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量子コンピュータのしくみとは? 世界をどう変える?

量子コンピュータが実用化されると、私たちの暮らしはどのように変わるのか。従来のコンピュータの限界を超える「量子超越」が実現すれば、エネルギー、農業、医療、経済、AI、宇宙探査など、あらゆる分野で現在の技術的限界を突破し、新たな地平が開けると期待されています。

『量子超越 量子コンピュータが世界を変える』は、物理学の世界的権威であり、量子論の研究に生涯を捧げてきたミチオ・カク博士が、量子コンピュータの科学的仕組みや、白熱する開発競争、そしてワクワクするような未来を解説するNYタイムズ・ベストセラーの待望の邦訳です。

本書の発売を記念し、量子コンピュータが実用化された「2050年の世界」が描かれた第17章の一部をお送りします。


2050年のある日

2050年1月、午前6時

 目覚まし時計が鳴りだし、あなたは頭が割れるような痛みとともに起きる。
 アシスタントロボットのモリーが、壁のスクリーンにぱっと現れる。彼女は明るい声でこう告げる。「午前6時です。起こしてほしいとおっしゃいましたよね」
 あなたは眠たげに答える。「うーん、頭が痛いんだ。こうなるようなこと、昨夜何かしていたっけ?」
 モリーは言う。「新しい核融合炉の操業開始を祝うパーティーに出ていたんですよ。きっと飲みすぎたんでしょうね」
 ゆっくりと記憶がよみがえってくる。あなたは国内最大級の量子コンピュータ企業、クォンタム・テクノロジーズのエンジニアだ。昨今、量子コンピュータはいたるところで使われているようで、昨夜のパーティーで祝っていた最新の核融合炉の操業開始は、量子コンピュータが可能にした画期的なイベントだった。
 あなたはパーティーで記者にこう訊かれたのを思い出す。「この興奮ぶりはいったい何ですか? どうして熱いガスに大騒ぎするんです?」
 あなたはこう答える。「量子コンピュータがついに、核融合炉内部の熱いガスを安定化する方法を明らかにしたんです。これで、ほとんど無尽蔵のエネルギーを、水素をヘリウムにする核融合によって取り出せるわけです。エネルギー危機を解決する鍵になるでしょうね」
 つまり、今後世界でいくつもの核融合炉が誕生し、またたくさんのパーティーで酔っぱらうことになるのだ。安価な再生可能エネルギーの新時代の幕が、量子コンピュータによって開かれようとしている。

 だが、もうニュースを追わないといけない時間だ。あなたはモリーに言う。「科学の進捗状況を伝える朝のニュースをつけてよ」
 壁のスクリーンがいきなり映像を映し出す。最新のニュースを聴くたびに、あなたはこんなひとり遊びをしたがる。科学ニュースをひとつひとつ聞いたあとで、量子コンピュータが成果に関与していない、、、、、ニュースが、もしあるとしたらどれか、決めようとするのだ。
 番組のホストが語る。「新型の超音速ジェット機が政府に承認されました。これにより、太平洋や大西洋を渡る時間が大幅に短縮されます」
 あなたには、量子コンピュータが、バーチャル風洞を使用して、ソニックブーム(衝撃波音)によるノイズをなくす的確な空力デザインを見つけ出せたことがわかっている。それにより、この新型超音速ジェット旅客機が開発できたのだ。
 続いてホストはこう読み上げる。「火星に滞在中の宇宙飛行士たちが、大型のソーラーパネルと、コロニーのエネルギーを貯蔵するスーパー電池群を建造しました」
 あなたは、量子コンピュータが火星の前哨基地にエネルギーを供給するスーパー電池を生み出し、このすべてを可能にしたことを知っている。一方で、それはまた、地球で石炭や石油による発電所への依存を減らすことにもなった。
 ホストは次のニュースに移る。「全世界の医師が、アルツハイマー病の新薬を歓迎しています。これにより、この致命的な病をもたらすアミロイドタンパク質の蓄積を防ぐことができるのです。この成果は何百万もの命を救うでしょう」
 あなたは、自分の会社が量子コンピュータでアルツハイマー病の原因となるタイプのアミロイドタンパク質を特定する研究の最前線にいたことを誇りに思う。
 科学ニュースを聴きながら、あなたはにんまりしている。今日もまた、全部のニュースの内容が、量子コンピュータによって直接的か間接的に実現したものだったからだ。

 ニュースが終わると、あなたは重い足取りでバスルームへ行き、シャワーを浴びて歯を磨く。そして水が排水口に流れ込むのを見ながら、体を洗ったり口をゆすいだりしたあとの排水が知らぬ間にバイオラボへ送られ、がん細胞の有無が調べられていることに思い至る。何千万、何億もの人は、バスルームとつながっている量子コンピュータにより、日に何度か精密な健康診断がおこなわれているのに気づかずのほほんと過ごしている。
 今では、腫瘍ができる何年も前に量子コンピュータでがん細胞が見つかるため、がんはただの風邪のようなものになっている。がんの家系をもつあなたは、内心こう思う。「がんがもう以前のような殺し屋でなくなってよかった」
 最後にあなたが服を着ると、壁のスクリーンがふたたび明るくなる。今度はAI医師の姿がスクリーンに現れる。
 「今日は何ですか、先生? 良いニュースだといいんですが」
 専属のロボット医師、ロボ・ドックが告げる。「そうですね、良いニュースと悪いニュースがあります。まずは悪いニュース。先週のあなたの排水に含まれていた細胞を調べたところ、がんが見つかりました」
 「うっ、それは悪いニュースですね。じゃあ良いニュースは?」と、あなたは不安げに尋ねる。
 「良いニュースは、その元凶を特定し、あなたの肺で成長しているわずか数百個のがん細胞を見つけたことです。心配ありません。すでにがん細胞の遺伝子を解析したので、注射で免疫系を強化してこのがんをなくします。このがんを攻撃するためにあなたの会社の量子コンピュータが作った最新の遺伝子組み替え免疫細胞を、ちょうど受け取ったところです」
 あなたはほっとする。それから別の質問をする。「正直に答えてください。あなたの量子コンピュータが僕の体液に含まれるがん細胞を検出していなかったら、どうなっていましたか? たとえば10年前に?」
 ロボ・ドックが答える。「数十年前、量子コンピュータが普及する前なら、今ごろ体内の腫瘍に数十億個のがん細胞ができていて、およそ5年以内に死んでいたでしょうね」
 あなたは息を吞む。そしてクォンタム・テクノロジーズで働いていることを誇りに思う。

 突然モリーがロボ・ドックとの会話に割って入る。「たった今、このメッセージが届きました。本社で緊急の会議があります。ただちに直接出席するようにとのことです」
 「なんだって!」とあなたはつぶやく。通常のタスクはほとんどオンラインでおこなわれている。ところが今日は、全員集合が求められている。重要な会議にちがいない。
 あなたはモリーに伝える。「約束をキャンセルして僕の車を呼んで」
 数分後に自動運転車が到着し、あなたを会社へ連れて行く。車の流れは悪くなかった。道路に埋め込まれた何百万ものセンサーが量子コンピュータにつながっていて、秒単位で個々の信号を制御して渋滞をなくしているからだ。

 会社に着くと、あなたは車から降りてこう言う。「駐車しに行って。そしてあとですぐに迎えに来られるように準備しておいてよ」。あなたの車は街の交通をすべて監視している量子コンピュータに接続し、近場で空いている駐車スペースを見つける。
 あなたが会議室に入ると、まわりに着席している人のプロフィールがコンタクトレンズに表示される。会社のお偉方が勢揃いしているようだ。これは重要な会議でまちがいない。
 社長が名だたる重役たちに向かって話を切りだす。
 「ぎょっとする話だが、今週、わが社の量子コンピュータがこれまでにないウイルスを検出した。わが社が構築している下水道センサーの国際ネットワークは、致死性ウイルスに対する防御の最前線だが、それがタイの国境近くで新たなウイルスを検出したのだ。このウイルスはわれわれの不意を突いた。致死性が高く、感染性も高く、おそらくなんらかの鳥が起源だ。君たちも当然覚えているように、前のパンデミックでは米国で100万を超える人命が奪われ、世界経済をほとんど機能不全に陥らせた。私は、ただちにアジアへ飛んで脅威を分析する優秀な社員の人選をした。超音速輸送機が離陸の準備をしている。何か質問は?」
 いくつもの手が挙がる。質問の多くは外国語だが、あなたのコンタクトレンズが自国語に翻訳してくれる。

 あなたは平穏ですてきな週末を待ち望んでいた。そんな予定のすべてがふいになった。今度は空飛ぶ車があなたを空港へ連れて行き、そこで超音速輸送機が待っていた。あなたはニューヨークで朝食を、アラスカ上空でランチを、東京で夕食を食べてから、夜の打ち合わせに出る。「従来のジェット機でニューヨークから東京まで13時間といういらだたしい旅が、超音速ジェット機でずいぶん改善されたな」とあなたは思いにふける。
 それからあなたは、小学生のころ、歴史の本で2020年のパンデミックが引き起こした悪夢のような出来事について読んだのを思い出す。当時世界は、未知のウイルスに対処する準備がまったくできていなかった。実のところ、それであなたの親族も何人か亡くなっていた。だが今度は、すっかり準備ができている。

 翌日、あなたは状況説明を受ける。上司がこう話す。「幸い、量子コンピュータでこのウイルスの遺伝子配列が特定でき、分子レベルの弱点を見つけてこの病気に効くワクチンを設計することができた。すべては量子コンピュータのおかげで記録的な速さでおこなえた。旅客機や列車の記録もすべて量子コンピュータで調べ、ウイルスが世界にどう広がりうるかを明らかにすることができた。現在、主要な空港や鉄道の駅に設置したセンサーが、新たなウイルスに固有のにおい、、、をとらえるように調整されている」
 会社の各地の研究所を1週間めぐってから、あなたは自分のチームが新たなウイルスを制圧できたと確信してニューヨークへ戻る。そして、自分ががんばったことで数百万人の命を救え、世界経済の崩壊を防げたと自負する。

 帰宅したあなたは、新たな予定が入っていないかモリーに尋ねる。「そうですね、世界でも指折りの大手雑誌から、あなたにインタビューの依頼が入っています。量子コンピュータの特集記事を書こうとしているようです。セッティングしますか?」
 オフィスに記者がやってくると、あなたはうれしい驚きを覚える。サラは念入りに準備していて、知識が豊富で、実にプロフェッショナルだった。
 サラは言う。「近ごろはどこにでも量子コンピュータが普及しているようだと聞いています。従来のデジタルコンピュータは恐竜のようで、スクラップになりつつあると。どこへ行っても、量子コンピュータが旧世代のシリコンコンピュータに取って代わっているように思えます。携帯電話を使うたびに、実はクラウドのどこかにある量子コンピュータと話しているのだとも言われます。でも教えてください。これだけ進歩していれば、切実な社会問題の解決にも役立つでしょうか? つまり、現実の話がしたいのです。たとえば、貧困者に食糧を供給するのにも役立つでしょうか?」
 あなたは即答する。「そうですね、答えはイエスです。量子コンピュータは、私たちが毎日吸っている空気に含まれる窒素を肥料の原料に変えるための秘密を解き明かしました。これは第二の緑の革命を生み出そうとしているのです。かつて否定していた人は、人口爆発によって飢餓や戦争、大量移民、食糧暴動などが起きると言っていました。そのどれも、量子コンピュータのおかげで起きていません――」
 「でもちょっと待ってください」とサラが話をさえぎる。「地球温暖化の問題はどうでしょう? まばたきするだけで、コンタクトレンズのインターネットで大規模な山火事や干ばつ、ハリケーン、洪水の画像が見られます。……気候がおかしくなっているように思えるんです」
 「そうですね」とあなたは認める。「前世紀に産業界は大量のCO2を大気に吐き出し、私たちはついにその代償を払うはめになっています。すべての予測が的中しているのです。でも私たちはそれに応戦しています。クォンタム・テクノロジーズは、莫大な電気エネルギーを貯蔵できるスーパー電池の開発の先頭に立っています。この電池はエネルギーのコストを大幅に減らし、長いこと待ち望まれていた太陽の時代をもたらすことになるでしょう。いまや、太陽が照らず、風が吹いていないときにも電力が得られるのです。現在世界じゅうで稼働しつつある核融合プラントも含め、再生可能テクノロジー〔消費する以上のエネルギーを生み出すという点で、核融合も再生可能エネルギーに含める考え方がある〕によるエネルギーは、いまや史上初めて化石燃料によるエネルギーよりも安価になっています。私たちは地球温暖化の危機を脱しようとしているのです。間に合うことを期待しましょう」

 「では、個人的な質問をさせてください。量子コンピュータはあなたの家族や愛する人にどんな影響を与えましたか?」と、サラが尋ねる。
 あなたは悲しげな面持ちで答える。「私の家族はアルツハイマー病でひどくつらい思いをしました。私自身、母親でじかにそれを味わったのです。最初、母は数分前の出来事を忘れるようになりました。それから次第に妄想を抱き、起きてもいない出来事を語るようになったのです。次に、愛する人たちの名前をすっかり忘れ、ついには自分がだれなのかも忘れてしまいました。けれども私は、今では量子コンピュータがこの問題を解決しようとしていると誇りをもって言えます。分子のレベルで、量子コンピュータは脳にたまる異常なアミロイドタンパク質を特定できたのです。アルツハイマー病の治療は手の届くところにあります」
 次にサラはこう問いかける。「あくまで仮定上の質問をします。量子コンピュータで老化を遅くしたり止めたりする手だてがもうすぐ見つかるという噂も広まっています。そこで教えてください。その噂は本当ですか? あなたは今にも不老の泉を見つけようとしているんですか?」
 あなたは答える。「ええと、私たちにはまだ完全にはわかっていませんが、本当です。当社の研究所ではすでに、遺伝子治療とCRISPRと量子コンピュータを使って、老化が引き起こすエラーを修復することができています。老化が遺伝子や細胞のエラーの蓄積によるものであることはわかっています。そして現在、私たちはそうしたエラーを修正することで、老化を減速し、あわよくば逆戻りさせる方法を見つけようとしているのです」

 「そこから最後の質問です。もう一度一生を送れるとしたら、あなたは何になりたいですか? たとえば記者である私は、次の一生は小説家になりたいです。あなたはどうですか?」
 「ふうむ」とあなたは応じる。「一生を何度か送るというのは、もはやそれほどありえない話ではありません。それでも私は、もう一度一生を送れるとしたら、量子コンピュータを応用して宇宙についての究極の疑問を解決したいですね。究極の疑問とはこういうものです。宇宙はどこから生まれたのか? なぜビッグバンが起きたのか? その前はどうなっていたのか? 私たち人類はまだ未熟すぎてこうしたとんでもない疑問に答えられませんが、いつか量子コンピュータが答えを見つけるにちがいありません」
 「宇宙の意味を見つけるんですか? なんとまあ、それはとんでもない大仕事ですね。でも、量子コンピュータがどんな答えを見つけるか、怖くないですか?」とサラが訊く。
 「『銀河ヒッチハイク・ガイド』〔ダグラス・アダムス著、安原和見訳、河出書房新社など〕の終わりで何があったか覚えていますか? 大きな期待と興奮の末に、巨大なスーパーコンピュータがついに宇宙の意味を解き明かします。けれども答えは42という数でした。もちろん、これはフィクションの話です。それでも今私は、量子コンピュータを使ってこの問題を解くことができると思っています。本気で」と、あなたは答える。


続きは『量子超越 量子コンピュータが世界を変える』でお楽しみください。

高橋弘樹氏(ビジネス動画メディア ReHacQ -リハック- プロデューサー)絶賛
めちゃくちゃ面白い!
素粒子物理が2050年の世界をどう変えるか……
こんな楽しい世界を知らずに2020年代を生きるのはもったいなさすぎる。
量子コンピュータの描く未来を考えることは、こんなにワクワクするのだとみんなに知ってほしい。
本書の内容を、量子コンピュータと物理の楽しさを、 7歳の息子に夢中になって話した。

■『量子超越 量子コンピュータが世界を変える』目次
第Ⅰ部 量子コンピュータの登場
 第1章 新時代の幕開け
 第2章 コンピューティングの歴史
 第3章 量子論
 第4章 量子コンピュータの夜明け
 第5章 レースは始まっている
第Ⅱ部 世界の問題を解決する
 第6章 生命の謎を解く
 第7章 世界を緑化する
 第8章 地球を養う
 第9章 エネルギー革命
第Ⅲ部 量子医療
 第10章 創薬と保健衛生
 第11章 遺伝子編集とがん
 第12章 AIの活用と難病の治療
 第13章 不老不死
第Ⅳ部 世界と宇宙をモデル化する
 第14章 地球温暖化
 第15章 太陽をビンのなかに
 第16章 宇宙をシミュレートする
 第17章 2050年のある日
エピローグ 量子の謎
謝辞
訳者あとがき

ミチオ・カク
ニューヨーク市立大学理論物理学教授。ハーバード大学卒業後、カリフォルニア大学バークリー校で博士号取得。「ひもの場の理論」創始者の一人。著書に『2100年の科学ライフ』『人類、宇宙に住む』『神の方程式』(以上、NHK 出版)など、数多くのベストセラーを生み出す。

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