆が目に留まる。次の部分でも、その出来事がどれほどの痛みを国とその人びとに負わせたかを説いている。

わたしたちは、力がこの国を打ち砕くことができるところを目にした
共有するはずの力
民主主義の停滞を脅かせば、この国は瓦解しかねないところを
そしてこの所業が実る直前であったところを
(拙訳)

 ゴーマンは、就任式での朗読の依頼を受け、日々少しずつ言葉を綴っていった。作品のほぼ半分を書き上げた時点で、議事堂襲撃事件が勃発し、現場の映像を見て衝撃を受け、襲撃当日の深夜にかけて本作を一気に完成させたという。
 大統領選の結果が有効とされ、民主主義、ひいてはアメリカがなんとか持ちこたえたといっても、混乱がすべて収束し、決して融和を許さぬ分断が解消されたわけでは決してない。ゴーマンがこの詩を披露するときでさえ、その背後に建つ議事堂の窓ガラスはまだ割れたままで、手の施しようのないほど荒らされ、備品や装飾品が強奪された建物の内部も整備されず、1月6日の名残りは随所にあった。
 しかし、そうした物質的な損壊より根深いのは、多くの一般市民が受けた心の痛手ではなかったか。

たとえ傷ついても

 2021年4月22日のニューヨーク・タイムズは、2016年と比べて、自分がどう変わったかをアメリカの若い女性数人に訊ねる記事を掲載している。つまりドナルド・トランプが共和党の大統領候補に名乗りを上げ、選挙戦を勝ち抜き、ついに国家最大の権力者に上り詰めて以降、彼女たちのなかでなにが変わったかを検証する試みだ。
 そのなかのひとりで、サンフランシスコでグラフィック・デザイナーの仕事をする現在21歳のサラ・ハミルトンは、同紙から取材を受けた2016年当時、高校生だった自身もリーダーになりたいという夢を語っていた。その年の大統領選に出馬した、民主党候補ヒラリー・ロダム・クリントンに刺激を受けての思いだった。
 4年とその前の数か月の歳月を隔てて、もはや彼女にはそうした夢はない。カマラ・ハリスの副大統領就任やほかの女性議員の当選を喜んではいるが、トランプ政権誕生以前に抱いていた政治を担うリーダーへの関心は失せてしまった。
「もしその地位にたどり着くためにあれほど求められるのなら、そこまでの価値はないと思う」。多くの若い女性たちも自分と同じ意見のはずと、サラは記事でそう語っている。
「あれほど」と彼女が話すのは、女性というだけで、クリントンやハリス、さらには民主党下院議員のホープ、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスたちが政界で被ってきた仕打ちを指す。いわれのない陰謀論など自分を貶める過激な言葉がソーシャル・メディアを通じ流布される。反論したところで効果が表れないどころか、さらなる炎上に晒される。
 生命の危険さえ感じる言葉の攻撃に耐えてまでも、思い描いてきた理想を貫きたいかと問われれば、諦めるしかないと答えるのは無理もないことだ。両親や学校の先生たち大人から、ここアメリカでは不可能なことなどない、性別にかかわらずなんにでもなれる……そう言われ続けてきたけれど、やはり現実は厳しくつらいもので、女性への不平等は変わらないと思いたくもなる。
 それでも、である。
 女性であることが大統領、否、いかなる職業につくのにも足かせになるのは根本的に間違っている。誰もが平等の権利を持つべきこの社会で、そうした不義を許してはならない。ここで立ち止まっていては、いつまで経っても道理でない状態が続く。これを脱し、変えていくのは今しかないのだ――。

新たな始まりの予感

 今回の就任式で、アマンダ・ゴーマンが紡ぎ出した言葉には、長きにわたり根を張る差別という因習を突破する、そんな力強さが満ち溢れている。自身もいつか大統領になるという志を持つゴーマンは、朗読した詩で夢を絶やさず、それを生きていくことこそが、アメリカで引き継がれてきた精神であると示している。

なんとかしてわたしたちは乗り切り、その目でたしかめた
国は瓦解してはいない
ただ未完成なだけ
わたしたちは国と時代の継承者
奴隷の末裔で、シングルマザーに育てられ
やせっぽちの黒人の娘が
大統領になる夢を胸に
別の大統領のためにこうして朗読する
(拙訳)

 女性、しかも黒人にとって、大統領への道のりは決して容易(たやす)くはない。それは紛れもない現実だ。険しい丘を登るように、夢の成就を目指しても、罵倒され、非難も受け、落ち込み、うなだれるときも訪れるだろう。
 しかし、たとえそうであっても、夢を諦めたりはしない。
 前方で立ちふさがれようが、困難を乗り越え、自らの願いをいつか叶えてみせるという思いが力となり、溌剌とした口調のゴーマンの朗読と相まって、大統領就任式という祝宴を飾るハイライトとなった。ゴーマンの姿がひときわ輝いて映ったと先に記したが、いまここからなにかが始まる、これまでなかった新たな方向性が打ち出されると、映像を見るだけでも心が弾み、確信めいた気持ちにさせられる。

未完成を力に

 そして、こうした不屈とも言える印象がどこから来るのだろうと考えるとき、「若さ」という言葉にたどり着く。だがそれは、アマンダ・ゴーマンの年齢だけを示すものではない。
 アメリカは、歴史が浅い国と称されることがよくある。
 建国以来二百数十年の間、さまざまな国の人たちが理想を持ってこの地へ渡り、根を下ろし、それを具現化しようと努めてきた。ある意味で、歴史が浅いからこそ、しがらみを気にせず、社会通念や慣習にもとらわれず、自分たちの理想に基づく国家の建設を進められた。
 もっとも、その理想はひとつではない。保守やリベラルなどのイデオロギーはもとより、異なる宗教観や文化を背負う彼らは、自分たちが暮らしていこうとする国や社会がこうあってほしいと願うが、当然ながら、思い描くイメージはそれぞれ異なる。
 理想が千差万別であるために、この国に暮らすすべての人たちを満足させるのは極めてむずかしい。ほとんど不可能と言っていいだろう。
 まとまりに欠けるという点で、アメリカは成熟しきれていない国と定義できるかもしれない。つまり国家として確固たる形になりきれていないから、時代ごとに、新たな主張や言説が取り入れられて、ときには劇的と言えるほどの社会の変化を繰り返してきた、とも読み取れる。
 引用したゴーマンの詩にある「未完成(unfinished)」とは、この成熟しきれていない、より良い社会の構築を目指して試行錯誤し続ける、アメリカの有り様を集約していた。未熟、別の表現を使えば、「若い」がために新陳代謝を継続する使命を見事に言い当てている。
 もっとも、理想あるいは完成に近づくための変化が、常に成功するとはかぎらない。新たな方向性を打ち出しても、反発の声が上がってきて折り合いがつかず、挫折することもあれば、対立が続くこともしばしばである。
 にもかかわらず、アメリカの人びとは自分たちの主張をやめず、理想を手放そうとしない。思いが通らずに失望や挫折があっても、議論の場を設けて、互いが納得できる共通の余地を求め、また新たな変化を提示していく。
 あたかもそれは、アメリカはいつかひとつになれるという理想に対する、永遠の追求のように見える。新大統領の誕生セレモニーは、そんな夢の成就に向けた活力が、ひとりの若き詩人の言葉に乗って、世界中の人びとに届けられる日でもあった。

(了)

*写真 ©Capital Pictures/amanaimages

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プロフィール
新元良一(にいもとりょういち)

1959年神戸生まれ。作家。元京都造形芸術大学教授。1984年から22年間ニューヨークに在住した後、2006年京都へ移転。2014年、NHKラジオ「英語で読む村上春樹」の番組ホストを1年間担当。2016年に活動拠点を再びニューヨークへ移す。著作に『あの空を探して』(文藝春秋)、『One author, One book』(本の雑誌社)など。現在、「ワイアード日本版」「TOKION」にて連載コラムを執筆中。

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